74年前の今日、日本の降伏で戦争が終わった。
まさに全面降伏であり明らかな敗戦であったはずであった。
しかし時の経過とともに、「戦争が終わったのだから終戦記念日」という意識が国民の中に生まれたことは否めない。
それでも「敗戦記念日」にこだわる人たちも多くいるが、1982年の閣議決定では、「8月15日を『終戦記念日』として『戦没者を追悼し、平和を祈念する日』」とされた。
しかし「終戦記念日」の用語が定着したことにより、太平洋戦争(日米戦争)に焦点が当たることになり、大日本帝国による過酷な朝鮮の植民地支配や、侵略戦争によるアジア諸国・民衆への「残虐行為」「加害者責任」が忘れ去られ風化することとなった。
今年の1月に個人ブログ「吹禅」で退位前の天皇明仁(平成天皇)へ向けた書簡を公表した、オーストラリアのメルボルンを拠点に、歴史評論家として執筆、講演、平和運動にたずさわっている田中利幸元広島市立大学教授。
今年の元旦付の書簡の冒頭に書簡の目的・意義をこう書いている。
「いまから50年前の1969年1月2日の皇居一般参賀では、ニューギニア戦線での生き残り兵、奥崎謙三が当時の天皇裕仁に向けてパチンコ玉を発射しました。奥崎がこのような奇抜な事件を起こしたのは、この事件を起こすことで逮捕され、裁判所で裕仁の戦争責任を追及する機会をえるためでした。奥崎は裁判で憲法1章「天皇」が違憲であるという持論を展開しましたが、 地方・高等・最高裁判所の全ての判事たちによって完全に無視されました。私たちが知る限り、天皇制に対する法的挑戦、しかも極めて説得力のある挑戦は、奥崎のケース以外には皆無です。奥崎の暴力行為を私たちは決して容認しませんが、50年前の彼の徹底した天皇裕仁ならびに日本国家の戦争責任追求と天皇制に対する稀なる法的挑戦をここに想起しながら、明仁天皇に対して公開書簡を送ります。」
以下に、特に天皇裕仁(昭和天皇)の戦争責任を問う部分を中心に紹介する。
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退位する明仁天皇への公開書簡
ー 日本に本当の民主主義を創るためにー
謹賀新年
明仁さん、私たちはこの書簡を、単に「天皇」という公的地位にあるあなたに向けてだけではなく、一個人の人間としてのあなたに向けて送ります。したがって、「天皇」という表現はなるべく使わず、「さん」付けであなたとあなたの家族の名前を呼ばせていただきます。
あなたの父親の戦争責任の重大性
生れながらにこのようなひじょうに難しい立場に置かれたあなたを、一個人の人間として見るとき、私たちは同情に耐えません。国家のための一種の機械的、奴隷的人間であることを死ぬまで強要されるあなたとあなたの家族には、本当に気の毒に思います。しかし、同時に、明治元年以来、天皇という存在を国家の最高象徴としてきた天皇制によって、抑圧され、差別され、苦しめられ、殺傷された無数のアジア太平洋地域の人々、植民地化された朝鮮・台湾の人々と日本国民のことを考えると、あなたや歴代の天皇だった人たちに単に同情していることはできないのです。
この点で、とりわけあなたの父親である裕仁さんには重大な罪と責任があります。天皇裕仁を大元帥と仰ぐ日本帝国陸海軍は、1931年9月から45年8月までの15年という長年にわたって中国、東南アジア、太平洋各地で中国軍、連合軍とすさまじい破壊的な戦闘を繰り広げました。とりわけ中国に対する日本の戦争は初めから終わりまで一貫して残虐極まりない侵略戦争であり、犠牲者の数は2千万人と言われています。エドガー・スノーは日本軍の中国での蛮行を「近世において匹敵するもののない強姦、虐殺、略奪、といったあらゆる淫乱の坩堝を泳ぎ廻っていた」戦闘と表現しました。こうした中国での犠牲者の他に、この15年戦争の犠牲者は、インド(150万人)、ビルマ(15万人)、ベトナム(200万人)、マレーシア・シンガポール(10万人)、フィリッピン(111万人)、インドネシア(400万人)、その他にも多くの太平洋の島々の住民犠牲者を合わせると、おそらく1千万人に近い人たちが死亡したと考えられます。また、日本軍兵士・軍属の死亡者数は(朝鮮・台湾の植民地出身者約5万人を含む)230万人(その6割が戦病死・餓死者)。これに、原爆を含む空襲の犠牲者と沖縄や満州などでの一般邦人犠牲者数80万人を合わせると、約310万人の人命が失われました。強制疎開で取り壊された住宅は310万戸、約1千5百万人が家を失い財産を空襲・原爆で焼かれました。(日本に対する空襲・原爆による無差別大量虐殺という戦争犯罪に対しては、米国側が重大な戦争責任を負っていることは明らかですが、長くなりますので、この書簡ではこの問題には触れません。)
