厚顔無恥なのか、ある女性評論家は「【鉄面皮」と表現していた、兵庫県の斎藤元彦県知事。
少なくとも、メディアの取材での口癖「・・・間違ってはいないという認識を持っている」という言い方はすべて自分が正しいという傲慢さの表れであろう。
最近では県警と地検に告発されテレビではお目にかかる機会がなくなったようである。
「【独自】斎藤知事はこうして捜査され、こうして逮捕される…いま検察が考えていること」
■なぜ県警と地検の両方? 公職選挙法違反の買収疑惑につき、兵庫県の斎藤元彦知事の炎上が止まらない。 12月2日、元東京地検特捜部の郷原信郎弁護士と神戸学院大学の上脇博之教授が記者会見した。斎藤氏と、merchu(兵庫県西宮市)の社長・折田楓氏を公職選挙法違反で刑事告発したと明らかにしたのだ。ご存知、折田氏は兵庫県知事選で斎藤知事のSNS展開を「監修者」として主体的に請け負ったと、みずからnoteで「自白」した人物だ。 すでに記者会見を行った斎藤知事と代理人の奥見司弁護士は、こう述べている。 「71万5千円を折田氏の会社に支払った」 「ポスターなどの代金で、公職選挙法違反にはあたらない」 いっぽうで告発状は、こう告発の事実を記している。 《被告発人折田と同人が代表取締役を務める「株式会社merchu」が、被告発人斎藤に当選を得させるための上記選挙運動をしたことの報酬として、被告発人折田が代表取締役を務める「株式会社merchu」に71万5000円の金銭を供与し、もって、選挙運動をすることの報酬として、選挙運動者に対して金銭を供与。 被告発人折田は、同日、被告発人斎藤に当選を得させるための上記の選挙運動を行ったことの報酬として、被告発人斎藤から「株式会社merchu」の代表取締役として、71万5000円の供与を受け、もって、選挙運動をすることの報酬として、金銭の供与を受けた》 以上を告発事実として、公職選挙法違反にあたるとしているのだ。 今回注目すべきなのは、兵庫県警と神戸地検、2つの捜査機関に告発していることだ。 選挙違反は一般的に、警察のテリトリーである。衆議院選挙などの大型選挙があれば、全国の警察では「選挙違反取締本部」が設置され,手間がかかる選挙違反の立件に多くの警官が集められる。 だが、他の選挙と異なり、知事選で選挙違反の「取締」が行われる例は実際にはそう多くない。都道府県知事は、警察の予算を執行する側で、ある意味警察より上の立場にある。知事は県警を指揮、指導できる立場なので、取り締まることは困難なのだ。 ■河井事件から学んだこと そこで、独自捜査で起訴権を有する検察の出番となる。しかし、先にも述べたとおり、選挙違反は警察が摘発するのが一般的だ。兵庫県警で選挙違反を手掛けたOBのひとりはこう証言する。 「公職選挙法違反で捕まえる、立件するにはかなりの人手と時間が必要になります。検察には人手がないので、選挙違反は警察がやるものと相場が決まっている」 今回、郷原氏と上脇氏が兵庫県警と神戸地検の両方に告発したことを、このOBはこう評価する。 |
はやくこんな風になってほしいものである。
斎藤元彦、ゲームオーバー。 pic.twitter.com/Ez4eZyIgKf
— 菅野完 (@noiehoie) December 5, 2024
さて、不愉快な「【鉄面皮」の輩の話はここまでにして、オジサンと同様東京新聞購読者らしき同年代の御仁の最近のlコラム記事を紹介。
「『汚語』という言葉を造った(鈴木耕)」
東京新聞の頑張り 東京新聞に「こちら特報部」という見開き2ページの特集記事があって、毎日掲載されている。普通ならば、特集面であっても土日くらいは休むものだが、東京新聞の「こちら特報部」は、雨が降ろうが槍が降ろうが休まない。毎日毎日、様々な問題を取り上げて真相追及&究明的な記事を作る。「特報部員」は何人いるのか知らないけれど、その努力と粘り強さには頭が下がる。 このページだけでも、東京新聞の存在価値があるといっていい。ぼくはそう思っている。むろん、東京新聞の他のセクションの記者たちもこのページには協力しているはずだから、特報部だけの頑張りではないだろうけれど、ぼくはこのページが好き。 時折「いやそれはぼくの考えとはちょっと違うなあ…」という記事もあるけれど、それはまあ仕方がない。すべてに同意なんて、そのほうが気持ち悪い。 12月1日の「こちら特報部」は、クルド人排斥差別についての記事だった。