スーちゃんが落ち着いているのを見計らい
昨年大和三山を歩いたあの日、
コースのすぐ近くにあったにもかかわらず、
時間の関係で寄りそびれていた
「橿原考古学研究所付属博物館」
に行ってきた。
橿原市は奈良県下で奈良市に次ぐ2番目の規模の市。
藤原宮などの史跡も数多くあるところなので、
さぞや立派な博物館だろうという期待はあった。
ただ目的は漠然としていて、
お目当ての展示物があるわけではない。
歩いている時に入った食堂で
隣に座った男性から
「ぜひとも行くといい」と、
もしかしたら博物館の回し者?
というくらいハゲしく勧められていたので
気にはなっていたところだ。
行ってみてその人が博物館に居たらおどろきやなあ、
と思いつつ昼前に車で家を出た。
先ずは昼食。
国道沿いの店に入った。
まだ松の内ということもあって
店内にはお正月ムードがそこはかとなく漂っていた。
そんなムードにほだされて、
ついつい頼んでしまったのが
「カニいくら飯」
うひょー、ぜいたくしてしまった。
ところが、やってきたご飯を見ると
カニは乗っているものの、イクラの姿がどこにもない。
あれ~、イクラさんは恥ずかしがりなのかなあ、
カニの陰にかくれているのかなあ、
出ておいでイクラちゃん!
と探してみたが行方不明である。
こ、これは今話題の「逆・異物混入」だあ。
これは言わねばならない。
しかも早期にである。
というのもイクラを食べてしまってから
「ないない」と騒ぐ変な客だと思われかねないからね。
店員を呼んで
「君、イクラ君はどこに行ったのかね?」
もしくはいやみたらしく
「イクラを入れてなかったらおイクラ?」
あるいはもう少しきつく
「イクラなんでもこれはないだろ」
などと言ってみようかと思ったが、
ここはぐっとおさえて
「イクラが混入していないんですけど・・・」
とクレームを言うと、陳謝しつつ
すぐさまイクラを乗せてきてくれた。
でも、お詫びのしるしに
イカとマグロとホタテも乗っけてほしかったなあ~
と少し期待外れではありましたが、
とりあえず一件落着である。
お腹がふくれたところで、早速博物館に向かった。
ガラガラの駐車場に車を停めて、
まずは外回りをチェック。
入り口周辺の外観がこれ。
多分中に入ると撮禁だろうから、
建物周りに展示されているものを存分に撮っておいた。
ほとんどが石棺のレプリカ。
一瞬、親父の柩を思い出した。
そんな中にひとつ、ひときわ目立つ大きな石が展示されている。
藤井寺で見つかった修羅の復元実験で用いられた石だそうだ。
これを運ぶのはさぞや大変だっただろう。
さて、この博物館のマスコット「イワミン」と
おなじみの奈良のマスコットに挨拶をして中に入っていこう。
まずは常設展。
ここには石器時代から奈良・飛鳥時代までの遺物が
時代ごとに展示されている。
石器、土偶、馬具と装飾が徐々に
精緻を極めていく様子がよくわかるものの
ほとんどが近所の弥生博物館と似通っていて、
あまり目新しさは感じなかった。
旭山動物園が、動物園のあり方を大きく変えたように、
この手の博物館も「見せ方」を是非もっと工夫してほしいもんだな。
撮禁と撮可の展示が入り混じっているのも、
あまり工夫を感じなかったな。
とりあえず並べておけ、みたいな感じではなく、
なにか方法がないものかねえ。
特別展は今年の干支にちなんで
「ヒツジ」
に関する展示であった。
12月20日から展示をしているようだから、
年末に来れば年賀状のヒントになったかもしれない。
もっとも今年は喪中なので
年賀状は作成しなかったけどね。
時の流れがビジュアル化されている博物館。
そんな展示を眺めながら、
あまりにありきたりだったので
気がついたら、いにしえに思いを馳せるというより
今年はあれをしよう、これをしようと
心のどこかで自分の行く末に思いを馳せていた
そんな一日でありました。
今日はスーちゃんの誕生日です。
87歳になります。
