むぎは、なんとも手のかからない子だった。
だが、いくつかの音にだけはしつこく反応して手こずらせた。雷や花火におびえることがないくせに、インターフォンや電話の音に吠え、クルマの中では、駐車のために停まったことをちゃんと察知して、「(車内に)置き去りにしないで!」といわんばかりに激しく吠えて、ぼくに叱られるのが常だった。
それ以外は家でいたずらするわけではなく、外ではほかの犬にも人間にもきわめてフレンドリーで、いつも褒められていた。
手がかからなかったために、あっまり気にしてこなかったが、いなくなってみるとその存在感の重みに愕然とする。いつもわが家をにぎやかにしていたかけがえのない家族だったのだと……。
むぎとの一日を振り返ってみると、この子の果たしていた役割は、シェラ以上だったと思い知る。
朝6時にぼくのベッドの枕元のサイドテーブルにおいた携帯電話が鳴る。待っていたかのようにむぎが吠えて教えてくれる。20分後、仕度を終えたぼくが、それまでずっとぼくを見守っていたむぎに、「さあ、散歩にいこう」と声をかける。すると、むぎは奥のリビングで爆睡しているシェラに、「とーちゃんが散歩にいくって!」とばかり大声で吠えて知らせに走る。シェラはそれでようやく起きてくる。
散歩の最中のむぎは従順そのものだ。あっちが嫌だ、こっちへはいきたくないと手こずらせるのはシェラのほうである。ぼくが「帰ろう」といえば、むぎはたちまち家の方角へと歩き出す。
家に帰り着いたあとのむぎは、朝のエサにだけ関心が移り、ぼくになどまるで無関心だった。ぼくが会社へ出かけようとするとき、たまに玄関まで出てくることはあるが、吠えたりはしない。
震災後の余震におびえ、いっとき、会社へいこうとするぼくを玄関で待っていた時期もあったが、連れていってくれと追いかけるまでには至っていなかった。聞き分けのいい子なのである。
夜、ぼくが帰宅し、玄関の前までくると、足音を聞きつけて鍵を開ける前から部屋の中で吠えている。玄関のすぐ内側で張り込んでいるからだ。ぼくが帰る頃合いになると、外を誰かが通っただけで間違えて吠えたりしているそうだ。体内時計でボスの帰宅時間を察知し、待ちかまえているわけである。
ときには、むぎの油断やほかに関心が移っていて張り込みから離れていたためにぼくの帰宅に気づかないこともある。だから、ぼくのほうは玄関の前で、いかにしてむぎに気づかれずに家に入るか、毎日、ゲーム感覚で楽しんだ。
ご主人さまに気づかずにいたときのむぎの体裁悪そうな顔はいつ見てもおかしい。だが、たいてい鍵をカチリと回しただけで気づかれる。こうして、毎日、家に帰り着く早々楽しませてもらっていた。
いまも玄関の前に立つと、むぎの声を待つ自分がいる。「お帰りなさい!」とぼくの顔を見て吠え、ぼくが「むぎ、ただいま」と声をかけると、部屋の奥へと駆け込んでいき、シェラへ、「とーちゃんが帰ってきたよ!」と報せている。シェラはその声で玄関へ駆けつけてくる。絶妙な連携プレイだった。
ぼくは二匹を引き連れてリビングへと移り、ソファに腰を下ろしてまずシェラの「お帰りなさい」の挨拶を受ける。丁寧に、じっくりとぼくの口を舐めてくれる。夕方の散歩から戻って自分のお尻の穴を入念に舐めているかもしれないその舌で……。
それが終わるまで、むぎはずっと吠えながら待っている。
ひとしきりシェラの挨拶を受けたあと、「ありがとう」と頭をなでて打ち切り、ぼくは吠え続けているむぎのほうへ左腕を伸ばす。それを待っていたむぎは両前足をぼくの手に預けてシェラに続いてぼくの口を舐める。シェラがゆったり舐めるのとは対照的に性急である。
かくして、ぼくとわんこたちとのその日のセレモニーは終わる。あとは、夕食後、ぼくの気まぐれでわんこたちとの遊びが加わる。だが、最近ではシェラもむぎも、ぼくのちょっかいが見るからに迷惑そうだった。シェラは怒り、むぎはさっさと逃げていっていた。
夜は、寝室の外に寝そべって、ベッドへ入るぼくを見ているが、呼んでも決してそばへはこない。そのくせ、朝になるとぼくの脇のベッドの下に寝ていた。
冬だったら、ベッドに上がってきてぼくか家人のどちらかに張りついて寝ている。よほど寒い日にはちゃっかり布団の中にもぐり込んでくる。
やがて、午前6時の呼鈴が鳴り、むぎが吠えて新しい一日がはじまっていた。
いま、静まり返ったわが家の中で、改めてむぎがいなくなってしまったのを実感する。