憂いて迷う
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思い激しく

2006.11.21 Tuesday 14:42
今よりも
明日の思いの
とめどなく
激しかれとも
憂いて迷う
Tomorrow should do
take me into raptures more than now
I am afraid of myself
Though captivated
I've been worrying and hesitating
I don't know how it's going...
by merange
『思い激しく』より
どうして。。。どうして。。。めれんげさんの短歌を持ち出してきたのですか?

これはねぇ、去年の3月17日にGOOGLEで調べたものだけれど、めれんげさんの『即興の詩』は、現在でも“即興の詩”で検索するとトップに表示されるのですよ。
デンマンさんは、めれんげさんの熱烈なファンですの?
やだなあああぁ~。。。レンゲさんは、めれんげさんの親友じゃないですかア!?。。。まさか。。。まさか。。。ヤキモチを焼いているんじゃないでしょうね?
それで。。。それで。。。デンマンさんは、めれんげさんの詩のサイトを覗いてきたのですか?
そうですよ。。。だから上の詩を引用する気になったのですよ。
なぜですか?
詩や短歌は、めれんげさんにとっても“命”なんですよ。特に、この短歌が僕を惹きつけたのは、めれんげさんが自分で英語に訳しているのですよ。めれんげさんが、ますます詩に短歌に打ち込んでいるのが分かるような気がするのですよ。めれんげさんもレンゲさんと似たような問題を抱えている。恋愛詩や恋の短歌は、あまり書かなかったのだけれど、『即興の詩』サイトでは、思う存分書いているのですよ。
それで、なぜ上の短歌を取り上げたのですか?
上の短歌は、めれんげさんが1年以上前に書いたものですよ。
それで。。。?
上の短歌を読むと、めれんげさんの熱い思いと共に心の悩み、迷いが伝わってきますよね。
ええ。。。そのようですわね。。。でも、どうして上の短歌を。。。?
なぜならねぇ、レンゲさんが最近次の詩を書いたのですよ。
涙はいらない

2008-01-08 Tuesday 20:45
もう涙はいらない
胸にせまる熱い思い
走り去ることもなければ
消え去ることもない
もう涙はいらない
言葉がこんなにも近くに
歌が胸の中に
詩が心の奥へと
わたしをいざなう
本当の意味を求めて
わたしは詩の中を
彷徨(さまよ)う
もう涙はいらない
心にせまる熱い想い
走り去ることもなければ
消え去ることもない
もう涙はいらない
by レンゲ
あたしの書いた詩を持ち出してきて、デンマンさんは何を言おうとなさるのですか?
めれんげさんが書いた『思い激しく』の短歌を読む時、2006年の11月、めれんげさんは明日に希望を抱きながら、込み上げて来る熱い思いをもてあますように迷い患(わずら)っていた。
確かに、そのように読めますわ。。。で、あたしの詩と何か関係があるのですか?
レンゲさんの詩を読むと、熱い思いに変わりがないのだけれど、もう迷いも悩みも振り切って言葉の中に真実を見出そうとしているのが良く分かりますよ。つまり、詩や短歌の中に真実を見いだそうとしている。。。でしょう?。。。違いますか?
ええ。。。確かに、そのように解釈する事もできますわ。。。でも、それが、どうだとおっしゃるのですか?
レンゲさんは知能指数が140もある理知的な女性なんですよ。僕が何を言おうとしているか?。。。分かっているでしょう?
I Q を持ち出すのってぇ。。。やめてくれしません?。。。あたし。。。何度も何度も言いましたやんかあああぁ~~
僕はただ。。。レンゲさんが理知的な女性である事を強調したかっただけですよう。
それで、あたしが何を分かっているとおっしゃりたいのですか?
つまりねぇ、レンゲさんは、めれんげさんが書いた短歌のように、ある時期、清水君に対する熱い激しい思いをもてあますくらいに、思い悩み迷っていたのですよ。
。。。それで。。。?
でも、レンゲさんが上の詩を書いた時には、清水君との愛情問題の解決策をすでに見つけていたのですよ。
あたしがですか。。。?
そうですよう。レンゲさんは分かっている。。。それなのに、僕にくどくどと教えてくれと頼んでいる。。。やだなあああぁ~。。。
分かっているあたしが、どうして。。。どうして、デンマンさんに尋ねるのですかぁ~?
上の詩を書いた時に、レンゲさんはすでに解決策を思いついている。でも、僕がどのような事を言うのか?。。。その事を楽しみにしているだけですよ。
言葉がこんなにも近くに
歌が胸の中に
詩が心の奥へと
わたしをいざなう
このようにして書いた詩はウソを言わないものですよ。レンゲさんは、まさに真実を込めて詩の中で語っていますよ。
何をですか?
まだ、とぼけるのですかア?。。。“涙はいらない”と言っているでしょう?。。。つまり、もう、問題はレンゲさんのオツムの中で解決しているのですよ。
そうでしょうか?
まだ、とぼけるのですかア?
【レンゲの独り言】

