愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

変わりゆく哀しみ

2011-07-27 01:42:16 | 残されて
 むぎの死は、ぼくたちにとって予期しなかった突然の出来事であり、ただ、「そんな……」と絶句し、以来、うろたえながら茫然自失の日々を送ってきた。
 まさかむぎをこんなに早く失うとは……しかもシェラよりも先に……。

 この夏を迎えたころから、ぼくと家人はシェラの衰えが加速しているのに気づき、避けては通れない最悪のときがそう遠くないだろうとひそかに怖れ、なかば覚悟をかためつつ息を呑んで見守ってきた。犬にとっての16歳という年齢がどういうものかそれぞれに正しく認識しているつもりだった。



 口にこそ出さないものの、「この夏を乗り切れるだろうか?」と危惧した。夏さえ乗り切ってくれたら少なくとも今年いっぱいは生き延びてくれる。そうすれば、来年も前半は大丈夫だ……なんの裏づけもないまま漠然とそんな期待を抱いて衰えていくシェラを見守ってきた。
 その分、むぎへの心配りがおろそかになったわけではないはずなのだが、突然、12歳のむぎを先に死なせてしまった。

 むぎを失ったショックに続く新たな表情の日常が重なっていくにしたがい、より重い悲しみが押し寄せてきた。名状しがたい寂しさをともなった、烈しくではなく沁み入るような哀しみとでもたとえたらいいのだろうか。号泣は嗚咽に、そしていま、哀切へのしのび泣きへと変容した。

 むぎのレインウェアを片づけていて、そこに残るむぎのにおいに、とうとうこらえ切れなくなってむせび泣く家人に、ぼくは慰める言葉を見つけられず、無言でともに泣いてやるしかなかった。ぼくがいちばん怖れていたことだった。
 だが、いまはまだシェラがいてくれる。やり場のなくなってしまったむぎへの愛情もシェラに注いで、家人もぼくもなんとか哀しみを希釈している。



 休日、出かけるとき、家人はむぎの遺骨をバッグに入れて家を出る。ふだんは棚に飾り、花を捧げ、供物と水を絶やさない。
 人間の葬儀ならば、悲しみが癒えはじめた時期に納骨という方法で未練を希薄にすることができる。むぎの場合も、いずれ何らかの方法で遺骨をどこかへ納め、気持ちを切り替えなくてはならないだろう。だが、当面は難しい。

 本来、遺骨など持ち帰るべきではなかったのかもしれないが、もし、持ち帰らないでいたら、それはそれでまた悔いを残すことになっただろう。
 気がすむまでそばに置いてやればいい。やがてシェラの骨が並び、自分たちが骨になる前に踏ん切りをつければいいだけのことだ。

 ペットを失った悲しみはあらたなペットによってしか癒されないと人はいう。だが、どんなに悲しくても、辛くても、ぼくたちは悲しみから逃れるために犬であれ、猫であれ、新しい子を迎えるつもりはない。
 「シェラやむぎ以上にかわいい子なんているわけがないよ」と自分たちに言い聞かせつつ、本音は新たに迎える子を最後まできちんと面倒をみてやれる自信がないからである。これからおよそ15年、自分たちが80歳過ぎまで元気で生きて、その子をまともに世話してやれるだろうか。こちらが先に逝ってしまうかもしれない年齢である。

 だからいま、たとえペットロス症候群に墜ちて呻吟しようとも、なんとか自力で乗り越えなくてはならない。早晩、やってくるシェラとの永別――そのときが正念場になるだろう。