戦後、あなたの父親は、大元帥である自分の意志を無視して軍部が独走したのだと主張し、責任を回避しました。しかし、防衛庁防衛研究所戦史部が編纂した膨大な戦史叢書を読んでみると、彼が統帥部の上奏に対する「御下問」や「御言葉」を通して戦争指導・作戦指導に深く関わっていたことは否定しがたい事実であることがよく分かります。とりわけ、1941年12月の対連合国開戦の決定過程では、裕仁さんが最終的には決定的に重要な役割を積極的に果たしたことは、当時の内大臣・木戸幸一氏の日記を見てみれば一目瞭然です。戦後の極東軍事裁判(いわゆる「東京裁判」)で、元首相・東条英機氏が、米占領軍と日本政府の政治的圧力から、裕仁さんが開戦決定をしたのは「私の進言、統帥部、その他責任者の進言によってシブシブ御同意になった」からだと証言しました。しかし、たとえ「シブシブ」であったとしても、それに同意し、「宣戦の詔勅」に署名したことは事実です。裕仁さんに開戦の意志が全くないのに署名できたということ自体がおかしいと私たちは思いますが、いずれにせよ帝国陸海軍の統帥権者として署名した限り、その最終責任が彼にあったことは否定できません。ところが、1946年4月29日(あなたの父親の誕生日)に28名の軍人や政治家たちがA級戦犯容疑者として起訴され、1948年12月23日(つまりあなたの誕生日)に、そのうちの7名(板垣征四郎、木村兵太郎、土肥原賢二、東条英機、武藤章、松井石根、広田弘毅)の死刑が執行され、これで戦争責任問題は解決済みとされてしまいました。
しかし、戦争は他の誰でもなく、国家元首であったあなたの父親の命令によって開始され、彼の命令によって収拾されました。その結果、310万人という日本人と数千万人に及ぶアジア太平洋地域の人たちが命をなくしたのです。あなたの父親の命令には、なによりもまず、数千万人に及ぶ「人の命」がかかっていたのです。私たちは、数千万人という抽象的な数字ではなく、命を失ったその一人一人の「悔しさ」、残された親族や友人たちの「悔しさ」、戦争をなんとか生き延びた徴用工、軍性奴隷(いわゆる「慰安婦」)、捕虜や被爆者、空襲被害者、満蒙開拓民など、多くの人たちの一人一人の「悔しさ」をあくまでも大切にしたいと思います。
ちなみに、あなたは、1961年に渡辺清さんという人が、あなたの父親に対して公開書簡を送ったことをご存知でしょうか?渡辺さんは、1944年10月24日にレイテ沖海戦で撃沈された戦艦「武蔵」の生き残り水兵の一人でした。彼は、その書簡の中で次のように書いています。
自分の命令でそれだけの人々が死んだという事実を考えただけでも、あたりまえの人間なら、傷心きわまり、それこそいても立ってもいられないはずだと私は思います。それがあたりまえの人間の心であり、あたりまえの人間の感覚なんだろうと私は思います。
したがって、もしそういうあたりまえの感覚がないとすれば、それは心ない人間なんだと思います。人間であって人間でない、人間という名をかむったまったく別のなにかなんだと思います。どう考えても私にはそうとしか思えません。
………
1946年(昭21)の元旦、あなたは詔書を発布して……自ら「神格」を否定されました………
自分の命令で多くの人を死地に追いおとしておいて、いまさら「信頼」だの「敬愛」だのといっても、余人はいざ知らず、私はもうそんなすらごとは一切信じません。騙されません。とにかく元旦の詔勅にはあなたの責任意識の片鱗だに見出すことができませんでした。
敗戦時の詔書にも同じことがいえます。国民はいうにおよばず、深刻な被害を与えた中国や東南アジアの国々にたいしても、あなたは“戦争は私の責任である、申訳なかった”と、ただのひと言も謝罪していません。そればかりでなく、戦後のどの詔書にもそのことにはひとことも触れてはいません。
あなたの「戦没者慰霊の旅」の問題性
裕仁さんが渡辺さんのこの書簡を実際に読まれたのかどうか知りませんが、もし読まれたとすれば、どのように思われたのでしょうか。
