とにかく風が強い日でした。
展望スポットから下りてきて、
地図を確認しようとしたときに、
地図を入れている袋が風に取られて
舞い上がって川に落ちてしまうほどでした。
地図には通過時間を記入したりするので、
このあたりの携行手段はさらなる工夫が必要ですね。
マップケースを導入ればいいのでしょうか。
適当なのがなければ、
自分で作ってみるのもいいかもしれません。
条件は、持ち運びが便利で
記入もしやすいものね。
あるかなあ~
いかにも街道といった道を進んでいくと、
次の王子である「斑鳩王子」の案内が出てきました。
そこからは住宅地を出て、
春はさぞや気持ちよかろうという
丘陵地につけられている道を、
風に押されながら進みます。
こわいほどの風です。
なにせ「強風」と「恐怖」は一文字違いです。
右手には先ほどの印南漁港の
ベストシーンに写っていた丸山が見えています。
遠くにこの島が見えてから約30分。
歩くというのは思いのほか進むものであります。
あ、坂の頂上に鳥居が見えてきました。
「斑鳩王子」です。
このあたりの地名の
「光川」はこの王子の名前に由来している
といわれています。
では、なぜ「斑鳩」なのか。
大和の斑鳩と関連があるのか、
その辺はよくわかりません。
かつて大阪南部の王子の名前にも
「厩戸王子」があったりして、
熊野参りにも聖徳太子の影がちらちらするのは
考えすぎなんでしょうかねえ。
その王子から海に向かって石段を降りていくと
再び国道42号に出ます。
そこには車を止めるスペースもないのに
こんな立派な案内が建てられてあります。
ここからまた車に注意しながら進みます。
あ、切目王子の案内がありました。
その時は案内に気を取られていましたが、
帰ってきて写真を見ていると、
背後に写っている食堂に見覚えがありました。
多分、昔白浜サンセットマラソンの帰りに
立ち寄ったお店だと思います。
なつかしいなあ。
その先に久しぶりに見かけたコンビニに入りました。
昼食で飲みそこねたホットコーヒーで
ちょっと休憩です。
最近のコンビニは、
カップコーヒーを提供してくれており
ありがたいですね。
ただここにはイートインコーナーがなかったので、
風を避けれる駐車場の陽だまりで
しゃがんでいただきました。
ふ~、あったかいんだから~。
休憩しながら地図を確認すると、
このあたりで今回の行程の
約4分の3を過ぎていました。
あとわずかです。
頑張りましょう。
コンビニ前のガードレールの切れ目から、
国道と並行している旧道に入ります。
すると道端に「東光寺」の看板が立っていました。
おお~、懐かしい響きのお寺です。
萩往還250キロマラソンの
215キロ地点のポイント
にあるお寺と同じ名前です。
2晩寝ずに迎えた朝に通る寺ですから、
記憶はぼんやりしていますが、
たしか境内入り口近くに自販機があり、
寒くてホットコーヒーを飲んだことを憶えています。
おお、今飲んだところですから
ホットコーヒーつながりです。
あちらは「護国山東光寺」、
そしてこちらは「薬王山東光寺」。
小栗判官 照手姫ゆかりの寺と書かれてあります。
看板には二人の絵も描かれており、
このお寺に参って、
薬師如来本尊から湯の峰温泉に行くよう
お告げがあったようなことが書かれてありました。
小栗判官、弘法大師、徳本さん、
そしてもしかしたら聖徳太子の
残像がこの道沿いには
色濃く残っているんですねえ。
この看板からすぐのところに
熊野詣五体王子のひとつ
「切目王子」
があります。
五体王子とは、
一般にはこれまですでに通ってきた藤代王子のほか、
これから通る稲葉根王子、滝尻王子、発心門王子
とあわせて5つの王子を
格式の高い王子として分類されています。
側道の突き当りを右折すると
深い緑の中にその王子があらわれます。
たしかに、立派な社もあり
全体がパワースポット的な雰囲気に満ちていました。
この王子には「ホルト」の大木があることで有名です。
他にも揚石や
清水井戸など
境内には目移りするほど
様々なスポットがありました。
本日最後の王子です。
念入りに合掌しておきましょう。
