このシリーズの①(→コチラ)では韓国の「親日」、②(→コチラ)では「パルゲンイ(アカ)」についての連座制の事例をあげました。
しかし、連座制や遡及法が今も社会に根を深く下しているという点では北朝鮮がはるか上を行っています。多くの北朝鮮本が伝えているので、すでに多くの人が知るところではありますが・・・。
連座制については、たとえばそれまで国の重要なポストに就いていた人物が失脚したり粛清の憂き目に遭ったりすると、家族たちも収容所送りになるという話は、いろんな本で読みました。近所の人たちの目にふれないように、早朝や深夜に連行されていくとか・・・。
明らかな国家反逆者・裏切り者の場合、家族も無条件で収容所送りでしょう。
1997年韓国に亡命した黄長燁(ファン・ジャンヨプ)元労働党秘書の場合は、→コチラの記事によると、妻と1男3女の家族は自宅軟禁状態におかれていたが98年息子のファン・キョンモ氏が亡命を試みて友人1人と平壌を出たものの2週間後に龍川で公安当局に逮捕され、結局母親とともに銃殺刑に処せられたそうです。韓国ウィキペディアでは、3人の娘も皆「死亡」となっています。
しかし<ナムウィキ>(→コチラ.韓国語)には「子供は1男2女で、息子は外交官、長女は外国文学を専攻した学者、次女は医学部を卒業した医師」とあり、彼の亡命後家族達の安否は自殺・処刑・生存の諸説あって確かではないが、妻は自殺し他の家族は政治犯収容所に送られたとみられるとのことです。また収容所に送られることとなった遠い親戚の軍人は「党に忠誠を尽くしていた私が、なぜ顔を一度見たことのない黄長秘書のために収容所に行かなければならないのか」と抵抗し自殺したということも記されています。
黄長燁亡命に伴ってこのような遠縁まで含めた家族・親族に対する処罰つまり「縁座」だけでなく、それ以外に係累として処罰された者は計3千人にも及んだとの推定もあるようです。
例の張成沢の粛清に関しては、直系の家族が処刑された他、処罰の対象者は万単位に上るという記事もありましたが、真偽のほどはよくわかりません。
1987年大韓航空機爆破事件を実行した北朝鮮の元工作員・金賢姫の家族の場合は、耀徳(ヨドク)政治犯収容所に送られたという説もありましたが、2012年1月その家族たちと親しかったという脱北者が「清津の古いマンションで25年間にわたり徹底監視網の中で、生活に苦しみながら暮らしている」と証言したことが報じられました。(→「中央日報」、→「DailyNK」。)
また、脱北したら家族が処罰されるという話もありますが、近年脱北者の手記を読むと、まず自分が脱北した後ブローカー等を通じて家族と連絡をとり、一家全員の脱北に成功したという事例が少なからずあるようです。2008年の<DaylyNK>の<“北‘家族ぐるみの脱北’を阻め”…連座制強化>と題した記事(→コチラ)には「国家が脱北と推定される失踪者たちの家族と親戚に対する監視と処罰を一層厳しくしている」とあるのですが、その後どれほど実際に強化されたのでしょうか?
今年4月初めに報じられた中国・寧波市の北朝鮮レストランの支配人と従業員13人の集団亡命事件の場合は、事態はまだ進行中です。北朝鮮当局は4月27日中国国内のレストランから韓国の諜報機関によって拉致されたと発表し、女性従業員の両親のビデオ映像を公開しました。関連記事(日本語)は→コチラ、その映像は→YouTubeで見ることができます。両親は涙ながらに娘を帰すように訴えています。
数年前からな本や講演等で北朝鮮を批判してきた収容所から生還したという脱北者・申東赫(シン・ドンヒョク)に対しても「ウソを暴く」ため北朝鮮当局は両親が登場する動画を公表(→YouTube)しましたが、こうした対応が増えてきているとみていいのでしょうか?
