12月18日の記事で「大東輿地図」について書きました。
今回は一応その続きです。
テーマは朝鮮半島の山脈についてです。
金正浩の「大東輿地図」に表されている山並みの中で、朝鮮半島最北端の白頭山から半島南部の智異山までひときわ太い線で描かれているのが白頭大幹(백두대간)です。
下の画像[A]は、イ・チャウォン著「大東輿地図」に載っている白頭大幹の図です。
一方、[B]は韓国の学校で戦前の日本の統治期以来現在まで長く教えられてきた山脈図です。
[A]図の太い赤線が白頭大幹です。
その線上にある▲印のついた山を北からたどると次の通りです。
▲백두산(ペクトゥサン)=白頭山(2750m)
▲금강산(クムガンサン)=金剛山(1638m)
▲설악산(ソラクサン)=雪岳山(1708m)
▲오대산(オデサン)=五台山(1563m)
▲태백산(テベクサン)=太白山(1567m)
▲소백산(ソベクサン)=小白山(1439m)
▲속리산(ソンニサン)=俗離山(1058m)
▲덕유산(トギュサン)=徳裕山(1614m)
▲지리산(チリサン)=智異山(1915m)
このように有名な山々がこの線上に位置しています。
白頭山から南下した白頭大幹は、そのまま現在の韓国領内に入り、太白山で大きく西に折れて、半島南端に至ります。つまり半島内のすべての山がこの白頭大幹から枝分かれしていることになります。
イ・チャウォンさんの本によると、白頭大幹は韓民族が自然とともに生活する中で得た1000年以上用いてきた概念です。最も古い(15世紀)地図の「混一疆理歴代国都之図(혼일강리역대국도)」をはじめ、昔の地図には例外なく表示されています。
この白頭大幹は、韓国の地を東西に分け、数多くの谷や野を生み、民族の生活の場をつくってきました。広い意味では、白頭大幹は山並みを含むこの地の山並み全体が作り出した秩序を意味しています。
ところが、韓国の学校教育の中では、日本の統治期から長く上の[B]の山脈図が用いられてきました。
その山脈の中で、太白山脈(태백산맥.テベクサンメク)は趙廷来の長編小説のタイトルでもあり、映画化もされているので聞いたことがある人も相当数いることでしよう。
この山脈図は、イ・チャウォンさんの本にも記されている通り、日本の地学・地質学・地理学の草分けともいうべき学者の小藤(ことう)文次郎が1903年発表した山脈体系に基づいたものです。
この本の説明では、「当時としては最新の学問の地質学によって、地質構造を基に作成されたもの」で、「当然実際の地形とはあっていない一種の地理教育的模型」とされています。そのうえ「踏査期間も短く、学問的妥当性もないことが今の研究により明らかにされた」とも。
また、さらに問題なのは、「小藤の山脈体系が以後韓国の地理教科書に載せられ、日帝強占期のうちにわが民族の伝統的な地理観にとってかわってきたという点」だと述べられています。
この「民族の伝統的な地理観」というのがまさに「白頭大幹」という考え方なのです。朝鮮半島に昔から暮らしている民族の生活や精神の母胎ともいうべき山や川に対する見方がそこに表されている、というわけです。
[B]の山脈図では、白頭大幹が狼林山脈と太白山脈の間の楸哥嶺構造谷[地溝帯](추가령구조곡)で分断されています。
この点をはじめとして、本書では山脈図を次のように厳しく批判しています。
日帝はひとつの山並みとして連結された大幹と正脈(大幹から枝分かれしている山並み)の概念を無くして山脈の概念を導入し私たちの地をさまざまな地域に分けました。近代学問の名を借りてはいるものの、明確に意図的な歪曲でした。小藤の山脈図には最初から白頭山がありません。日帝は政治・経済・社会・文化すべての分野を植民統治に便利な体制に変え、私たちの地形まで変えたのです。
いくら学者だといっても、侵略国から来た一個人の短期間の研究がこの土地で暮らしてきた民族の千年以上になる地理観に替えることは理に適っていません。侵略の一環としてこの程度の歪曲はあるはずだと見積もっても、さらに大きな問題は、この山脈体系がいかによく見ても教育的にも学問的にもそんなに役にたたないということです。
・・・どうでしょうか?