ここまでで約3時間歩きました。
あと1話続きます。
国道を離れたのも束の間、
しっとりと歩きたいのにすぐにまた合流です。
おや?ここの道路に書かれてある
「とまれ」の絵はカエルです。
御坊市内はむち打ちパンダだったのに、
むち打ちガエルになりました。
なぜカエルなのかは後ほど明らかになります。
ここが地図にあった、活魚店です。
どんな活魚なのかなと思っていたら、
活アジでした。
他には・・・ほう活アジですか、
あ、活アジも売っているようです。
他に看板ないのんかいな。
なおも国道を進みます。
登り坂の途中にはこんな看板がありました。
印南町が設置したもののようです。
御坊の看板とはまた違っています。
坂を登りきると、JAのフレッシュマートが
ありましたのでここでトイレを拝借です。
ここはどうやら、花の出荷場のようです。
そしてその先の駐車場からの景色が
今回のベストシーンです。
高台から印南漁港が一望できる素晴らしいスポットでした。
左の陸地から沖に突き出た小さな島が
後ほど近くを通る「丸山」です。
次に目指す津井王子は
この駐車場の先を左折して入っていきます。
案内に従っていきますと、
そこが津井王子です。
この「津井王子」は熊野御幸のころは
この名で呼ばれていたそうですが、
すたれていき後世には
「叶(かの)王子」と名前を変え、
願い事がひとつ叶うということで、
絵馬も置かれてあり
地元では「おかのさん」と親しまれているそうです。
熊野ブルーの案内板も「叶王子」と表記されていました。
ちょっと奥まったところにあるこの王子は、
海からの風当たりも弱く
広場もある静かなところです。
ベンチもあったので、
今回はここで昼食にすることにしました。
今日のお昼はこれ。
毎度おなじみカップめんとおにぎりです。
ところがここで困ったことが起こりました。
さあ、湯を沸かそうとコンロに火をつけたところ、
どうも火力が上がりません。
ガス欠です。
なんとか1杯くらいはと思い、
コンロに向かって思わず「叶王子さんお願い」とお祈りし、
横で「ガンバレ、ガンバレ」と励ましつつ見守りました。
が、徐々に火力は弱くなり、
そしてついに・・・力尽きてしまいました。
あ~あ、下準備はしっかりしてきたつもりだったのに、
ここまで気が及びませんでした。
コッヘルを覗き込むと・・・むむ、
かなり沸いている様子。
ダメもとで注いでみたら、
なんとか調理することができました。
これも「おかのさん」の御利益でしょう。
食後のコーヒーはあきらめ、
お腹が膨れたところでこの王子を後にしました。
印南港の交差点から漁港に入っていきます。
するとそこにこんな看板が。
そうか鰹節はここで生まれたのか、
と思いきや現地の説明板を読みますと、
足摺岬沖に鰹の大漁場を発見し、
鰹節を土佐で開発した人(甚太郎)が
ここ印南の漁民だったという事らしいです。
鰹節と言えば土佐、
なんですが意外なルーツが
和歌山にあったんですねえ。
漁港を出て平和橋を渡ると、
古道は左に大きくくねっていきます。
昔の旅人は、できるだけ平坦な
海沿いを歩いていたとはいえ、
季節によっては困難な道程だったんでしょうねえ。
強風にさらされ、波に洗われつつ歩くのにも
辟易したのでしょうdoiron同様、
ここらで山の方に入りたいな
と思ったに違いありません。
急な上り坂を登って行くと、
海からの風が激しく吹いてきます。
海の方に向かうと一歩も進めないくらいの強い風でした。
そんな強風に耐えて、振り返ってみますと
遠くにユニークな橋の姿が見えました。
印南町が町の威信をかけて作った
「かえる橋」です。
「考える」
「人をかえる」
「町をかえる」
「古里へかえる」
「栄える」
という5つの“かえる”からデザインされたそうです。
ああ~、だから止まれのペイントの
モデルがカエルだったんですねえ。
ちなみにdoironのこの作品は
このことを知る前に描いたもので、
けっしてパクリではありません。
続く。
歩いた日は、その地域の市会議員選挙の前日でした。
各地に看板が建っています。
おっと、このことは書いてはいけないのかな?
