新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

日米会談後の日本への過大な注文が断れるのか

2025年02月06日 12時02分54秒 | 石破外交

もはや「死語」になって久しい「春闘」の時期なのだが国内最大の労働組合のナショナルセンターの連合のトップが「反共オバサン」と呼ばれる連合会長の顔を見て、こんな記事を紹介しておく。
 
元共産党員と資本主義
 

一連のフジテレビ騒ぎで、組織のドンとして日枝久の存在がクローズアップされているが、同じく日本テレビのドンだった氏家齋一郎や読売新聞の渡辺恒雄、西武グループの堤清二など、政財界を股にかけてドンとして地位を築いてきた者のなかに、なんと元共産党員の多いことか。所属していたのが一時期とはいえ、終戦を経た戦後の混乱期に一定期間身を置き、そこから見切りを付けて転向した後は、対米従属の鎖につながれた日本社会の権力の中枢でのし上がっていった者たちである。時には勝手知ったる左を転がしたり、右を使いこなしたりの両刀使い――。鍛えられた統率力だったのか、それはもう組織のなかで「使える奴」だったのだろう。時の総理大臣に上から物申すなどしていた渡辺恒雄にいたっては、「メディア界のドン」「政界のフィクサー(黒幕)」などといわれ、共産主義とはまるで裏腹な資本主義陣営のボスにまで上り詰めたのだから皮肉なものである。
 こうした共産党からの転向組、あるいはその後の学生運動からの転向組が、高度成長からこの方につながる日本社会のなかで、企業や組織で頭角をあらわして出世していったという例は枚挙に暇がない。転向すなわち政治思想も180度ひっくり返して、今度は資本主義の歯車としての人生というわけである。そうして60年安保斗争を経て、高度成長へとなだれ込んで経済的にも右肩上がりだった時期に「資本主義もいいもんだなぁ」という風潮のなかで働きに働いて、出世するものは出世して、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた時期もあった。しかし、90年代後半にバブルが崩壊すると失われた30年になり、いまや資本主義社会としてはズルズルと没落してゆくばかりである。
 団塊の世代も祖父母となり、現役世代の団塊ジュニアの子どもたちやその孫たちの未来はというと、なんとも知れない暗雲が漂っているではないか。映画「三丁目の夕日」が描いた伸び盛りの社会ではなく、壊れていく社会が眼前に横たわっているのである。しかし、対峙すべき社会運動は60年安保斗争時期ほどの勢いはなく、センターとなる組織もなく停滞気味。それぞれの分野で個々の努力はあるものの、まとまった力として台頭する場面は乏しく「日本人はおとなしい」などといわれている。
 戦後の一時期は労働運動も活発だったという。戦争という塗炭の苦しみを強いられたところからの反動もあり、それこそ60年安保のような大衆運動も火を噴いた。しかし「資本主義もいいもんだなぁ」の生ぬるい時期を経て次第に尻すぼみとなり、いまでは骨を抜かれたかのような静けさが覆っている。資本の側は弾圧するだけでなく懐柔も加え、右も左も取り込みながら労働運動を抑え込んだのだった。いまや連合にいたっては自民党にべったり寄り添う始末で、労働者の味方もなにもあったものではない。各企業でも労働貴族といわれるような資本に手なずけられた労組幹部が培養され、労働者を抑える側で資本に仕えているような実態は珍しくない。そうやって役割を果たす労組委員長が取締役出世への登竜門という企業だってある。斯くして社会の圧倒的多数を占める労働者がバラバラに分断されたもとで、労働政策は規制緩和で非正規雇用などがはびこり、子どもたちに三食まともに食べさせてあげられないために子ども食堂が全国に1万カ所もできる時代になった。
 2020年代まできて、「資本主義もいいもんだなぁ」という感覚を抱いている人間がどれだけいるというのだろうか。海外では、資本主義の総本山であるアメリカでも、かさぶたとなっていた労働組合のダラ幹どもを乗り越えて、各産業でストライキが果敢にとりくまれ、下から労働運動が熱を帯びている。ハリウッドだけではない。アマゾンでも、物流業界でも、教師や医療従事者たちも、待遇改善にとどまらぬ公益を掲げてまともな世の中にせよと訴え、プラカードを掲げる表情はみな明るく爽快である。やられっぱなしで打ちひしがれているのではなく、未来を代表して束になって行動しているからこその明るさなのだろう。腐朽衰退する社会構造のなかで、そこからの転換を促して次の時代をつくっていく原動力は古今東西の歴史を見ても民衆の力以外にはない。何十年とおとなしく辛抱してきた日本人も長年の停滞を打ち破る時期を迎えているように思えてならない。

