愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

もう一度抱きしめたい

2011-07-20 23:03:35 | 追憶のむぎ

 この憂愁の行き着く先はあるのだろうか。

 おりにふれてこみ上げる寂しさをいかんともしがたい。身体の一部を……いや、心の一部をもがれたような苦い喪失感がジワリと広がる。

 むぎを失って12日、なんと長い日々だったろうか。そこかしこにあの子の面影を見て、あるいは感じて、そのたびに喪失感を噛みしめる。手に記憶されたあの子の身体の感触がよみがえるたびに不覚の涙がこみ上げる。

 今朝は、台風の余波で散歩は小雨の中だった。ブルーの雨具がよく似合う子だった。何度、「わぁ、かわいい!」とほめられただろうか。そんなむぎが誇らしかった。

 色違いの雨具をシェラに着せて出かけた今朝の散歩で、久しぶりに行き会った近所のわんこ仲間の奥さんから、「あら、きょうはコーギーちゃんはどうしたの?」と声をかけられた。説明するのも辛く、むぎの訃報に驚く相手に気遣いながら、生前中のお礼を述べる。

 喪失感にさいなまれている自分の心を悟られまいと笑顔で対して疲れていく。
 「そうだったんですか。それはお寂しいですね」との慰めに、「大丈夫です。ありがとうございます」とまたつくり笑顔で答えてその場を去る。たちまちにして寂しさがのしかかってきて心が折れてしまいそうになる。

 Facebookの仲間のある方が、ご自分の体験に照らして、「もしかしたら親よりつらいかもしれない」と慰めてくれた。そう、親のときとはまた別の悲しみがある。そんな同じ感情を共有してもらえて救われた。

 しかし、わがことながら、もうこれは立派な「ペットロス症候群」じゃないかと思う。よもや、自分がペットロスで、ひとり密かにとはいえ煩悶するとは……。
 悲しみはいずれ時間が解決してくれるというのは真実だろう。だが、時間の経過とともに深まる愁いもまた厳然としてある。愁いとの決別に、どれだけの時間を必要とするのだろうか。

 なによりも、むぎの苦痛に気づいてやれなかった自分の迂闊さが心残りとなっている。もう一度、元気なむぎを抱きしめて頬ずりしたい。



キャンプでもむぎを探すシェラ

2011-07-18 16:05:08 | シェラの日々


 シェラがむぎを探している。

 最初は、シェラの異常行動の意味がよくわからなかった。どんな異常行動かというと、廊下に敷いてあるカーペットをシェラがクシャクシャにしてしまうのである。このカーペットは、足元がおぼつかなくなってきたシェラが滑らないようにと、半年ばかり前に横浜のIKEAで買ってきたもの。
 
 これまで、シェラが、まるで地面に穴でも掘るようにぼくのベッドの脇のカーペットを引っ掻いていることはあっても、廊下のカーペットをクシャクシャにしてしまったことはなかった。だから、家人もシェラがやったとはにわかには信じられず、まるで異常現象が起こったかのようにぼくに語っていた。むろん、やったのがシェラであることは疑いようがなかったのであるが……。 
 その家人が、シェラの行為だと認めざるをえなかったのが、昨日までいっていたキャンプでのシェラの行動だった。 
 
 例年よりも梅雨が早く明けたので、金曜日を夏休みにして信州・八千穂高原へ二泊三日のキャンプに出かけた。年に3回から4回、シェラとむぎを連れて足繁く出かけてきたキャンプ場である。この5月のゴールデンウィークにも、むろん、寒いキャンプを楽しんだばかりだった。
 二か月後の今回、むぎは遺骨となっての同行だった。
 
 キャンプのとき、人間はスリーピングバッグにくるまって寝るが、シェラとむぎのためには二枚のフリースブランケットと布製の角箱型のベッドを持参する。二匹は夜中にテントの中を動きながら、ブランケットの上やらペットベッドの上、あるいはグランドシートに直接寝ている。
 
 われわれも脚付きのキャン用のプベッド(コット)で寝るので、犬たちの寝場所はそれら人間用のベッドの下になる。今回のキャンプで、シェラが家人の目の前で自分たちのペットベッドをまるで憑かれたように引っ掻き、振り回している姿を目撃した。
 「ベッドが邪魔みたいよ」と不思議なことを家人がぼくに告げたが、そんなシェラの行動はそれきりだった。
 
 シェラの異常な、あるいは不可思議な行動の意味が、家に帰った今朝、ようやくわかった。またしても廊下のカーペットが写真のようにクシャクシャになっていた。
 そこは、玄関に隣接した廊下の角にあり、いつもむぎが壁に寄りかかって寝ていた場所である。
 むぎにしてみれば、玄関番をしていたのであろう。いつも寄りかかっている壁は薄黒く汚れてしまっている。
 
 キャンプのとき、ベッドをひっくり返してイライラしていたのも、廊下の、いつもむぎがいた場所をかきまわしていたもの、やっぱり不意にいなくなってしまったむぎを探しているから――そう理解すれば、むぎの死からのシェラの異常行動の説明がつく。
 いつもむぎがやっていた門番を今回はじめてシェラ務めた(写真=下)。それとも、シェラはどこかからむぎが帰ってくるとでも思っていたのだろうか?



