がんばってくださーーい
最近、よく使われる言葉、オシ、推薦するの推に、おくりがなの、し、を書いて、推し。この意味は、好きというのでもないし、単に応援するというのでもない。好きで応援するし、そして、それを超えて、この好きをみんなに感じてほしい、好きの対象のすばらしさをみんなに知ってほしい。そういった意味がオシには含まれると思う。
これはおそらく、モーニング娘。のファンがあみだした言葉だと思う。その前のグループアイドルのおにゃんこにはこういう推し文化はなかったし、ジャニーズでは推しという言葉は使わず担当という言葉をつかう、タカラヅカはヒイキという言葉を使う。なので、このおし、推しメンという言葉はハロプロ発祥だといっていいと思う。まぁでも、この推しという言葉を一般化したのはAKBだけどね。2ちゃんねるの世界でとどまっていた推しという言葉を一般化したのはアキバグループファンなんだよね。
そんなことを考える今日、夕方、会社から帰宅途中、歩道の点字ブロックの上をあるいていると、うしろから、元気なこどもの声、2人か3人、どうやら自転車にのって、こちらにむかってきている。私のうしろからやってくるこども。小学生ぐらいのこどもたち。目の見えない私。網膜色素変性症な私デスペア。前からだと私の白杖が目印となって、あ、あそこに目の見えない人いる!!ってなるけど、うしろからだと、それが伝わらない。
とわいえ、私は、しょっているリュックカバー、黄色いカーバーにでっかく、盲人と書いている。これをみたら気づいてくれるかもだけど、でも小学校では、この盲人の盲という漢字はならわない。
ということで、点字ブロックからはずれて、歩道のわきにそれて、立ち止まる、自転車こどもを先にいかせる私。すると、こどもが、こどもにむかって、もっとよれや、あぶないからちゃんと前見て走れや、とこどもがこども同士中尉している。私のことに気づいてくれたようで、スピードをおとして、自転車でとおりすぎるこどもたち。
やりすごして、また歩道の点字ブロックにそって、あるく私。すると、道路の反対がから、こどもの声。
がんばってくださーい!!
大きな声。小学校5年生ぐらいの男の子の声。この近所は小学校があるので、その男の子は、きっと、だれか友達か知り合いに声をかけているんだろうとおもって無視をする私。
でも、いっこうにやまない。こどもの、大声。
がんばってくださーーい。ガンバッテクダサーーイ。
何度も叫ぶも、私は答えない。道路の向こう側の少年たち。私はまっすぐ前をむいてほどうをあるく。ちょっと、応答するタイミングを逃してしまってた私。この時点で、もしかしたら、これは私に対する呼びかけかも、いやきっとそうだと思うも、レスポンスするタイミングを逸してしまった私。
ガンバッテクダサーイ。がんばってくださーい。
まだ、叫んでいる。横断歩道をわたって、向こう側の歩道にわたってから、こっちに向かって、がんばってくださーいのこども。私の横を通り過ぎるときに叫んでくれたらわかるけど、なぜ、向こう岸からさけぶのか。
なんとか、返事をしてもらおうとこども。がんばってくださーいに、一言付け加える。気を付けてくださーい。
まちがいなく、これは私に対する言葉、応援の言葉なのね。その声のするほうこうに向き直って、白杖をもっている右手を高くあげるか、かぶっている黄色のキャップをとって、ふりまわして、レスポンスしてあげるべきだったと、今になって思う。
残念ながら、その時は、私はレスポンスできなかった。まるで、アイドルコンサートで、ひっしにファンが推しメンにむかって、ペンライトや手作りうちわをばたつかせているのに、それに気づいているはずの推しメンが無視をする。これほど悲しいことはないね。大声こどもに申し訳ないことをした。
なので、また今度、がんばってくださいと大声で言われたら。アリスのホリウチタカオのように、サンキューと叫んであげよう。やっぱり、応援される側の務めとして、ちゃんとコールにレスポンスするってことがあるもんね。
こういうときに、ちゃんとレスポンスできる人、もしかして、私に対するコールじゃないかもしれない、その場合、こっちがレスしたらはずかしいな。そんなはずかしさなどものともせず、思いっきり手を振り返せる人。そんな人に私はなりたい。アンジュルムの曲、愛すべきベキベキヒューマンライフの歌詞のようにね。道路の向こう側からがんばってくださーいと大声でさけぶ少年は愛すべきヒューマンだし、それにちゃんとこたえる人も愛すべきヒューマンだよね。そんな出会いが愛すべきべきヒューマンライフを形作っていくのよね。
ありがとう、大声少年。あほなこどもたち。実にいとおしいこどもたち。私も応援される人にふさわしい人にならなきゃね。
アンジュルム『愛すべきべき Human Life』Promotion Edit
