岸壁の女
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デンマンさん。。。、どうして。。。、どうして、あたしがマンハッタンビーチに立たなければならないのですか?ここって、マリアさんがウンチをしたところでしょう?
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ん。。。?マンハッタンビーチでウンチ。。。?
そうですわ。そこの岩陰でマリアさんがウンチをした、とデンマンさんは次の記事の中で書いていましたわ。
■ 『かみに祈りを込めて (2008年1月25日)』
レンゲさんは上の記事を読んだのですか?
ええ。。。読ませていただきましたわ。
“岸壁の女”の背景になるイイ写真が見つからなかったのですよ。それで、探していたらマンハッタンビーチが目に付いて、これならばタイトルにふさわしいと思ってレンゲさんの背景に使ったわけですよ。。。で、何か不満でも。。。?
つまり。。。あたしが岸壁の女なのですか?
そうですよ。
なぜですの?
ジューンさんが次のように書いていたのですよ。
不自由な時代の“知恵”
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レンゲさんの言うことは尤もですわよね。
確かに狸おじさんの言ったことは400年前の事ですわ。
現代社会とは全く違った不自由な時代の“知恵”ですわ。
あなただって、そう思うでしょう?
でも、科学と人生哲学は同列に並べる事が
できないようにも思えます。
アインシュタインの相対性理論は
ベッドの中で愛し合う愛人同士には
当てはまらないように思うのですわよ。
うふふふふ。。。
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ベッドの中で愛し合っている時に
あなたは思いませんか?
この人の求めているモノと
わたしの求めているモノが違うのではないかしら。。。?
ふと。。。そんな気になったことってありませんか?
男の求めているモノと
女の求めているモノ。。。
この事についてアインシュタインの相対性理論は
無関心ですわ。
レンゲさんはベッドで愛し合う事を
大切なコミュニケーションと言ってますよね。
わたしは、そのコミュニケーションの意味が
分かっているつもりです。
でも、男性で、そのように考えている人が居るでしょうか?
つまり、詩や短歌が分からない人には
詩的に愛し合う事って
できないのではないかしら?
『憂いて迷う (2008年1月24日)』より
僕は、全くその通りだと思ったのですよ。レンゲさんが言った事も尤もならば、ジューンさんが書いている事にも僕は納得がゆきますよ。
でも、あたしが“岸壁の女”だという説明になっていませんわ。
おととい僕が書いた記事の最後のところを読んでみてくださいよ。
なぜ岸壁の女なの?
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ジューンさんが言っていた『足るを知る --- 不自由な時代の“知恵”』に従えば、確かに、このような不幸な心中をしなくても済む。でも、レンゲさんのように自由に二人の男を愛そうとすれば、江戸時代のような不自由な時代には、心中でもしなければ夢がかなわない。そこまで追い詰められてしまった。それが現実に江戸時代に起こった上の事件だった。
それと、あたしの愛情生活がどのように関わっているのですか?
レンゲさんは次のように言ったのですよ。
“この世のすべては、
あまりにも無常なので…”
その通りですよ。変わらぬものなど無いのですよ。常に変わってゆく。でも、現在は、江戸時代のような不自由な時代ではない。つまり、治兵衛は小春を身請けして囲い者にすることができる。でも、それができない厳しい家族の結束、同族の結束が江戸時代にはあった。家族や同族の者が寄ってたかって“止めろ!”と言いに来る。そのために、治兵衛と小春は心中しなければならなかった。現在ならば、そのように考えて心中する人は、おそらく居ないだろうけれど、江戸時代には、そのように考えて心中する人が数千組居た。
それで、デンマンさんは何がおっしゃりたいのですか?
