比較日本文化研究 第14号 の本が届きました。昨年お問い合わせのあった。天理大学文学部准教授・安井眞奈美先生http://www.tenri-u.ac.jp/teachers/dv457k0000001zrj.html 「抜けた乳歯の行方」-身体観の変容にせまる という論文が記載されていました。なんと~ペーシを開くとCyiCyiの乳歯入れが写真に~とても嬉しいやら、気恥ずかしいやら・・・論文内容はというと、この乳歯入れの容器を手がかりに、子どもの成長や身体そのものに対する人々の意識の変容と深く結びついているのではないか、という推測をもとに乳歯の特徴と習俗、その取り扱われ方が臍の緒と胞衣、乳歯の比較に始まっています。
その行方には近代医学の進歩によって、出産が医療機関で行われることが当たり前になってきたことで、胞衣に関して現代の習俗が消滅してしまったことや、臍の緒は母体と胎児との媒体の証として、今も大切に母親のもとに保管されるようになって(大概の場合)います。それに引き替え乳歯の生え変わりには、時間的なタイムラグがあって、乳歯の習俗が今まで変わらずに続けられてきたようです。しかし・・・住宅事情でかつての屋根も縁の下もなくてマンション住まい、少子化で育児に時間の余裕ができてきた昨今、乳歯が生えて抜け落ちて行く日々の営みの結晶として、母親の愛情の証として重要な意味を持つ乳歯に変貌してきているのかもしれません。現代社会の育児環境を背景にして誕生してきた乳歯入れが流行で終わるか、新たな習俗して定着していくかは、もうしばらく時間の経過と観察が必要でしょうか~「乳歯を手元に置いておくものでないといった意識が薄れて、乳歯を投げる習俗も消えていくかもしれない。」 といった内容で、乳歯入れも論文になると成るほど、たいへん興味深く読ませていただきました。安井眞奈美先生ありがとうございます。さてさて、これからCyiCyiの乳歯入れの行方は~お楽しみでございます。(笑) cyicyikatsuko