最近、よく使われる言葉、オシ、推薦するの推に、おくりがなの、し、を書いて、推し。この意味は、好きというのでもないし、単に応援するというのでもない。好きで応援するし、そして、それを超えて、この好きをみんなに感じてほしい、好きの対象のすばらしさをみんなに知ってほしい。そういった意味がオシには含まれると思う。
これはおそらく、モーニング娘。のファンがあみだした言葉だと思う。その前のグループアイドルのおにゃんこにはこういう推し文化はなかったし、ジャニーズでは推しという言葉は使わず担当という言葉をつかう、タカラヅカはヒイキという言葉を使う。なので、このおし、推しメンという言葉はハロプロ発祥だといっていいと思う。まぁでも、この推しという言葉を一般化したのはAKBだけどね。2ちゃんねるの世界でとどまっていた推しという言葉を一般化したのはアキバグループファンなんだよね。
そんなことを考える今日、夕方、会社から帰宅途中、歩道の点字ブロックの上をあるいていると、うしろから、元気なこどもの声、2人か3人、どうやら自転車にのって、こちらにむかってきている。私のうしろからやってくるこども。小学生ぐらいのこどもたち。目の見えない私。網膜色素変性症な私デスペア。前からだと私の白杖が目印となって、あ、あそこに目の見えない人いる!!ってなるけど、うしろからだと、それが伝わらない。
とわいえ、私は、しょっているリュックカバー、黄色いカーバーにでっかく、盲人と書いている。これをみたら気づいてくれるかもだけど、でも小学校では、この盲人の盲という漢字はならわない。
ということで、点字ブロックからはずれて、歩道のわきにそれて、立ち止まる、自転車こどもを先にいかせる私。すると、こどもが、こどもにむかって、もっとよれや、あぶないからちゃんと前見て走れや、とこどもがこども同士中尉している。私のことに気づいてくれたようで、スピードをおとして、自転車でとおりすぎるこどもたち。
やりすごして、また歩道の点字ブロックにそって、あるく私。すると、道路の反対がから、こどもの声。
がんばってくださーい!!
大きな声。小学校5年生ぐらいの男の子の声。この近所は小学校があるので、その男の子は、きっと、だれか友達か知り合いに声をかけているんだろうとおもって無視をする私。
でも、いっこうにやまない。こどもの、大声。
がんばってくださーーい。ガンバッテクダサーーイ。
何度も叫ぶも、私は答えない。道路の向こう側の少年たち。私はまっすぐ前をむいてほどうをあるく。ちょっと、応答するタイミングを逃してしまってた私。この時点で、もしかしたら、これは私に対する呼びかけかも、いやきっとそうだと思うも、レスポンスするタイミングを逸してしまった私。
ガンバッテクダサーイ。がんばってくださーい。
まだ、叫んでいる。横断歩道をわたって、向こう側の歩道にわたってから、こっちに向かって、がんばってくださーいのこども。私の横を通り過ぎるときに叫んでくれたらわかるけど、なぜ、向こう岸からさけぶのか。
なんとか、返事をしてもらおうとこども。がんばってくださーいに、一言付け加える。気を付けてくださーい。
まちがいなく、これは私に対する言葉、応援の言葉なのね。その声のするほうこうに向き直って、白杖をもっている右手を高くあげるか、かぶっている黄色のキャップをとって、ふりまわして、レスポンスしてあげるべきだったと、今になって思う。
残念ながら、その時は、私はレスポンスできなかった。まるで、アイドルコンサートで、ひっしにファンが推しメンにむかって、ペンライトや手作りうちわをばたつかせているのに、それに気づいているはずの推しメンが無視をする。これほど悲しいことはないね。大声こどもに申し訳ないことをした。
なので、また今度、がんばってくださいと大声で言われたら。アリスのホリウチタカオのように、サンキューと叫んであげよう。やっぱり、応援される側の務めとして、ちゃんとコールにレスポンスするってことがあるもんね。
こういうときに、ちゃんとレスポンスできる人、もしかして、私に対するコールじゃないかもしれない、その場合、こっちがレスしたらはずかしいな。そんなはずかしさなどものともせず、思いっきり手を振り返せる人。そんな人に私はなりたい。アンジュルムの曲、愛すべきベキベキヒューマンライフの歌詞のようにね。道路の向こう側からがんばってくださーいと大声でさけぶ少年は愛すべきヒューマンだし、それにちゃんとこたえる人も愛すべきヒューマンだよね。そんな出会いが愛すべきべきヒューマンライフを形作っていくのよね。
ありがとう、大声少年。あほなこどもたち。実にいとおしいこどもたち。私も応援される人にふさわしい人にならなきゃね。
アンジュルム『愛すべきべき Human Life』Promotion Edit