<最近読んだ韓国本いろいろ ①>の後、続きは<評価がむずかしい小説3つ>にしようかとか、<感動した小説>にしようかとかいろいろ考えているうちに50日くらいも経ってしまいました。この際、順不同で、テキトーに載せていくことにします。評点は★5つが最高です。
鄭棟柱(チョン・ドンジュ「神の杖」(解放出版社.1997) ★★★★★
小説部門では今年唯一の感動本でした。翻訳本の刊行直後に1度読んだのですが、最近衡平(ヒョンピョン)運動について調べている時に思い出して再読しました。18年も経っているので、細部だけでなく基本的な構成もあらかた忘れていました。しかしそのおかげで(笑)最初に読んだ時同様作者の熱い情念に心を動かされました。
衡平運動とは、朝鮮の伝統的被差別民である白丁(ペクチョン)に対する差別撤廃運動です。ウィキペディアの<白丁>の項目(→コチラ)の説明文中に、「屠畜、食肉商、皮革業、骨細工、柳細工(編笠、行李など)以外の職業に就くことの禁止」「常民との通婚の禁止」等々の差別の事例があげられています。高宗時代、甲午改革の後1894年身分制度が廃止されて白丁の身分も消えましたが、その後も長く差別が続いたのは日本の明治維新期の解放令(1871年)と共通しています。職業を見ても、日本の被差別民と重なる部分が多いことがわかります。
※本書のタイトル「神の杖」とは、牛をさばく時に用いる牛刀のこと。
※「文字を知ること、学校へ行くこと」も禁止されていました。朴景利「土地」には、出身地晋州を離れて釜山の学校に通っていた白丁の子弟が出自を暴かれて退学を余儀なくされた話が書かれています。(←1930年頃のこと。)
日本では1922年に運動組織として全国が設立されました。そして朝鮮では翌1923年慶尚南道・晋州(チンジュ)で衡平社が結成されました。(※両組織間のコミュニケーションはありましたが、「全国の直接の影響(働きかけ)」を裏付けるような資料はないようです。)
しかし戦後は、日本では結成の解放同盟(1955年~)のような水平運動の流れを汲む組織ができましたが、韓国では衡平運動を受け継ぐ組織はありません。
とくに朝鮮戦争によって多くの人たちが故郷を離れて移住したり、町や集落も大きく変わって<白丁村>もなくなったり、人々の出自もわからなくなったため、今韓国の人たちに現在の白丁差別について質問するとほとんどの人は「差別はありません」と答えるそうです。「日本にはまだ差別があるそうじゃないですか。遅れていますね」と言う人もいるとか。
ところが、そんな答えを強く否定するのがこの小説の作家鄭棟柱氏です。
本書巻末に彼自身による調査結果が付されています。それによると、「差別はありません」と明言した人が「もしあなたのフィアンセが白丁の血を引いているとわかったら?」という質問には「結婚しません」と迷うことなく答える事例は決してめずらしいものでもないようです。
ようやく肝心のこの小説の紹介です。あまりネタバレになってもよくないので(ということを言い訳にして)、公式の(?)宣伝文をほぼそのまま貼っておきます。
一篇の小説が投げかけた波紋・・・すべては、そこから始まった。現代を生きる白丁の後裔の大学教授、朴異珠(パク・イジュ)。自身が世に問うた小説をめぐる裁判沙汰をきっかけに、彼女は自らの出生の秘密と向き合う。苦渋に満ちた彼女自身の人生の模索を縦糸に、彼女の小説に描かれた人物たちの生を横糸に、形こそ違え抵抗し、闘い、生き抜こうとしてきた白丁たちとその子孫たちの歴史と現在を描く。知られざる朝鮮被差別民の叫び。
ふつう程度のボリュームの1冊本ですが、主人公朴異珠の4代前から彼女の娘までの6代にわたる白丁の家系に生まれた人たちのさまざまなエピソードが書き込まれています。そして朴異珠自身の幼い頃のエピソードも・・・。まさに「恨(ハン)」の系譜といったところです。
数ヵ月前、上原善広「韓国の路地を旅する」(ミリオン出版)を読んでいたら、鄭棟柱氏との対談の記録が数ページにわたって書かれていました。
その中に、1949年生まれの彼自身の子ども時代の思い出が紹介されていました。
《子どもの頃、白丁に一人で行って何か物を盗ってくると「一日大将」になれるというので、勇気を出してへ行くと一人の白丁の少女に見つかる。少女は一般地区の子どもが何をしに来たかを察し、家にあった何か小さな物をその子に握らせて帰させる。待っている友達の元へ転がるようにして走って帰ったその子が、握った手の中にある少女からもらったものを見てみると、それは小さな肉の塊だった。食糧難の折り、子どもたちはそれを分け合って食べた》