 
やはり「昔は・・・」と昭和の時代からの日本の「警察組織とマスメディアの癒着」を語らせたら現在はこの御仁しか見当たらない。
 
 「本澤二郎の「日本の風景」(5425)
 
<特集・日本の警察=マスコミとかばい合い>
駆け出しの社会部記者は、一般的には警察(サツ)回りからスタートする。すべての記者は、警察が用意した記者クラブに所属し、捜査当局の発表情報を活字にしてデスクに送る。そこから「日本の警察は優秀」との神話が生まれる。無知な子供が先生に言われる話を鵜呑みにして「真実」として社会に出ると、落とし穴に落ちるまで気付かない例がいいのかどうか。
事件によっては「警察による情報操作」に気付くことはない。そんな一人だった筆者は、内務官僚出身のたとえば後藤田正晴、秦野章、渡辺一太郎らと親しい関係を維持してきた。秦野とは「日本警察改革論」(エール出版)を書いた。秦野の主張する「ネズミ捕り反対」「実力主義で県警本部長になれる警察」という当たり前の主張を評価したためでもある。後藤田については、日本訪問中の韓国の反軍事政権の金大中が、あやうく殺害されそうになった時、宇都宮徳馬が後輩の官房副長官の後藤田に緊急連絡した。彼がそのことを在日米軍に協力を求めて助かった。その後に、彼は韓国で最初の民主派の大統領になった。後藤田は中曽根内閣の官房長官になると、読売改憲新聞の渡辺恒雄が支援してることを警戒し、周囲に「わしの目が黒い間は改憲させない」と豪語していた。彼こそは護憲リベラル派の大将だった。大平内閣が彼を副総理にし、万一に備えたものである。
渡辺は敗戦時に伊勢神宮の正体を調べ上げ、暴いたたった一人の警察官僚として高く評価したい。「天皇は朝鮮人だ」と断言して、この世を去った。お人好しの日本人は、外国人を「現人神」と信じて侵略戦争を戦い、300万の若者が命を失った。実に不思議な民族ということになろう。
本日の核心は、警察と新聞テレビのもたれあい・かばい合いを中心にまとめたい。昨日の本ブログで紹介した「木更津レイプ殺人事件」を朝日新聞木更津通信部の記者に取材するように頼むと、なんと「警察が動かないと書けない」と言って逃げた。彼は警察こそ真実と信じていたのである。同時にやくざ暴力団取材はタブーと言いたかったのだ。確かに目下の我々は、袖ヶ浦市陣場台の住人を含め命がけの闘いをしている。
<警察の広報宣伝=発表記事に専念=記者クラブ制度も一因>
大手の新聞社は、日本独特の記者クラブ制度を有効に活用している。首都圏紙の東京タイムズで取材していると、そのことを強く感じた。記者クラブ幹事社制度を活用して、取材される警察と特別な関係を利用してトクオチをしないようにしている。同時に特ダネに接近できる足場を有している。警察の広報担当者とのなれ合い関係によって、中小のブロック紙や県紙は常にはじき出される。
支局長になった時の体験も、今考えると言論と警察の腐敗そのものだったことを理解できる。大手の記者が事件事故に巻き込まれると、支局長会に緊急連絡が入り、新聞に掲載するな、という驚くべき要請が届く。警察と新聞テレビの歪んだ、不正をもみ消すという暗黙のルールを知った。新米の支局長は、悪しき支局長会のルールを破ることなどできなかった。
これは自民党派閥記者も同様で、記事を書かない記者が派閥で重用される。これは経済部でも芸能記者も同様である。
渡辺恒雄の前任の政治部長・多田実の筆者への伝言の中には「ワタツネは大野伴睦の懐に手を突っ込んで、その金を韓国に同行した各社の記者に配って歩いた。部下の報告で知って驚いた」というのである。渡辺はジャーナリスト失格どころか人間失格であろう。そんな悪党が亡くなるまで主筆だった!読売は新聞ではない。
<フジテレビとの一度きりの出演>
