ホームにて
ぎゅうぎゅうづめの通勤電車。私があれをはじめて体験したのは、大学受験のため田舎から大阪にでてきたときかな。ボストンバッグをかかえることができず、足元においた思い出。
あれから、私はぎゅうぎゅうづめの通勤電車にはあまりのらなくてよい生活。学校も職場も、徒歩あるいは自転車県内。今も徒歩圏内。目の見えない私。網膜色素変性症な私デスペア。もちろん今は自転車はのれない。私が最後に自転車にのったのはいつごろだろう?たぶん26歳ごろにはもう自転車にのるのはやめていたと思う。それ以来もっぱらバスか徒歩か、ときどき電車。
最近、たまにJR店長へ行く。研修のため。この半年で20日ほど通っている。もちろん、浅野通勤ラッシュ。JR大阪駅の1番のりば、内環状線から、4駅で弁天町。フクシマ、ノダ、ニシクジョウ、弁天町。大阪駅から電車にのり、反対側のドアのところにへばりついておけばよい、次にこっちのドアが開くのは弁天町駅。つまり、おそらく、大阪駅、フクシマ、ノダ、ニシクジョウはシマ式ホームなんだろうね。
今日も、ぎゅうぎゅうづめ、えっ手引きしてくれた駅員がなんとか、電車に乗ったドアとは反対側のドアまで私をつれていって、てすりをもたせてくれる。ありがたいね。ここが一番、おされないし、いいのよね。
でも、今日はちがった。弁天町駅についたら、うしろから、人がおしてくる。私が、ドアからホームにおりたとうとするそのとときも、ずっと、私のうしろの乗客がおしてくる。私のすぐうしろの乗客がおしてくるのではなく、そのまた、そのまたうしろの乗客が、おりようと、必死でドアのほぷに、おしくらまんじゅうをしかけてくる。
これあぶないのよね。普通のひとだと、電車のドアがあいたら、ホームにぱっとおりられるけど、視覚障害者はそうじゃない。ドアがあいて、まず、足をホームにおろすのではなく、その前に、必ず白杖で、ホームを確認する。電車の床とホームの隙間を確認する。ここはまちがいなくホームだな、溝じゃないなとわかって、はじめて、私は右足を一歩だす。「
これは、まわりから見ると、もたもたしているように感じる。ワンテンポもツー店舗もおくれるのが視覚障害者の行動。
ならば、おもいっきり、ホームのむこうにジャンプしたらいいとおもうけども、ホームにに待っている客がいたら、ぶつかってしまう。それもでっきない。
あぶなかったね。なんとか、うしろの圧力を、盲人リュックで防ぐことができたけど、あやうく前につんのめるところだった。弁天町駅のホームと電車のすきまはあまりないので、いいけど、すきまが広いところだと、ほんと危ないね。
マイン電車では、最後におりるのがいいかもね。ドアの横の手すりにつかまっといて、だれも乗客がおりないなというときに、白杖wを電車のドアの外にだして、まんがいちドアがしまっても白杖がはさまって車掌から見える。最後におりることにしよう。
満員電車だと、盲人とでっかく背中に書いた盲人リュックも効果なしだね。そもそも、うしろのほかおしてくる人は、私のことなんか目線にはいらない。
実にあぶなかったね。小柄なこどもや女性や男性なら、ふっとばされるね。
研修を夕方おえて、また弁天町へ。こんどは大阪駅についたときに、最後のほうにおりたので、おされることはなかった。
乗り換えて、阪急。私の最寄り駅について、電車のドアが開く。おります、と2回いって、座席をたちあがり、度はのほうへあるく、そして、白杖でホームの床を確認してゆっくりおりる。点字ブロックもしっかりある。
おりて、電車うごきだして、私も、点字ブロックにそって左にあるく。こちらに下り会談あるはず。すると、若い青年に声をかけられた。エレベーターですか?
