オジサンは自慢じゃないがアル中ではない。
しかし、こよなくアルコールを愛する人間である。
初めてビールを口にしたのが小学校の高学年のとき。
当時まだ健在であった母方の祖母の家に親族が大勢集まった正月の宴席で、一番若かった伯父さんに強引に飲まされた。
コップ1杯を一気飲みして、大人たちからほめられ、それ以降病み付きにはならなかったが、アルコールに対する抵抗感は全く無く親近感を覚えてしまった。
その後は中学生になってからはアルコールを口にする機会はなかったように記憶している。
高校2年生のとき、クラスの悪がき共と伊豆諸島の式根島という島に初めてキャンプに行った。
半世紀以上も前の式根島には、民宿なんぞは無かったし、水道も無かった。
海辺近くでテント設営し自炊するときは村の役場の雨水を貯めてある貯水槽から雨水をもらって使った。
食事の後は、お楽しみの「未成年者飲酒大会」。
その頃飲んだアルコールは「着色アルコール」と呼ばれた「サントリーレッド」。
これをコカコーラで割り飲み過ぎて、ひどい目にあった人も少なくはないのではないか。
やはり大学時代が飲む量と回数は生涯で一番多かったと思う。
飲酒年齢に達しており、そこそこにバイトをして小銭を持つことができて、時には金持ちのOBたちもいる。
大学では一部体育会のサッカー部に所属していたのだが、練習時間よりも、練習後の飲酒時間の方が長かった。
かなり危ない飲み方も、きわどい店にも連れて行かれたことがあったが、自慢の足で気のあった飲み仲間としばしば逃げたこともあった。
そんな飲酒人生を数十年続けて、いよいよ定年退職まであと1年という時期になったとき、オジサンは「定年オジサン」らしい飲み方ができる場所を探し始めた。
基本は「一人で飲めて」帰りの電車やバスの心配が少ない「地元近辺の店」がキーワード。
当然だが、高級な着物を着た女性がいる店や、豪華なソファがあるような店は除外される。
もちろん、若い娘なんぞがいたりする店も関心がない。
となると、カウンター中心か、立ち飲み屋になってしまう。
しかし、余りにも酒の肴が貧困だと、長続きはしない。
数件の現地調査活動の結果、地元で古くから商売している総合市場が経営している居酒屋を探した。
隣が市場なので、食べ物のメニューは豊富であり、品切れになっても裏から出て行って隣の魚屋から持ってくることもある。
どんな感じの良い店でも、常連客が少ない店は止めたほうがいい。
いわゆる「一見客」目当てのタチの悪い店であるからだ。
それから、あんまりこぎれいな店だと若い女性たちが集まってくるので、そこそこ汚らしさが必要である。
以前、フルタイムで働いていた我が家のオバサンは、帰りに一人で息抜きにコーヒー飲みながら甘いものを口にしてから帰宅していた。
そんなことはできないので、オジサンは探した店で、一人静かに本や雑誌を飲みながら読む。
カウンターに座ると、同じことをやっている若者が多い。
あんまり若いと少々寂しくなる。
適度に騒がしい常連客がいるほうが、集中できるから不思議である。
定年になってから、所用で外出した帰りにその居酒屋に寄る。
黙っていてもすぐに「黒ホッピーセット」を出してくれる。
現役時代には考えられない飲み物であったが、今ではなんでもっと早くから飲まなかったんだろうと後悔するほどである。
だが、最近世の中が長引く不況のあおりを受けて、金の無い若者が店に入るようになった。
宴会の後の二次会に、女性のいる店なんかいけない若者たちが群れを成してくる。
一応、その店は、そんな客用にチョット離れたところにテーブルが用意されている。
少々酔っている若いサラリーマンたちなら許されるが、近頃は、そのサラリーマンにくっついて場違いな女性たちが入ってくる。
基本的に女性の声は波長が短く、周波数が高い。
おまけに全員がいっせいに嬌声を上げると、かなりの迫力となり、ホッピー持っている手が一瞬止まってしまう。
焼酎を飲む女性は今では極フツーになっているが、先日店に入ってきた若い男女4人の中の一人の女性が「焼酎のコーラ割り」を注文した。
もちろん、店の飲み物のメニューには無い。
すかさず店の女将が裏から出てコーラの瓶を抱えてきた。
コーラで割った焼酎とは・・・その時、オジサンの脳裏に52年前の式根島の夜の場面がよみがえって来た。
「そろそろ、第二の店を探さなければ・・・・」こうつぶやきながらオジサンは店を後にした。