数え年でいくと88歳で「米寿」ということになりますねえ。
ではスーちゃんが生まれた今から87年前というと
どんな時代だったのでしょうか。
ちょっと調べてみますと・・・
この年の元旦のラジオの第一声では、
マイクの前に鶏をおいて鳴かせたんだそうです。
そのラジオで、ラジオ体操が始まったのもこの年です。
3月には「キリンレモン」が発売され、
5月に野口英世が亡くなってます。
夏にはアムステルダムで
オリンピックが開かれ、
三段跳びで織田幹雄が金メダルを取り、
この第9回から女性が参加できるようになって
人見絹江が800mで銀メダルを取っています。
そしてこの年に誕生したのが
ミッキーマウスでした。
ミッキーももう米寿を迎えるのですね。
この87年間は人類が
もっとも進化した87年だったでしょうねえ。
スーちゃんも我々も激動の時代を生きている
ということですね。
そんなスーちゃんの誕生日を、
今日は赤飯で祝いました。
といっても実はスーちゃんは食べられないのです。
年末から体調を崩し、
今も入院中で絶食治療中なんです。
病気は重症の肺炎。
しばらく意識のない状態が続き
「ここ二、三日がヤマ」とまで言われ、
緊張の時期がありましたが、
幸いなことに病状は改善しつつあります。
毎日病院に行き、
呼びかけたり手を握っていると
改善してきていることがよくわかります。
発熱のせいで手は今日もとても熱く、
絶食しているのに
どこにこんな熱量が潜んでいるのだろう
という感じでした。
でもその熱が、病気と闘っている証拠。
「しんどいなあ。でもがんばりや」と声をかけると、
かすかに首を縦に振ったような気がします。
そして、
「誕生日おめでとう」
とも言ってあげたのですが、
こちらはあまりおめでたい
と思っていないのか、
反応はありませんでした。
自分がそんなスーちゃんの年齢になるまであと28年。
もしスーちゃんの歳まで生きたとしても、
あとどれだけ遊べるかと考えたら
ちょっと切ないですね。
今のうちに精いっぱい遊んでおかなくては。
まあ、一度死んだことを考えれば
贅沢な切なさかもしれませんがね。
今日の見舞いは病院まで歩いていきました。
家を出て「和気道」を北上。
途中にある足神様と
せきの地蔵にお参りをし、
小学校の頃の細~い通学路を行きますと、
昨年春に開通した新しい道に出ます。
昨年の正月にもスーちゃんは
同じ病院に入院していたのですが
その時には開通していなかった道です。
おお、高石のマン蓋は
天女なんですねえ。
あ、この看板も面白い。
とか何とか言いながらも
スーちゃんの病院が、
ずいぶん遠くに見えてきました。
そうして約2.5キロを歩き見舞った後、
同じ道を沈んでいく太陽を見ながら
米寿のスーちゃんの
見舞いから帰ったdoiron。
こちらはようやく今年、還暦を迎えます。
何かを始めると、ついつい夢中になってしまうdoiron。
それは自分の長所でもあり短所でもあると思っている。
絵を描くときもそうだ。
夢中になると一日こもって筆を動かしている。
そんな時は息子の部屋を改造して作った
「書斎」と呼んでいる部屋も
「アトリエ」と化すわけだ。
ミセスに、
「たまに部屋の換気もしないといアカンよ」
といわれると、ひげをなでながら偉そうに
「アトリエと呼びたまえ」と言ったりしている。
普段仕事で使っているパソコンを
部屋の隅っこにやり、
机の上を大きく広げて、画材を用意して準備完了だ。
さあて、何を描こうかと、
思いついた時に携帯にためている写真やメモをチェックする。
先ずは熊野古道を歩いている時に見かけた
カワセミをイメージしながら、
ネット等の画像をチェック。
かなりイメージに近い画像があったので、
それをモチーフに描くことにした。
この鳥は羽根のきれいなブルーが難しい。
ペタッと塗ってしまえば
生き物の質感がなくなるので、
別の紙の上で色を確認しながら描いていった。
そうしてできたのがこれ。
