新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

安倍晋三の「負の遺産」の処理が日本の未来を変える

2022年09月28日 12時10分32秒 | 安倍晋三国葬

昨日の「安倍国葬」の模様を朝の情報番組で紹介していたが、驚くことに「一般の献花台」までに最大5kmの列とか4~5時間も待ったという人の声を伝えていたが、平日の10時前から列に並ぶというのは定年退職者とか優雅な年金暮らしの人たちなのだろうが、少なくはない現役の若い人たちもかなりいたらしい。
 
忙しいサラリーマンやパートで働く人たちはわざわざ休みを取って献花するということはあまり考えられないのだが、うがった見方をすれば、アベノミクスで恩恵を受けた「アベ信者」や旧統一協会の「信者」たちなのかもしれない。
 
まあ、そんなことはどうでもよいのだが、今朝の各紙の社説を調べてみた。
 
■朝日新聞 「(社説)安倍氏『国葬』 分断深めた首相の独断」 
  

国葬への反対は時がたつほど強まった。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と自民党政治家との関係が次々と明らかになり、その要として安倍氏の役割に焦点があたったことが影響したに違いない。
 数々の疑問や懸念を抱えた国民を置き去りにしたまま、国葬は行われ、社会の分断にとどまらず、国民と政治との溝を広げることになった。その距離を縮め、信頼回復の先頭に立つのは、国葬を決めた首相以外にない。週明けに始まる臨時国会への対応が試金石となる。

 
■毎日新聞 「安倍元首相の『国葬』 合意なき追悼の重い教訓
 
国民の理解を得て、静かに故人を送る環境をどう整えるのか。半世紀以上にわたり、首相経験者の国葬が行われなかったのは、対立や混乱を避けるための政治的な知恵だった。
 にもかかわらず岸田首相は、国葬の実施について「時の政府が総合的に判断するのが、あるべき姿だ」と強弁した。それでは、恣意(しい)的に運用される恐れがあり、特定の政治家への弔意を国民に強いることにもつながりかねない。
 そうした事情への配慮を欠いたことが、追悼の環境を損ない、分断を深めてしまった。前例とすることがあってはならない。

 
上記の2紙は岸田文雄の「国葬」を強行したことへの批判であり、至極真っ当であろう。
 
しかし自民党広報誌と揶揄されているこのメディアは歯が浮くようなタイトルであったが、中身はそれなりのバランスをとろうとしていた。 
 
■讀賣新聞 「安倍元首相国葬 功績たたえ多くの人が悼んだ
    
野党は「安倍氏の政治的評価が定まっていない」と主張するが、どんな歴史的人物でも評価に異論を唱える人がいる。時間をかければ定まるものでもない。
 初めから「国葬反対」の前提に立って無理な論点を持ち出し、反対論を盛り上げようという野党の姿勢は理解に苦しむ。遺族への配慮も欠いていよう。
 一方で、政府の運び方にも不十分な点があった。国葬を55年ぶりに実施するからには、政府は早い段階で国会で説明するなど、策を尽くすべきだった。
 参院選直後の臨時国会で審議しなかったことが、説明不十分という印象を与えたのではないか。
 岸田首相が「国葬は国民の権利を制約するものではないため、行政権の範囲で実施できる」と国会で説明したのは、国葬の閣議決定から1か月半後だ。
 