だって看板にはこんな掲示もついてました。
わかった。これ以上ふれないようにしましょう。
と、その時遠くから強風に乗って
選挙カーの声が聞こえてきました。
「ただいま候補者自らが歩いて挨拶に伺っております」とな。
ふむふむ、候補者も熊野古道歩きですか。
近づいてきて挨拶したら、
まるで手も握らんばかりに近寄ってきました。
「世の中をぉ~変えたい一心でぇ~」
ではなくて
「前回は涙を飲みましたが、
フットワークの軽いOOをよろしくお願いします」だって。
う~ん、どう見てもフットワーク重そうやんけ
と心の中で突っ込んでしまいました。
でもまあ頑張って市会議員になって
熊野古道の整備をよろしくお願いしますわ。
さて今回最初の見所である
「清姫の腰掛け岩」
に到着です。
その岩を見ると、丸いくぼみがあって
そこに水がたまっておりました。
「おのれ安珍め」という清姫の
怨念が石をへこませたのでしょうか。
ここからことわざが生まれました。
「石の上にも怨念」
はい、次行きましょう。
そこから少し歩くとこんな美容院がありました。
資料の案内地図には
「ヘアーサロン」と書かれてありましたが、
これは間違いでしたね。
正しくは「ペアーサロン」です。
意図はよくわかりませんが、
二人以上でご来店くださいってことですかね。
などとぶつぶつ言いながら進みます。
やがて次の王子である
「津井王子」の案内も現れはじめました。
その先で道はめずらしく三本に分岐しています。
ぱっと見た目は右端が街道っぽいのですが、
ここは真ん中の道が正解です。
確かに道はこんな風に街道風です。
墓地には大きなビャクシンも植わっています。
津波の時のお助けビャクシンかもしれません。
楠井川を渡る「濱側橋」の手前にあるのが、
小さな庚申堂。
庚申信仰は、民間信仰が複雑多岐な形で広まったもので、
地域ごとに意味合いが異なります。
ここでは、地域の特性を考えると
海の方を向いて立っていることから、
海上の安全を祈っているものかもしれません。
彫られているのは千手観音でした。
このあたりで海辺に出ると
風が一層強くなってきました。
しかし喜ばしいことに追風です。
身体が本当に押されるように
前に前にと進むほどでした。
そうそう、まだまだこのあたりには
ビニールハウスがたくさんあります。
その中を覗いてみると、
風もなく暖かくて春のようで、
まるで別世界。
雨が降ってきてもここで恰好の雨宿りが出来そうです。
温室の中は快適コンディション。
しかも花に囲まれて雨宿りなんて
とても風流やおませんか。
中に植えられているのはスターチスが多かったですね。
道端の小さな地蔵にも、
色とりどりのスターチスが備えられていました。
このあたりの道はその先で国道42号と合流し、
ここからしばらくは、
車に注意となります。
その合流点にあるのが、
「宮子姫生誕の地」の碑です。
あの道成寺草創のきっかけとなった姫ですね。
御坊市の宣伝が始まったということは
そろそろ御坊市の境界が近づいてきた
ということでしょう。
その予想通りに
熊野古道も次は印南町に入っていきます。
このあたりにはヤシの木が
たくさん植わっています。
これは、ヤシの花。
茶色のフサフサの中に
怪しげな赤い花?実?が見えています。
こんな短く刈り込まれたヤシが
道端にたくさん植わっています。
それらを眺めながら国道沿いをしばらく行きますと、
資料の案内通りに
前方に大きなフェニックスが見えてきました。
ん?ヤシの木とフェニックスはどう違うのでしょうか。
さっそく調べてみました。
ヤシというのはヤシ科の植物の総称だそうです。
そのヤシの中でも、
日本では一般に
「カナリーヤシ」という植物を
フェニックスと呼んでいるそうです。
ということは、こんな形をしている植物は
「ヤシ」と呼んでいれば間違いないわけですね。
道はフェニックスのところから、
再び国道を離れていきます。
このあたりで歩き始めて1時間が経過しました。
続く