いえくだり会談です。
すると、彼は、反対ですとおしえてくれた。やさしい彼は、下り会談の手すりもおしえてくれた。この駅は、私の最寄り駅で、よく使う液なので、てすりはつかわない私。
親切に、改札まで一緒にいきますよと青年。
ありがとうございます。でも、もう大丈夫です、どうぞお先に行ってください。と私。
いえいえ、実は私も視覚障害者なんです。白杖をもっているんです。
そういって彼は、白杖をコツコツと床にたたいてみせる。
まったくそれには気づかなかった私。コツコツとずっと音をさせるのではなく、私におしえてくれるときにだけコツコツとおとをさせた彼。白杖を路面になぞらせているようでもない。音がしない。彼は白杖を右手にもっているだけで、ふっててはいないよう。シンボルケーン。
私は、夜だけ目が見えないんです。と青年。
もしやとおもって、聞いてみる私。
網膜色素変性症、シキヘンですか?
そうですと彼。
26歳の彼、私のこどもでもおかしくない年齢。実に明るい。悲壮感とか絶望感とかがまったく感じさせない声。私が彼の年齢のころは、屈折して、どんなに今努力しても、どうせ自分は目が見えなくなるんだ。なにをやっても無駄だと、ニヒリズム、絶望感におちいっていたのに、現代の彼は、それがない。すごいね。
いつごろから見えなくなったんですかと聞いてくる彼。10年ぐらい前にはもうみえなくなりました。35ぐらいですかね。と私。
でも、私はちゃんとこう付け加える。
まぁ、シキヘンは個人差があるんで、きっとあなたはずっと見えていますよ。
若い人には希望をもっていてほしい、昔の私みたいに絶望してほしくないもんね。
やさしい彼。
弁天町では、視覚障害者もかまわず、うしろからおしてくる人もいれば、ホームにおりた視覚障害者にやさしく声をかけてくれて、声で手引きしてくれる弱視の青年。ワンダフルワールドだね。
彼は、私がジムに通っているところを何度か見かけましたとのこと。ぎゃくん
私は、もう目が見えないので、街を吐くおじゅの人があるいていても、音をたててあるかないかぎりわからない。こういったシキヘンの青年が私の家の近所にいるのね。
青年に声で手引きしてもらいながら、翔太天蓋をぬけて、家に帰る私。はなしをしていたため、スーパーにたちよるのをわすれた私。でもそれでいい。実にいい時間だった。絶望していない若者を見るのは、実にうれしい。実にいとおしい。彼のためにも、商店街に点字ブロック運動をやっていかないとね。
ぎゅうぎゅうづめの通勤電車。私があれをはじめて体験したのは、大学受験のため田舎から大阪にでてきたときかな。ボストンバッグをかかえることができず、足元においた思い出。
あれから、私はぎゅうぎゅうづめの通勤電車にはあまりのらなくてよい生活。学校も職場も、徒歩あるいは自転車県内。今も徒歩圏内。目の見えない私。網膜色素変性症な私デスペア。もちろん今は自転車はのれない。私が最後に自転車にのったのはいつごろだろう?たぶん26歳ごろにはもう自転車にのるのはやめていたと思う。それ以来もっぱらバスか徒歩か、ときどき電車。
最近、たまにJR店長へ行く。研修のため。この半年で20日ほど通っている。もちろん、浅野通勤ラッシュ。JR大阪駅の1番のりば、内環状線から、4駅で弁天町。フクシマ、ノダ、ニシクジョウ、弁天町。大阪駅から電車にのり、反対側のドアのところにへばりついておけばよい、次にこっちのドアが開くのは弁天町駅。つまり、おそらく、大阪駅、フクシマ、ノダ、ニシクジョウはシマ式ホームなんだろうね。
今日も、ぎゅうぎゅうづめ、えっ手引きしてくれた駅員がなんとか、電車に乗ったドアとは反対側のドアまで私をつれていって、てすりをもたせてくれる。ありがたいね。ここが一番、おされないし、いいのよね。
でも、今日はちがった。弁天町駅についたら、うしろから、人がおしてくる。私が、ドアからホームにおりたとうとするそのとときも、ずっと、私のうしろの乗客がおしてくる。私のすぐうしろの乗客がおしてくるのではなく、そのまた、そのまたうしろの乗客が、おりようと、必死でドアのほぷに、おしくらまんじゅうをしかけてくる。