「連座制」と並ぶもう1つのテーマ「遡及法」について。
北朝鮮が、<出身成分>により国民を3階層・51区分に分け、居住地・職業・進学等々さまざまな場面にそれを反映させて国民を統制していることも90年代頃から一般に知られるようになってきました。
3階層とは次の3つです。※→ウィキペディア参照。
○核心階層・・・特権階級。労働党員・抗日戦士・パルチザン・栄誉軍人・労働者・貧農等の子孫。
○動揺階層・・・国に反抗する可能性があり、要注意とされる。中農・商人・手工業者等の子孫。(※帰国事業により日本から帰還した人々は、この階層の最下位に位置づけられている。)
○敵対階層・・・国に反抗する可能性が高く、監視の対象とされる。富豪・地主・資本家・宗教家・親日派・親米派・罪人等の子孫。>
[2018年7月22日の追記] 伊藤亜人「北朝鮮人民の生活」(弘文堂.2017)によれば、核心階層=全人口の約30%、動揺階層=約50%、敵対階層=約20%。
問題は、こうした区分が本人の能力や希望や人となり等とは関係なく、祖父や父が何をしていたかで人生の重要なことが決定づけられてしまうということ。封建社会の身分制度とどこが違うのか?といった感じです。世界の国々の中に同様の国がはたしてあるかどうかはわかりませんが、現存する「負の歴史遺産」として登載される資格はありそうです。
こうした先祖の行跡が子孫を規定するというのは、別の面で見れば「偉大な先祖」は子孫に福をもたらすということ。あるいはさらに「先祖の偉大さ」を周知させ称えることは現代の自分個人や一族にとっても大きなプラスとなるということです。
その典型はもちろん金日成です。
白峯(著)「金日成伝」(雄山閣.1969)は、彼の家系から書き起こされていますが、まず曽祖父の金膺禹(キム・ウンウ.1848~78)は万景台で地主の墓守として小屋に住み、「小作をしながら苦しい生計をたて」ていたが、「アメリカの海賊船シャーマン号が大同江へ侵入してきたとき(1866年)、・・・群衆の先頭にたって勇敢にたたかった」と記しています。(→ウィキペディアには、さらに細かなエピソードが書かれている。)
祖父の金輔鉉(キム・ボヒョン.1871~1955)は「息子や孫たちの独立運動と革命活動をたすけることに一生をささげた人たった」と記載。※→ウィキペディアには、「誠実な人であったため、(金日成の)欺瞞に耐えられず、後日平壌で行われた金日成将軍の凱旋祝賀会には欠席をしている」とか「孫の金成柱(金日成)が朝鮮民主主義人民共和国を建設し、親族が官僚に登用される中で、政府の要職に就くことを嫌い、万景台で従来通り、農夫として生活した」等々の興味深い記述がある。)
そして父の金亨稷(キム・ヒョンジク.1894~1926)について伝記は「祖国光復のために一生をささげた熱烈な愛国者であり、強力な地下組織をつくって献身的にたたかった前衛的な闘士であり、すぐれた革命家であった。そしてまた先生は、数多くの青少年を愛国思想で教育し、かれらを勇敢な闘士に育てあげた教育者でもあった」と称賛しています。(→ウィキペディア。)
また母親についても「康盤石(カン・バンソク)女史もまた、反日闘争に生涯をささげた意志の強い女性であった。女史は革命家の忠実な妻として、婦人たちのなかで反日啓蒙活動をねばり強くおしすすめただけでなく、三人の息子たち、なかでも長男の金日成将軍を革命家に育てあげ、祖国光復の偉業にむかわせたすぐれて母親であり、数多くの投資をわが子のように愛した朝鮮のまことの母であった」とこれまた大絶賛。そればかりか「熱烈な革命家」で西大門刑務所で獄死した叔父・金亨權(キム・ヒョングォン.1905~36)や、やはり「熱烈な反日闘士」で、20歳で世を去った金日成のすぐ下の弟・金哲柱(キム・チョルジュ)についても言及されています。
そして「このように、金日成将軍の一家は熱烈な反日愛国の家柄であり、一族が代をついで祖国の独立のために身をささげた世界でもまれな革命家の家筋であった」とまとめられています。
実は私ヌルボ、最近の韓国でも「偉大な先祖」を顕彰することが現在の自分たち一族の自尊心を高めるという事例にふれる機会がありました。もしかしたら、自尊心・アイデンティティといったレベルだけでなく、なんらかの「実利」につながる部分もあるかもしれません。
