新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

ジャニーズ問題は「戦後日本政治の闇の一つであった。

2023年10月01日 12時08分25秒 | 旧統一教会

昨年末にも「旧統一協会」に解散命令が・・・とメディアが煽っていたが、旧統一協会側の抵抗も激しく文科省も強硬手段がなかなか取れずにいた。
 
これも岸田内閣支持率低下の原因の一つなのだが、予備費という国会での承認なしに使える数十兆円を、解散総選挙に向けてバラマキ始めている岸田文雄内閣。
 
ついに最後のカード切ってきた。
 
旧統一教会への解散命令請求、10月12日にも宗教法人審議会に諮る方向で調整
 

政府が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)への解散命令請求を巡り、10月12日を軸に宗教法人審議会(文部科学相の諮問機関)を開き、請求について諮る方向で調整していることがわかった。政府は審議会の意見を踏まえ、速やかに教団の解散命令を東京地裁に請求したい考えだ。
 複数の関係者が明らかにした。
 文部科学省は昨年11月以降、宗教法人法に基づく質問権を計7回にわたって行使し、組織運営や収支、献金など延べ600超の項目について、旧統一教会に報告を求めてきた。9月7日には、教団側が「信教の自由」などを理由に質問権への適切な回答を拒否しているとして、同省は行政罰の過料を科すよう東京地裁に通知した。
 宗教法人法では、「法令に違反し、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為」などがあった場合には、裁判所が解散命令できると定めている。解散命令請求について、岸田首相は「結論を出すべく最終の努力を行う」と述べており、政府は請求の3要件である「組織性、悪質性、継続性」を裏付ける証拠の確認など、詰めの作業を急いでいる。

 

 
もっとも宗教法人審議会が早ければ今月12日にも開催されても、最終的な解散命令はかなり先の話であり、あまり期待はできず、最悪は総選挙の結果次第では、うやむやになる可能性も否定できない。
 
ところで、ジャーナリスト経験より「うつ病」という精神疾患歴23年の若きジャーナリストの伊東 森(いとう・しん)が、いわゆる「ジャニーズ問題」について、ジャニー喜多川の出生から、警察という国家権力と時の大物政治家との関係までを幅広く調べ上げていた。
 
警察も動けず。中曽根康弘とジャニーズ事務所の『ただならぬ関係』
 
■裏に中曽根康弘と音事協の存在。ジャニー喜多川の性加害問題で警察が「動けなかった」訳
ジャニーズ喜多川氏による一連の性加害問題を受けた開かれたジャニーズ事務所の記者会見からもうすぐ2週間。その後、大手企業を中心に同事務所との広告契約を打ち切る動きが波及した。
他方、食品メーカー「ネスレ日本」の元代表取締約社長CEOでビジネスプロデューサーである高岡浩三氏のFacebookへの投稿が波紋を呼んでいる。高岡氏は、
「正直言って、いったい何をこんなに騒いでいるのだろうか?という感覚でジャニーズ問題を見ている」
とし、
クライアントサイドにいた私でさえ、ジャニー喜多川氏が元々性癖があってジャニーズ事務所を開設したという噂は、かれこれ20年以上前から噂として知っていた。メディア関係者も絶対私以上に知っていたはず。なぜなら、私が知ったのは業界関係者とメディアだからだ
と投稿。さらに、
「私は、ネスレのガバナンスとコンプライアンス規定の観点から、キットカットと言えども一度もジャニーズのタレントをCMや販促に起用しなかった。私からすると、今回のジャニーズ問題はBIGモーター社と損保ジャパンの癒着問題と重なって見える
と続けた。
筆者である私が喜多川氏についての問題を知ったのは、中学1年生(1996年)のときに遡る。父が購読していた、「噂の眞相」という月刊誌を興味津々に盗み読みしていたときだった。
当時、SMAPの森且行の脱退をめぐるジャニーズ事務所との攻防の“裏側”が「噂の眞相」に掲載されていたが、その際に喜多川氏自身が抱える問題も併記されていた。
「噂の眞相」は、その時期には、月刊誌総合雑誌で「文藝春秋」に次ぐ規模だったといはいえ、販路が限られ、今ほど問題は“拡散”しなかった。
ただ、「噂の眞相」は2004年に休刊したために、また当時のインターネットが未発達だったために、誌面内容がネット上でアーカイブされてこなかった。
そのため、とくにZ世代(1990年代後半から2010年生まれ)には、喜多川氏についての一連の性加害問題など知る由もなかったのだろう。
目次
訪米した美空ひばりの通訳も。ジャニー喜多川の正体
なぜ警察は性加害問題を事件化できなかったのか
裏に中曽根元首相の影。単なる芸能界の問題ではないジャニー喜多川の性加害
 