この部分を読んだ時、私ヌルボが「そうだったのか!」と思い出したのがこの「神の杖」の最初のあたりのエピソードです。ほとんど同じ内容です。小説では「一日」が「一週間」とされ、少女の妹も登場していますが・・・。
上述のように「あらかた忘れていた」中で、18年間も脳裏に残っていた印象的な場面です。(この女の子はどんな気持ちで「肉の塊」を渡したのだろうか?と考えると「ヌルボの目にも涙」です。)
小説では、この時の女の子(後の朴異珠!)と少年たちが成長してソウルで学生生活を送っていた頃(1970年頃?)、さらに現在(1990年代?)へと続きます。社会的なテーマについての問いかけと、自身の生き方に対する深い省察をひとつのものとして書き上げている点に共感を覚えました。
(それにしても、よくこれだけのページ数で収まったものです。)
近年の韓国の小説は、このような社会的な問題を取り上げた作品は少なくなっているようです。日本の後を追って小説の世界が狭くなり、<昭和の人間>(笑)の私ヌルボとしては手応えが感じられないという思いが募る中、この小説を再読したのは「正解」でした。
3冊ばかり一挙に紹介するつもりが、これだけで長くなったので、以下は続きで・・・。冒頭で「順不同で・・・」と書きましたが、結局「感動した本」について書いたことになりました。
★実はもう1冊の感動本=★5つ候補があります。安素玲「詩人/東柱」です。尹東柱の伝記ですが、韓国語本なのでヌルボの語学力では数日でイッキ読みというわけにはいかず今やっと6割ほど読み進んだところです。今年中にはなんとか読み終えるか?といったところ。
小説部門では今年唯一の感動本でした。翻訳本の刊行直後に1度読んだのですが、最近衡平(ヒョンピョン)運動について調べている時に思い出して再読しました。18年も経っているので、細部だけでなく基本的な構成もあらかた忘れていました。しかしそのおかげで(笑)最初に読んだ時同様作者の熱い情念に心を動かされました。
衡平運動とは、朝鮮の伝統的被差別民である白丁(ペクチョン)に対する差別撤廃運動です。ウィキペディアの<白丁>の項目(→コチラ)の説明文中に、「屠畜、食肉商、皮革業、骨細工、柳細工(編笠、行李など)以外の職業に就くことの禁止」「常民との通婚の禁止」等々の差別の事例があげられています。高宗時代、甲午改革の後1894年身分制度が廃止されて白丁の身分も消えましたが、その後も長く差別が続いたのは日本の明治維新期の解放令(1871年)と共通しています。職業を見ても、日本の被差別民と重なる部分が多いことがわかります。
※本書のタイトル「神の杖」とは、牛をさばく時に用いる牛刀のこと。
※「文字を知ること、学校へ行くこと」も禁止されていました。朴景利「土地」には、出身地晋州を離れて釜山の学校に通っていた白丁の子弟が出自を暴かれて退学を余儀なくされた話が書かれています。(←1930年頃のこと。)
日本では1922年に運動組織として全国が設立されました。そして朝鮮では翌1923年慶尚南道・晋州(チンジュ)で衡平社が結成されました。(※両組織間のコミュニケーションはありましたが、「全国の直接の影響(働きかけ)」を裏付けるような資料はないようです。)
しかし戦後は、日本では結成の解放同盟(1955年~)のような水平運動の流れを汲む組織ができましたが、韓国では衡平運動を受け継ぐ組織はありません。
とくに朝鮮戦争によって多くの人たちが故郷を離れて移住したり、町や集落も大きく変わって<白丁村>もなくなったり、人々の出自もわからなくなったため、今韓国の人たちに現在の白丁差別について質問するとほとんどの人は「差別はありません」と答えるそうです。「日本にはまだ差別があるそうじゃないですか。遅れていますね」と言う人もいるとか。
ところが、そんな答えを強く否定するのがこの小説の作家鄭棟柱氏です。
本書巻末に彼自身による調査結果が付されています。それによると、「差別はありません」と明言した人が「もしあなたのフィアンセが白丁の血を引いているとわかったら?」という質問には「結婚しません」と迷うことなく答える事例は決してめずらしいものでもないようです。
ようやく肝心のこの小説の紹介です。あまりネタバレになってもよくないので(ということを言い訳にして)、公式の(?)宣伝文をほぼそのまま貼っておきます。
一篇の小説が投げかけた波紋・・・すべては、そこから始まった。現代を生きる白丁の後裔の大学教授、朴異珠(パク・イジュ)。自身が世に問うた小説をめぐる裁判沙汰をきっかけに、彼女は自らの出生の秘密と向き合う。苦渋に満ちた彼女自身の人生の模索を縦糸に、彼女の小説に描かれた人物たちの生を横糸に、形こそ違え抵抗し、闘い、生き抜こうとしてきた白丁たちとその子孫たちの歴史と現在を描く。知られざる朝鮮被差別民の叫び。
