前の記事では、主に「景福宮の秘密コード」を読んで勉強になったことを記しました。
今回は、疑問に思ったことを書きます。これが実は本論です。
私ヌルボ、ドラマ化された「根の深い木」は見ていません。そこで内容が詳しく書かれている関係ブログを読んでみたところ、なんかぜ~んぜん違うじゃん! ラストなんか、「えっ、この人たちがこうなっちゃうの!?」なんて驚いてしまいましたがな。
ま、そっちはこの際おいとくとして、このミステリーでは、わりと早くから事件を取り巻く背景が説明されています。
それで読者は、細部はわからなくても「善い方」と「悪い方」が明確に書かれているので、事件の「黒幕」はおよそ見当をつけることができます。
「善い方」は、まず世宗。彼が悪く描かれることは考えられません。
そしてチョン・インジ(鄭麟趾)を中心とする一派。
これに対して「悪い方」はチェ・マンリ(崔萬理)やシム・ジョンス(沈種樹)の一派。
この両派がどう違うか、対比してみます。
[善い方] [悪い方]
チョン・インジの一派 チェ・マンリの一派
革新派 保守派
実学(農学・地理・数学・天文学)の重視 実学を否定し、観念的・抽象的な儒学を尊重
商業の自由化、商業の振興を図る 商業の統制
(市廛(してん。公認の商人)の特権の否定・貨幣の普及) (市廛との癒着・乱廛(らんてん。非公認の商人)の排除)
ハングル創製に情熱的に取り組む 漢字を尊重し、ハングルに反対
中国からの自立を内に秘める 事大主義(中国を尊奉)
これを見て思うのは、この「善い⇔悪い」を分けるモノサシ(価値観)は、現代韓国ならではのバイアスがずいぶんかかっているなあということ。
たとえば、ハングルに対する偏愛。(といったら失礼かな?)
ウィキペディアの<ハングル優越主義>の項目、あるいは私ヌルボが愛読するアンサイクロペディアの<ハングル>の項目等でいろいろ揶揄されていますが、2009年韓国の世宗文化会館(!)で開かれた第1回世界文字オリンピック大会などというのはまさにその表れ。もちろんハングルが優勝しました。※関連記事は→コチラやコチラ。
しかし、「訓民正音」(東洋文庫)の趙義成先生の解説によると、訓民正音の作成には朝鮮語をありのまま表記するという実用上の必要性だけでなく、それ以上に漢字音を正しくあらしめて理想的な王道政治を敷くという儒学的な理念を具現させる意図があった、とのことです。
野間秀樹「ハングルの誕生」(平凡社新書)にも、「当時申淑舟が何度か遼東に派遣されているのは、正確な漢字音の発音を得るためだった」とあります。
つまり、ハングルは決して漢字に相反するものではなく、むしろそれを補うものだったというわけです。
また朴永濬等「ハングルの歴史」(白水社)では、今は「悪役」を割り振られている崔萬理に対して、「崔萬理を理解するために」と題して多くのページを割いて彼の弁護(?)を展開しています。
「朝鮮王朝実録」には、1442年(世宗24年)中国の皇后冊封を祝う使臣を北京に送ったことやその祝いの言葉等が記録されているが、そこからは「中国に対する事大と慕華が一般的だったことがあますところなく読み取れる」とのことです。
礼と名分を重視する性理学という儒学の政治的理念が政治的安定を支えていた当時の朝鮮で、新しい文字の創製が中華制度の遵行に逆行すると信じたのが崔萬理たちです。
その彼がなぜ反論を提起したかというと、彼は世宗とは格別な間柄で、その政策に諫言できる立場にあり、かつ原則を重んじる一本気な人物だったのでは? ・・・というのが「ハングルの歴史」の推測するところです。
契丹・女真・日本等の文字にも通じていた崔萬理は諺文(おんもん.ハングル)についても綿密に検討したと思われ、それが漢字よりはるかに習得しやすいこともわかっていました。彼が憂慮したのは、むしろそのことにより漢字の習得が疎かになり、文化が浅薄化するのではないか、というものでした。
「ハングルの誕生」で野間秀樹先生は、「崔萬理たちはある意味では、世宗たち以上に<正音>のラディカルさを読み取っていた。ハングル・エクリチュールの圧倒的な制圧という今日的事態をも、見据えていたことになる」と評しています。