中曽根後継人事が佳境に入ったころ、筆者は社長の徳間康快(元読売記者)と対立した。彼は安倍晋太郎がいいという。徳間グループの主な銀行が首都圏で活動する平和相互銀行という関係からだった。平和相互が福田派清和会との関係が濃厚だったことも、その理由であるが、筆者は護憲リベラルの宮澤喜一という立場を崩さなかった。竹下登は眼中になかった。
それまでは徳間の要望(勲章)を処理してきたのだが、断腸の思いで希望退職するほかなかった。信念を貫いた最初で最後の大勝負だった。政治部長をやめることは、在京政治部長会も辞任する。8年9か月の在任期間は、むろん最長記録である。読売の渡辺はおろか、それまでの記録保持者の産経の阿部さんも抜いていた。
生活の助け舟になってくれたのは恩師の宇都宮徳馬のほか、フジテレビ政治部長の船田さん、時事通信の政治部長、朝日新聞政治部長ら。真っ先にフジテレビの出演が決まったのだが、テレビと新聞は雰囲気が違う。それさえも理解せずに飛び出した。大失敗だった?
その出演した場に清和会支持者ばかりの面々など頓着なしに「安倍は厳しい」と真実を即答した。その後に嫌み質問が続く。「なぜ厳しいのか」についてもきっぱりと「彼は健康がきつい」と正直に答えてさすがに岸の娘婿とは言えなかった。案の定、出演は一度きりで終わった。おそらく日枝久はびっくりしたはずだ。フジサンケイが右翼的な清和会・福田派だという、当たり前の政治環境を反映するコメントではなかった。
もっとも代わりの生活手段となってくれた、時事通信の内外情勢調査会の講演では、数年余全国を駆けずり回る機会を手にした。ちょっとした小旅行に満足した。富山県講演では義父・広岡慎次の生まれ故郷・福光町を訪問し、町長と懇談することが出来た。広岡は慶応ボーイで東宝映画に入社し、敗戦後の三大争議のさいは、会社側の総務部長として苦労し、50代で亡くなった。東宝争議には米軍の戦車まで登場したと聞いた。
東宝はいまどうなのか?戦争が敗戦後の日本をズタズタにした。それは日米安保で、今もがんじがらめになって日本を沈没させている。
<中曽根後継を聞かれ正直に「安倍晋太郎の健康問題」>
繰り返すがフジの政局問題における正直な発言は、テレビ界では通用しないことを悟らされた。安倍の健康問題はその通りだったため、政権は中曽根の影響力行使のための軍資金を用意した竹下に軍配が下りた。竹下はその分、よくしてくれた。田中角栄の秘書に東京タイムズ政治部の先輩・早坂茂三がいたせいでもあろう。
政治家の健康は致命的である。石橋湛山が証明している。晋太郎は不倫と徹夜マージャンも災いのもとだった。晋三も似ていたが、だからと言って昭恵の暴走も気になる。
<改憲軍拡のツネ・氏家・久枝独裁が消滅>
言論界の腐敗はいまだ改善されそうもないが、既に日本テレビの氏家も亡くなって久しい。ついで渡辺恒雄は大金を懐にいれたものの、墓場にもっていくことは出来ない。息子がどう処理するか。
財務省・国税庁のOBが救済するのだろうが、果たして許されるものか。久しくナベツネと久枝の太い絆で民放を牛耳ってきたが、後者には外人部隊の株主がブレーキをかけてきた。久枝もお陀仏であろう。
政権与党も力を失った。幸いにも野党が分裂している。
国会追及も爆弾が投下されそうもない。問題は「野菜も食べられない」「車にも乗れない」という市民の怒りの声を、野党が代弁していないことだ。自民党幹事長が農林族として、裏側で糸を引いていないのかどうか。彼の出自がYouTubeで公表されたのだが。
神道日本会議・統一教会・創価学会カルトも、右翼言論界のボスが消えて、影響力を喪失している。正義の警察が目を覚ますか?
2025年2月5日記(茅野村の仙人・日本記者クラブ会員)