ふつう程度のボリュームの1冊本ですが、主人公朴異珠の4代前から彼女の娘までの6代にわたる白丁の家系に生まれた人たちのさまざまなエピソードが書き込まれています。そして朴異珠自身の幼い頃のエピソードも・・・。まさに「恨(ハン)」の系譜といったところです。
数ヵ月前、上原善広「韓国の路地を旅する」(ミリオン出版)を読んでいたら、鄭棟柱氏との対談の記録が数ページにわたって書かれていました。
その中に、1949年生まれの彼自身の子ども時代の思い出が紹介されていました。
《子どもの頃、白丁に一人で行って何か物を盗ってくると「一日大将」になれるというので、勇気を出してへ行くと一人の白丁の少女に見つかる。少女は一般地区の子どもが何をしに来たかを察し、家にあった何か小さな物をその子に握らせて帰させる。待っている友達の元へ転がるようにして走って帰ったその子が、握った手の中にある少女からもらったものを見てみると、それは小さな肉の塊だった。食糧難の折り、子どもたちはそれを分け合って食べた》
この部分を読んだ時、私ヌルボが「そうだったのか!」と思い出したのがこの「神の杖」の最初のあたりのエピソードです。ほとんど同じ内容です。小説では「一日」が「一週間」とされ、少女の妹も登場していますが・・・。
上述のように「あらかた忘れていた」中で、18年間も脳裏に残っていた印象的な場面です。(この女の子はどんな気持ちで「肉の塊」を渡したのだろうか?と考えると「ヌルボの目にも涙」です。)
小説では、この時の女の子(後の朴異珠!)と少年たちが成長してソウルで学生生活を送っていた頃(1970年頃?)、さらに現在(1990年代?)へと続きます。社会的なテーマについての問いかけと、自身の生き方に対する深い省察をひとつのものとして書き上げている点に共感を覚えました。
(それにしても、よくこれだけのページ数で収まったものです。)
近年の韓国の小説は、このような社会的な問題を取り上げた作品は少なくなっているようです。日本の後を追って小説の世界が狭くなり、<昭和の人間>(笑)の私ヌルボとしては手応えが感じられないという思いが募る中、この小説を再読したのは「正解」でした。
3冊ばかり一挙に紹介するつもりが、これだけで長くなったので、以下は続きで・・・。冒頭で「順不同で・・・」と書きましたが、結局「感動した本」について書いたことになりました。
★実はもう1冊の感動本=★5つ候補があります。安素玲「詩人/東柱」です。尹東柱の伝記ですが、韓国語本なのでヌルボの語学力では数日でイッキ読みというわけにはいかず今やっと6割ほど読み進んだところです。今年中にはなんとか読み終えるか?といったところ。
このような1世代以上前の(?)ドロドロした小説は今どう読まれるか?・・・ということを少し気にかけつつも、結局は感じたままに書いた記事です。
この記事のタイトルが<最近読んだ韓国本いろいろ>なのですがまだ③までしか進んでいません。実は⑥くらいまで続くくらいのネタはあるものの、あれこれ考えているうちに日が過ぎて行って・・・。コッソリと<2015年読んだ本~>に変えるつもりです。(笑)
まだ取り上げていない本の中に『アンダー・サンダー・テンダー』もあるのですが、愚銀さんやたまさんのブログ記事を読んでさらに考え込んでしまいました。(ホントに皆さん読みが深いです。) まあなんとか近いうちに書きたいと思いますが・・・。朴景利『土地』も最初は簡単に書いて済ませるつもりでしたが、そうもいかないかな等々迷っています。
宋恵媛『「在日朝鮮人文学史」のために』は愚銀さんのブログで知り、今読んでいるところです。たしかに私のような日本人にとっては気づきにくいような視点から書かれていて、とても刺激的で読み応えのある本ですね。
ありがとうございます。
この記事を書く時にいろいろ見た中で、次の記事に「世界屠畜紀行」で「神の柱」について書かれた部分が紹介されていました。 →http://homepage3.nifty.com/fujikawa/007BF.html
上原善広氏は、韓国でいろんな人にかなりシツコクくいさがって質問したりしています。
この中で内澤旬子先生が「神の杖」を引用していて「白丁差別は「今はもうない」と断じる朝鮮人の心根には、朝鮮人自身の選民意識やレイシズムがある。」と書いていたと思います。
確か著者の 鄭 棟柱さんの言葉として引用していたような気もしますが、今回の記事を読んでそのことを思い出しました。