あなたが美智子さん同伴で、日本国内のみならず沖縄をはじめ太平洋の島々にまで足をのばして「戦没者の霊を慰める」という「慰霊の旅」を続けてこられたことは、あなたが自分の父親に幾分なりとも戦争責任があったと感じておられるからだろうと私たちは推測します。前にも述べましたように、あなたと美智子さんの「戦没者の霊を慰める」というその真摯さについては、私たちは決して疑いはしません。しかし、その真摯さにもかかわらず、実際には、あなたの「慰霊の旅」には深刻な問題があると私たちは考えています。例えば、2015年4月に、あなたはパラオ島とペリリュー島への「慰霊の旅」に出かけましたが、パラオに向けて旅発つ直前にあなたが発表したメッセージの中には、次のような言葉が含まれていました。
本年は戦後70年に当たります。先の戦争では、太平洋の各地においても激しい戦闘が行われ、数知れぬ人命かが失われました。祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ身となった人々のことかが深く偲ばれます。………
終戦の前年には、これらの地域で激しい戦闘が行われ、幾つもの島で日本軍が玉砕しました。この度訪れるペリリュー島もその一つで、この戦いにおいて日本軍は約1万人、米軍は約1,700人の戦死者を出しています。太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います。」(強調:引用者 なお、米軍戦死者約1,700名という数字は実際の死亡者数より500名以上少ないです。)
あなたが述べられているように、ペリリュー島での戦闘だけが日本軍将兵に多くの死傷者を出す結果になったわけではありません。1942年8月に始まったガダルカナル島での戦闘での20,860名の死者(そのうち15,000名が餓死・病死)や、合計157,646名という大量の兵員が送り込まれた東部ニューギニアでは、敗戦時の生存者はわずか10,724名。つまり94パーセントという高死亡率で、ここでもその多くが餓死・病死でした。1944年になると、日本が占領していた太平洋の島々に米軍が次々と攻撃をかけ北上する作戦を展開したため、ブーゲンビル、ポナペ、トラック、グアム、サイパンなど多くの島が攻撃目標となり、兵員だけではなく無数の民間人が犠牲者となったことも、あなたはよくご存知なはずです。サイパンでは日本兵と在留民間日本人の合計55,000人以上が死亡しましたが、その多くが「自決者」でした。ペリリュー島での悲惨で無意味な「玉砕」作戦は、1945年2月19日から始まり3月26日に終結した硫黄島での戦闘で繰り返され、さらに10万人の兵員死亡者のうえに10万人ほどの民間人の死者を巻き添えにした沖縄戦でも繰り返されました。
上に引用させていただいたメッセージでは、あなたは、熱帯地域で餓死・病死に追いやられ、なんとか生き延びても「玉砕」という自殺行為を強いられた、このような無数の兵たちを「祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ身となった」という美辞麗句で表現しました。あの戦争は本当に「祖国を守る」ための戦争だったのでしょうか?何のための戦争だったのでしょうか?とりわけ、いったいその責任は誰にあったのかについては、あなたは一切問わないという態度をとっています。彼ら「帰らぬ身となった」者たちは、はっきり言えば「犬死に」したのです。彼らの死は、「悲惨、無意味、一方的に殺戮された」結果の死、つまり作家・小田実氏が適確に表現したように、「難死」以外のなにものでもなかったと私たちは思います。しかも「難死」させられた人たちは、国家によって見捨てられた「棄民」だったのです。しばしば私たちが耳にするあなたや政治家たちの言葉、「戦争犠牲者のうえに戦後の日本の繁栄がある」などというのは詭弁に過ぎないと私たちは思います。彼らの「難死」は戦後の「繁栄」とはなんら関係のない、悔しい「犬死に」以外のなにものでもなかったのです。
「このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」というあなたの言葉を真に実践し、「犬死に」させられた人間のことを記憶に留め、同じような歴史を繰り返さないようにするために絶対不可欠なことは、日本人は「なぜゆえに、このような悲しい歴史を歩まなければならなかったのか」、「そのような悲しい歴史を作り出した責任は誰にあるのか」という問いだと思います。ところが、あなたの「お言葉」には、「悲しい歴史」を作り出した「原因」と「責任」に関する言及は、どの「慰霊の旅」でも、また例年の「終戦の日」の「戦没者追悼式」での「お言葉」でも、常に完全に抜け落ちています。最も重大な責任者であったあなたの父親の責任をうやむやにしたままの「慰霊の旅」は、結局は天皇自身の責任を曖昧にすることで、国家の責任をも曖昧にしているのです。つまり、換言すれば、あなたと美智子さんの「慰霊の旅」は、あなたたち自身が意識していようと否とにかかわらず、実際には、天皇と日本政府の「無責任」を隠蔽する政治的パフォーマンスに終わってしまっているのです。
しかも、あなたの「慰霊の旅」の目的は、もっぱら日本人戦没者の「慰霊」であって、日本軍の残虐行為の被害者の「慰霊」が行われることはほとんどありません。時折、「お言葉」の中で、きわめて抽象的あるいは一般的な表現で連合軍側やアジア太平洋地域の住民の「戦争の犠牲者」について触れられることはあっても、いずれの「慰霊の旅」でも中心はあくまでも日本人戦没者です。2005年6月、あなたたち御夫妻の初の海外慰霊の旅となったサイパン訪問では、多くの日本人が崖から身を投げて自殺した「バンザイ・クリフ」の前で、あなたたちは深々と頭をさげました。この旅では、あなたたちは韓国人犠牲者の慰霊塔にも訪れましたが、実は、これは当初の日程には含まれていなかったとのこと。サイパン島の韓国人住民があなたに謝罪を求めて抗議運動を起こしたために急遽行われ、あなたは謝罪はしませんでしたが、この後で抗議運動は静まったと、後日報道されました。
したがって、あなたたち御夫妻の旅は、結局、日本人の「戦争被害者意識」を常に強化する働きをしますが、日本軍戦犯行為の犠牲者である外国人とその遺族の「痛み」に思いを走らせるという作用には全く繋がりません。つまり、日本人の「加害者意識の欠落」を正し、戦争被害を加害と被害の複合的観点から見ることによって、戦争の実相と国家責任の重大さを深く認識できるような思考を私たち日本人が養うことができるような方向には、あなたの「慰霊の旅」は全く繋がっていないのです。こうして、「日本国、日本人は戦争被害者でこそあれ加害者などではない」という国家価値観が作り上げられ、それが今も国民の間で広く強固に共有されています。そればかりではなく、「徴用工」や「軍性奴隷」のような、非日本人の戦争被害者、とりわけ日本軍の残虐行為の被害者には目を向けないという排他性が、日本人の他民族差別と狭隘な愛国心という価値観を引き続き産み出し続け、そのため戦後73年経つ今も海外諸国と真に平和的な国際関係を築けない根本的な原因ともなっていると私たちは考えています。そのような価値観を共有することが国民の知らないうちに強制されていくという、「国家価値規範強制機能」が、あなたが天皇として持っている「象徴権威」にはあるのです。
あなたはどれほど深く自覚しておられるか知りませんが、あなたがいたく重要視する「天皇の象徴活動」には、このように、実際には「国家正当化」という極めて政治的な意味が強く且つ深く内在しているのです。それは、天皇の「象徴権威」を巧妙に活用したい政治家にとっては、国民支配機能、すなわち被支配者に「支配」を「支配」とは感じさせない国民支配機能であり、権力支配者側にとって極めて都合の良い政治機能なのです。天皇の政治性を全く否定しているかのように映る8条からなる憲法第1章は、実はこのように、国民の社会政治意識を国家が支配するという面で、並々ならぬ影響力を深く内在させているということを、あなたご自身がもっと強く、深く自覚されるべきではないでしょうか。
あなたの「国事行為」が持つ政治的危険性
憲法で規定されているあなたの「象徴」としての行為は、厳密には憲法3条から7条で定められている国事行為以外にはあるはずがないのです。にもかかわらず、本来は国事行為ではない、「慰霊の旅」を含む様々な「象徴権威」活動が、敗戦後も引き続き「事実上の国事行為」として公認状態で行われてきましたので、これをフルに活用することが「象徴天皇」の任務であるとあなたは考えられたに違いありません。そのような「象徴権威」活動の中でも、最も国民の信頼を確保できる活動は、「国民に寄り添い、国民と苦楽を共にする姿勢」=「慈愛表現」活動であることは、あなた以前の天皇・皇室活動ですでに証明済みでした。そこであなたは、美智子さんと一緒に、厳密には違憲行為であるこの「慈愛表現」活動 - 戦没者を慰霊し遺族を慰め、地震、火山噴火、台風などの自然災害の被災者や難病患者を励ます等々 ? にとりわけ力を入れてこられたわけです。 