いやですわア。
居るのですよねぇ~?
あたしが考えている以上の事を詩から読み取ろうとする人が。。。
デンマンさんに詩を読んでもらうのって、本当にうれしいのですわ。
こうして、あたしの詩を取り上げてくれて丁寧に解説してくれるのですもの。。。
ときには、“デンマンさんってスルドイ!”って思うこともありますわよゥ。
でもねぇ~、時には、あたしが考えてもいない事を詩から読み取ってしまうのですわよ。
今日のあたしの詩の解説は、まさに、それなのですわア。
“涙はいらない”と書きましたけれど、
それは“問題を解決した”という意味ではないのですわよ。
んもお~~
早とちりって誰にでもあることですよね。
デンマンさんは、とちってしまったのですわ。
『ロマンとエッチ (2008年1月20日)』より
レンゲさんはこのように不満を漏らしているけれど、僕に詩を読んでもらうのがイヤなのですか?
イヤではありしませんわぁ~。むしろ、デンマンさんに詩を読んでもらうのは、とってもありがたいと思っていますわ。でも。。。、でも、あたしが考えてもいない事をデンマンさんは時々詩から読み取ってしまうのですわア。
それがイヤなのですか?
だってぇ~、“涙はいらない”と書きましたけれど、それは“問題を解決した”という意味ではありしませんわ。
レンゲさんは、そのような意味で書いたのではないかもしれません。でもねぇ、“無意識”という言葉をレンゲさんも知っているでしょう?
つまり。。。つまり。。。あたしが“涙はいらない”と書いたのは、無意識で“問題を解決した”と言う意味で書いた、とデンマンさんはおっしゃるのですか?
レンゲさんの詩を読むと、行間にその事がリフレインとなって聞こえてくるのですよ。レンゲさんも、めれんげさんの短歌『思い激しく』と比較しながら自分の詩をもう一度じっくりと読んでみてくださいよ。『思い激しく』という短歌では、コントロールしようにも、そうできないほど激しい恋慕が心の中に湧き上がってくるのが感じられますよ。このような激しい恋情を持ってしまって自分は一体、これからどうなるのだろうか?憂(うれ)いながら迷っているめれんげさんが見えてくるようですよ。それに引き換え、レンゲさんの詩では激しい感情は穏やかなものになっている。レンゲさんの心の中に定着している愛情は消える事は無い。でも、コントロールできないほど激しいものでもない。レンゲさんは冷静になって自分の恋心を見つめるだけの心のゆとりを持っていますよ。
それはデンマンさんの解釈ですわ。
そうですよ。レンゲさんが上の詩に込めた“詩心”を僕は感じとったのですよ。レンゲさんはねぇ、かつて次のように書いていましたよゥ。
信頼感

