新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
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私の履歴書 安倍晋三・PART2

2019年05月16日 11時50分43秒 | 安倍晋三

----- 私の履歴書 安倍晋三 -----
 
私は1977年3月に成蹊大学法学部政治学科を卒業すると、父が勧める留学のために渡米しました。
 
先ずは英語の勉強をしなければなりません。
 
最初にカリフォルニア州ヘイワードの英語学校に入学しましたが、日本人だらけで勉強に障害があると判断した私は、その後イタリア系アメリカ人の家に下宿しながらロングビーチの語学学校に通いました。
 
翌年1978年9月、政治学を専攻する予定で南カルフォルニア大学に入学しましたが挫折してしまいました。
 
政治学を専攻できないまま、語学コースを含む6コースを取得しただけで、実質的には半年で退学してしまったのです。留学というのは恥ずかしいような経験でした。
 
ちなみに今話題の加計孝太郎氏は彼がアメリカカリフォルニア州立大学ロングビーチ校に留学されていた時に出会い、それ以来の付き合いとなっています。
 
経歴詐称とのご指摘も頂いておりますが、私はこの事を偽るつもりはありませんでした。
 
HP作成を事務所に任せており、不確実なまま私の経歴に米国留学と載ってしまっていたようです。今は削除しています。
 
翌年1979年4月に帰国すると、私を待っていたのは「就職」という現実でした。
 
父晋太郎は私を後継者にするつもりでおり、父の選挙地盤固めのために地元山口の大企業に就職させたかったようです。
 
私の就職に関してはお祖父様の秘書をしていた方が奔走してくれました。
 
岸信介の孫、飛ぶ鳥を落とす勢いの安部晋太郎の息子という事もあり、引く手数多だったそうです。
 
結局、お祖父様の希望もあって私は神戸製鋼に入社しました。
 
ただタイミングが悪かったようで、入社試験も入社式も終わっており、国内には配属場所がなかったことから、会社から「英語が話せるならニューヨーク事務所に1年ほど行ってほしい」と言われ、やっと日本に戻ったと思ったら、皮肉にもとんぼ返りでアメリカに戻る事となってしまいました。
 
翌1980年に日本に戻してもらうと、私はその年の新入社員と一緒に溶鉱炉の現場を経験させられることになりました。
 
加古川の製鉄所に勤務した頃は寮に入り、寮仲間と麻雀に興じたり、ドライブに行ったり、楽しい時代でした。
 
私は酒をほとんど飲まないので、仲間と飲みに行くと運転手役はいつも私でした。
 
その後東京本社の輸出部に転勤となり、仕事の楽しさが分かり始めた1982年の秋頃のこと、外相に就任した父晋太郎からいきなり「会社を辞めて、明日からおれの秘書になれ」と言われたのです。
 
私は会社生活を続けたかったのですが、父は神戸製鋼の社長にまで根回しをしており、逆に上司から退社スケジュールまで示される始末でした。
 
私は政治家になるのは必然だと考えていましたから、秘書官になる事に抵抗は無かったのですが、突然の事で会社に迷惑を掛けるのが辛く、そんな強引で我儘な父が嫌で仕方ありませんでした。
 
