ピアノこども
今日は、朝から、研修。いつもの職場とは違う場所、電車をのりついて、阪急、JRをのりついで弁天町へ。半年前もこの研修会場に通っていた私。そのころははじめての会場だったので、研修開始の1時間以上前に会場に到着の私。目の見えない私。網膜色素変性症な私デスペア。
視覚障害者あるあるで、やく素行の時間よりも早くついてしまう。そのころは、ちょうど小学校の通学時間の8時10分ごろ。集団登校のこどもたちのわきをとおって、会場へ向かう。こどもは基本的に、無関心。特に小学校低学年はまわりに無関心。でも高学年になると気づく。変なおじさんがいる。白杖おじさん。興味津々のこどもはかわいいね。
今日は、だんだんなれてきたので、時間もタイト。なので、8時40分ごろに、会場の近くの小学校のわきを歩く。点字ブロックのない歩道を歩く。小学校のヘイにそって歩く。
すると、たのしげな、こどもたちの声。小学校低学年ぐらいの2、3人のこどもの声。ちょっとおくれた登校。ねぼうしておくれているこどもにしては、やけに元気で、おしゃべりこども。
私を見つけるや。あれ、なにしてるの?からはじまり。こどもの一人が、ああやって、目がみえないから地面をさわりながら歩いているんや。
すると、もうひとりのこどもが、ほんまに、目ぇ、見えへんの?といって、私のまわりをうろうろ、私の前にまわりこみ。
あ!ほんとや!目つむってる!!
こどもは、アホやなーといとおしくなる私。目をあけていたら、目がみえる。目をつむっていたら、目が見えない。なんて単純なんだろう。目の網膜とか水晶体とかの知識がないんだね。まぶたをとじれ目が見えない、まぶたをあければ目が見える。
すると、もうひとりのこどもが、だまれ!。ああゆあって、音で聞いてるんや!だまれ!。こどもを注意するこども。
私の白杖にとりつけた鈴の音をきいて、あれで、どうやら、なにかを察知しているとおもったのか、それとも、鈴の音から、想像力をふくらませて、目が見えないと、まわりの音がたよりだということに気付いたのか。
横断歩道に近づく私。こどもたちは興味津々。私が、横断歩道を無視して、車道にとびでるのではないかという心配と不安をもちながら、私をみまもる。
私は知っている。その横断歩道には、わたる前には、点字ブロックがついていることを、その点字ブロックをさがして、じっとまつ。
私のうしろにいるこども、なんでわかったんやろ。
こどもは、まだ点字ブロックの意味をしらないよう。音がなってないのに、なんであのおっちゃん、ここが横断歩道とわかったんだろう。
じっと私を見ているこどもたち。
私は知っている、この横断歩道には、音響式信号機があり、8時以降は、押しボタンをおさなくても、青信号になれば、音がなることを。
じっと待つ私。こどもは、このおじさんが、どうやって青にかわったのかを判別するのか興味津々。
カッコーカッコーと音がなる。私は自信をもって、横断歩道をわたりはじめる。
こどもは、あほなので、なんでやろ、なんで青ってわかったんやろ。実にいとおしいこどもたち。
横断歩道をわたって、点字ブロックを確認して、歩道の方向を確認する私。うしろのほうからこどもたちの声。てっきり、もっと私に近づいてくるのかとおもいきや、こどもたちは横断歩道をわたらず、小学校のヘイにそって、あるいていった。どうやら、そのこどもたちの近くに、大人が一人いたようで、一連の私の行動を開設しているよう。ああやって、足元のでこぼこで、横断歩道を確認してるにゃ!!へーとこども。
こどもはかわいいね。
時間がたって、夕方、研修をおえて、北道をもどる私。しょぐ悪口のちかくの歩道、ここも点字ブロックがないので、歩道と車道の段差にそってあるく。私は、段差にそってあるくので、はたからみたら、いまにも車道にとびだそうとしているように見えるらしい。しかも、歩道と車道の間には、植木、植え込みがあって、それをぐるっとまわって、また車道のほうに近づこうとしている私。そりゃはたからみたら、あぶなっかしいよね。歩道をまっすぐあるけばいいのに、かなりジグザグに歩く私。
これが私の歩くスタイルなのだけども、お声のしっかりした女性が、もうすこし右です。もっと右ですと。ソシエテくれる。私が、左の車道にちかづくたびに、もっと右ですとおしえてくれる。私のうしろから、そして、とおりこしても、私を機にかけて、もっと右ですといってくれる。
わかりましたといい、右によれる。そしてまた、左にもどる私。すると、またもっと右ですと女性。
見かねて、その女性は、私に近づいてきて、腕をもってください。どこまでいくんですか?