私ヌルボが前回の記事の末尾で書いた疑問の1つはこの箇所です。
最近、日韓間で「歴史歪曲問題」が大きな課題になっています。それにも関連するのですが、日本人にとって「歪曲」という言葉は意図的に事実を変えることをいうのではないでしょうか? 韓国人の場合は、もしかして意図的であるかどうかと関係なく、事実が歪められたら「歪曲」なのでは、・・・と、このくだりを読んでいて考えました。
20世紀初頭に、ドイツ仕込みの近代的地質学に基づいて朝鮮半島を調査した小藤文次郎が、朝鮮の文化や伝統を否定しようという意図を持って山脈図を作成したとはとても思えません。
また、イ・チャウォンさん等が朝鮮の伝統的な自然観・地理観を尊重したい気持ちはわかるとしても、そのような民族主義の色濃い見方が現代の科学と相容れない部分はあるにちがいありません。その点をどう考えるのでしょうか?
どうも、ヌルボの考えでは歴史だけでなく、地理学の分野でも民族主義の色眼鏡で「歪曲」された像を見ているのは韓国の人たちのように思います。
(日本人がよくやるのは「歪曲」よりも「隠蔽」でしょう(!?))
※立岩巌「朝鮮-日本列島地帯地質構造論考」(東京大学出版会.1976)によると、小藤文次郎は1900~02年に計14ヵ月をかけて朝鮮半島を踏査し地質調査を行った、ということです。
太白・小白・車嶺等、今も韓国で使われている山脈名もその時初めてつけられました。(これは韓国人としてはたしかに腹立たしいことでしょう。)
※楸哥嶺構造谷[地溝帯]は白頭大幹を横切って(??)東西にのびている低地帯で、1914年全線開業したソウル~元山(ウォンサン)間を結ぶ京元(キョンウォン)線もこの低地帯に沿ってトンネル1つなく建設されました。
ところで、この白頭大幹という概念ですが、学校教育で約1世紀もの間教えられてこなかったこともあって、韓国の人々から忘れ去られていたものでした。
それが「再発見」されたきっかけを作ったのが前の記事でも出てきたイ・ウヒョンさん。金正浩は半島全土を踏査しなかった等々の新説を唱えた山岳人&古地図研究家です。
そのイ・ウヒョンさんが1980年代に仁寺洞の古書店で1冊の古本を見つけたことから白頭大幹が再び注目されるようになり、近年はブームにもなっているようです。
それについて書くとさらに長くなりそうなので、また今度、ということにします。
→ <[韓国]民族主義の色濃い伝統的な地理観? <白頭大幹>をめぐって②>
今回は一応その続きです。
テーマは朝鮮半島の山脈についてです。
金正浩の「大東輿地図」に表されている山並みの中で、朝鮮半島最北端の白頭山から半島南部の智異山までひときわ太い線で描かれているのが白頭大幹(백두대간)です。
下の画像[A]は、イ・チャウォン著「大東輿地図」に載っている白頭大幹の図です。
一方、[B]は韓国の学校で戦前の日本の統治期以来現在まで長く教えられてきた山脈図です。
[A]白頭大幹 | [B]教科書に載っている山脈図 |
[A]図の太い赤線が白頭大幹です。
その線上にある▲印のついた山を北からたどると次の通りです。
▲백두산(ペクトゥサン)=白頭山(2750m)
▲금강산(クムガンサン)=金剛山(1638m)
▲설악산(ソラクサン)=雪岳山(1708m)
▲오대산(オデサン)=五台山(1563m)
▲태백산(テベクサン)=太白山(1567m)
▲소백산(ソベクサン)=小白山(1439m)
▲속리산(ソンニサン)=俗離山(1058m)
▲덕유산(トギュサン)=徳裕山(1614m)
▲지리산(チリサン)=智異山(1915m)
このように有名な山々がこの線上に位置しています。
白頭山から南下した白頭大幹は、そのまま現在の韓国領内に入り、太白山で大きく西に折れて、半島南端に至ります。つまり半島内のすべての山がこの白頭大幹から枝分かれしていることになります。
イ・チャウォンさんの本によると、白頭大幹は韓民族が自然とともに生活する中で得た1000年以上用いてきた概念です。最も古い(15世紀)地図の「混一疆理歴代国都之図(혼일강리역대국도)」をはじめ、昔の地図には例外なく表示されています。
この白頭大幹は、韓国の地を東西に分け、数多くの谷や野を生み、民族の生活の場をつくってきました。広い意味では、白頭大幹は山並みを含むこの地の山並み全体が作り出した秩序を意味しています。
ところが、韓国の学校教育の中では、日本の統治期から長く上の[B]の山脈図が用いられてきました。
その山脈の中で、太白山脈(태백산맥.テベクサンメク)は趙廷来の長編小説のタイトルでもあり、映画化もされているので聞いたことがある人も相当数いることでしよう。