 
国葬対象者の安倍晋三の徹底した評価をしながら今後もアベ政治検証が必要と主張していたメディアもあっ 
 
◇東京新聞 「『安倍政治』検証は続く 分断の国葬を終えて」  
 
故安倍晋三元首相の国葬がきのう東京・日本武道館で行われた、代表撮影。故人への敬意と弔意を表す国の公式行事として国葬が行われたとしても、国葬実施により国民は分断され、安倍氏の歴史的評価も定まったわけではない。「安倍政治」の検証作業は私たち自身が続ける必要がある。
 安倍氏は2012年12月の衆院選で首相に復帰し、2020年9月に体調不良を理由に内閣総辞職した。第一次内閣の一年間と合わせると通算8年八カ月、首相の座にあったことになる。この間、私たちの暮らしや、社会や政治はよくなったのだろうか。
 まず検証すべきは大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略という「三本の矢」からなる安倍氏の経済政策「アベノミクス」の功罪だ。
 第二次内閣発足間もない13年に始まったアベノミクスが当初、国内経済に強い刺激を与えたことは事実だろう。金融緩和と財政出動で金融市場に大量の投資資金が流れ込み、株価は回復。多くの企業が財務環境を好転させた。
 しかし、利益を内部留保にため込んだ企業は人件費に回さず、給与は今に至るまで伸びていない。経済格差も広がっている。
 アベノミクスが描いた「投資活性化による利益が賃上げを促し、消費が伸びる」という好循環は結果として実現しなかった。
 最大の理由は、外国人観光客の増加以外に、効果的な成長戦略を見いだせなかったことだろう。
◆政策縛るアベノミクス
 岸田文雄首相はアベノミクスを事実上継承し、野放図で場当たり的な財政出動と緩和一辺倒の金融政策を続ける。それは結果として政策の手足を縛り、日本経済の懸念材料となっている円安・物価高に対する政府・日銀による政策の選択肢を狭めている。
 私たちの暮らしにとって、アベノミクスは「功」よりも「罪」の方がはるかに大きい。
 安倍氏の後継政権である菅義偉前首相、岸田首相は国葬での追悼の辞で、いずれもアベノミクスに言及しなかったが、これまでの経済政策を検証し、改めるべきは改めることが、政策の選択肢を広げる第一歩ではないか。
 「安倍一強」の定着とともに発覚した森友・加計両学園や「桜を見る会」を巡る問題ではいずれも安倍氏ら政権中枢に近い人物や団体の優遇が疑われ、公平・公正であるべき行政は大きく傷ついた。
 側近議員や官僚による安倍氏らへの「忖度(そんたく)」が横行し、森友問題では財務省は公文書改ざんに手を染め、改ざんを指示された担当者が自死する事態にもなった。
 桜を見る会前夜の夕食会を巡っては、安倍氏は国会で100回以上の虚偽答弁を繰り返した。日本の議会制民主主義の汚点でもある。
 しかも、これらの問題はいずれも真相解明に至っていない。安倍氏が亡くなっても不問に付さず、解明に努めるのは国会の責任だ。
 安倍氏を中心として、自民党議員と旧統一教会(世界平和統一家庭連合)との密接な関係も明らかになった。反社会的な活動をしていた団体が政権与党の政策決定に影響を与えていたのではないか、と有権者は疑念を抱いている。
 この際、安倍氏や前派閥会長の細田博之衆院議長を含め、教団との関係やその影響を徹底調査することが、政治への信頼回復につながるのではないか。
◆憲法や国会を軽んじて
 安倍内閣は、歴代政権が違憲としてきた「集団的自衛権の行使」を閣議決定で容認し、安全保障関連法の成立を強行した。時々の政権が国会での議論の積み重ねを軽視し、憲法を都合よく解釈する姿勢は、立憲主義を揺るがす。
 岸田首相も歴代政権が否定してきた敵基地攻撃能力の保有に踏み切ろうとしている。憲法に基づく臨時国会の召集要求に応じない姿勢も、安倍氏と変わらない。
 安倍氏は、街頭演説で抗議の声を上げた有権者に「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言い放ったことがある。
 世論が二分される中で行われた国葬は、国民を分断することで、賛否の分かれる政策を進めてきた安倍政治の象徴でもあろう。
 ただ、こうした安倍政治は、国政選挙での度重なる自民党勝利の結果である。有権者の政治への諦めや無関心が低投票率となり、政権に驕(おご)りや緩みを許してきたとは言えないだろうか。安倍政治の検証は同時に、私たち主権者の振る舞いを自問することでもある。