弁天町駅です。でも、そこの横断歩道までで結構ですと答える。いや、もうせっかくなので、駅まで案内しますよとその女性。ありがたいね。
ただ、ここで大問題。その女性は、小さなこどもをつれていた。5歳のこども。今からこどもをピアノ教室におくっていく途中。時間は17時10分。私を手引きしながら、まっすぐ横断歩道のほうにむかっていくその女性。
その女性が、なになにちゃん、ひとりで、いっとき!!。
ここで、はじめて、私はこの女性がママで、小さなこどもをつれていることを知る。こどもは、ハイと大きな声で返事をせず。うなづいただけのよう。
こどもはひとりでピアノ教室へ。
すると、私の背後から、おじいさんの声。
だれだれ、どこへ行くんや!
その女性に声をかけるおじいさん。その女性の父親。
この目の見えない人駅までつれていくんやと女性。
いやいや、私は、大丈夫です。この横断歩道までで大丈夫です。何度もそういったけど、この女性のやさしさ。
もうまっくらでしょう?こどもさんが心配なので、私は大丈夫ですから、はやくこどもさんのところにいってあげてください。と私。5回ぐらいそういう私。
大丈夫です。まだうすぐらいですし。いつもいきなれた場所だし、あと100メートルもないですから。
小さなこどもにとってうすぐらいママとわかれて一人で歩く道はいかにこころぼそいか。とても心配。人さらいにでもあったら、私もいたたまれない。こんな中年のもう将来ものこりわずかな、しかも盲人よりも、未来のある小さなこども、パノををならっているこどもの未来のほうが大事。。しかも、風がつ突風が吹く。あの小さなこどもは、この突風にたえられただろうか。歩きながら、手引きされながらも、こどものことが心配でならない私。
でも、ママは、兵器なにょうで、このくらいの道のりなら、私のこどもは、ちゃんとピアノ教室までいけるという信頼があるよう。
2分程度の道のりだったけど、気が気じゃない私。駅まで月。はやく枯れる私。でも、最後に、カバンからありがおつカードと宮本佳林のCDをラッピングしたものをプレゼント。
おこさんにも、これもらったと伝えてください。
びっくりして、うれしそうなママ。
ママはあのあと、こどものピアノ教室にまにあったかな。こどもは楽しくピアノのレッスンうけたかな。そして、宮ンと佳林のCDを見てよろこんでくれたかな?
家に帰っても、あのこどものことが心配。どうか無事でありますよーに。
あの女性からしたら、5歳のこどももよりも、48歳の盲人おじさんのほうが、あぶなっかしく見えたんだろうね。もっと、ちゃんと歩かないとね。あと、視覚障害者は、歩道の段差のヘリにそってあるきたがるってことも、みんなに伝えていかなきゃね。
とはいえ、駅のホームのはしっこのヘリにそって歩いている人は、やっぱりあぶないので、その人をみかけたら、点字ブロックのところまで、ひきもどしてあげてほしいね。小さな駅でない限り、今は、ホームのはしの内側に警告ブロックがあるからね。でも、無人駅とか小さな駅だといまだに、この点字ブロック、警告ブロックがないんだよね。そんな駅だと、視覚障害者は、ホームのヘリにそってあるくしかないのです。うーん。難しいね。
とにかく、48歳のおじさんよりも、5歳のこどもを、優先してほしい。これだけは言えるのよ。こどものいない私にとって、その5歳のこどもは、私のこどもであり、もっといえば、私なんです。なので、48歳のおじさんをたすけるとおもって、5歳のわが子を手引きをしてください。なんなら、私はそのピアノ教室まで一緒にいくので、そこから、ぜひ、駅まで手引きしてください。優先すべきは、5歳のこどもです。
ママから、ひとりでいけるやろ!先、いっとき!といわれて、素直に従う、ピアノこども。実にいとおしいね。そのピアノこどものひく、青バイエルおピアノの音色を聞いてみたい。あなたのママはとてもすばらしい、やさしい人ですとつぶやきながら。ピアノこどもは、まだめがみえないてどいうことかわからない。ピアノの音色を聞きながら、涙を流す盲人の、その涙の意味もわからない。だからこそ、こどもはいとおしい。実にいとおしい。涙がでるほどにいとおしい。
今日は、朝から、研修。いつもの職場とは違う場所、電車をのりついて、阪急、JRをのりついで弁天町へ。半年前もこの研修会場に通っていた私。そのころははじめての会場だったので、研修開始の1時間以上前に会場に到着の私。目の見えない私。網膜色素変性症な私デスペア。