こうした社会の慣習や制度、過去の見方や先祖に対する考え方は韓国と北朝鮮に共通するもので、一方では日本との間の「歴史認識」をめぐる対立にも大きく作用しているのでは、と思います。
このシリーズはあと1回です。このテーマ設定のきっかけになった本を紹介します。
☆記事とは直接関係ありませんが、「失脚した人物の家族」ということで思い出したのがブルガリア映画の秀作「ぼくと彼女のために」(1988)です。
DVDも出ておらず、そんなに話題にもならなかった作品で、ネット情報もわずかにすぎません。自分のメモとして→コチラの記事にリンクを張っておきます。
→ <韓国の連座制&遡及法を考える④ 本間九介「朝鮮雑記」(1894)にみる連座制の事例から考えたこと>
しかし、連座制や遡及法が今も社会に根を深く下しているという点では北朝鮮がはるか上を行っています。多くの北朝鮮本が伝えているので、すでに多くの人が知るところではありますが・・・。
連座制については、たとえばそれまで国の重要なポストに就いていた人物が失脚したり粛清の憂き目に遭ったりすると、家族たちも収容所送りになるという話は、いろんな本で読みました。近所の人たちの目にふれないように、早朝や深夜に連行されていくとか・・・。
明らかな国家反逆者・裏切り者の場合、家族も無条件で収容所送りでしょう。
1997年韓国に亡命した黄長燁(ファン・ジャンヨプ)元労働党秘書の場合は、→コチラの記事によると、妻と1男3女の家族は自宅軟禁状態におかれていたが98年息子のファン・キョンモ氏が亡命を試みて友人1人と平壌を出たものの2週間後に龍川で公安当局に逮捕され、結局母親とともに銃殺刑に処せられたそうです。韓国ウィキペディアでは、3人の娘も皆「死亡」となっています。
しかし<ナムウィキ>(→コチラ.韓国語)には「子供は1男2女で、息子は外交官、長女は外国文学を専攻した学者、次女は医学部を卒業した医師」とあり、彼の亡命後家族達の安否は自殺・処刑・生存の諸説あって確かではないが、妻は自殺し他の家族は政治犯収容所に送られたとみられるとのことです。また収容所に送られることとなった遠い親戚の軍人は「党に忠誠を尽くしていた私が、なぜ顔を一度見たことのない黄長秘書のために収容所に行かなければならないのか」と抵抗し自殺したということも記されています。
黄長燁亡命に伴ってこのような遠縁まで含めた家族・親族に対する処罰つまり「縁座」だけでなく、それ以外に係累として処罰された者は計3千人にも及んだとの推定もあるようです。
例の張成沢の粛清に関しては、直系の家族が処刑された他、処罰の対象者は万単位に上るという記事もありましたが、真偽のほどはよくわかりません。
1987年大韓航空機爆破事件を実行した北朝鮮の元工作員・金賢姫の家族の場合は、耀徳(ヨドク)政治犯収容所に送られたという説もありましたが、2012年1月その家族たちと親しかったという脱北者が「清津の古いマンションで25年間にわたり徹底監視網の中で、生活に苦しみながら暮らしている」と証言したことが報じられました。(→「中央日報」、→「DailyNK」。)
また、脱北したら家族が処罰されるという話もありますが、近年脱北者の手記を読むと、まず自分が脱北した後ブローカー等を通じて家族と連絡をとり、一家全員の脱北に成功したという事例が少なからずあるようです。2008年の<DaylyNK>の<“北‘家族ぐるみの脱北’を阻め”…連座制強化>と題した記事(→コチラ)には「国家が脱北と推定される失踪者たちの家族と親戚に対する監視と処罰を一層厳しくしている」とあるのですが、その後どれほど実際に強化されたのでしょうか?
今年4月初めに報じられた中国・寧波市の北朝鮮レストランの支配人と従業員13人の集団亡命事件の場合は、事態はまだ進行中です。北朝鮮当局は4月27日中国国内のレストランから韓国の諜報機関によって拉致されたと発表し、女性従業員の両親のビデオ映像を公開しました。関連記事(日本語)は→コチラ、その映像は→YouTubeで見ることができます。両親は涙ながらに娘を帰すように訴えています。
数年前からな本や講演等で北朝鮮を批判してきた収容所から生還したという脱北者・申東赫(シン・ドンヒョク)に対しても「ウソを暴く」ため北朝鮮当局は両親が登場する動画を公表(→YouTube)しましたが、こうした対応が増えてきているとみていいのでしょうか?