この山脈図は、イ・チャウォンさんの本にも記されている通り、日本の地学・地質学・地理学の草分けともいうべき学者の小藤(ことう)文次郎が1903年発表した山脈体系に基づいたものです。
この本の説明では、「当時としては最新の学問の地質学によって、地質構造を基に作成されたもの」で、「当然実際の地形とはあっていない一種の地理教育的模型」とされています。そのうえ「踏査期間も短く、学問的妥当性もないことが今の研究により明らかにされた」とも。
また、さらに問題なのは、「小藤の山脈体系が以後韓国の地理教科書に載せられ、日帝強占期のうちにわが民族の伝統的な地理観にとってかわってきたという点」だと述べられています。
この「民族の伝統的な地理観」というのがまさに「白頭大幹」という考え方なのです。朝鮮半島に昔から暮らしている民族の生活や精神の母胎ともいうべき山や川に対する見方がそこに表されている、というわけです。
[B]の山脈図では、白頭大幹が狼林山脈と太白山脈の間の楸哥嶺構造谷[地溝帯](추가령구조곡)で分断されています。
この点をはじめとして、本書では山脈図を次のように厳しく批判しています。
日帝はひとつの山並みとして連結された大幹と正脈(大幹から枝分かれしている山並み)の概念を無くして山脈の概念を導入し私たちの地をさまざまな地域に分けました。近代学問の名を借りてはいるものの、明確に意図的な歪曲でした。小藤の山脈図には最初から白頭山がありません。日帝は政治・経済・社会・文化すべての分野を植民統治に便利な体制に変え、私たちの地形まで変えたのです。
いくら学者だといっても、侵略国から来た一個人の短期間の研究がこの土地で暮らしてきた民族の千年以上になる地理観に替えることは理に適っていません。侵略の一環としてこの程度の歪曲はあるはずだと見積もっても、さらに大きな問題は、この山脈体系がいかによく見ても教育的にも学問的にもそんなに役にたたないということです。
・・・どうでしょうか?
私ヌルボが前回の記事の末尾で書いた疑問の1つはこの箇所です。
最近、日韓間で「歴史歪曲問題」が大きな課題になっています。それにも関連するのですが、日本人にとって「歪曲」という言葉は意図的に事実を変えることをいうのではないでしょうか? 韓国人の場合は、もしかして意図的であるかどうかと関係なく、事実が歪められたら「歪曲」なのでは、・・・と、このくだりを読んでいて考えました。
20世紀初頭に、ドイツ仕込みの近代的地質学に基づいて朝鮮半島を調査した小藤文次郎が、朝鮮の文化や伝統を否定しようという意図を持って山脈図を作成したとはとても思えません。
また、イ・チャウォンさん等が朝鮮の伝統的な自然観・地理観を尊重したい気持ちはわかるとしても、そのような民族主義の色濃い見方が現代の科学と相容れない部分はあるにちがいありません。その点をどう考えるのでしょうか?
どうも、ヌルボの考えでは歴史だけでなく、地理学の分野でも民族主義の色眼鏡で「歪曲」された像を見ているのは韓国の人たちのように思います。
(日本人がよくやるのは「歪曲」よりも「隠蔽」でしょう(!?))
※立岩巌「朝鮮-日本列島地帯地質構造論考」(東京大学出版会.1976)によると、小藤文次郎は1900~02年に計14ヵ月をかけて朝鮮半島を踏査し地質調査を行った、ということです。
太白・小白・車嶺等、今も韓国で使われている山脈名もその時初めてつけられました。(これは韓国人としてはたしかに腹立たしいことでしょう。)
※楸哥嶺構造谷[地溝帯]は白頭大幹を横切って(??)東西にのびている低地帯で、1914年全線開業したソウル~元山(ウォンサン)間を結ぶ京元(キョンウォン)線もこの低地帯に沿ってトンネル1つなく建設されました。
ところで、この白頭大幹という概念ですが、学校教育で約1世紀もの間教えられてこなかったこともあって、韓国の人々から忘れ去られていたものでした。
それが「再発見」されたきっかけを作ったのが前の記事でも出てきたイ・ウヒョンさん。金正浩は半島全土を踏査しなかった等々の新説を唱えた山岳人&古地図研究家です。
そのイ・ウヒョンさんが1980年代に仁寺洞の古書店で1冊の古本を見つけたことから白頭大幹が再び注目されるようになり、近年はブームにもなっているようです。
それについて書くとさらに長くなりそうなので、また今度、ということにします。
→ <[韓国]民族主義の色濃い伝統的な地理観? <白頭大幹>をめぐって②>
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