視覚障害者あるあるで、やく素行の時間よりも早くついてしまう。そのころは、ちょうど小学校の通学時間の8時10分ごろ。集団登校のこどもたちのわきをとおって、会場へ向かう。こどもは基本的に、無関心。特に小学校低学年はまわりに無関心。でも高学年になると気づく。変なおじさんがいる。白杖おじさん。興味津々のこどもはかわいいね。
今日は、だんだんなれてきたので、時間もタイト。なので、8時40分ごろに、会場の近くの小学校のわきを歩く。点字ブロックのない歩道を歩く。小学校のヘイにそって歩く。
すると、たのしげな、こどもたちの声。小学校低学年ぐらいの2、3人のこどもの声。ちょっとおくれた登校。ねぼうしておくれているこどもにしては、やけに元気で、おしゃべりこども。
私を見つけるや。あれ、なにしてるの?からはじまり。こどもの一人が、ああやって、目がみえないから地面をさわりながら歩いているんや。
すると、もうひとりのこどもが、ほんまに、目ぇ、見えへんの?といって、私のまわりをうろうろ、私の前にまわりこみ。
あ!ほんとや!目つむってる!!
こどもは、アホやなーといとおしくなる私。目をあけていたら、目がみえる。目をつむっていたら、目が見えない。なんて単純なんだろう。目の網膜とか水晶体とかの知識がないんだね。まぶたをとじれ目が見えない、まぶたをあければ目が見える。
すると、もうひとりのこどもが、だまれ!。ああゆあって、音で聞いてるんや!だまれ!。こどもを注意するこども。
私の白杖にとりつけた鈴の音をきいて、あれで、どうやら、なにかを察知しているとおもったのか、それとも、鈴の音から、想像力をふくらませて、目が見えないと、まわりの音がたよりだということに気付いたのか。
横断歩道に近づく私。こどもたちは興味津々。私が、横断歩道を無視して、車道にとびでるのではないかという心配と不安をもちながら、私をみまもる。
私は知っている。その横断歩道には、わたる前には、点字ブロックがついていることを、その点字ブロックをさがして、じっとまつ。
私のうしろにいるこども、なんでわかったんやろ。
こどもは、まだ点字ブロックの意味をしらないよう。音がなってないのに、なんであのおっちゃん、ここが横断歩道とわかったんだろう。
じっと私を見ているこどもたち。
私は知っている、この横断歩道には、音響式信号機があり、8時以降は、押しボタンをおさなくても、青信号になれば、音がなることを。
じっと待つ私。こどもは、このおじさんが、どうやって青にかわったのかを判別するのか興味津々。
カッコーカッコーと音がなる。私は自信をもって、横断歩道をわたりはじめる。
こどもは、あほなので、なんでやろ、なんで青ってわかったんやろ。実にいとおしいこどもたち。
横断歩道をわたって、点字ブロックを確認して、歩道の方向を確認する私。うしろのほうからこどもたちの声。てっきり、もっと私に近づいてくるのかとおもいきや、こどもたちは横断歩道をわたらず、小学校のヘイにそって、あるいていった。どうやら、そのこどもたちの近くに、大人が一人いたようで、一連の私の行動を開設しているよう。ああやって、足元のでこぼこで、横断歩道を確認してるにゃ!!へーとこども。
こどもはかわいいね。
時間がたって、夕方、研修をおえて、北道をもどる私。しょぐ悪口のちかくの歩道、ここも点字ブロックがないので、歩道と車道の段差にそってあるく。私は、段差にそってあるくので、はたからみたら、いまにも車道にとびだそうとしているように見えるらしい。しかも、歩道と車道の間には、植木、植え込みがあって、それをぐるっとまわって、また車道のほうに近づこうとしている私。そりゃはたからみたら、あぶなっかしいよね。歩道をまっすぐあるけばいいのに、かなりジグザグに歩く私。
これが私の歩くスタイルなのだけども、お声のしっかりした女性が、もうすこし右です。もっと右ですと。ソシエテくれる。私が、左の車道にちかづくたびに、もっと右ですとおしえてくれる。私のうしろから、そして、とおりこしても、私を機にかけて、もっと右ですといってくれる。
わかりましたといい、右によれる。そしてまた、左にもどる私。すると、またもっと右ですと女性。
見かねて、その女性は、私に近づいてきて、腕をもってください。どこまでいくんですか?