自分の今の画力で表現できる精いっぱいじゃね。
カワセミはいつも、
水辺に突き出た木の上で
水面をじっと見つめながら、
エサとなる小魚を待っているのだろう。
そんなことを思いながら浮かんできた言葉も書き入れた。
次は、夏ころからずっと描きたい
と思っていたアオスジアゲハを描いた。
クスノキを食草としているこの蝶は神社に多い。
神社の裏の公園を散歩している途中、
ヤブカラシの上に止まって
羽を休めている姿を撮ってあったので、
ネット画像も参考にして描いてみた。
言葉は絵を眺めていたら
自然に素直に浮かんできたな。
そして次は街道歩きをしている時に見た地蔵である。
二体仲良く佇んでいる姿が印象的だった地蔵を、
撮った写真を参考に描いてみた。
石で造られた地蔵でも、
年月を経ると朽ちてくるものだ。
ただひたすらそこに佇み、
祈りを聞き届け、旅人を見守り続けている姿は
崩れてボロボロになっても浄らかそのものだ。
誰が供えたか、黄色の花と紫の菊の演出が憎い。
前に置かれた苔むした台石とともに、
自然の命に囲まれて、静かに佇んでいた。
他に画題はないかと台所をごそごそ探ると・・・、
干しシイタケが出てきた。
おお、これだこれだ。
風と太陽にさらされていい味をだすなんて
doironの絵にぴったりの画題じゃないか。
描いてみよう。
絵具の種類はあまり必要ない。
2、3色と後は濃淡で描く。
一番苦労したのは左端のシイタケ。
表面のひび割れ方は、
実際の映像に忠実に描いた。
これ。
言葉はもちろん、
画題を見つけた時の直感から書いた。
いい調子だぞ。
こうして出来上がっていくと
もっと描きたいという思いが膨らんでくる。
そう膨らんでくるといえばパン。
冷蔵庫の中に、買い置いてあった
メロンパンが一つあったので
それを描くことにしたが、
ひとつだけじゃ絵としては物足りないので、
全体に加えて半分に切ったものを
絵の中に添えてみた。
絵空事(えそらごと)という言葉も浮かんでくるけど、
最初に思った通りの言葉も添えた。
こうして、いろいろ画題を選びながら
数枚の作品をアトリエで描き、
来年のカレンダーと
しおり用にスキャナーで取り込んで作業終了。
最後に、
カワセミの絵とそこから生まれた言葉も気に入ったし、
じっと何かに打ち込んで夢を見つめ続けている
という光景が、
今のdoironの暮らしにぴったりだということで、
このアトリエを
「かわせみ」
と名付けることにしてこんなのを作成し、
部屋の扉に貼り付けた。
さあ、今年一年、
このアトリエ「かわせみ」でどんな作品が生まれるだろうか。
友達と初詣に行こうということになった。
「喪中で神社がだめでも、お寺ならいいじゃん」
ということで、出かけたのは
和泉山脈を越えたところにある「根来寺」。
「一乗山」の山号を持つ新義真言宗の総本山である。
またかつては根来衆の存在などで
名をはせた名刹でもある。
ここには「足腰健康御守」というのがあって、
マラソンをしていた頃にはよく行ったし、
スーちゃんの足腰が悪くなった時期にも、
そのお守りをいただいてきて車いすによくつけていた。
そういうわけで結構なじみの深いお寺である。
今回一緒に行ったのが、
腰の悪い友達だったのでちょうどよかったのと、
お寺に行く前日に、
スーちゃんの状態があまり芳しくないということもあって、
祈願も兼ねてのタイムリーな選択だったともいえる。
泉佐野岩出線、通称「根来街道」を通って、
新風吹トンネルを抜ければすぐに到着。
三が日を過ぎていたのと、
小雨が降っていたので駐車場はガラガラでした。
ていうか、ほとんど人がおらず、
御利益独り占め状態でしめしめモノでした。
国宝の大塔伽藍のところは
有料なので、スルーし、
なにせ今年も質素倹約。
「滝見橋」から
滝を無料で眺めながら、
お参りの際の本堂である光明殿に向かった。
そこで、自分のことやスーちゃんのこと、
それからいろいろゴニョゴニョとお願いし、
