「むぎ、帰ってこい!」
心の底から祈ったことがある。
もう5年ばかり前になるが、食欲不振、貧血で入院し、翌々日の夜、前の晩に続いて面会にいったら、医者のひとりから、「悪くなってます。リカバリーの確率は50パーセント。かなり深刻です」と宣告を受けたときである。
最初、クリニックの院長から、「餌が食べられるようになるまで入院しましょう」と勧められ、「よろしくお願いします」と軽い気持ちで預けて2日が経過していた。たしかに前の晩の面会のときから好転している様子はなかった。しかも、その医者は、「原因が分からない」ともいう。
わんこでも貧血を起こしたときは、顔から血の気が引いてしまうというのをはじめて知った。表情から気力が失せ、鼻の先の付け根にかすかに見えていた毛細血管が消えたのである。目も気だるそうで、精気を失っている。深刻な状態から脱していないのは明らかだった。
そんな状態だというのに、最初の夜、面会にいったぼくと家人の姿を見て、むぎは力を振り絞って大声で吠えた。
「家に帰りたい! 連れて帰って!」というむぎの叫びをひしひしと感じてその場にいたたまれず、またこれ以上、体力を消耗させまいと思い、未練を残しながらぼくたちはそそくさと面会を切り上げた。
クリニックの外へ出て、クルマの運転席まで逃れても、まだ、むぎが吠え続ける声が聞こえていた。
せめて吠きやむまでと思い、クルマの中で身じろぎもせずにそのときを待ったが、一向に吠えるのをやめようとしない。「勘のいい子だから、近くにいるのがわかっているのかもしれない」と家人がいう。
吠え続けるむぎの声に「ごめんよ」と謝りながら、ぼくはクルマのエンジンをかけた。
そして、「ダメかもしれない」と宣告された二日目の夜も、むぎは帰りたいとばかりけんめいに吠えた。いっそ、連れて帰ってしまおうかと思いたくなるほどだった。
「むぎ、帰ってこい! 必ず帰ってこい!」
むぎに背を向け、逃げるように部屋の外へ向かいながら、ぼくは魂を込めて祈った。
翌日、ぼくたちは川崎の梶ヶ谷にある身代わり不動へ願掛けに出かけた。ふだんは無宗教で生きていながら、まさに「苦しいときの神頼み」そのものである。親たちが入院したときでも神頼み、仏頼みはしたことがなかったというのに……。
その夜の面会はシェラを同行した。あれほど慕っているシェラにせめて会わせてやりたいという気持ちと同時に、シェラにも「むぎがここにいる」と教えてやりたかった。
だが、ステンレスの檻が並び、それらが無機質な冷たい光を放つ“病室”のただならぬ情景にシェラが烈しくおびえた。
恋しかったろうシェラの姿にむぎの叫びもいっそう悲痛だった。部屋から逃げ出すシェラへむぎの狂ったような声が追いかけてきた。
そこに1分といなかった。家人が残ってむぎをなだめた。烈しい吠き声にいたたまれず目を閉じて、「むぎ、帰ってこい!」ぼくはもう一度祈った。
果たして何が奏功したのかいまもって判然としないが、翌日の夜、むぎは退院した。複数のドクターのうちのひとりが原因を解析し、適切な治療法を見つけてくれたのだろうが、シェラの姿を見たむぎの「家に帰りたい!」という願いも天に通じたのだとぼくたちはかたく信じている。
はからずも、ぼくが発した「むぎ、帰ってこい!」との連夜の祈りもまた神様はお聞き届けくださったのだ。あれからのたくさんの楽しい日々を思えば、いま、むぎを失った悲しみで天を恨んではならないのかもしれない。
それでもなお、「帰ってこい!」と願い、祈らせてもらえる間もなく慌ただしく不帰の旅へ発ってしまったむぎへの哀惜は、二週間を経てさらにつのる。
だから、むぎよ、もう少し、もう少しだけ悲しませてくれ。きみとの楽しかった日々を懐かしみ、きみのいない日々の寂しさに耐えていけるように、この悲しみととことん向き合う必要があるのだ。
いま少しだけ悲しませてくれ。