弁天町駅です。でも、そこの横断歩道までで結構ですと答える。いや、もうせっかくなので、駅まで案内しますよとその女性。ありがたいね。
ただ、ここで大問題。その女性は、小さなこどもをつれていた。5歳のこども。今からこどもをピアノ教室におくっていく途中。時間は17時10分。私を手引きしながら、まっすぐ横断歩道のほうにむかっていくその女性。
その女性が、なになにちゃん、ひとりで、いっとき!!。
ここで、はじめて、私はこの女性がママで、小さなこどもをつれていることを知る。こどもは、ハイと大きな声で返事をせず。うなづいただけのよう。
こどもはひとりでピアノ教室へ。
すると、私の背後から、おじいさんの声。
だれだれ、どこへ行くんや!
その女性に声をかけるおじいさん。その女性の父親。
この目の見えない人駅までつれていくんやと女性。
いやいや、私は、大丈夫です。この横断歩道までで大丈夫です。何度もそういったけど、この女性のやさしさ。
もうまっくらでしょう?こどもさんが心配なので、私は大丈夫ですから、はやくこどもさんのところにいってあげてください。と私。5回ぐらいそういう私。
大丈夫です。まだうすぐらいですし。いつもいきなれた場所だし、あと100メートルもないですから。
小さなこどもにとってうすぐらいママとわかれて一人で歩く道はいかにこころぼそいか。とても心配。人さらいにでもあったら、私もいたたまれない。こんな中年のもう将来ものこりわずかな、しかも盲人よりも、未来のある小さなこども、パノををならっているこどもの未来のほうが大事。。しかも、風がつ突風が吹く。あの小さなこどもは、この突風にたえられただろうか。歩きながら、手引きされながらも、こどものことが心配でならない私。
でも、ママは、兵器なにょうで、このくらいの道のりなら、私のこどもは、ちゃんとピアノ教室までいけるという信頼があるよう。
2分程度の道のりだったけど、気が気じゃない私。駅まで月。はやく枯れる私。でも、最後に、カバンからありがおつカードと宮本佳林のCDをラッピングしたものをプレゼント。
おこさんにも、これもらったと伝えてください。
びっくりして、うれしそうなママ。
ママはあのあと、こどものピアノ教室にまにあったかな。こどもは楽しくピアノのレッスンうけたかな。そして、宮ンと佳林のCDを見てよろこんでくれたかな?
家に帰っても、あのこどものことが心配。どうか無事でありますよーに。
あの女性からしたら、5歳のこどももよりも、48歳の盲人おじさんのほうが、あぶなっかしく見えたんだろうね。もっと、ちゃんと歩かないとね。あと、視覚障害者は、歩道の段差のヘリにそってあるきたがるってことも、みんなに伝えていかなきゃね。
とはいえ、駅のホームのはしっこのヘリにそって歩いている人は、やっぱりあぶないので、その人をみかけたら、点字ブロックのところまで、ひきもどしてあげてほしいね。小さな駅でない限り、今は、ホームのはしの内側に警告ブロックがあるからね。でも、無人駅とか小さな駅だといまだに、この点字ブロック、警告ブロックがないんだよね。そんな駅だと、視覚障害者は、ホームのヘリにそってあるくしかないのです。うーん。難しいね。
とにかく、48歳のおじさんよりも、5歳のこどもを、優先してほしい。これだけは言えるのよ。こどものいない私にとって、その5歳のこどもは、私のこどもであり、もっといえば、私なんです。なので、48歳のおじさんをたすけるとおもって、5歳のわが子を手引きをしてください。なんなら、私はそのピアノ教室まで一緒にいくので、そこから、ぜひ、駅まで手引きしてください。優先すべきは、5歳のこどもです。
ママから、ひとりでいけるやろ!先、いっとき!といわれて、素直に従う、ピアノこども。実にいとおしいね。そのピアノこどものひく、青バイエルおピアノの音色を聞いてみたい。あなたのママはとてもすばらしい、やさしい人ですとつぶやきながら。ピアノこどもは、まだめがみえないてどいうことかわからない。ピアノの音色を聞きながら、涙を流す盲人の、その涙の意味もわからない。だからこそ、こどもはいとおしい。実にいとおしい。涙がでるほどにいとおしい。