昨年末に歩いた前回の熊野古道は
西御坊から上野王子まで歩きました。
したがって今回は上野王子から南下し、
切目までの約10キロを歩きます。
前回歩いた時は駐車場のおいやんから
「この寒いのによう歩くわあ」
と言われるほど冷たい天候でしたが、
今回はそれにもまして冷たく、
そして強風の吹き荒れる日でした。
幸いその南の方は雨はほとんど降りませんでしたが、
大阪ではとても冷たい雨が降っていたそうです。
出かけるにあたっては、
年明けから入院している
スーちゃんの容態をまず見計らわねばなりません。
前日の面会時に先生がお話をしてくれて、
炎症反応の数値もかなり下がっていること、
週明けから食事の経口摂取の
リハビリを始めるとの言葉を聞いていて、
順調に快方に向かっているようで
行くなら今だと判断したわけです。
ライター仕事も、出稿したばかりなのでひと段落。
それにクリエイター修行の方も、
ここ数日こもっていたので、
気分転換もせねばなるまいて
と思っていたところだったしね。
熊野古道を歩くときは、
いつも前日にしっかり準備をします。
コース中の見どころというか
見逃しちゃいけないところを
地図や資料でチェックし、
一覧表を作ります。
その一覧表にはさらに
利用するかもしれない時間帯の
バスの時刻も記入しておき、
さらに今回は電車から少し離れての歩行となるので、
もし万一急に帰宅しなければならなくなった時のために、
タクシー会社の連絡先もあわせて記載しておきました。
服装は、モンベルの汗取りシャツに
ユニクロの極暖を重ね着し、
その上にいつもの街道ブレーカー。
頭にはニットの帽子、
襟元はネックウォーマー、
下はスポーツタイツの上に
ジャージ生地のウォーキングパンツ。
これで完璧です。
ヒートテックもフリースもなかった
昔の旅人の苦労がしのばれます。
荷物の中には、ガスコンロ一式も入ってます
(今回はこれがちょっと問題を引き起こしました)。
コース上のコインパーキングが御坊にしかないので
そこまで車で行き、
バスで上野、そしてそこから
JR切目までの歩行です。
バスの時刻が早朝を避けると10時発となるので、
朝8時に家を出発。
途中、かなり雨も降りましたが、
めげずに向かいました。
これがこの日の御坊の駅。
バスの時間まで30分ほどあったので構内を探索です。
折しもその日は、大学入試のセンター試験の日でした。
駅校内には駅員一同のこんな張り紙が・・・
ここから試験に向かう人達への激励の言葉です。
doironの知り合いの息子さんも受けるそうですから
今日はコース沿いの神社仏閣にも祈願しておくことにしましょう。
あとこの地域の特産品の展示もされていました。
目をひいたのはこれ。
さすがに海に面した地域です。
かまぼこの会社もあるようで、
「じゃんぼこ」と名付けられた巨大かまぼこが迫力でしょ。
トイレも済ませてバスに乗車。
目的地の上野に到着したのが午前10時25分。
どんよりとした空ですが
雨が降らないことを祈って
さあ、歩行開始です。
ここが前回最後に訪ねた海辺を眺める上野王子。
コースに入って、未知の区間に入るときは
いつも止まっていた時計が
コチコチと動き始めるような気になります。
季節は厳寒の時ですが、
道路わきの斜面は水仙境状態。
そろそろ咲いているだろうと
予想していたハマダイコンの花も
強風に揺れておりました。
このハマダイコンは大根が野生化したものだそうです。
和歌山の海岸線沿いには
たくさん雑草のように生えています。
一般には食べられないとのことですが、
根っこの木質の部分を除いて
浅漬けにでもすれば食べられるそうです。
田辺まではほぼ海沿いをいくので、
これからも顔を見る機会は多いでしょう。
一度チャレンジしてみる価値はありそうやな
と舌なめずりしながら進んでいきます。
続く。
さて、年も明けて2015年。
キリのいい年ですねえ。
スポーツの開催回数だったら
記念大会といわれる数値です。