ハングルについて長々と書いてしまいましたが、要は今の韓国のハングルに対するイメージが「景福宮の秘密コード」にはそのまま投影されていて、それは史実とはズレがあるということです。
また、保守派の重視する観念的な儒学に対し、実学を高く買っている見方も多分に現代的な評価でしょう。後世の正祖の時代の丁若等もドラマの主人公として扱われていますが、小川晴久先生の著作等によると、彼ら実学者が注目されるようになったのは日本の植民地時代ということです。
さて、これらにもまして「これは違うぞ」と思ったのは、当時の商業のこと。本書に登場する市廛(シジョン.시전.してん)というのは公認の商人で、日本史でいえば座の商人に相当します。本書では、「悪い方」が非公認の商人=乱廛(ナンジョン.난전)を排除することで市廛から裏金を受け取っていたのに対し、「善い方」は規制を撤廃して自由な商業の発展をめざしていたように描かれています。
ところが、日本で戦国大名により楽市・楽座が行われたのは16世紀半ば以降。本書にあるように世宗時代には1425年に朝鮮通宝が鋳造されたもののさほど用いられませんでした。
一方当時の日本は、4年後の1429年に来日した朝鮮通信使朴瑞生がその報告書の中で「銭が盛んに用いられ、布や米による支払いを凌駕している。だから千里の旅をするものであってもただ銭貨を帯びるだけでよく、穀物を携帯しなくてよい」(「李朝世宗実録」)と記しているほど貨幣経済が発達していました。しかし、そのように貨幣の流通が先行していた日本でも楽市・楽座が政策として打ち出されるのは上記のように1世紀以上後のことです。
つまり、世宗の時代には、本書で描かれたような乱廛の排除撤廃=商業の自由化という政策はありえないでしょう。むしろ、この点ではドラマ「イ・サン」の方が史実に近いのではないでしょうか。
→コチラのブログ記事に、イ・サン(正祖)の時代に行われた禁乱廛権(クムナンジョングォン.금난전권)すなわち市廛以外の商行為禁止を廃止する、3度にわたる通共(トンゴン.통공)についてわかりやすく説明しています。それが18世紀後半、世宗の時代から300年以上も後のことです。
ドラマの時代考証が相当にいい加減なのは日本の時代劇でも素人目にもわかりますが、おおよそは見る側にとっても「お約束」の範囲内でしょう。ただ、本書のとくに商業に関する点は歴史の大枠に関わるように思われ、ついついこだわってしまいました。
今回は、疑問に思ったことを書きます。これが実は本論です。
私ヌルボ、ドラマ化された「根の深い木」は見ていません。そこで内容が詳しく書かれている関係ブログを読んでみたところ、なんかぜ~んぜん違うじゃん! ラストなんか、「えっ、この人たちがこうなっちゃうの!?」なんて驚いてしまいましたがな。
ま、そっちはこの際おいとくとして、このミステリーでは、わりと早くから事件を取り巻く背景が説明されています。
それで読者は、細部はわからなくても「善い方」と「悪い方」が明確に書かれているので、事件の「黒幕」はおよそ見当をつけることができます。
「善い方」は、まず世宗。彼が悪く描かれることは考えられません。
そしてチョン・インジ(鄭麟趾)を中心とする一派。
これに対して「悪い方」はチェ・マンリ(崔萬理)やシム・ジョンス(沈種樹)の一派。
この両派がどう違うか、対比してみます。
[善い方] [悪い方]
チョン・インジの一派 チェ・マンリの一派
革新派 保守派
実学(農学・地理・数学・天文学)の重視 実学を否定し、観念的・抽象的な儒学を尊重
商業の自由化、商業の振興を図る 商業の統制
(市廛(してん。公認の商人)の特権の否定・貨幣の普及) (市廛との癒着・乱廛(らんてん。非公認の商人)の排除)
ハングル創製に情熱的に取り組む 漢字を尊重し、ハングルに反対
中国からの自立を内に秘める 事大主義(中国を尊奉)
これを見て思うのは、この「善い⇔悪い」を分けるモノサシ(価値観)は、現代韓国ならではのバイアスがずいぶんかかっているなあということ。
たとえば、ハングルに対する偏愛。(といったら失礼かな?)
