あ、このタイトルの意味ですが、小説の中身の訳し方ではなくて、その題名の『吾輩は猫である』をどう訳すか、という意味ですよ。
先月川崎図書館に行って韓国語本の書架を見ていたら、日本の作家の作品の翻訳書がずいぶん多くならんでいて、大体は原題がわかり、また韓国題の方もとくに意外に思ったものもなかった中で、あ、これはこう言うのか、と目に留まったのがこの『吾輩は猫である』でした。
もしそのハングルの書名を見なかったとしたら、私ヌルボ、ふつうに考えると、
나는 고양이다(ナヌン コヤンイダ)
くらいしか出てきません。しかし、これでは勿体ぶったニュアンスが感じられないし・・・。
NAVER辞典で「吾輩」のハングル読み「오배」や「我輩」の読みの「아배」を引いてみると、これらは「われわれ」を意味するようで、使えません。
・・・で、正解は、下の写真参照。
《나는 고양이로소이다(ナヌン コヤンイロソイダ)》というのですね。
念のため韓国ウィキ(→コチラ)で「나쓰메 소세키(夏目漱石)」の項目を見てみると、代表作としてたしかに《나는 고양이로소이다》があげられています。
この「~로소이다(ロソイダ)」は、NAVER辞典には「「~ㅂ니다」の옛말(昔の言葉)」とあります。
そういえば、ちょっと前に言語学者N先生から韓国の時代劇によく出てくる言葉だということを教わっていたんですけどね。だから図書館でヌルボがこの言葉に気がついたということかも・・・。
さらに思い起こせば、今年8月8日公開の韓国映画で「私は王である」というタイトルの時代劇コメディがありました。
世宗大王が王位に就く前に乞食と立場を入れ替わって、町の中を歩いたりしていろんな人たちと出会い、社会を経験してゆくという話。韓国版「王子と乞食」ですかねー? チュ・ジフンが初の時代劇出演で1人2役を演じたそうです。
で、この原題が「나는 왕이로소이다」。<DAUM映画>で原題を見て、王様はこういう言い方をするのか、というのがこの言葉との最初の出会い。・・・って、韓国時代劇ファンの皆さんはよくご存知の言い方かも・・・。
これまで、私ヌルボが知っていた時代劇らしい言い方といえば「~하옵니다(ハオムニダ)」くらいなものでした。
그러하옵니다(クロハオムニダ) さようでございます。
망극하옵니다(ソンウォニ(聖恩が) マングク(罔極)ハオムニダ) 聖恩限り無うござります。(ありがたき幸せにございます。)
等々。
※→コチラのブログ記事に、韓国の時代劇=사극(史劇.サグク)の決まり文句が17例あげられています。また、「韓国語ジャーナル」41号にも<時代劇 あるあるフレーズ>が載っていたって!? ありゃりゃ・・・。
・・・ここで最初に戻って、要するに『吾輩は猫である』の訳語としては、「~로소이다」という王様のような表現が「나는 고양이다」などよりも合っているということのようですね。(王様は吾輩とは言わないと思いますけど。)
この小説がいつ頃誰によって訳されたかについても知ろうとしたのですが、よくわからず。ただ、これまで多くの訳書が出ているようです。しかし<YES24>のサイトで見てみると、タイトルはどれも「나는 고양이로소이다」になっています。
ついでに、漱石の他の作品のタイトルを見ると、あれれ、「大体は原題がわかり・・・」などと先に書いたのは甘かったぞ。
たとえば「도련님」とか「한눈팔기」とか・・・。韓国語学習者の皆さん、すぐにわかりますか? 前者は「坊つちゃん」、後者は「道草」ですよ。(範囲指定すれば正解が現れます。)
文学作品のニュアンスをうまく伝える翻訳は、本文はもとより、タイトルからしてむずかしいですね。この先何年勉強しても、ヌルボにはとても無理だなー(泣)。
先月川崎図書館に行って韓国語本の書架を見ていたら、日本の作家の作品の翻訳書がずいぶん多くならんでいて、大体は原題がわかり、また韓国題の方もとくに意外に思ったものもなかった中で、あ、これはこう言うのか、と目に留まったのがこの『吾輩は猫である』でした。
もしそのハングルの書名を見なかったとしたら、私ヌルボ、ふつうに考えると、
나는 고양이다(ナヌン コヤンイダ)
くらいしか出てきません。しかし、これでは勿体ぶったニュアンスが感じられないし・・・。
NAVER辞典で「吾輩」のハングル読み「오배」や「我輩」の読みの「아배」を引いてみると、これらは「われわれ」を意味するようで、使えません。
・・・で、正解は、下の写真参照。
《나는 고양이로소이다(ナヌン コヤンイロソイダ)》というのですね。
念のため韓国ウィキ(→コチラ)で「나쓰메 소세키(夏目漱石)」の項目を見てみると、代表作としてたしかに《나는 고양이로소이다》があげられています。
この「~로소이다(ロソイダ)」は、NAVER辞典には「「~ㅂ니다」の옛말(昔の言葉)」とあります。
そういえば、ちょっと前に言語学者N先生から韓国の時代劇によく出てくる言葉だということを教わっていたんですけどね。だから図書館でヌルボがこの言葉に気がついたということかも・・・。
さらに思い起こせば、今年8月8日公開の韓国映画で「私は王である」というタイトルの時代劇コメディがありました。
世宗大王が王位に就く前に乞食と立場を入れ替わって、町の中を歩いたりしていろんな人たちと出会い、社会を経験してゆくという話。韓国版「王子と乞食」ですかねー? チュ・ジフンが初の時代劇出演で1人2役を演じたそうです。
で、この原題が「나는 왕이로소이다」。<DAUM映画>で原題を見て、王様はこういう言い方をするのか、というのがこの言葉との最初の出会い。・・・って、韓国時代劇ファンの皆さんはよくご存知の言い方かも・・・。
これまで、私ヌルボが知っていた時代劇らしい言い方といえば「~하옵니다(ハオムニダ)」くらいなものでした。
그러하옵니다(クロハオムニダ) さようでございます。
망극하옵니다(ソンウォニ(聖恩が) マングク(罔極)ハオムニダ) 聖恩限り無うござります。(ありがたき幸せにございます。)
等々。
※→コチラのブログ記事に、韓国の時代劇=사극(史劇.サグク)の決まり文句が17例あげられています。また、「韓国語ジャーナル」41号にも<時代劇 あるあるフレーズ>が載っていたって!? ありゃりゃ・・・。
・・・ここで最初に戻って、要するに『吾輩は猫である』の訳語としては、「~로소이다」という王様のような表現が「나는 고양이다」などよりも合っているということのようですね。(王様は吾輩とは言わないと思いますけど。)
この小説がいつ頃誰によって訳されたかについても知ろうとしたのですが、よくわからず。ただ、これまで多くの訳書が出ているようです。しかし<YES24>のサイトで見てみると、タイトルはどれも「나는 고양이로소이다」になっています。
ついでに、漱石の他の作品のタイトルを見ると、あれれ、「大体は原題がわかり・・・」などと先に書いたのは甘かったぞ。
たとえば「도련님」とか「한눈팔기」とか・・・。韓国語学習者の皆さん、すぐにわかりますか? 前者は「坊つちゃん」、後者は「道草」ですよ。(範囲指定すれば正解が現れます。)
文学作品のニュアンスをうまく伝える翻訳は、本文はもとより、タイトルからしてむずかしいですね。この先何年勉強しても、ヌルボにはとても無理だなー(泣)。