そのあと念願の「足腰健康御守」をゲット。
これ。
そしてもう一つ、おみくじもひいた。
ここのおみくじはかわっていて、
こんなダルマ型になっている。
底に穴が開けてあって、
そこにおみくじが詰まっているのだ。
「このダルマ、目が入ってなかったらいいのにな。
願いがかなえば目を描き入れるみたいにね。」
社務所の人にそういうと、
「目を描き入れるダルマもありますよ」
と案内されたが・・・むむむ、
予算に合わず却下。
いっそ自分でダルマを作ってみようかね。
うんそうしよう、それがいい。
彫も簡単そうだし。
今年の目標がまた一つできた。
とりあえず、彫刻刀を用意しなければ
とさっそく画策するdoironなのであった。
おみくじは「末吉」。
まあ、「吉」が入っていることを良しとしよう。
今の暮らしならそれくらいが分相応かもね。
これが何かといろんな複雑な思いを抱えて行った
今年の初詣のお話。
2015年が皆さんにとって「吉」な一年でありますように。
正月からこちら、テレビで流れるニュースに
突っ込むことが多い。
テレビの画面に向かってブツブツ言うのは
老化の兆しといわれるが
まあ、もう還暦も目の前なので
十分老いてきてはいる。
そんなニュースに関する小ネタを少々。
まずは福袋の話題。
doironはこれまで福袋なるものは買った記憶がない。
もともと福袋といえば
中に何が入っているのかわからないようにしてあるものだから、
どんなものかわからないモノを
安くてお得だろうという理由で
買うことは多分この先もないだろう。
デパートの福袋に群がる人々の
映像が映し出されているニュースを見ながら、
何袋も買っている人は一体どういう人種なんだろうなあ
と思わずつぶやいてしまったよ。
一方、こんな福袋のニュースも流れた。
ある図書館で、本を包装紙や古新聞で包み、
本の福袋として貸し出しをしているという。
包みの外には、
「旅で遊ぼう」とか「数学を学ぼう」
などと簡単な説明が書かれてあるのみで、
中にどんな本が入っているのか
タイトルまではわからない仕組みだ。
借りるときに、バーコードの読み取りはどうするんだろう
とか、疑問は残るものの、なかなか面白い取組じゃね。
こんな本が読みたかったらこれ、
という図書のプロが選んだ本であろうから、
普段はあまり感じない図書館員の
センスも問われるはずである。
さすれば図書館員のスキルも上がるというものであろう。
こんな福袋はちょっといいアイデアだなあと感心した。
では、次にどんな福袋があればいいか
とミセスと話し合った。
百均の福袋~と口をそろえて出たのには
笑った、笑った。
他には、「病院の福袋」もいいかな。
体温計や血圧計はもちろん、
加えて点滴2回分とかプチ人間ドック受診券
なんかも面白いだろうて。
またJRの切符福袋なんかも面白いだろう。
「おお~、北海道までの乗車券が当たった」
とか
「温泉めぐり乗車券」とかね。
お寺の福袋だと、
おみくじ、お守りの他「おりん」や「伏鐘」、
「木魚」はありがち。
中には位牌が当たったりして、
福なのかどうかわからないものもあったりすると面白いな。
ニュースを見ながらそんな話をしてたら、
ミセスがこう言った。
「我が家の福袋も作るよ。
お風呂洗い10回とか、
洗濯干し一年分もいいかなあ」とかいう。
いやいや絶対買いませんから。
食品への異物混入のニュースも相次いでいる。
Mドナルドにとどまらず、
いろんな食品に様々な異物が混入していた
というニュースが次々と出てくる。
そういえば我が家でもつい最近異物混入事件があった。
グーちゃんのドッグフードに
ゴキブリの卵らしきものが混入しており、
ミセスがえらい剣幕で電話をしたが、
まったく相手にされなかったという事件だ。
ドッグフードでもそれは許されないと思うのだが、
今度あったら証拠を残して
マスコミに公表してやると言ってやろうと思っている。
とはいえ、我が家の食事にも、
たまにソーセージのビニールが入っていたり、