2007-04-28 08:17
デンマンさんへの信頼感が
大きくなってきたからこそ、
女性として、公言しないようなことも、
お話してきました。
わたしの過去のスキャンダラスな恋愛や、信用を失いかねないような本音さえも、あくまでもデンマンさんだけに語ってきました。
自分自身の不利益になることでも、デンマンさんのわたしに対する関心を、満たすことを厭わずにいたのです。
もちろん、女性としてわたしを見てくださることは光栄なことと感じています。
でも様々な側面を、性的なことに結びつけてしまわれる時には、正直悲しい気持ちもするのです。
病気のことを、性にむすびつけることが妥当かどうか、わたしにもわかりませんが、わたしの人格、性格などを病気と同列に語られることは、悲しいのです。
努力で性格を変えることさえ、むずかしいのにいちおう、不治と言われている病気と診断されている身には、性格や行動の欠点を、持病に起因するものではないかとのお言葉は、短絡的に言えば性格上の欠点さえも、努力しても治らないことを意味するのです。
わたしの創作についても、そのことは言えるのです。自分の書いたものは、どのようにも解釈していただくことも、まったく読者のみなさまの自由です。
しかしながら、完全なる戯作が多い恋愛詩から、わたしの精神が、性愛への渇望に悩まされているかのように、解釈されてしまい、それを事実として認識なさっておられるのだとすれば、少々残念なことです。
わたしのテーマは、あくまでも人生観,世界観であり、寓意的な言葉の中に、恋愛の陰喩はほとんどありません。
それは少女時代から今にいたるまで、性愛はわたしのテーマではないからなのです。
実生活での最大の関心事が、恋愛ではないからです。
例えば、どれほど好きな相手がいても、その気持ちを,詩にあらわすことはほとんどないのです。
人間とは、脳の発達しすぎた生物にすぎず、そのために生じる感情を、美しいものだとは思わないのです。
わたしが特に、追求したいものは、血なまぐさい生命の持つ、発達しすぎた頭脳が引き起こす醜い事件、戦争、葛藤などなのです。
わたしはロマンチストではないのだと思います。
恋愛を描くのは、あくまでも小説のための習作の延長なのです。
話がそれてしまって申し訳ありません。
デンマンさんを信じて、これからもおつきあいさせていただきたいことを、わかっていただきたくて、忌憚なく書かせていただきました。
どうか、この気持ちを察してください。
by レンゲ
『性愛と信頼感 (2007年5月9日)』より
レンゲさんはこのように書いていたのですよ。
そうですわ。今でも、あたしはそのように思っていますわ。
でしょう?だから、僕はできるだけレンゲさんの心になったつもりでレンゲさんの詩を解釈したのですよ。
でも、デンマンさんは、完全なる戯作として書いた恋愛詩から、あたしの精神が性愛への渇望に悩まされているかのように解釈してしまう事があるのです。しかも、それを事実として認識なさってしまうのです。それは、少々残念なことです。悲しい事です。
でもねぇ、レンゲさんの詩を読んで、さまざまな人がさまざまに解釈する。当然、僕のように解釈する人も他にたくさん居ますよ。
分かっていますわ。だから、あたしは書いたのですわ。原則として、“自分の書いたものは、どのようにも解釈していただくことも、まったく読者のみなさまの自由です”と。。。
でしょう?表現者の手を離れた詩は読者の手にゆだねられる。つまり、詩は表現者である作者と読者の共同作業なんですよ。表現者が50%で読者が50%の共同作業です。表現者の表現したもの50%が読者に50%伝わって初めて完璧な100%の詩が出来上がる。でも、そのような事はまれですよ。たいてい表現者の伝えようとしたものは20%だけしか伝わらない。そう言う訳で、その詩は表現者と読者の努力を足しても40%だけしか輝かない。
それで、そういう時、デンマンさんはどうなさるのですか?
だから、僕は『レンゲ物語』を書いてレンゲさんの知られざる全貌を世界のネット市民の皆様に伝えようとしているのですよ。できるだけレンゲさんの素顔を100%表現するために、僕は『レンゲ物語』を書いているのですよ。レンゲさんの不満は僕が『レンゲ物語』を書き続けることによって解消するはずですよ。そのために、僕はこうしてレンゲさんと対話を持っているのですから。。。
それで、あたしの不満は解消されるのですか?
もちろんですよ。多くの人が『レンゲ物語』を読んでレンゲさんの素顔を、あるがままのレンゲさんを知ることになるのですよ。
どうしてそのような事が言えるのですか?