 
まさに国葬によって安倍晋三の負の遺産が清算されるわけではない。
 
一般紙では一方的な批判に終始することはできないのだが、制限のない、忖度しないネットメディアではかなり核心を突いた記事が踊っていた。
 
左右対立ではない。安倍元首相『国葬騒動』を引き起こした2つの問題点
  
■日本の「国葬騒動」と韓国の「ろうそくデモ」が酷似している理由
今回の国葬騒動に関しては、左右対立というのでもなく、とにかく先月に私が述べたように、韓国のろうそくデモのセンチメントに近い「何か」を感じるのです。その「何か」の正体ですが、反対する心情の奥にあるのは、「国家に依拠したい」が「自分の国家観に合わないものには反発」するという反射的行動です。その奥には恐らくは自覚されていないものかもしれませんが、2つの問題があるように思います。
1つは、自分の人生も生活も、そして国家の盛衰ということでも「こんなはずではない」という非常に広範で本質的な不満の感覚です。
もう1つは、その不満の感覚の原点を探って、根本から解決する道筋の見えなさということです。
この2つが、社会に対する不満と不安として強い渦巻を形成しているわけです。ろうそくデモとの酷似というのはそういう意味です。
もう少し具体的に下ろしてみると、世論の深層にはパラドックスが更に複雑に入り組んでいるようです。
「英語ができればグローバル世界に対応できるのはわかる。でも、そこまでの距離は遠い。ひたすら日本の教育を恨む」
「解雇規制を解除して、働かない中高年を追放してチャンスも賃金も現役世代に分配してほしい。だが、規制緩和されたら自分の身も危ないかもしれない」
「ワクチンへの賛否、マスクへの賛否など生存本能の直感的な反映から、社会は分断されている。できれば双方が多様性として共存するのが美しいが、問題の本質からは共存が難しい。自分の日々の振る舞いの中で衝突リスクを回避するのが精一杯」
「大卒で大企業の総合職正社員という階級にしがみつかないと、家族を維持するような年収にはならない。だが、仮にしがみついても泥舟なら一緒に沈む」
「機会均等などなく、学歴と超日本的なコミュ力で階層選別がされるのはおかしい。新卒段階で階層固定がされるのもおかしい。だが、その社会を変える方法論は分からないし、現在のゲームのルールで上を目指すしかない」
「自分も他人も、無理をすると人間は壊れる。壊れた人間に巻き込まれないリスク管理と、自分が壊れない自己管理の必要性が、ゲームのルールを更に複雑にしている」
「その意味で孤立はリスクだが、他者というのも大きなリスクになりうる。経験則からは、家族という概念への信任も手元からこぼれ落ちつつある」
などといった、極めて本質的な「危機」を多くの人が抱えているのだと思います。そして、問題は、政治がその「人々の抱えている危機」つまり「自分が不幸のどん底に突き落とされる」恐怖と、同時に「日本がこのまま衰退スピードを加速して自分の不幸が掛け算的にマイナスに振れていく」恐怖というものを、全く理解していないということです。
もっと言えば、孤立とかメンタルの問題というのも、成熟社会の病理に衰退社会の下降が重なって重篤化しているわけです。政治にはその危機感を感じ取る能力がないし、期待もされていないというシステムとしての絶望もあるのかもしれません。
たぶん、多くの人が気づいているのだと思いますが、現在、岸田政権が支持率低下を恐れているのには理由があります。国政選挙は向こう3年はないので、安泰のはずでしたが、来年2023年4月には統一地方選があるわけです。このまま支持率が30%を割っていると、有権者は地方選挙では「簡単に浮気する」ので、自分等が惨敗する危険があります。
そうなると、党の地方組織はガタガタになる、その一方で無償ボランティアを供給していた某団体には頼れない、ということで国会議員を含めた全組織が浮足立ってしまうわけです。つまり、国政に関する選択肢があり、それを間違ったので下野するのではなく、他に選択肢はないのに不人気が極端になるということで、内部から崩壊してしまう危険があるのです。
そこで問題になるのが、政権の受け皿です。前世紀の宮沢政権崩壊、あるいは今世紀初頭の麻生政権崩壊の際には、曲がりなりにも受け皿がありました。ですが、今はもうありません。このメルマガの読者の方が鋭く指摘されていたように、外国勢力に浸透を許した自民党には「極端な浅慮」があったわけです。
ですが「高速道路無料化」をすれば消費者が喜ぶだろうと考え、一方でプロのトラックドライバーへの影響は全く考えなかったとか、旧民主党の「浅慮」については、もっと悲惨なレベルです。政権前期は必死になって原発輸出で「成長戦略」などと言いながら、震災の津波被害で全電源喪失事故が起きただけで、世論の風を読んで「原子力平和利用総撤退」を言う。普天間移設を言いながら辺野古反対にも乗っかって論理矛盾に気づかないなど、とにかく政権担当能力がないのが、現在の野党だと思います。
コロナ禍初期には「完全鎖国とサービス業一斉休業命令」で「ゼロコロナ」を実現し、「その代わり徹底的に金をバラまいて補償する」などと言っていたのが、立憲と共産でした。その後の「鎖国政策」はこれに引きずられて行ったという印象もあります。
とにかく、官僚も能力が細っており、自民党も全体を仕切れない、けれども野党にも任せられないし、そもそも反対のための野党という「昔の顔」がまたぞろ復権しているのですから目も当てられません。
そんな中で、様々な不信感と不安感が渦巻く延長で、例えば五輪反対が出てきたのと同じように、今回の国葬に対する大きな反応が出てきたのだと思います。韓国のろうそくデモとの酷似というのはそういった意味です。
国葬より静岡に対応すべきという声もあるようです。ですが、静岡にしても、浄水場の取水口が流木などで塞がれたのを一気に突破するのは、民間業者ではなく、自衛隊の工兵などの仕事だと思います。上水道はライフラインであり、その辺の迅速な判断が行かなかったというのは、県政の大きな問題だと思います。
そもそも、このメルマガで強く訴えていたように、線状降水帯の危険は気象庁の「公式な警報」を待たずしても、雨雲レーダーで時々刻々と変化する様子を見ていれば分かるはずでした。その意味で、県政は後手後手に回った、これは大きな問題だと思います。徹底検証が必要です。
それはともかく、実行可能で最善手に近い選択肢が提示されない、反対勢力の現実的な統治スキルが許容できる最低ラインを大きく下回っているために、与党が消去法で一択になる、こうした点で英国と日本の政治状況には類似が見られるように思います。
ただ、希望があるとしたら、コロナ禍の後半に差し掛かる中で、そして極端な円安が続く中で、日本の場合は「絶望の共有」という現象が起きていることです。その先には、30年を経てようやくという感じはあるものの、日本社会が変わっていく、あるいは本当に壊死した部分は切り離され、希望だけが残る、そんなゲームの画面上の環境が夜から昼に変わるような曙光の予感がないわけではありません。
安倍晋三氏の国葬というイベントの最大の意味は、それが終わってしまえば、賛否両論の騒動も終わるということです。コロナ禍の出口も、本当に出口に差し掛かったら、正常な経済の中で走り続けていかねばならないということです。
そして、現在の日本社会には、もう過去を清算しないで引きずるような余力は残っていないのかもしれません。その臨界点に達したときに、今でも大卒50%を誇る高度で知的な人口集団を消耗ではなく生産的な方向へ向かわせる、そんな方向転換によって日本の歴史は別のストーリーへと進むのではないかと思うのです。