あなた自身は、おそらく、長年にわたるこうした活動で天皇と皇室への国民の信頼を強めかつ広めてきたと自負しておられるはずです。しかし、ご本人の思いとは別に、「象徴権威」は国民支配という面で極めて強力な機能を果たしてきましたし、これからもその機能を果たし続けるでしょう。その国民支配は、天皇の「象徴権威」が、あらゆる政治社会問題に関して、その原因や責任所在を国民の目には見えなくしてしまうことで、実際には隠蔽してしまうという形をとるということに、あなたはどれほどはっきりと気がついておられるでしょうか。つまり、隠蔽することによって、国民が正確に現状を分析し、批判し、社会改革への展望を持つ可能性を削いでしまい、結局は現状をそのまま受け入れさせるという状態をもたらす現象です。このような状況を作り出す天皇の「象徴権威」機能は、政権を掌握している政治家たちにとっては極めて都合が良いものです。なぜなら被治者である国民は、実際には治者=権力掌握者が国民を支配していることに気がつかなくなるからです。しかも、「象徴権威」を活用して現状隠蔽という役割を果たす ? そのような役割を天皇であるあなた自身が自己認識しているか否かは問題ではありません - 「おやさしい」天皇を批判することは、常に「社会的同調圧力」によって排除されてしまうのです。
具体的な例で、あなたの天皇としての「象徴権威」が持つこの社会問題隠蔽機能と社会的同調圧力機能が、どのように作用するのかを説明してみましょう。以下は、東京新聞が報じた、あなたたち御夫妻が2012年10月に福島県川内村を訪問した折の状況です。
屋根上から高圧水で民家を洗浄する除染作業を視察したときには、風が吹いて霧状の水が降り掛かったが、両陛下は気にするそぶりも見せず「線量はどれぐらいですか」「それなら大丈夫ですね」と熱心に質問を重ねた。
当時五十世帯が住んでいた仮設住宅では、目線を相手の高さに合わせ、一人一人に「お体の加減はいかがですか」などと言葉をかけた。働き手は村外の避難先にそのまま残り、戻った住民の多くは高齢者。遠藤さんは「感激して涙を流す人もいた。両陛下の来訪後、村民の間で『自分たちのことは自分たちでやろう』という雰囲気が生まれた」と話す。(『東京新聞』2017年12月5日掲載記事からの抜粋)
あなたたちは、福島原発事故による放射能汚染で最も深刻な影響を受けた地域の一つである川内村を、放射能除染作業が行われている最中に訪れ、住民に放射能線量について質問し、「それなら大丈夫ですね」と応えました。住民たちは、彼らの健康状態を心配するあなたたち2人のやさしい言葉と、彼らの高さに(あなたたちが雲上から降りてきたかのごとくに!)合わせる目線に感激して涙を流しました。あなたたちが去ったあと、住民たちは、天皇・皇后にこれだけ「慈愛」を受けたのであるから、仮設住宅での苦しい生活に苦情を述べるのではなく、問題はできるだけ自分たちで解決するように努力していこうと発奮する。こうして原発事故の原因と事故を引き起こした東京電力の責任、さらには「日本の原発は絶対安全」という原発安全神話で国民を騙し、がむしゃらに原発を推進してきた原発関連企業と日本政府の責任、被害者はもっぱら農漁民や労働者であり加害者は経済的に裕福な電力会社の重役や政治家という貧富の差、階級制の問題などが、あなたたち2人が福島に出現したことだけでうやむやにされてしまう。それだけではなく、被害者の間に「自分たちのことは自分たちでやろう」という自己責任感だけが強まる。こうして、加害者と被害者の峻別は忘れ去られ、「問題解決には全員が努力すべき」という「幻想の共同性」が創り上げられてしまうのです。このことに何の疑問も呈せず、5年たって再びあなたたちの福島訪問を記事にして賛美するメディア。もしもこの「おやさしい天皇・皇后陛下のお気持ち」を批判するような人間がいるならば、「とんでもない非国民」と非難されるでしょうから、天皇・皇后批判は他人の前では誰もしなくなる、という状況が創り出されているわけです。
「慈愛のこもった」あなたたちの「国事行為」、あなたが「天皇の象徴行為」と強く信じてやまないその行為が内包しているこのような重大な政治的影響力について、あなたは当の御本人として、いったいどう思われますか?それでもあなたは、天皇制は民主主義を維持・強化する機能をもつすばらしい制度だと思われますか?