カレーにニンジンのヘタが入っている
とういう異物混入事件もあったりしたが、
それはそれで「悪い、悪い」で済んでしまうのてどないやねん。
この正月は、ここ30年で最も寒い三が日だった
というニュースもあった。
そういえば、雪国からの中継で、
猛吹雪の中で「すごい風と雪です」
なんて言いながらレポートしている記者の映像が流れたとき、
顔が全く見えないばかりか
姿もかすんでいる映像があった。
「いったい誰やねん」と突っ込んでしまったよ。
「こ、これやったらマネキン写しててもわからんで」
というほどのボケようだった。
臨場感を出そうと記者に無理をさせたばかりに、
お気の毒感ばかりが印象に残った気象ニュースでした。
そして最後に民S党の代表選挙。
三人が立候補しており、
それぞれが党の立て直しを軸に持論を述べている。
その内のひとり岡Dさんは、
つい最近網膜剥離の手術をされたそうで、
片目眼帯の姿で画面に映っていた。
皆さんそれぞれ、頑張っておられるのですが、
もし岡Dさんが代表に決まった暁には
眼帯を外して、
「やっと両目が開きました」とやってほしいものだが、
これはちょっと不謹慎ですかね。
とまあそんな具合に、
世間のニュースにまつわって、
doiron家ではあーだこーだと言ってるわけです。
こんな自由な身分ですが、
一応5日が仕事始めです。
編集に行き、皆さんに挨拶をした。
と、ここで問題が、
みなさんdoironが喪中であることを知っているので、
どうも決まりの悪い挨拶になりがちなのだよ。
なのでこちらから普通に
「おめでとうございます」と挨拶すると、
皆さんちょっとほっとしたような顔になったりする。
いっそ、
「開けまして、おめでとうございません」
と笑いをとればもっとよかったかもしれません。
ひととおり挨拶を済ますと、
編集長に「doironさんちょっと」と呼ばれた。
隅のテーブルの前に腰かけると、
「はい、これ」といって手渡されたのが、
解雇通知・・・
ではなく「原稿料」の入った封筒でした。
うう心臓に悪い。
12月の記事の原稿料を
まだいただいておりませんでした。
年末はお互いにバタバタしていたからね。
しかしここはやはり文筆業のプロとしてはけじめの時である。
「別にいつでもかまわんよ」というそぶりは絶対見せず、
「はは~」と両手でおしいただき、
「これでやっと正月を迎えられます」・・・
とは言わんかったけどね。
この日の皆さんもクライアントへの
挨拶回りの準備で忙しく
またもやバタバタしていたので、
午前中で早々に退散してきた。
実は昨年から、シリーズものになる記事の
提案を求められており、
帰ってその作業を進めるためだ。
年末から家に居ることが多かったので、
それに関してこれまでおおよその構想は練ってあった。
まず考えているテーマは2種類。
ひとつは、やはりdoironにとっても身近だし、
読者の皆さんにも身近な人が多いだろうと思われる
「介護」
そしてもう一つは、
ちょっと紙面を明るくしたいという思いを込めて
「旅」
をテーマに連載記事を書けたらと考えている。
前者は、クライアントにもつなげやすいのでということからも、
歓迎されるだろうし、書く材料にも事欠かない。
問題は後者である。
こればかりは頭の中で考えているだけでなく、
実際に現地を訪ねることも
頻繁に行わないと説得力のある記事は書けない。
しかし、弱小コミュニティ新聞社の新米ライターとしては
旅費をくれとは言えないしなあ。
となると、自分の趣味で旅をして、
それをルポするというやり方に
ならざるを得ないわけである。
でもまあ、それでいいのだ。
書きためたものも幾分はあるし、
ほうっておいてもあちこち行くのが好きなdoironだから、
その趣味に少しの実益が伴えばいいか
と開き直ることにしている。
それにそういう経験も貴重なライター財産になることだしね。
友達にそのことを言ったら