ぼくは賛同しながら読んだ。 先週、ぼくも自分のコラムで、差別やヘイトについて少し書いた。その中で「クルド人排斥ヘイト」について触れた。次のように書いた。 ぼくは不思議でしょうがない。 なぜ自分の地元でもなく、具体的な迷惑行為を受けているわけでもない遠い場所まで出かけて、死ね、出ていけ、ゴキブリ……などと、特定の属性の人たちへの憎悪を煽るのだろうか?(略) この疑問は、今もどうしても消えない。自分には何の関係のないところまでのこのこ出かけて行って、なぜヘイトスピーチをまき散らし、「汚語」を連発するのか。その心根がぼくには理解しがたいのだ。 言葉を造ってしまった ところで、この「汚語」という言葉は、辞書には載っていない。この言葉を使う作家やジャーナリストの文章も見たことがない。 実は、これはぼくの造語なのだ。最近、この言葉をぼくはけっこう使用している。だから、ぼくのPCでは「おご」と打つと即座に「汚語」に変換される。それくらい多用するようになってしまった。つまり、最近はSNS上で「汚語」がまき散らされているということでもある。 むろん、使いたくて使っているわけではない。汚い言葉を吐く連中が多いために、なんとなくぼくの中で出来てしまった言葉なのである。 アメリカ映画を観ていると、かなり頻繁に「汚語」が使用される。いわゆる「4文字言葉」や「asshole」「shit」といった類いの俗語である。子どもがそういう言葉をつかうたびに、お母さんから「そんな汚い言葉を使うんじゃありません」と怒られちゃう……というようなパターンが多い。 そこからの類推で、ぼくはレイシスト(人種差別主義者)やヘイター(憎悪表現者)らがまき散らす言葉を「汚語」と書くようになったのだ。しかし、これだけ「汚語」がSNS上を汚すとなると、それを連発する人たちを「汚人」とでも呼ばなきゃならなくなるかもしれないなあ。 ぼくの新造語辞書に、またひとつ「汚人」という言葉が増えてしまう……。 レイシストやヘイターらが増えて、それを批判するためのぼくの文章に、必然的に「汚語」という単語が増えてしまったというわけだ。 「汚語」を連発する連中は、極めてゲスなヤツラである。 しかし問題はこんなゲスどもが駆使するSNSが、残念ながら一定の効果を持ち始めたことにある。ごく一般的な生活者であるはずの人たちが、なぜかヘイトスピーチに感化され喝采し始める状況が起きている。そこが極めて問題なのだ。 「どっちもどっち」ではない! 前述したが、12月1日の「こちら特報部」は、クルド人排斥問題を取り上げている。記事は重要だが長文なので、それを全部引用するわけにもいかないから、とりあえず、見出しだけでもあげておこう。それで記事の雰囲気はつかめるはずだ。 クルド排斥デモ禁止直後、騒然 埼玉/蕨・川口 仮処分区域で別団体が集結 区域外で禁止当事者が街宣 「ゲリラヘイト」司法の隙突く 市民の「カウンター」が抑止力 包括的な規制 行政は後ろ向き 刺激的動画、ネットデマ「いつか憎悪犯罪に」 悪賢い連中はどこにでもいる。法の網をくぐる、という言葉がある。法の抜け穴…などという言い方もある。 先週のこのコラムでも触れたように、さいたま地裁が11月21日に、クルド人団体「日本クルド文化協会」の周辺600メートルでのデモを禁ずる仮処分を決定した。ところがその決定の隙間をかいくぐって、ヘイトデモを決行しようとした連中がいたのだ。その顛末をルポしたのが、前出の「こちら特報部」の記事である。 この記事は「汚人」どもの所業を、きちんと現場取材を交えて書いている。それを読むと、いかに人種差別主義者や憎悪表現者、歴史修正(改竄)主義者などが、法の網をかいくぐってデモやヘイトスピーチ集会を決行しようとしたかが分かる。そして、それを阻止したのが市民のカウンターたちだったということも。 この記事の末尾に、いつも「デスクメモ」という極小コラムがついている。今回の「デスクメモ」には、ぼくも同感したので、引用しておこう。 今回の騒動の様子は、YouTubeの東京新聞チャンネルで公開される。クルド人に向けられた「悪意」と、抗議する人々、両者の間に立つ警察官。飛び交う怒号に近づきがたい雰囲気はある。だが、「どっちもどっち」ではないのだ。騒ぎの背景にあるものを見定めたい。 新聞やテレビなどマスメディアは「中立公正」でなければならない、というような論調が存在する。 