■訪米した美空ひばりの通訳も。ジャニー喜多川の正体
喜多川氏は布教のためのアメリカに移住した真言宗米国別院の僧侶である喜多川諦道氏の次男として、1931年10月23日、アメリカ・ロサンゼルスで生まれる(*1)。2年後の1933年に日本に来日。
戦時中には和歌山大空襲を経験した。幼少期の喜多川氏を社会学者の橋爪大三郎氏は、
「2歳でアメリカから日本に来たことを考えると、幼少期は英語もほとんどしゃべれず、排日移民法の差別の記憶はおろか、アメリカの記憶も全然なかったはず。
それでも、アメリカにいたことが同級生にバレればイジめられてしまうような時代ですから、苦労したんじゃないでしょうか。
終戦後の1947年には再びロサンゼルスのハイスクールに戻ったそうですが、そこでは日本人としてイジめられ、英語も必死に覚えないといけなかったでしょうから、こちらでも大変に苦労したと思います」
と分析する。
その喜多川氏は、1950年に訪米した美空ひばりや服部良一らの通訳を務めることになる。その経験が日本で芸能事務所開設を目指すきっかけにもなったという。
1952年に再び来日した喜多川氏は、駐日アメリカ合衆国大使館に陸軍犯罪捜査局の情報員(通訳の助手)として勤務。朝鮮戦争に従軍して戦災孤児に英語を教え、帰国後はアメリカ合衆国大使館の職員として働いた。
「戦後すぐの日本のショービジネスは米軍基地にありました。米軍の将校や兵士を相手にショーをすれば、一晩で当時のサラリーマンの月給2カ月分が稼げたのです。
美空ひばりさんや江利チエミさんも基地で歌っていたし、それをオーガナイズする人も多かった。
若いので初めは通訳などいいように使われていたかもしれませんが、ジャニー氏は基地に自由に出入りできたので、その時代に多くのコネクションを築いたのではないでしょうか」(橋爪氏)
■なぜ警察は性加害問題を事件化できなかったのか
当時、喜多川氏が住んでいたのは、「ワシントン・ハイツ」と呼ばれた場所。現在の代々木公園一帯にあった、米軍住宅地である。
ここで、少年野球チーム「ジャニーズ少年野球団」を結成したその4人の少年(のちのジャニーズ)と62年に設立したのが、今のジャニーズ事務所だ。
とはいえ、喜多川の問題は、裁判で事実と認定され、国会でも議論された。しかし、なぜ警察も動けなかったのか。いや動けなかったのだ。
筆者が「ジャニーズ帝国崩壊」(鹿砦社)を出版した際に、ジャニーズ事務所に所属していた数名の被害者に取材している。そのうちの一人の元タレントは、ジャニー氏から受けた性被害のすべてを母親に打ち明けて、警視庁の所轄署に被害届を出しているが、受理されることはなかった。
当時、その少年は、「警察の方は『まさか、天下のジャニーズの社長がそんなことするわけがない』と相手にしてくれなかった」と語っている。もう一人の被害者少年には筆者が「所轄の警察の生活安全課に相談するように」とアドバイスしたが、警察からまったく相手にされなかったという。
1997年発売の前述の著書はジャニー氏の性加害問題だけでなく、芸能界と暴力団の交際についても触れている。そのことから出版後、知人を介して警視庁捜査4課の刑事を紹介されたことがあった。
筆者はその後まもなくから2011年までの間で、担当刑事を変えて3回に渡って芸能界と暴力団の関係をレクチャーしたことがあった。その結果、ジャニー氏の性加害について関心を持ち、事件化したいと意気込んだ刑事もいたが、それが実現することはなかった。
その理由について、芸能界の業界団体である音事協(音楽事業者協会)初代会長で芸能界とパイプがある故・中曽根康弘元首相の存在を挙げる刑事もいた。*4
■裏に中曽根元首相の影。単なる芸能界の問題ではないジャニー喜多川の性加害
今回の問題については、喜多川氏の行為に焦点が当てられるが、“ジャニーズ問題”を語るうえではむしろ喜多川氏の姉であるメリー氏にも注目をしなければならない。
なぜなら、業界内で事務所の実質的な社長は喜多川氏ではなく、メリー氏であるとみられたからだ。
「ジャニーさんはどんなタレントが売れるか、といった現場的な嗅覚は凄い。でも、経営者として事務所を運営していたのはメリーさんです。
ジャニーズ事務所と、その所属タレントと仕事をせざるを得ないテレビマンにとって、メリーさんの意向は『絶対』です。あの人が赤だと言えば、黒いものも赤になる。
誰も、面と向かって異など唱えられない。正真正銘の『女帝』なのです」(民放キー局ディレクター)。(*5)
そしてメリー氏は、中曽根康弘元総理と親交があり、橋本龍太郎元総理とも、住んでいたマンションが同じだったという縁で、自民党ともつながりがあった。
とくに、中曽根の影響力は甚大だった。というのも、日本の芸能界は戦後、自らの地位向上を目的とし、政権与党である自民党と接近し、庇護を受けることで、政治力を付けていった経緯がある(*6)

1963年には、日本の多くの芸能プロダクションが所属する業界団体「日本音楽事業者協会(音事協)」(ただし、ジャニーズ事務所は非加盟)が設立。その音事協の初代会長が中曽根康弘だった。
音事協と自民党とのつながりは、現在も続く。2022年の参院選時には、音事情を含む音楽事業者4団体が、自由民主党公認候補の今井絵理子と生稲晃子の支援を表明した。
このように、ジャニー喜多川の問題を単なる芸能界の問題だと見てはならない。それはつまり、自民党と中曽根とを通して結び付いた、“戦後日本政治の闇”でもあるのだ


 
「戦後日本政治の闇”」が旧統一協会と自民党との癒着(岸信介と文鮮明)だけではなく、中曽根康弘も絡んでいたということには驚いた。
 
余談だが、ジャニー喜多川が住んでいた、「ワシントン・ハイツ」は、オジサンが中学1年生のころ「国際部」と称する怪しげなクラブに入部して間もないころ、ワシントンハイツに住んでいた米軍の少年少女ちたちと交流した思い出がある。
 
最近の子供たちは小学校のころから英語に接しているのだが、中学に入って初めて英語に接したばかりの少年が米国人の少女に対して初めて使った英語が「ARE YOU A Girl?」であり、その時の少女のけげんな表情が今でも忘れられない。
 
そのワシントンハイツも3年後には日本初の「東京五輪」の選手村に変身した。  

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