むぎを失って二度目の新しい朝を迎えた。
日曜日だというのに早々と目が覚めてしまう。睡眠時間がじゅうぶんではないのに目が覚める。その度に「もうむぎはいない」との思いにため息がでる。昨日も同じだった。
最近のむぎはたいていぼくのベッドの下に寝ころんで、ベッドの下に鼻を突っ込んで寝ていた。もういないとわかっていてもつい目がいってしまいそうになる。以前のようにそろそろと右足をベッドから出してむぎの存在を確認したくなる。
もし、足の先にむぎの身体の一部が触れたら、「むぎ…」と声をかけて手を伸ばし、二、三度なでてやる。眠りを破られたむぎは身体をピクリと動かし、迷惑そうに反応する。そんな習慣も、もう捨てなくてはならない。
いま、少しずつぼくは自分を責めはじめている。こんなことになる前に、なぜ、お医者さんに相談しなかったのかと……。
むぎの変化に気づいていなかったわけではない。玄関を出て散歩の支度をするほんの短い時間でも、むぎは立っていないで伏せていた。12歳の年齢のせい、オーバーウェイトのせい、暑さのせい……そうやってタカをくくってきた。あれは間違っていた。
もしかしたら、深刻な疾病を抱えているかもしれないとの疑念が頭の片隅にあったが、次にお医者さんを訪ねたときに相談してみようと先送りにしていた。食欲もあったし、家では元気だった。歩くのがのろくなり、歩くと疲れやすくなっているのは16歳のシェラと同様だった。
きっと苦しかったのだろう。もっと早く手を打っていればなんとかなったかもしれない。そんな自責の念に苛まれそうになる。
涙にくれる家族たちには、「仕方ないよ。これがむぎの寿命だったんだ」と言って慰めながら、ぼくは激しく悔やんでいる。
「ごめんよ、むぎ……」
何度、ひとりつぶやいてきただろうか。
あの朝、散歩から帰ってきたときの苦悶の表情にもぼくは冷淡だった。それからほんの一時間で旅立ってしまったむぎの力の抜けた身体の重みがいまも腕に生々しい。
ごめんよ、むぎ……