ある一方を批判すると、即座に「偏っている」「中立じゃない」という批判が殺到する。その批判を恐れて、いつの頃からか、新聞は「両論併記」を免罪符とするようになった。Aという事象に対して、必ずと言っていいほどBの立場の論を並べて載せる。ある政策についての批判にたいして、まるで決まりごとのように擁護論も併記する。これが、新聞の堕落に通じている。 「マスゴミ」って言うな! ジャーナリズムとは、本来、権力批判こそがその役割だったはず。ところが今や、権力といかに近しいかを競うような気配さえ感じる。 テレビは権力側が認可権を握っている。だから権力批判に及び腰になる。両論併記どころか政府支持論者ばかりが目立つ。だが新聞は、別に政府に認可権を握られているわけではない。自社の立場を鮮明にすることになにも逡巡する必要はない…はずだった。ところがいつからか、テレビと変わらないほどの弱腰になってしまった。 なぜか? 新聞が今、もっとも恐れるのはSNS上の炎上である。それを如実に表しているのが、最近の選挙である。わけの分からない情報(ほとんどフェイクとしか思えないもの)が、SNS上を席巻する。それに異を唱えると「マスゴミ」という罵声が大量発生する。それに怯えて、選挙戦が始まると、なぜか極端な「両論併記記事」ばかりが紙面(画面)を飾る(汚す)ことになる。結果、おかしな結末が待っている。 かつて「マスコミは第4権力」といわれた。それほどの影響力を持った時代もあったのだ。だがいまや、SNSがマスコミにとって代わった。 そのSNS上に溢れるたったひとつの言葉が、新聞やテレビを萎縮させている。「マスゴミ」という言葉が……。これに「既得権益」という言葉がかぶされば、もう怖いものなし。つまり「マスゴミは既得権益の側」だというのが、SNS上のジャーナリズム批判の決まり文句になったのだ。 前から何度も書いているが、ぼくは、他人の文章を引用するとき以外には「マスゴミ」という言葉を使わない。 むろん、しっかりした立場を堅持している記者たちは、そんな言葉にひるむことはないだろう。ただぼくでさえ、デモなどの現場で「マスゴミ帰れ!」などと罵られて顔を歪める若い記者に遭遇したことはある。いわゆるリベラル派でさえ、報道内容への不満から、思わずそんな言葉を吐いてしまうことがある。 そんな言葉を浴びせられないようにと現場の記者が萎縮してしまったら、ジャーナリズムは死ぬ。管理職などが炎上を恐れて記事の取り扱いを忖度するようになっているのは、少なからず事実らしい。 何度も書いているけれど、ぼくはそれでもマスメディア、とくに新聞の必要性は今こそ重要だと思っている。SNSがこれだけ「汚語」の巣になり「汚人」が跋扈する世界になり果てているのであれば、新聞などによる正確な事実確認(ファクトチェック)に基づいた記事の提供の需要が、以前よりももっと高まっているのだ。 新聞は、逆にもっとSNS上に撃って出るべきだと思う。 新聞社などがツイッター(X)に出す記事は、ほとんど「有料」だ。だから出だしは読めても、途中で「以下は有料記事です」となって尻切れトンボ、結論が分からない。そうではなく、簡略化して結論までとりあえず分かるような小文を無料で出すべきだ。その上で「詳細は本紙で」という注釈をつければ、もっと詳しく知りたい人は本紙を購入するだろうし、そうでなくとも事象の結果だけは掌握できる。いずれそれが収益につながるはずだ。 新聞が、なぜその程度の仕掛けを作らないのか、ぼくは不思議でしょうがない。 言葉は人を殺す。ジャーナリズムも殺されかけている。 だから「マスゴミ」などという言葉を使ってはならない。 |
ところで、 孔子の言葉に由来する慣用句で「古きを温め新しきを知る」という言葉があるが、まさに老ジャーナリスト氏の記事はその典型かもしれない。
「本澤二郎の「日本の風景」(5367)」
<韓国国防相と日本の赤城宗徳防衛庁長官>
各国指導者の多くが精神を病んでいる。それにしても隣国のユン韓国大統領の戒厳令には、米国や日本などが驚いた。議会少数与党の政権は、野党の言い分を聞いたりしてのかじ取りが不可欠だ。しかし、日本もそうだが、右翼政権は妥協を嫌う。大統領側近の国防相が率先して動いたようだ。 |
残念ながら現在の日本の政治家や政治屋には「護憲リベラル」とまともに呼ばれる人が皆無になってきている、とオジサンは思う。