なんてことと、doironの街道歩きには
何の関係もございませんが、
本日、2015年の熊野街道歩き始めに
行ってきました。
コースは前回の続き
上野王子から切目に向けての約10キロ。
スーちゃんの落ち着いているのを見計らい
ライター仕事の狭間を選び
クリエイター仕事の息抜きということで
西高東低の気圧配置のせいで
気温、風、雨ともにあまり芳しくない天気の中
思い切って出かけてきました。
しかし南の方は意外に雨は大丈夫でした。
ただ、難儀したのが
まだまだ海沿いのコースとなりますので
風の強かったこと。
さあ、帰ってきて久しぶりに
熊野古道歩きを書くぞと思っていたら
先ほど、幼馴染の親の訃報が入りました。
これから、お通夜、葬儀の打ち合わせに
行かねばなりません。
なので本編は明日以降と言うことで・・・
とりあえずの予告編アップでお許しください~
フリーライターを初めて1年半。
幸いにもライター仕事は、
編集者の要望にほぼ応えられているようなので、
問題なくこなせている・・・はずである。
ただ、やりたいという気持ち一心で
「フリーライター始めました」
の看板をあげて、
すぐに途切れずに仕事をいただけるようになったというのは、
この上なくラッキーだったと言えます。
それは小さなメディアですが、
フリーライターとして地道に実績を積んでいける
ということからもとてもありがたい話でした。
今の思惑としては、
このライター実績を足掛かりに、
もう少し大きなメディアへの登録も
目指しているところです。
そしてそんなライター仕事に加えて
もうひとつ、目指しているものがありました。
それが「クリエイター」です。
下手なりに頑張って絵を描いて、
そこに言葉をつける、
あるいは絵そのもので
何かを表現したいという思いで
いそしんできました。
これも全くの初心者レベルから
始めて来たことのひとつです。
これまで3冊のカレンダーや
数十枚のしおりを作ってきました。
ほとんどは知り合いに見てもらったり、
たまにその作品を購入していただける
ありがたい人もおられましたが、
言ってみれば口コミレベルでの話でした。
そこで、もっといろんな人に見ていただきたい
という気持ちから、
ある画像販売をしている会社に、
絵を提出しクリエイター審査を受けることにしたのです。
出した絵は、この新作も含めて6枚。
そしてその6枚すべてに関して
合格通知が本日届いたのです。
つまりクリエイターとして登録されたわけです。
これはもううれしかったですねえ。
doiron的には先日の芥川賞を受賞された
人並みにうれしかったです。
たとえ絵が売れようと売れまいと、
プロが売れるかもと判断してくれた
という事が何よりうれしかったです。
まだまだ未熟ではありますが、
このクリエイター登録が
少しでもまた前に進むきっかけになれば
と思っています。
こうしてdoironのセカンドライフの
また新たな第1歩が今日始まりました。
駅伝シーズンである。
最近は中学生の駅伝から
実業団の駅伝まで男女を問わず
テレビ中継されているほど、
世間の関心は高そうだ。
中にはアイドル的な扱いをされる選手もいたりする。
正月と言えば、実業団駅伝と箱根駅伝。
マラソンを趣味とする(していた)人には
のんびりするのに格好のテレビ番組だろう。
doironもこたつでテレビ観戦をしていたのだが、
放映中にたまに顔が写る
元選手の監督、コーチを見て
得も言われぬ親近感を覚えるときがある。
お互い現役選手だった時代には
「ああ、あんなきれいな走り方で
かっこよくそして速く走りたいなあ」
とあこがれて見ていた選手が、
二重あごで大きなおなかを抱えてたり、
寂しくなった髪の毛をなでなでしながら
インタビューに応じていたりするんだよね。
「若い時にはどんなけカロリーを消費してたねん」
とか
「ああ、あの選手も普通の人間だったんだ」
とついつい思って親近感を抱いてしまうんだよね。
そんなことないですか?