これあぶないのよね。普通のひとだと、電車のドアがあいたら、ホームにぱっとおりられるけど、視覚障害者はそうじゃない。ドアがあいて、まず、足をホームにおろすのではなく、その前に、必ず白杖で、ホームを確認する。電車の床とホームの隙間を確認する。ここはまちがいなくホームだな、溝じゃないなとわかって、はじめて、私は右足を一歩だす。「
これは、まわりから見ると、もたもたしているように感じる。ワンテンポもツー店舗もおくれるのが視覚障害者の行動。
ならば、おもいっきり、ホームのむこうにジャンプしたらいいとおもうけども、ホームにに待っている客がいたら、ぶつかってしまう。それもでっきない。
あぶなかったね。なんとか、うしろの圧力を、盲人リュックで防ぐことができたけど、あやうく前につんのめるところだった。弁天町駅のホームと電車のすきまはあまりないので、いいけど、すきまが広いところだと、ほんと危ないね。
マイン電車では、最後におりるのがいいかもね。ドアの横の手すりにつかまっといて、だれも乗客がおりないなというときに、白杖wを電車のドアの外にだして、まんがいちドアがしまっても白杖がはさまって車掌から見える。最後におりることにしよう。
満員電車だと、盲人とでっかく背中に書いた盲人リュックも効果なしだね。そもそも、うしろのほかおしてくる人は、私のことなんか目線にはいらない。
実にあぶなかったね。小柄なこどもや女性や男性なら、ふっとばされるね。
研修を夕方おえて、また弁天町へ。こんどは大阪駅についたときに、最後のほうにおりたので、おされることはなかった。
乗り換えて、阪急。私の最寄り駅について、電車のドアが開く。おります、と2回いって、座席をたちあがり、度はのほうへあるく、そして、白杖でホームの床を確認してゆっくりおりる。点字ブロックもしっかりある。
おりて、電車うごきだして、私も、点字ブロックにそって左にあるく。こちらに下り会談あるはず。すると、若い青年に声をかけられた。エレベーターですか?
いえくだり会談です。
すると、彼は、反対ですとおしえてくれた。やさしい彼は、下り会談の手すりもおしえてくれた。この駅は、私の最寄り駅で、よく使う液なので、てすりはつかわない私。
親切に、改札まで一緒にいきますよと青年。
ありがとうございます。でも、もう大丈夫です、どうぞお先に行ってください。と私。
いえいえ、実は私も視覚障害者なんです。白杖をもっているんです。
そういって彼は、白杖をコツコツと床にたたいてみせる。
まったくそれには気づかなかった私。コツコツとずっと音をさせるのではなく、私におしえてくれるときにだけコツコツとおとをさせた彼。白杖を路面になぞらせているようでもない。音がしない。彼は白杖を右手にもっているだけで、ふっててはいないよう。シンボルケーン。
私は、夜だけ目が見えないんです。と青年。
もしやとおもって、聞いてみる私。
網膜色素変性症、シキヘンですか?
そうですと彼。
26歳の彼、私のこどもでもおかしくない年齢。実に明るい。悲壮感とか絶望感とかがまったく感じさせない声。私が彼の年齢のころは、屈折して、どんなに今努力しても、どうせ自分は目が見えなくなるんだ。なにをやっても無駄だと、ニヒリズム、絶望感におちいっていたのに、現代の彼は、それがない。すごいね。
いつごろから見えなくなったんですかと聞いてくる彼。10年ぐらい前にはもうみえなくなりました。35ぐらいですかね。と私。
でも、私はちゃんとこう付け加える。
まぁ、シキヘンは個人差があるんで、きっとあなたはずっと見えていますよ。
若い人には希望をもっていてほしい、昔の私みたいに絶望してほしくないもんね。
やさしい彼。
弁天町では、視覚障害者もかまわず、うしろからおしてくる人もいれば、ホームにおりた視覚障害者にやさしく声をかけてくれて、声で手引きしてくれる弱視の青年。ワンダフルワールドだね。
彼は、私がジムに通っているところを何度か見かけましたとのこと。ぎゃくん
私は、もう目が見えないので、街を吐くおじゅの人があるいていても、音をたててあるかないかぎりわからない。こういったシキヘンの青年が私の家の近所にいるのね。
青年に声で手引きしてもらいながら、翔太天蓋をぬけて、家に帰る私。はなしをしていたため、スーパーにたちよるのをわすれた私。でもそれでいい。実にいい時間だった。絶望していない若者を見るのは、実にうれしい。実にいとおしい。彼のためにも、商店街に点字ブロック運動をやっていかないとね。