現在は、江戸時代と違って、身分制度も無ければ、行動を制限するような家族の強い結束も、同族の強い結束も無い。実際、レンゲさんは清水君と同棲している。清水君がニューヨークに出張していた時には坂田さんと会って自由に愛し合った。でも、現在のレンゲさんの愛情生活は平穏そのものですよ。心中する必要は全く無い。ただ、レンゲさんが独りになって自分を見つめる時に、心の奥深いところで虚しいモノを感じてしまう。小春がレンゲさんの悩みを聞いたら、次のように言いますよ。“そんなの悩みじゃないわよ。あなたは二人の男を愛していても誰からも文句を言われない。あたしの身になって考えて御覧なさいよ!あなたは、自由で、幸せそのものじゃないの!” そういう答えが返ってくると思いますよ。
。。。それで?
だから、何が問題なのか? レンゲさんは、どう思いますか?
分からないから、デンマンさんにお聞きしているのですわ。教えてくださいな。
レンゲさんが自分で次のように答えていましたよ。
“わたしには、誰かの人生に
責任を持つほどの
力がないと思うのです。”
だから。。。?
つまり、清水君と家庭を持つ、という自信が持てれば、レンゲさんの心の虚しさはなくなりますよ。
そうでしょうか?
その自信を持つ自由が、今のレンゲさんにはあるのですよ!。。。江戸時代ではないのだから。。。レンゲさんは不自由な小春ではないのですよう。
『哀愁のメロディー (2008年1月26日)』より
“わたしには、誰かの人生に責任を持つほどの力がないと思うのです”というレンゲさんの言葉を読んだ時に、しばらく忘れていたレンゲさんの“もう、死んでしまいたい”という言葉が僕のオツムによみがえってきたのですよ。
それで、あたしが身投げをしようとして岸壁に行くと。。。デンマンさんは、そのような妄想を抱いたのですか?
妄想じゃありませんよ。実際、レンゲさんは次のような事をマジで書いていたのですよ。
![](http://members.aol.com/barclay1720/myhomepage/images/sadgirl.gif)
不安と焦燥感と寂しさ
2004/10/03 18:28
もう、このままで生きてるんなら、
命いりません。
ドナーカード持ってるから、
心臓でも角膜でも、
なんでも持っていって下さい。
家族はいません。
承諾とらなきゃいけない人は
誰もいません。
by レンゲ
![](http://members.aol.com/barclay1720/myhomepage/images/dokuro3.gif)
『ん?体の関係と無責任大国日本』より
(2006年11月22日)
レンゲさんばかりではなく誰にでも気持ちの浮き沈みが有るから、気分が滅入っている時には、つい死にたい、なんて口走る事が有るかもしれませんよね。でもねぇ、レンゲさんが書いたような上の手記を書くと、かなり深刻ですよね。
確かに上の手記を書いた頃のあたしはメチャ落ち込んでいたのですわ。
それで、現在は落ち込んでいないのですか?
落ち込んでいませんわ。
でもねぇ、レンゲさんの心には、相変わらず潜在的に“落ち込んでいる気分”が横たわっているのですよ。
なぜ、そのような事をおっしゃるのですか?
レンゲさんは僕の質問に次のように答えていましたよ。
レンゲさんへの質問
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2007-04-22 17:10
質問126:
レンゲさんは、愛する人と一生一緒に
居る事が出来ると思いますか?
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わたしには、誰かの人生に責任を持つほどの
力がないと思うのです。
簡単にプロポーズを受けることもできません。
この世に絶対などなく、今の真実が未来において、
嘘になりうることもあるならば、
無責任な約束もできないのです…しょぼん。
少々、厭世感が強いのかもしれませんが、
この世のすべては、あまりにも無常なので…
『悦楽の親密感』より
(2008年1月14日)
分かるでしょう、レンゲさん。。。? この質問に答えたのは去年の4月ですよ。レンゲさんが認めているように“厭世感が強い”。 つまり、この世に生きているのがイヤになる事が有る、と言うことですよね。それで、つい気持ちが落ち込んで次のような事を言ってしまう。
わたしには、誰かの人生に
責任を持つほどの
力がないと思うのです。
レンゲさんは10年以上も境界性人格障害で悩んでいたのですよ。それは次の手記を読んでも良く分かる。