ウィキペディアの<ハングル優越主義>の項目、あるいは私ヌルボが愛読するアンサイクロペディアの<ハングル>の項目等でいろいろ揶揄されていますが、2009年韓国の世宗文化会館(!)で開かれた第1回世界文字オリンピック大会などというのはまさにその表れ。もちろんハングルが優勝しました。※関連記事は→コチラやコチラ。
しかし、「訓民正音」(東洋文庫)の趙義成先生の解説によると、訓民正音の作成には朝鮮語をありのまま表記するという実用上の必要性だけでなく、それ以上に漢字音を正しくあらしめて理想的な王道政治を敷くという儒学的な理念を具現させる意図があった、とのことです。
野間秀樹「ハングルの誕生」(平凡社新書)にも、「当時申淑舟が何度か遼東に派遣されているのは、正確な漢字音の発音を得るためだった」とあります。
つまり、ハングルは決して漢字に相反するものではなく、むしろそれを補うものだったというわけです。
また朴永濬等「ハングルの歴史」(白水社)では、今は「悪役」を割り振られている崔萬理に対して、「崔萬理を理解するために」と題して多くのページを割いて彼の弁護(?)を展開しています。
「朝鮮王朝実録」には、1442年(世宗24年)中国の皇后冊封を祝う使臣を北京に送ったことやその祝いの言葉等が記録されているが、そこからは「中国に対する事大と慕華が一般的だったことがあますところなく読み取れる」とのことです。
礼と名分を重視する性理学という儒学の政治的理念が政治的安定を支えていた当時の朝鮮で、新しい文字の創製が中華制度の遵行に逆行すると信じたのが崔萬理たちです。
その彼がなぜ反論を提起したかというと、彼は世宗とは格別な間柄で、その政策に諫言できる立場にあり、かつ原則を重んじる一本気な人物だったのでは? ・・・というのが「ハングルの歴史」の推測するところです。
契丹・女真・日本等の文字にも通じていた崔萬理は諺文(おんもん.ハングル)についても綿密に検討したと思われ、それが漢字よりはるかに習得しやすいこともわかっていました。彼が憂慮したのは、むしろそのことにより漢字の習得が疎かになり、文化が浅薄化するのではないか、というものでした。
「ハングルの誕生」で野間秀樹先生は、「崔萬理たちはある意味では、世宗たち以上に<正音>のラディカルさを読み取っていた。ハングル・エクリチュールの圧倒的な制圧という今日的事態をも、見据えていたことになる」と評しています。
ハングルについて長々と書いてしまいましたが、要は今の韓国のハングルに対するイメージが「景福宮の秘密コード」にはそのまま投影されていて、それは史実とはズレがあるということです。
また、保守派の重視する観念的な儒学に対し、実学を高く買っている見方も多分に現代的な評価でしょう。後世の正祖の時代の丁若等もドラマの主人公として扱われていますが、小川晴久先生の著作等によると、彼ら実学者が注目されるようになったのは日本の植民地時代ということです。
さて、これらにもまして「これは違うぞ」と思ったのは、当時の商業のこと。本書に登場する市廛(シジョン.시전.してん)というのは公認の商人で、日本史でいえば座の商人に相当します。本書では、「悪い方」が非公認の商人=乱廛(ナンジョン.난전)を排除することで市廛から裏金を受け取っていたのに対し、「善い方」は規制を撤廃して自由な商業の発展をめざしていたように描かれています。
ところが、日本で戦国大名により楽市・楽座が行われたのは16世紀半ば以降。本書にあるように世宗時代には1425年に朝鮮通宝が鋳造されたもののさほど用いられませんでした。
一方当時の日本は、4年後の1429年に来日した朝鮮通信使朴瑞生がその報告書の中で「銭が盛んに用いられ、布や米による支払いを凌駕している。だから千里の旅をするものであってもただ銭貨を帯びるだけでよく、穀物を携帯しなくてよい」(「李朝世宗実録」)と記しているほど貨幣経済が発達していました。しかし、そのように貨幣の流通が先行していた日本でも楽市・楽座が政策として打ち出されるのは上記のように1世紀以上後のことです。
つまり、世宗の時代には、本書で描かれたような乱廛の排除撤廃=商業の自由化という政策はありえないでしょう。むしろ、この点ではドラマ「イ・サン」の方が史実に近いのではないでしょうか。
→コチラのブログ記事に、イ・サン(正祖)の時代に行われた禁乱廛権(クムナンジョングォン.금난전권)すなわち市廛以外の商行為禁止を廃止する、3度にわたる通共(トンゴン.통공)についてわかりやすく説明しています。それが18世紀後半、世宗の時代から300年以上も後のことです。
ドラマの時代考証が相当にいい加減なのは日本の時代劇でも素人目にもわかりますが、おおよそは見る側にとっても「お約束」の範囲内でしょう。ただ、本書のとくに商業に関する点は歴史の大枠に関わるように思われ、ついついこだわってしまいました。