・・・中略・・・
退位するだけではなく、普通の市民になってください
民主主義とは根本的に矛盾する天皇制という制度、侵略戦争を推進した制度、そんな反民主主義的な制度を、日本国憲法は一応「脱政治化」、「民主化」し、あらたに憲法1章として規定した ? すなわち立憲主義的、民主的天皇制にした - というのが一般的な認識です。しかし、数千万人という人の命を奪ったことに対する責任を天皇家の誰も全くとらず、天皇の存在そのものが憲法で保障された国民の基本的人権や平等に抵触し、天皇が国事行為の憲法規定を堂々と破ることを、国民が気がつかないうちに正当化してしまうだけではなく、国民に広く受け入れさせてしまうような雰囲気=「天皇イデオロギー」が、強く、深く、広く日本社会に浸透しています。このような状態が、本当に「民主主義」と言えるでしょうか?長年、その「天皇イデオロギー」の中心核をなしてきたあなたは、このような日本の現状をどう思われますか?
私たちは、天皇制が存続する限り、日本に「民主主義」がしっかり根付くことはないと考えています。あなたが2019年4月末に天皇を退位されても、このような日本の現状は改善されるどころか、もっと悪化するだろうと私たちは思いまます。極端に国家主義的、愛国主義的な安倍政権は、あなたの息子さんの新天皇皇位継承の際に行われる「剣璽等 承継の儀」や「大嘗祭」を、自分の権威高揚のためにフルに政治的に利用するでしょうし、2020年に予定されているオリンピック開会式でも、開会宣言を天皇にやらせることで、国威誇示のために利用するのは間違いないでしょう。また、近い将来、いま急激に武力攻撃力を強めている自衛隊を、天皇に閲兵させることも安倍政権ならきっとやるでしょう。
こんな状況の中で、日本の民主主義のために天皇制を廃止する市民運動を推進していくことがどれほど困難であるかを、私たちは、はっきり自覚しています。しかし、退位されるあなたが「上皇」などという神様のような雲上人にならず、あなたと美智子さんがそろって、私たちと同じ一市民になることを宣言され、あなたの父親の戦争責任をはっきりと認め、父親に代わって被害者と被害国に謝罪し、基本的人権を持ち他の市民と平等に扱われる人間としての喜びを表明されるなら、状況は相当よくなるはずだと私たちは確信します。
明仁さん、もう国家の奴隷であることは止めて、普通の人間になりませんか?普通の人間になって、私たちと同じ人間としての喜怒哀楽を共有しませんか?あなたが尊重される民主主義を本当に日本にもたらすためには、あなたが普通の人間になることがとても重要だとは思いませんか?
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明仁夫妻が無邪気に「慰霊」や「慰問」の旅を活発に行った「平成」の期間に戦争責任の否認はますます強まり、歴史修正主義が高まり、与党政治家の、モラルは地に落ちた。
彼らの「祈り」は何の役にも立っていなかったし、本来の課題解決を隠蔽するかのような機能を果たしたに過ぎなかった、とオジサンは思う。