で、ここで引退ランナーとして
日常よく出会う出来事や想いを他に挙げてみることにしよう。
題して「引退ランナーあるある辞典」
その1
は今書いた「元ランナーの監督やコーチに親近感を覚える」。
続いて
その2
「ゴールで倒れこむ選手をはげしく心配してしまう」
まるでお約束のようにゴールしてから倒れこむ選手や
脱水などでフラフラになりながら倒れる選手なんかの映像が流れると、
現役の頃の自分の姿と重なってしまう。
挙句にあんなことになった自分としては、
胸がドキドキするほど心配してしまうんだよね。
その3
「地名を聞くとその地のマラソン大会名が出てくる」
例えば、「OO町すいかマラソン」という大会名を、
行ったことがなくてもよく目にしていたりすると
OO町と聞くと
「ああ、スイカの有名なところね」となる。
出てみてあまり印象のよくなかった
マラソン大会があったところだったりすると、
「ああ、あそこはあまり行きたくないなあ」
と思ったりして、
旅の選択の基準がその地で開催されたマラソン大会や
トライアスロン大会の評価だったりするんだよなあ。
その4
「距離感が壊れたまま」
人との話の中で、ある場所とある場所が
10キロ離れていたとする。
しかもその間の移動交通手段がないとした時どうなるか。
マラソン等の経験者であれば
「10キロなら走ってでも行ける」
と考えてしまうんだよね。
それが例えば50キロになったとしても
「自転車でいけるやん」と思ってしまうところが悲しい性である。
一般人と距離感にかなりの隔たりを感じてしまうことが、
今でもよくある。
その5
「かっちょいいウェアを見かけると欲しくなってしまう」
街を歩いていてスポーツ用品店の前なんかを通ったときに、
最新のウェアなんかがディスプレイされていたりすると、
もうそれを着てレースに出るなんてこともないのに、
ついついしげしげと眺めている自分がいたりする。
最近のウェアはデザインも機能も
よくできているものが多いね。
てことで次の
その6
「普段の服もスポーツブランドを選んでしまう」
寒い日にスーパーに行くときも、
下はユニクロのヒートテックでも、
アウターはアディダスやナイキということが多い。
ちょっとおしゃれしようと思ったら
ついついそんなウェアを選んでしまうんだよね。
まだまだあります。
その7
「マラソン」の文字に鋭く反応してしまう。
新聞や雑誌、あるいは世間の看板とか見ていても
「マラソン」というカタカナ4文字が目に入ると、
「オッ」と思ってがん見してしまう。
その8
「走っている人を見ると知り合いじゃないかと顔を覗き込むように見てしまう」
これは車の運転をしている時が多い。
後姿を見かけたら、
追い越しざまに横顔をチェック。
マスクをしていたり、
帽子を目深にかぶっていたりすると、
「あれはAさんじゃなかったかな」
といつまでも気になる。
その9
「久しぶりに会う人には必ず『まだ走ってるの』と聞かれる」
まあ、その8もその9も
現役で走っている人に当てはまることかもしれない。
ただ、引退ランナーは、
以前のように日焼けしていない
とかかなりふっくらしたとかの特徴が現れるから、
久しぶりに対面する人には
必ずと言っていいほどこの質問をされる。
他にも書けばきりがないが、
ここら辺で最後にしておこう。
その10
「足腰の故障が飛躍的に減った」
まあ、引退して一番実感するのはここかな。
肉離れした、腱をいためた、腰が変になった
などの故障が飛躍的に減ったのは喜ばしい。
しかし、逆に
「生活習慣病」が忍び寄ってくる
というのを忘れてはいけないと
近頃は肝に銘じている。
以上、現役の人も思い当たることが多いでしょ。
またそのうちに現役のころを思い浮かべて
「ランナーあるある辞典」を書いてみようかな。
doironが住んでる村は、
とよくブログに書いてます。
というのも人々のつながりは強く、
旧態依然と昔の村社会のようなもんなのです。
けども実際は行政区分でいうと
れっきとした「市」の中で住居表示も丁目、番地もあって、
さほど田舎ではないのです。
そんなこの都会の村ですが、驚くことに
野生?動物がかなりいます。