「極めて本質的な『危機』を多くの人が抱えているのだと思います。そして、問題は、政治がその『人々の抱えている危機』つまり「自分が不幸のどん底に突き落とされる」恐怖と、同時に『日本がこのまま衰退スピードを加速して自分の不幸が掛け算的にマイナスに振れていく』恐怖というものを、全く理解していない」という指摘はそのまま安倍晋三の8年余りの負の遺産につながるのではないだろうか。
 
半農半ジャーナリストの高野孟が歯に衣着せぬ徹底的な安倍晋三批判の集大成を行っていた。 
 
安倍元首相の要らぬ“置き土産”。日本という国を葬る6つの『負の遺産』」    
   

■安倍政治の悪き遺産の数々が折り重なって衰退が深まる/これではまるで「日本国の葬儀」ではないか?
考えてみると、いまこの国で起きている禍々しいことのほぼ全ては、安倍晋三元首相がその計8年8カ月の執政を通じて培い、貪り、最後は無責任にも放置したままにしたいくつもの「負の遺産」と深く関わっている。そのうちの5つか6つを取り上げて粗描するが、そのどれもが何らキッパリと決着をつけられないまま日本国にのしかかっているのでは、もはや沈没しかあり得ない。27日に行われるのが「日本国の葬儀」にならないよう祈るばかりである。
1.統一教会汚染
目下の最大焦点となっている旧統一教会の自民党に対する浸透工作の泥沼的実態を作り出した張本人は、岸信介から安倍までの岸・安倍家3代であり、その意味では安倍があのような非業の死を遂げたのはまさに因果応報と言うほかない。その核心部分の解明は点検対象から外し、そればかりか国の名において早々に葬って蓋をしてしまおうというのでは、国民の反感を買って当然である。
本誌が繰り返し強調してきたことだが、これは一部の寝呆けた論者が言うような「宗教と政治の関わり方」とか「信教の自由」とかに関わる「微妙な問題」などではあり得ず、また霊感商法で深刻な被害を出している「反社会的団体」の問題にも止まらない。統一教会は、言うまでもなく韓国発祥で、1960年代には朴正煕政権=金鐘泌KCIA初代長官の手先として「対米・対日政治工作」に従事した政治謀略機関であり(米下院フレーザー委員会の1978年報告書)、しかも宗教的な教義の中に日本は悪魔の国であり戦前には韓国を支配し搾取したのだからどんな手段を弄して日本人から金を搾り取っても構わないことを明記している極端な「反日組織」である。
その反日政治謀略工作機関が自民党を中心とした日本の政界に深々と浸透するのを幇助したのが、戦後の2人の首相を含む岸・安倍家3代であるというのは、ちょっと今までに類を見ないスキャンダルで、簡単に蓋をして知らんぷりを決めこむことなど出来はしない。今後もますます野党、市民運動、週刊誌などメディアの発掘的調査が続き、とりわけ来春の統一地方選に向けて地方議員に対する浸透工作の実情が暴かれていくと、その地方選の臨む約1万人の自民系議員が軒並み落選し、それだけで岸田文雄首相が(まだ政権が続いていればだが)総辞職を迫られることにもなりかねない。
2.東京五輪汚職
それに続く憂鬱は東京五輪汚職で、その主役である高橋治之=元東京五輪組織委員会理事と彼の弟でかつて世界を股にかけた不動産バブル紳士として名を馳せた故高橋治則=EIE社長とは、西崎伸彦「高橋治之・治則『バブル兄弟』の虚栄」(文藝春秋22年10月号)によれば、安倍晋太郎と特別に親しい関係にあり、秘書の晋三のことも〔特に治則は〕その頃から「可愛がって……『経済のことを何も知らないからな』と言っていろいろと教えてあげて」いたという。その高橋兄弟との長い付き合いから、やがて安倍は治之の操り人形となって、2013年9月のIOC総会で「フクシマはアンダー・コントロール」と全世界に向かって大嘘つき演説を行なって五輪誘致の推進役となり、これを取り仕切る最高責任者に自分のボスの森喜朗=元首相を据えた。
彼が16年8月のリオデジャネイロ五輪閉会式で、スーパーマリオが地球の裏側からやってきたという幼稚極まりない電通仕切りの脚本に乗ってバカな役目を演じたことは、多くの人々にとって今も国辱モノとして記憶されていることだろう。
東京五輪誘致が金塗れであることは、すでにさんざん報道されてきたことで、私の手元に残る資料を1つだけ挙げれば、2020年3月31日付の「東京五輪招致で組織委理事に約9億円/汚職疑惑の人物にロビー活動も」と題したロイター記事で、そこには次のような要点が含まれていた。