心の底から祈ったことがある。
もう5年ばかり前になるが、食欲不振、貧血で入院し、翌々日の夜、前の晩に続いて面会にいったら、医者のひとりから、「悪くなってます。リカバリーの確率は50パーセント。かなり深刻です」と宣告を受けたときである。
最初、クリニックの院長から、「餌が食べられるようになるまで入院しましょう」と勧められ、「よろしくお願いします」と軽い気持ちで預けて2日が経過していた。たしかに前の晩の面会のときから好転している様子はなかった。しかも、その医者は、「原因が分からない」ともいう。
わんこでも貧血を起こしたときは、顔から血の気が引いてしまうというのをはじめて知った。表情から気力が失せ、鼻の先の付け根にかすかに見えていた毛細血管が消えたのである。目も気だるそうで、精気を失っている。深刻な状態から脱していないのは明らかだった。
そんな状態だというのに、最初の夜、面会にいったぼくと家人の姿を見て、むぎは力を振り絞って大声で吠えた。
「家に帰りたい! 連れて帰って!」というむぎの叫びをひしひしと感じてその場にいたたまれず、またこれ以上、体力を消耗させまいと思い、未練を残しながらぼくたちはそそくさと面会を切り上げた。
クリニックの外へ出て、クルマの運転席まで逃れても、まだ、むぎが吠え続ける声が聞こえていた。
せめて吠きやむまでと思い、クルマの中で身じろぎもせずにそのときを待ったが、一向に吠えるのをやめようとしない。「勘のいい子だから、近くにいるのがわかっているのかもしれない」と家人がいう。
吠え続けるむぎの声に「ごめんよ」と謝りながら、ぼくはクルマのエンジンをかけた。
そして、「ダメかもしれない」と宣告された二日目の夜も、むぎは帰りたいとばかりけんめいに吠えた。いっそ、連れて帰ってしまおうかと思いたくなるほどだった。
「むぎ、帰ってこい! 必ず帰ってこい!」
むぎに背を向け、逃げるように部屋の外へ向かいながら、ぼくは魂を込めて祈った。
翌日、ぼくたちは川崎の梶ヶ谷にある身代わり不動へ願掛けに出かけた。ふだんは無宗教で生きていながら、まさに「苦しいときの神頼み」そのものである。親たちが入院したときでも神頼み、仏頼みはしたことがなかったというのに……。
その夜の面会はシェラを同行した。あれほど慕っているシェラにせめて会わせてやりたいという気持ちと同時に、シェラにも「むぎがここにいる」と教えてやりたかった。
だが、ステンレスの檻が並び、それらが無機質な冷たい光を放つ“病室”のただならぬ情景にシェラが烈しくおびえた。
恋しかったろうシェラの姿にむぎの叫びもいっそう悲痛だった。部屋から逃げ出すシェラへむぎの狂ったような声が追いかけてきた。
そこに1分といなかった。家人が残ってむぎをなだめた。烈しい吠き声にいたたまれず目を閉じて、「むぎ、帰ってこい!」ぼくはもう一度祈った。
果たして何が奏功したのかいまもって判然としないが、翌日の夜、むぎは退院した。複数のドクターのうちのひとりが原因を解析し、適切な治療法を見つけてくれたのだろうが、シェラの姿を見たむぎの「家に帰りたい!」という願いも天に通じたのだとぼくたちはかたく信じている。
はからずも、ぼくが発した「むぎ、帰ってこい!」との連夜の祈りもまた神様はお聞き届けくださったのだ。あれからのたくさんの楽しい日々を思えば、いま、むぎを失った悲しみで天を恨んではならないのかもしれない。
それでもなお、「帰ってこい!」と願い、祈らせてもらえる間もなく慌ただしく不帰の旅へ発ってしまったむぎへの哀惜は、二週間を経てさらにつのる。
だから、むぎよ、もう少し、もう少しだけ悲しませてくれ。きみとの楽しかった日々を懐かしみ、きみのいない日々の寂しさに耐えていけるように、この悲しみととことん向き合う必要があるのだ。
いま少しだけ悲しませてくれ。