昔は神社に兎もいたし、
空には「ピーヒョロロ」とトンビも飛んでいました。
最近は家の近所で車を運転しているときに、
たまに「イタチ」を見かけます。
そいつは、義母さんちの天井裏にも出没し、
時折頭の上をタタタターと走りまわるそうです。
住み着いてしまうと、
えさの食べ残しやフンなどで厄介なのですが、
まだそこまではいってないようなので、
とりたてて対策はしていません。
古い家だから、屋根と壁の隙間なんて
どこにでもありそうですから、
対策するとなると大変だからです。
だから困った時に考えようと思っています。
夜警の時に聞いた話なのですが
近所で棕櫚竹の栽培をしている幼馴染がおり、
彼曰く「白いイタチ」もいるそうです。
棕櫚竹に水をやってると、
合間からちょこっと顔を出している姿が結構可愛いんだそうです。
多分この地域に住んでいるイタチが生んだ
突然変異の個体でしょう。
その幼馴染は他にもアライグマも見かけるそうです。
かなり凶暴だそうなので、気を付けているとのことです。
そして先日のことだそうです。
あ、またアライグマだと思って見ると、
どうも顔の模様がいつもと違っていたことに気づき、
ネットで調べたらどうやら
「ハクビシン」のようだったと言ってました。
かなり多彩な顔ぶれですねえ。
あ、そうそう「タヌキ」もいるそうです。
その話をしている時、
「それって僕のこと?」て聞いてみたら
「あ、そうかもしれん・・・て違う違う
本物のタヌキや」と申しておりました。
そんな話を聞くと「へえ~」と驚いてしまいますが、
年が明けてから驚くべき動物事件がわが村に発生したのです。
それが現れたのは、doiron家の3軒隣の家でした。
家の人が庭に出てみると、
どうもなにやら人の気配がするぞと思い、
おそるおそる探し回ってみると、
納屋の片隅から「キーッ」と叫びつつ
飛び出してきた動物がいたそうです。
なんと、それは・・・
「サル」だったのだそうです。
家の床下に逃げ込んだりしながらも、
気配は消えることなく続いていたので、
ついに警察の登場とあいなりました。
散々追いかけまわした挙句、
姿を見失ってしまったそうです。
それにしても、どこから来たのでしょう。
騒動を聞きつけてやってきた村人たちは
口々に推理します。
「ペットショップから逃げ出してきたんとちゃうか」
「ひょっとしたらOOちゃんと見間違えたんと違うか」
「寒くてエサがなくなって和泉山脈から信太山経由で
里に下りてきて迷ったんと違うか」
「今年はひつじ年やで、さる年は来年なのに間違えたんと違うか」
等々、寄るとさわるとサルの話題でしばらく持ちきりでした。
(主に赤字はdoironの言葉ですがね)
それにしても、猿とはねえ。
doironの知る限り、この村にも
タヌキおやじやヘビ女、熊みたいな人間はいますが、
猿は初めてです。
これで、イノシシや
カピバラなんかまで現れたらどうしましょう。
もしかしたらわが村を動物園化しようとする、
トレイル好きで動物園好きの
誰かの陰謀かもしれません。
とにもかくにも村中を沸かせた、新年の大騒動でした。
年末に息子にメールをして
正月に帰省するのかどうか尋ねた時には、
どうも遊びに忙しいようで、
今年も帰ってこないという返事だった。
まあ、そうして一緒に遊べる友達なんかも
たくさんいるそうだから、
それはそれで喜ばしきことである。
そんなやり取りの中で、
「ボーナスたくさん出たん?いいな、いいな」
としきりに言ってやると
「わかったよ、なんか送るよ」
と返事があった。
まるで親子が逆になったような会話である。
そして昨日、ようやくその約束通りに、
息子の名前で宅急便が届いた。
中味は「ワイン」と「おかし」。
そのワインがこれ。
希望通りの赤ワインである。
昼間にスーちゃんを見舞ったら
眼も開け、呼びかけに確かに応えてくれたので
急変の心配もなかろうと
普段は交代々々の晩酌制限を解除し
今夜、夜食でそれをいただくことにした。
ま、いざとなったらdoironには
オジチャリがあるしね。
とりあえず、スーちゃんの回復と
息子がちゃんと育っていることに、
ミセスと乾杯。
これが、うまかったあ!