▼ロイターが入手した東京五輪招致委員会の銀行口座の取引明細証明書には、招致活動の推進やそのための協力依頼に費やした資金の取引が3,000件以上記載されていた。その中で最も多額の資金を受け取っていたのは、電通の元専務で現在は東京五輪組織委員会理事を務める高橋治之で、口座記録によると彼にはおよそ8.9億円が払われていた。
▼高橋は、世界陸連(IAAF)元会長でIOC委員だったラミン・ディアクを含む委員に対し、東京五輪招致のためにロビー活動などをしていたと語った。ディアクは、五輪の開催地選定に影響力を持つ実力者だった。彼は16年のリオ五輪の招致で票を集める見返りに200万ドルの賄賂を受け取ったなどとして、現在もフランス検察当局の調べを受けている。
▼仏検察は、ディアク父子を東京五輪の招致をめぐる疑惑でも収賄側として捜査している。この事件で贈賄側として同検察が調べているのは、JOCの竹田恒和前会長(招致委理事長)で、シンガポールのコンサルタントを通じディアク父子に約2.3億円を支払って東京への招致を勝ち取ったとの疑いがかかっている。竹田はJOCとIOCの役職を昨年辞任、疑惑については明確に否定しており、支払った金額は正当な招致活動の費用であったと主張している。
▼ロイターの取材により、招致委員会は森喜朗元首相が代表理事・会長を務める非営利団体「一般財団法人嘉納治五郎記念国際スポーツ研究・交流センター」にも約1億4,500万円を支払っていることも明らかになった……。
こうしたことは、すでに2年前までに繰り返し報道されてきたことだが、実際にコロナ禍の下で開催が強行され、それはそれでそれなりの高揚をもたらす中で、ほとんどの人々は忘れ去ろうとしていた。しかし検察はこれほどまでにネタがポロポロと溢れ出てくるような美味しい案件を忘れてはおらず、安倍という重石が取れたと見るや直ちに事件として着手したのである。したがって、これが今後、高橋個人が複数のスポンサー企業から賄賂を掻き集めていたというみみっちい話で終わるのか、それともロイター記事が暗示しているように、森元首相を巨魁とする政官財界腐食やIOCの度を越した金権体質の切開にまで進むのかは予断は許さないが、いずれにしてもこれまた国民に否応なく押し付けられた安倍の負の遺産なのである。
3.原発再稼働の暴走
上述の安倍の「アンダー・コントロール」という大嘘つきとも関連して、安倍から岸田へと受け渡されようとしているのは、原発再稼働である。
安倍のこの大嘘は、世界向けだけではなく国内向けでもあった。というのも、13年9月のこの時期、福島第一原発の現場では高濃度の放射性汚染水をいくら汲み上げても後から後から増え続け、それを急造のタンクに溜め込んでもそこからまた漏れ出していたことが判明するなど、汚染水の無間地獄と言える有様となっていた。その根本原因は、山側からこの原発敷地に1日当たり1,000トンの地下水が流入し、そのうち400トンが原発建屋に向かってくることにあるので、専門家からは敷地の外の山側全体を巨大なダムを作って言わば「元栓から止める」という方策が前々から提唱されていて、私もそれを図入りで解説したりした(小出裕章との共著『アウト・オブ・コントロール』=花伝社、14年刊)。ところがそれは余りにコストがかかりすぎるということで、政府=東電が考え出したのは原発建屋の周りの地下に「凍土壁」を作るという技術的にもかなり怪しい案で、俄仕立ての弥縫策と批判されていた。その状況での安倍演説だったのである。
これを裏で操っていたのは、経産省原子力マフィアから官邸入りした安倍の超側近の今井尚哉総理秘書官で、彼の狙いは五輪招致を利用してフクシマはもう終わったかの印象を国内的にも作り出して拒否反応を取り除き、一日も早く原発再稼働に漕ぎ着けて東京電力の経営を救済することにあった。とはいえ、その安倍政権も次の菅義偉政権も明確な原発推進策を打ち出せずにきて、それはなぜかというと3・11当事者である菅直人政権以来のへっぴり腰の「脱原発宣言」――すなわち「将来的には原子力に依存しない社会を目指して可能な限り依存度を低減する」という政府方針に縛られて来たからである。