「連座制」と並ぶもう1つのテーマ「遡及法」について。
北朝鮮が、<出身成分>により国民を3階層・51区分に分け、居住地・職業・進学等々さまざまな場面にそれを反映させて国民を統制していることも90年代頃から一般に知られるようになってきました。
3階層とは次の3つです。※→ウィキペディア参照。
○核心階層・・・特権階級。労働党員・抗日戦士・パルチザン・栄誉軍人・労働者・貧農等の子孫。
○動揺階層・・・国に反抗する可能性があり、要注意とされる。中農・商人・手工業者等の子孫。(※帰国事業により日本から帰還した人々は、この階層の最下位に位置づけられている。)
○敵対階層・・・国に反抗する可能性が高く、監視の対象とされる。富豪・地主・資本家・宗教家・親日派・親米派・罪人等の子孫。>
[2018年7月22日の追記] 伊藤亜人「北朝鮮人民の生活」(弘文堂.2017)によれば、核心階層=全人口の約30%、動揺階層=約50%、敵対階層=約20%。
問題は、こうした区分が本人の能力や希望や人となり等とは関係なく、祖父や父が何をしていたかで人生の重要なことが決定づけられてしまうということ。封建社会の身分制度とどこが違うのか?といった感じです。世界の国々の中に同様の国がはたしてあるかどうかはわかりませんが、現存する「負の歴史遺産」として登載される資格はありそうです。
こうした先祖の行跡が子孫を規定するというのは、別の面で見れば「偉大な先祖」は子孫に福をもたらすということ。あるいはさらに「先祖の偉大さ」を周知させ称えることは現代の自分個人や一族にとっても大きなプラスとなるということです。
その典型はもちろん金日成です。
白峯(著)「金日成伝」(雄山閣.1969)は、彼の家系から書き起こされていますが、まず曽祖父の金膺禹(キム・ウンウ.1848~78)は万景台で地主の墓守として小屋に住み、「小作をしながら苦しい生計をたて」ていたが、「アメリカの海賊船シャーマン号が大同江へ侵入してきたとき(1866年)、・・・群衆の先頭にたって勇敢にたたかった」と記しています。(→ウィキペディアには、さらに細かなエピソードが書かれている。)
祖父の金輔鉉(キム・ボヒョン.1871~1955)は「息子や孫たちの独立運動と革命活動をたすけることに一生をささげた人たった」と記載。※→ウィキペディアには、「誠実な人であったため、(金日成の)欺瞞に耐えられず、後日平壌で行われた金日成将軍の凱旋祝賀会には欠席をしている」とか「孫の金成柱(金日成)が朝鮮民主主義人民共和国を建設し、親族が官僚に登用される中で、政府の要職に就くことを嫌い、万景台で従来通り、農夫として生活した」等々の興味深い記述がある。)
そして父の金亨稷(キム・ヒョンジク.1894~1926)について伝記は「祖国光復のために一生をささげた熱烈な愛国者であり、強力な地下組織をつくって献身的にたたかった前衛的な闘士であり、すぐれた革命家であった。そしてまた先生は、数多くの青少年を愛国思想で教育し、かれらを勇敢な闘士に育てあげた教育者でもあった」と称賛しています。(→ウィキペディア。)
また母親についても「康盤石(カン・バンソク)女史もまた、反日闘争に生涯をささげた意志の強い女性であった。女史は革命家の忠実な妻として、婦人たちのなかで反日啓蒙活動をねばり強くおしすすめただけでなく、三人の息子たち、なかでも長男の金日成将軍を革命家に育てあげ、祖国光復の偉業にむかわせたすぐれて母親であり、数多くの投資をわが子のように愛した朝鮮のまことの母であった」とこれまた大絶賛。そればかりか「熱烈な革命家」で西大門刑務所で獄死した叔父・金亨權(キム・ヒョングォン.1905~36)や、やはり「熱烈な反日闘士」で、20歳で世を去った金日成のすぐ下の弟・金哲柱(キム・チョルジュ)についても言及されています。
そして「このように、金日成将軍の一家は熱烈な反日愛国の家柄であり、一族が代をついで祖国の独立のために身をささげた世界でもまれな革命家の家筋であった」とまとめられています。
実は私ヌルボ、最近の韓国でも「偉大な先祖」を顕彰することが現在の自分たち一族の自尊心を高めるという事例にふれる機会がありました。もしかしたら、自尊心・アイデンティティといったレベルだけでなく、なんらかの「実利」につながる部分もあるかもしれません。
こうした社会の慣習や制度、過去の見方や先祖に対する考え方は韓国と北朝鮮に共通するもので、一方では日本との間の「歴史認識」をめぐる対立にも大きく作用しているのでは、と思います。
このシリーズはあと1回です。このテーマ設定のきっかけになった本を紹介します。
☆記事とは直接関係ありませんが、「失脚した人物の家族」ということで思い出したのがブルガリア映画の秀作「ぼくと彼女のために」(1988)です。
DVDも出ておらず、そんなに話題にもならなかった作品で、ネット情報もわずかにすぎません。自分のメモとして→コチラの記事にリンクを張っておきます。
→ <韓国の連座制&遡及法を考える④ 本間九介「朝鮮雑記」(1894)にみる連座制の事例から考えたこと>