 
ところで、昨日の「トランプとの会談には日本という国家の威信を示すべし」のつぶやきの中で、冷泉彰彦の以下の記事を紹介した。
 
タイミングは最悪。石破首相が焦ってトランプと会っても「墓穴を掘るだけ」に終わりそうな理由
 
こんな杞憂に追い打ちをかけるような石破茂の非現実的な言動が物議をかもしているようである。
 
「【独自】故・安倍元総理を超えたい?ああ、勘違い…石破総理がトランプ大統領との会談に先立ってねだった「特別な待遇
  
■外務省にオーダ
もしかすると、石破茂首相は決定的な過ちを犯しているのかもしれない。どうも自分とドナルド・トランプ米大統領は「ケミストリー(相性)」が合うと思い込んでいるフシがあるのだ。
2月3日午後の衆院予算委員会。質問に立った与党・公明党の岡本三成政調会長は、石破首相にトランプ氏と信頼関係を構築してほしいと求めた。石破首相は「トランプ氏は意外と人の意見を聞く人だと聞いている。……ひょっとしたら(安倍晋三元首相同様に自分とも)ケミストリーが合うかもしれない」と答弁した。
石破首相は7日午前(米東部時間)、首都ワシントンのホワイトハウス(WH)でトランプ大統領と会談する。俄かに信じられないが石破氏は開催日が1月末に決定した後、外務省に対して大統領執務室(通称、オーバルオフィス)での首脳会談の可能性を質したとされる
オーバルオフィスはWHのウェストウィング(西棟)1階正面入り口から南に真直ぐ向かって一番奥の左角にある。正面ロビーの斜め右前にJ・D・ヴァンス副大統領の執務室、その左隣がマイク・ウォルツ大統領補佐官(国家安全保障担当)、廊下を隔てた右隣にスーザン・ワイルズ大統領首席補佐官の執務室がある。
その廊下沿い東に向かって大統領上級顧問室2部屋と、大統領専用ダイニングルーム、書斎があり、その先が大統領執務室である(大統領上級顧問室の1つがピーター・ナバロ産業・通商担当大統領上級顧問?)。
主たる関心事は、当館前主人のジョー・バイデン前大統領時代と現在の比較でもある。
■チャーチルへの憧れ
バイデン時代は大統領の執務机と椅子の左側後ろの壁に米国独立宣言を起草したベンジャミン・フランクリンの肖像画、一方のトランプ氏はアンドリュー・ジャクソン第7代大統領の肖像画を飾っている。
ジャクソン大統領は、トランプ氏同様ポピュリストと言われ、独立戦争と南北戦争の間の時代で活躍してヒーロー(「The Age of Jackson」と呼ばれた)になるが、先住民排除政策が物議を醸した。大統領就任後はアンチ・エスタブリッシュメントで、関税制度を積極的に適用したことはトランプ氏に通じる。
室内には星条旗以外に、米陸・海・空3軍・海兵隊の軍旗を飾っている。退役軍人組織を念頭に軍重視をアピールしているのであろう。バイデン時代には軍関連の置物は全く無かった。
飾りテーブル上に置く歴史上の人物の胸像・銅像もトランプ、バイデン両氏は大きく異なる。バイデン氏は、50年代後半~60年代の公民権運動活動家のローザ・パークスや人権擁護・農民運動家のセザール・チャベスの銅像を飾った。
驚くなかれ、トランプ氏は何とウィンストン・チャーチル英首相のブロンズ頭像を持ち込んだ。戦時下のチャーチルの強いリーダーシップ発揮に憧れているのだろうか。ジャクソンの肖像画の下にある飾り机の上には、彫刻家のフレデリック・レミントンの「ブロンコ・バスター」が置いてある。バスター像はカウボーイの西部開拓精神、荒波に立ち向かう強さを表現する。やはりトランプ氏は「強さ」に憧れ、「戦う」精神に惹かれるのだ。
このように大統領執務室はトランプ氏の思考回路、行動原理(or情念発露)、精神構造を理解するうえで参考になる。なぜ筆者はトランプ執務室にこだわるのか。冒頭で記したように石破氏が前のめりだったトランプ氏とのトップ会談を大統領執務室で行いたいと希望したと聞き及んだからだ。
■所詮「見果てぬ夢」か
2017年2月の安倍晋三首相(当時)はWHで公式会談を行ったが、正面で出迎えたトランプ氏が安倍氏と「シャグ」(握手と同時にハグする)を交わし、米側記者団から大統領側近やWH儀典官までを驚かせた。
それだけではなかった。自らオーバルオフィスまで案内、そこで雑談をし、記念撮影に臨んでから執務室の真向いにある会議室のルーズベルトルームに移動したのである。
大統領執務室は決して広くない。首席補佐官などWH幹部らが大統領執務机の前に椅子を並べて協議するか、備え付けの広大な長方形テーブルと大きなソファ2脚に座って話すだけだ。すなわち、あるとすれば「テタテ会談」(記録係無しの通訳のみ)ということになる。
そう、仮に石破氏がトランプ氏との初会談(!)を大統領執務室で実現したいと打診したとすれば、「テタテ会談」を希望していたということだ。要は、「安倍超え」を意識したということに違いない。
あり得ないことだ。14回に及んだ安倍・トランプ会談すべての通訳を務め、トランプ氏から「You’re little Prime Minister!」の賛辞を頂戴した外務省の高尾直北米局日米地位協定室長を同行しても、である。外交に疎い石破氏に「安倍超え」など、そもそもリアリティがない「見果てぬ夢」なのだ。

 
明日以降のトランプとの会談ではすでに、「石破首相はトランプとの会談で「武器爆買い」要請に耐えられるのか」という声があり、会談後の「共同声明」の内容次第では、国会での与野党からの批判の嵐に巻き込まれるかもしれない、とオジサンは思う、
  

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