この政府方針の下では、(1)原発の新増設は困難であり、(2)寿命が来たものは更新することなく廃炉とし、(3)再稼働も出来るだけ避けるようにしなければならない。これに最初の修正を加えたのは、自民党のトロイの馬だった野田佳彦政権で、上記(2)の「寿命」を「40年」と明記する一方、1回に限り20年延長して構わないとする「原子炉等規制法」改正案を出し、それが第2次安倍政権下の13年7月になって成立した。
ところが岸田政権になると、多くの国民は気が付いていないかもしれないが、まず6月の「骨太の方針」の中で、上記の(1)(2)(3)の意味合いを含んだ「可能な限り依存度を低減する」という文言そのものを廃棄し「原子力を最大限活用する」という表現に置き換えた。それが通ったとなると早速、岸田は7月の参院選後の会見で「今冬は電力需給の逼迫が予想されるので、最大9基の原発を稼働するよう経産相に指示した」と語った。この裏には、今では原発メーカー=三菱重工業の顧問に収まっている今井尚哉の暗躍があると言われている。
こうして、3・11後にもかかわらず原発文化を必ず復興させるという原子力マフィアの見果てぬ夢は、安倍から岸田に託されようとしている。
4.大軍拡路線への突進
安倍政治を突き動かしていた基本的な原動力は「お祖父ちゃんコンプレックス」で、その中心的な中身としては岸信介元首相が熱望してもなし得なかった日米同盟の「対等化」、すなわち米国と共に中国や北朝鮮と戦争することを可能にする第一歩としての2015年安保法制強行、米国製最新兵器の爆買い、そうやって派手に振る舞うにはどうしても必要な自衛隊の「国軍」としての自立化のための「改憲」――に他ならなかった。
しかしこの設定そのものが矛盾に満ちていて、こんなことをいくら重ねても、初期の安倍が言っていた「美しい国」とはならない。堂々たる国軍が公然と領土・領海の外に出て戦争ができるようになるのを夢見るのはいいが、それはあくまで米国の戦争を補助する属国の立場に限定することでしか実現できず、またその立場を認めて貰うためにも米国製のバカ高い兵器を目を瞑って爆買いして媚びを売らなければならない。
このどうにもならない不恰好の根源は、戦前の国粋的民族主義者であり大東亜共栄圏主義者であった岸が巣鴨プリズン内で恥も何も投げ捨てて反共親米主義者に転向し、それをよしとして米CIAから秘密資金を与えられて「自民党」創設に走ったというところに発している。そのため、安倍が「お祖父ちゃんが果たせなかったことを僕がやるんだ」と意気がってみたところで、愛国と親米の股裂的矛盾は解消されず、むしろ広がって行ってしまうのである。
岸田がこの自民党にとって根源的な股裂的矛盾をどう受け止めているのかは分からない。が、たぶんそこは余り深く考えないようにして、安倍路線に従って年末までの「安保3文書」すなわち国家安全保障戦略、防衛計画の大綱、中期防衛力整備計画の改定を進めて「中国と戦争できる国」作りとそれに相応しい防衛費の大幅増額に突き進むのだろう。原発問題と同様、ここでも安倍路線の無批判な継承というにとどまらず実体化への踏み込みを見ることになろう。
岸田は安倍の遺言に従って、23年度からの5年間の次の中期防衛力整備計画に、現行(19~22年度)の27兆4,700億円の約1.5倍に当たる40兆円超を注ぐことを検討しており、これを沖縄タイムス9月25日付が掲げた「増額ペース」のイメージ図で見ると驚くほどの急上昇カーブとなる(写真)。
このように日本が大軍拡の泥沼に嵌り込もうとしているのは、結局、米国発の「ロシアだけじゃない、中国も怖いぞ」「台湾有事は近い」といった情報操作に何の疑問を抱くこともなく振り回されてしまう知的レベルの低さにある。例えばの話、米インド太平洋軍デービッドソン司令官が昨年3月9日に米上院軍事委員会で証言した「6年以内〔つまり2027年までに〕中国が台湾に侵攻する」という見通しは、軍事のプロフェッショナルから見れば、この証言全体が「取るに足らない内容で、まして『6年以内』と言うのはこの大将の『個人の勘』のようなものでまるで根拠がない」と一笑に付される程度のものである)。ところが、岩田明子の「安倍晋三秘録」(文藝春秋10月号)によれば、同証言が大々的に報じられた1週間後に安倍が自宅に麻生太郎を招いて酒を酌み交わした際には「台湾海峡の有事は5年以内に起こるのではないか」と話し合っている。それ以上に詳しい中身は書かれていないが、日本のトップが米軍人のプロパガンダ発言を何の吟味もすることなく既定の事実であるかに素直に受け入れている雰囲気が感じられる。トップがそれほどまでにナイーブであれば、下がそうなるのは当たり前で、佐藤正久が著書で、あたかもそれが自分の説であるかに自慢げに「台湾有事は日本有事で、早ければズバリ2027年というのが私の“読み”」と書くという恥知らずを演ずることにもなる。