 ふた月前とは打って変わったキャンプ場でのシェラの寂しげな風情にぼくはただ無言で撫でてやるしかなかった。
 シェラ、元気になってくれ。以前のような屈託のないシェラに戻ってくれ――ぼくは切にそう願っている。


寂しいのは同じだよね

2011-07-14 22:14:06 | シェラの日々


 むぎが逝ってしまって明日で一週間、心の準備がまったくないままの別れならではのやるせない心残りがこみあげる。この動揺をシェラに悟られまいと、つとめて明るく振る舞ってきた。むぎを失い、この上、シェラとの永別まで早まってしまうことをぼくと家人はなによりも恐れた。
 
 かつて、知人から、二頭いた一頭が死んでしまったら、遺されたほうが、仲が悪かったにもかかわらず、まもなくあとを追うように逝ってしまったと聞かされていた。シェラとむぎは親子のような、いや、それ以上の絆で結ばれていた同士である。

 むぎはいつもシェラに依存して生きてきた。シェラに頼り、シェラもまたむぎをひたすら守ってきた。気の小さい弱虫わんこなのに、ほかの犬からむぎを守るためには身を挺して行動することにいささかの躊躇も見せなかった。



 シェラは育ての親犬でしかなかったが、4歳にしてむぎという見知らぬ子犬を飼主から託されると、人間に引けをとらないほどの強靭な母性を発揮した。
 むぎのほうもシェラはまごうことなき母犬そのものだった。シェラが弱ってきた最近では、むぎのほうがシェラを守ろうとする場面をしばしば経験した。それでもシェラへの依存が稀薄になったわけではない。
 だから、順番からいけばシェラが先発つのは仕方ないとはいうものの、シェラが逝ってしまったら、むぎは生きる気力を失い、確実に死んでしまうだろうとぼくたちは確信し、恐れ、でも、避けることができないと覚悟をしていた。だが、4歳年上のシェラではなく、同じ老犬とはいいながらまだ12歳のむぎが先に旅立ってしまった。

 7月8日の、わが家にとっては「魔の金曜日」以来、シェラが変わってしまった。
 むぎが死んでしまったという自覚などないはずなのに、前日までのシェラではなくなってしまったのである。ときには苛立ち、ときには意気消沈し、あるいは、不安そうにぼくや家内に寄り添う。その変わり方は、日々、違う表情を見せながら、まぎれもなく以前のシェラではなくなっている。



 われわれにアピールするための大きく喘いで見せることもなくなったし、おやつをねだることもなく、何よりも顔つきが引き締まった。そして、以前以上に寝ている時間が増えた。
 目を覚まし、擦り寄ってくるのが、ぼくや家内の寂しさを感じ取り、慰めようとしてくれているからなのか、あるいは、自分の寂しさを慰めてほしいためなのかは判然としない。むぎがまだいたころの昨今、食べものをねだるとき以外、そんな姿は見せなかった。

 いまにも泣きそうな悲しげな目にシェラの内なる寂しさをぼくたちは読み取ることができる。犬にだって寂しさや悲しみの感情はある。それを10数年、シェラとむぎと起居を共にしてくる過程でぼくは学んだ。
 シェラも寂しいのだ。慰めの言葉も思いつかず、ぼくは、ただ、シェラの首を抱き締めて捨て場のないやるせなさを噛みしめる。



 朝夕の散歩の様子も変わった。あまり歩きたがらなかったのに素直に従ってだいぶ先まで歩いてあちこちでにおいを嗅いでまわる。近場しか動かないときでも、自分の排泄は二の次で、散歩にならないほどしつこくにおいを嗅いでいる。
 これがシェラ流の「むぎ探し」だと決めつけるのは飼主のひいき目だろうが、この尋常でないにおい嗅ぎをどう説明したらいいのだろう。
 
 少なくとも、憑かれたようににおいを嗅いでいるときだけは、きっとシェラもつかのま寂しさが紛れているのだと思ってやりたい。
 相棒を失くして寂しいのは同じなのだから。

(写真は、上から順に「テントの中のふたり」「テントサイトでひと休み」「スクリーンタープの中でむぎを枕に」「クルマのリアシートは至福の場」)