結局2週間程ゴタゴタしてしまい、最後は背中を押してくれた課長の前で人目をはばからず号泣してしまいました。
 
父晋太郎の秘書官時代は秘書官の仕事をしていたというよりは、政財界に顔を売るため父に付き添って挨拶回り、宴席や冠婚葬祭への出席が主な役割でした。
 
暇な時間も多く、事務所では勉強の傍らよくTVゲームに興じていました。
 
ただ、いつになれば政治家になれるのか、いつまで秘書官を続けるのか、常に気掛かりでした。
 
お祖父様のような総理になる、その夢はいつになったら実現するのだろう?不安が付き纏いました。
 
そんなある日、縁談話が持ち上がりました。相手は今の妻、昭恵です。
 
父は常々、「男は所帯を構えてこそ一人前だ。お前もそろそろ嫁をもらわんとなあ?」と言っており、縁談は意外な事ではありませんでした。
 
ただ、親が決めるのではなく、自分で相手を見つけたい、決めたいという思いはありました。
 
昭恵は当時森永製菓社長だった松崎昭雄の長女で、電通社員をしていました。
 
電通との繋がりは、今は切っても切れない関係になっています。やはり政略結婚だったのでしょうか。
 
1987年6月、挙式は新高輪プリンスホテルで、媒酌人は福田赳夫夫妻でした。派手な披露宴でマスコミでも話題になりました。


 
昭恵は奔放な女性で、歯に衣を着せず私に辛辣な意見を言ったり、酒豪で男勝りな面もありましたが、逆に夫婦というよりは友達のような感覚で暮してきました。
 
子宝に恵まれず、それも悩みの種でした。不妊治療を試みたり、養子縁組を考えたものの実現には至っていません。
 
第三者から「仮面の夫婦」と揶揄された事もありますが、政治家である以上致し方ない部分はあります。
 
昭恵もよく辛抱してくれていると思いますが、夫婦の絆が深まらなかったのは、子供に恵まれなかった事も大きいと思っています。
 
また母洋子との関係は良好とはいえず、私は昭恵の傍が息苦しくなると、母の元に行っていました。
 
その年、参議院議員・江島淳さんが亡くなられたので、補欠選挙に立候補するつもりでしたが、宇部市長の二木秀夫さんが出馬を表明されたため、父晋太郎から出馬を断念するよう説得されて立候補を見送りました。
 
巷には安部家朝鮮人説というのがあるそうですが、確かに父晋太郎は「おれは朝鮮人」だとよく言っていました。
 
父によると安倍家の起源は10世紀くらいまで朝鮮半島北で中国大陸にかけて存在した渤海(パルヘ)国に始まったという事でしたが、その真偽はよく分かりません。
 
ただ、岸家、安部家ともに朝鮮との関係は深かったと思っています。
 
                                   
 
お祖父様がA級戦犯仲間の児玉誉士夫さん、笹川良一さんと協力して、統一教会と『国際勝共連合』を立ち上げた事はよく知られていますが、その頃から統一教会とも交流ができました。
 
朝鮮総連系との繋がりが深いパチンコ業界からも安部家は絶大な支援を受けて参りました。
 
このように朝鮮との関係が深い事から私を在日と言う人もいますが、私は純粋の日本人です。
 
しかし、朝鮮の方々から受けた恩を忘れてはなりません。
 
そんな父の教えもあって、今は統一教会に加え、創価学会の方々とも良い関係を築いています。
 
1991年に総裁候補と目されていた父晋太郎が急死しました。
 
1993年に私は父の地盤を受け継ぎ、第40回衆議院議員総選挙に山口1区から出馬し初当選しました。
 
当選後はかつて父晋太郎が会長を務めた清和政策研究会に所属して活動を行いました。
 
1997年には自民党青年局長に就任させて頂き、1998年には政策集団NAISの会を結成いたしました。
 
NAISとは根本匠氏、安部晋三、石原伸晃氏、塩崎恭久氏の頭文字を取ったものです。
 
この仲間たちとの関係は大切にしています。
 
現安部政権でも石原氏、塩崎氏には閣僚としてご活躍頂いています。
 
私は世襲議員とのご指摘、ご批判も多く頂きましたが、三バン(ジバン、カバン〔資金〕、カンバン)は議員にとって必要不可欠な条件です。
 
親が築いた三バンをみすみす捨てる手はありません。
 
しかも、私のように政治家としての大志、能力が備わっていなければ、いくら世襲でも役職に就くことは不可能です。
 
私は世襲である事をむしろ誇りに思っています。
 
私の大志とは、お祖父様の岸信介が夢見て叶わなかった憲法改正を成し遂げる事です。
 
日本が戦争で負け、お祖父様は戦争犯罪人として裁かれ、大日本帝国憲法を破棄させられ、屈辱を味わいました。
 
お祖父様の遺志に従って、私の在任中に自主憲法を制定する事、それが尊敬するお祖父様の屈辱を晴らすとともに、最高の弔いになるのだと思っています。
 
2000年、私は派閥領袖の森喜朗首相が組閣した第2次森内閣で、小泉純一郎さんの推薦を受け、政務担当の内閣官房副長官に就任しました。
 
2002年には小泉首相の北朝鮮訪問に随行し、小泉首相と金正日総書記との首脳会談では、小泉首相に「安易な妥協をするべきではない」と再三進言しました。
 
また拉致被害者5人の帰国を実現させた後、拉致被害者を北朝鮮に一時帰国させる方針にも反対し、対北朝鮮強硬派の方たちからは多くの支持を頂きました。
 
拉致被害者の家族会の方から、「安部晋三は拉致問題を政治利用した」という非難も受けましたが、それは事実誤認です。私を貶める謀略です。
 
私が誠心誠意、拉致被害者の帰国を願って精力的に活動してきた事は皆さんご存知の通りです。
 
2003年9月、私は小泉首相によって自民党幹事長に抜擢されました。
 
その時私はまだ49歳でした。
 
首相と同じ派閥から幹事長は出さないという暗黙のルールを超えたサプライズ人事で、しかも大臣経験の無い若手議員が幹事長に就任するというのも前代未聞の出来事だったようです。
 
私は勝ち馬に乗ったと感じました。
 
2005年10月31日付で発足した第3次小泉改造内閣では内閣官房長官として初入閣しました。
 
この時、私はポスト小泉の最有力候補と目されていたのです。
続く


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