総理と副総理がそうで、その下の“ヒゲの隊長”=党外交部長もそうなら間違いないということで、メディアも自分でデービッドソン証言を検証することはせず、それに乗っかって行くので、「27年台湾有事」説はどんどん独り歩きし、あちこちで常識であるかに言及され、人々の頭に刷り込まれていく。そういうことが何百件でも起きているのに、人々はもちろん安倍や岸田も気がつかないうちに米国の心理操作に絡め取られ、結局は上記のような莫大な金を米国製兵器購入に注ぐことになるのである。
5.アベノミクスの呪縛
アベノミクスも、鳴り物入りのお祭り騒ぎと共に始まったものの、10年を経て何らまともな総括も行われず、黒田東彦日銀総裁初め誰も責任を厳しく問われることなく、円安不況だけを残して裏の倉庫に放り込まれようとしている。
アベノミクスが始まった2013年に日本の名目GDPはドルベースで5兆2,107億ドルだったが、2020年には5兆397億ドルで、端的な話、これがあのバカ騒ぎの結末である。円ベースでは508.7兆円から537.2兆円と微増しているが、ドルで見ないと世界GDPに占めるシェアが6.7%から5.9%へとズルズル後退しつつある姿が見えない。
どうしてこんなことになったのかと言えば、第1に、状況認識と目標設定が完全に見当が狂っていた。日本が陥っているのは「デフレ」、ということは景気循環の中でモノの量が多いのに対しカネの量が少ないという現象が起きているのだから、日銀総裁の首をすげ替えてでも「異次元金融緩和」に踏み切り、カネをジャブジャブにすれば景気は良くなり、再び成長軌道に乗せることが出来ると考えた。しかしすでに2010年に藻谷浩介が『デフレの正体』(角川新書)で正しく指摘していたように、日本は世界に先駆けて「人口減少社会」に突入していて、モノの需要そのものが減少していくという構造問題に直面しているのだから、いくらカネを増やしても誰も要らないモノは買わない。それでもカネを増やしてインフレ気味に誘導すればインフレ期待〔という一種の勘違い〕で人々は消費に向かうのではないかと言われたが、私はそんなものは「ブードゥー(おまじない)経済学」で、人々を騙してまで「まだ成長が可能だ」と錯覚させようとしても無理だと、アベノミクスが始まる前から批判していた。
第2に、そのカネをジャブジャブにする方法論を丸っきり間違えていた。日銀がマネタリーベースを増やせばたちまち世の中にカネが溢れると思ったのが大間違いで、実際には、日銀はヘリコプターでお札を空中散布する訳にはいかないので市中の銀行が保有する国債を買い上げ、その代金を銀行が日銀内に置いている「日銀当座預金」口座に振り込む。その口座は無金利ないしマイナス金利なので銀行はそこからカネを引き出して投融資に回すはずだったのだが、何しろモノが余り需要がないのだから銀行も資金需要がない。主要な貸出先である大企業も、需要がないから設備投資をせず、また仮にしようと思っても分厚い内部留保があるので銀行に借りる必要がない。そうすると銀行は、日銀当座預金からいっ時カネを引き出してもそれでまた国債を買って日銀に買い取られるのを待つだけなので、結局、いくらマネタリーベースを増やしても日銀構内で糞詰まりを起こしてしまう。下表が本誌がしばしば用いてきたその一覧図である。
         2013年3月   2022年9月 増加分
マネタリーベース 134.7兆円   644.0兆円 +509.3( 4.8倍)
日銀当座預金残高  47.4      540.7   +493.3(11.4倍)
日銀国債保有残高  58.1      543.1   +485.0( 9.4倍)  
企業内部留保   304.5     516.8   +212.3( 1.7倍)