それぞれの耐え方

2011-07-12 12:56:38 | 追憶のむぎ


 これまで、シェラとむぎのたくさんの写真を撮ってきた。そのときそのときの愛らしい風情がかわいくてカメラを向け、シャッターを押した。
 むぎが、突然、旅立ってしまって迎えた土曜日と日曜日、ぼくはパソコンの前に座り、ずっとむぎの写真を集め、在(あ)りし日のかわいい姿を眺めて長い時間を過ごした。こんなときのために撮影してきたわけではないのだが……。
 
 あらためてわかったのだが、どうやら、むぎは写真を撮られるのを迷惑がっていたらしい。パソコンの中のむぎは、大半が目線を外している。連続写真のなかで横目で見ているショットもある。
 それもまた飼主にとってはなんとも愛らしく、このブログでも過去に使っている。
 
 最近のむぎだけの写真2000枚ほどのうち、こちらを向きながら、むぎらしい表情を見せてくれている写真は10パーセント程度しかなかった。それらをさらに40枚に絞り込み、USBメモリーに入れて、昨日、会社近くにあるデジタルプリントのお店に持っていき、ハガキサイズにプリントしてもらってアルバムを作った。

 残りのむぎの写真はいつも持ち歩いているiPadに入れたが、プリントのアルバムには日常的にむぎが見せていた表情の写真ばかりである。いつものむぎらしい、とりわけ気に入っている一枚は、日曜日のうちに自宅のプリンターを使って作成し、アクリルの写真立てに入れてパソコンの脇に置いた(冒頭の写真)。 
 その写真に、むしろ、たまらないほどの悲しみが込み上げてくるときもあるが、「むぎ…」と呼びかけては寂しさを紛らわせている。

 何台かあるパソコンには、およそ壁紙の類は一切排除しているが、以前からiPadではシェラが、iPhoneには右の写真のむぎが壁紙になっている。これからも変えるつもりはない。
 
 家人は、自分の親が亡くなったとき(はからずも今日は家人の父親の命日だった)もそうだったが、当分、写真を見たくないからとすべて片づけてしまった。むろん、むぎの写真は見せないでほしいと言われている。だから、むぎのアルバムも写真立てものむぎも彼女の目に触れないようにしている。
 
 かわいい写真を見てやることがむぎへの供養だと考えるぼく、写真を見ることさえできない家人――どちらもが、まさしく自分の中にぽっかりと空いた穴のような喪失感の耐え方である。


ごめんよ、むぎ…

2011-07-10 08:42:38 | 追憶のむぎ


 むぎを失って二度目の新しい朝を迎えた。
 
 日曜日だというのに早々と目が覚めてしまう。睡眠時間がじゅうぶんではないのに目が覚める。その度に「もうむぎはいない」との思いにため息がでる。昨日も同じだった。
 
 最近のむぎはたいていぼくのベッドの下に寝ころんで、ベッドの下に鼻を突っ込んで寝ていた。もういないとわかっていてもつい目がいってしまいそうになる。以前のようにそろそろと右足をベッドから出してむぎの存在を確認したくなる。
 もし、足の先にむぎの身体の一部が触れたら、「むぎ…」と声をかけて手を伸ばし、二、三度なでてやる。眠りを破られたむぎは身体をピクリと動かし、迷惑そうに反応する。そんな習慣も、もう捨てなくてはならない。

 いま、少しずつぼくは自分を責めはじめている。こんなことになる前に、なぜ、お医者さんに相談しなかったのかと……。
 むぎの変化に気づいていなかったわけではない。玄関を出て散歩の支度をするほんの短い時間でも、むぎは立っていないで伏せていた。12歳の年齢のせい、オーバーウェイトのせい、暑さのせい……そうやってタカをくくってきた。あれは間違っていた。
 
 もしかしたら、深刻な疾病を抱えているかもしれないとの疑念が頭の片隅にあったが、次にお医者さんを訪ねたときに相談してみようと先送りにしていた。食欲もあったし、家では元気だった。歩くのがのろくなり、歩くと疲れやすくなっているのは16歳のシェラと同様だった。
 
 きっと苦しかったのだろう。もっと早く手を打っていればなんとかなったかもしれない。そんな自責の念に苛まれそうになる。
 涙にくれる家族たちには、「仕方ないよ。これがむぎの寿命だったんだ」と言って慰めながら、ぼくは激しく悔やんでいる。
 「ごめんよ、むぎ……」
 何度、ひとりつぶやいてきただろうか。
 
 あの朝、散歩から帰ってきたときの苦悶の表情にもぼくは冷淡だった。それからほんの一時間で旅立ってしまったむぎの力の抜けた身体の重みがいまも腕に生々しい。

 ごめんよ、むぎ……