ついつい飲みすぎて、
今は夫婦二人でヘロヘロです。
ワインってアルコール度数高いんだよなあ~。
てことで、今夜はこれでおしまい。
だんじりでの関連では「世話人」会の
会長を務めているけど
我が村にはもうひとつの世話人の役がある。
それが菩提寺であるお寺の「世話人」だ。
そのお寺で新年懇親会が今年もあった。
菩提寺の寺費を集めたり、
法会のお知らせを配ったりする
「世話人」を引き受けてから
もうすぐ2年の任期満了を迎える。
この間、親父の葬式があったりして、
住職を含めお寺の僧侶たちとは
顔を合わせる機会がぐっと増え、
ずいぶん親しくもなった。
僧侶と親しくなったところで
自分の葬式が豪華になるかと言うと
そういうわけでもない。
仏に仕える身の人達の
所作、言動、持ち物などを目にしたり、
耳にする機会も多く、
悪い意味ではなく、
仏との距離が少し縮まったような気がするだけだ。
この新年会(お寺では「初会」という)が終わったら、
後は3月に彼岸法要の案内をして、
世話人はお役御免となる。
次の村の後輩に引き継がれる。
自治会の役のように無期限ではなく、
こんな風に期限が決まっているものは、
任期満了時にはやっと務め上げた
という充実感があっていいなあ。
スーちゃんが入院してはいるものの、
檀家50軒ばかりを代表して、
ラス前のお役目として
とにかくこの初会には参加をしなくてはならないのだ。
初会はまず、本堂での読経から始まる。
「日常勤行集」と書かれた冊子を見ながら、
僧侶と一緒にお経を唱えるのである。
昨年は、どうもキーを合わせることができず、
へんちくりんな読経になってしまったが、
今年はふたつの葬式、計14回の七日参り
をこなしているので慣れており、
惑わされずに自分のキーで唱えることができた。
それに、四国巡礼のために
般若心経も覚え始めているしね。
同称十念・・・
南無阿弥陀仏を10回唱えるのも慣れたものだ。
一緒に世話役をしている同級生も
「今年は上手になってるやん」と言ってくれたわい。
彼はすでに受戒を受けており、
正真正銘の信者であるため
読経はお手の物なのである。
そうして40分間、
本堂でお勤めをしたあとに懇親会が始まる。
この日は各地域の総代、世話人計20人余りが集まっていた。
地域の世話人となると、
祭りでも役員をしていることが多く
中には知った顔も何人かいた。
例によって超豪華な食事を摂りながら、
歓談をするわけである。
住職がお酒を注ぎに来たときには、
「大日如来、薬師如来、阿弥陀如来などの
見分け方はどうなんですか」
と質問をしてみたかったのだが、
新年の年賀式に檀家回りの
道案内をさせていただいたことに対するお礼と、
昨年のお葬式のねぎらいで
話が終わってしまった。
保留となった質問は、
いつか機会があれば
尋ねてみようと思っている。
小一時間で
初会も無事終わり、
さあ、世話人の仕事もこれで
あと一つを残すのみとなったわけである。
現世の煩悩に翻弄されがちなdoironではありますが、
これで桜の咲くころには、
ひとつ心が軽くなっているだろうて。