マネタリーベースは500兆円以上も増えたのに、その分のほぼそっくりに当たる493兆円が日銀当座預金となって残って構内から出て行かない。日銀の国債保有高は9倍以上にも増えて国債全体の50%超を日銀が抱え込んでいる形である。
ここまで遡って原理的なところからアベノミクスの誤りを正さない限り、「新しい資本主義」も何もあったものではないが、安倍は知らんぷりのままいなくなり、岸田は何も深い考えがないままその誤りの呪縛の下で足掻くばかりである。
6.国葬が国民を分断する?
安倍政治の特徴の1つは「ヘイト(憎しみ)」だった。政治は本来、味方を増やし敵を少なくする「フラタナティ(友愛)」が仕事で、そうでなければ目先の政策目標なり遠い理想なりを実現することはできない。それが上手に出来る人と出来ない人がいるのは当然で、例えば小沢一郎は偉大な政治家だとは思うがこれが上手にできなくて、一波乱を乗り越えるごとに身辺から人が少なくなっていき最後は独りになってしまった。彼の場合はフラタナティが足りないためにそうなるのだけれども、安倍は珍しいことに政治手法として積極的に黒か白か、敵か味方かのヘイトの凶刃を振り回した。
17年7月の都議選最終日、秋葉原駅前での講演演説で「安倍帰れ」コールを繰返す一団に対して彼が口走った「こんな人たちに負けるわけにはいかない」という科白がその典型だろう。どんな異論を持つにせよ国民=選挙民の一部を「こんな人たち」と侮蔑的に呼び、その人たちを説得して味方に引きつけようとするのでなくそこに一線をひいて敵に追いやる所業で、こんな政治家、ましてや総理大臣は余り見たことがない。案の定、翌日の都議選では自民は過去最低の38議席を大きく下回る23議席という歴史的惨敗を喫し、これを報じた当時の朝日新聞は「異論に不寛容で、批判を敵視する姿勢は安倍政権の特徴の一つ」と書いた。
自民党内では一強多弱と言われた独断専行、政府の運営でも官邸独裁で省庁官僚たちを自由に操れる忖度亡者に追い込んで自殺者を出すほどのやりたい放題。だから自分の葬式も「国葬」の賛否を巡って国民が大きく分断され、しかも国葬反対がはるかに多く賛成が少ないという惨めな形となったのである。ヘイトの政治はもうこれっきりにしてもらいたいものである。


 
日刊ゲンダイは珍しく、「安倍国葬強行 これは民主主義終焉のセレモニー(上)」という記事で、「何をやっても許されるという民主主義蹂躙の集大成が安倍国葬」と断じていた。
 

 
国葬終わって、衆議院議員会館の安倍晋三の事務所も引っ越しが終われば永田町界隈からは「安倍晋三」の痕跡はなくなるが、今後は「負の遺産相続」を誰がどのように行うのか、それが日本の未来を左右するのではないか、とオジサンは思う。   
 
 

 

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