「安売りするから値打ちがないように思われるんだよ。
自信があるなら旅費もふっかけたらええねん」
と厳しいお言葉をいただいたけど、
まあまあ、ものには段階というものがある。
心の奥底で、評判良ければなんとか考えてくれるかもしれない
という淡い期待は捨てずに、
下積み時代だと思ってやることにしますわ。
そもそもその企画が通らなければ、
他社への投稿原稿にも使うつもりだから、
無駄にはならないだろうて。
ミセスが近頃笑ってよく言うのが、
「いつブレイクするん?」て言う言葉だ。
「そのうちね」とこちらも笑って返している。
果たして、ライターdoironのさらなるブレイクは
あるのやら、ないのやら。
その日は午後からミセスが
お寺の世話人として、
住職と共に檀家回りの付き添いに出かけた。
お客さんが来ることにもなっていたので
留守番を兼ねてせっせと提案原稿の骨格つくりを行った。
それが、今年の仕事始め。
早いもので、この一月で
そろそろライター生活1年半を迎える。
この稼業としてはまだまだ始まったばかり
といえばそうかもしれない。
夢は大きく、経費は少なく、
人にもまれて自分を磨く。
まあそんな感じで今年もぼちぼちやっていきます。
「事始め」ということで
だいたいは1月2日に始動することが多く
よく報道される書初め大会も
その日に行われている。
まあ、一日遅れたけど
ブログの書初めは元旦にしたことだし
橿原神宮の書初め大会も本日のようなので
まあ適当でよかろうということで・・・
さて、今年は何を書こうかと考えつつ
みんなどんなことを書いているんだろ
とちょっとネットを探ってみた。
「書初め」をキーワードにして
ヤフーで検索してみた。
そしたらなんと驚いたことに
検索結果の中に
doironが以前に書いた「邁進」の
書初めが現れるではありませんか。
ブログからピックアップしたんでしょうねえ
手作業かな、それともなんか自動でアップされる
仕組みでもあるんでしょうかねえ。
正月からびっくりしました。
実は今年書こうと思っていた言葉を
早くから一つだけ決めていました。
それがこれ。
取材記事、投稿記事、絵、ブログなどに
共通して関係する言葉です。
今年の目標は
いろいろあるけど、そのひとつに
あるメディアに記事を載せることがあります。
そのためにもこうあることを
自分に課したいと思っています。
そして次に書いた書初めは
ちょっと経過があります。
年末に義母さんから呼び出しがありました。
「絵のことで相談したい」とのこと
行ってみると
中国の蓬莱山のような水墨画が描きたいけど
どんなふうに描いたらいいやろという相談でした。
自分もそんな絵は描いたことがないので
義母さんとあれこれ話をしながら
チラシの裏なんかに鉛筆で
あーでもない、こーでもないと
描いたものの、やはり墨と半紙でないと
タッチがわからない。
そこで、新年の書初めにでも描いてみるわ
と言うことになっていました。
描いてみると、これがなかなか奥深い。
墨の濃淡、筆の運び方、線の太さ
によって全然雰囲気が変わる。
線のかすれ方にいたっては
ほとんど偶然に頼るようなところがあって
なかなか思うようにいかない。
何とか山らしく見えるかな
と思ってできた絵につける言葉が
これまた難しい。
結局、近くの山、遠くの山を描きいれながら
その奥行きを人生に例えて
言葉を入れて完成させたのがこれ。
それっぽくは描けたけど
子どもの遊びの域は出てないなあ。
まあ、いいか。
今年はちょっと、絵を入れて
こんな路線でもう一枚書いてみた。
義父さんの写真の横に飾って
くれることになっていたので
「早く元気になって、また元の
生活をしっかり楽しんでくださいよ」
と言う気持ちを込めて
選んだ言葉なのですが
わかってもらえただろうか。
ここまで来て、気分が乗ってきたので
もう一枚、
「焦らず、のんびり、楽しく」過ごしてもらいたい
という気持ちでこれも書いた。
そしたら、下に書いた
「のんびり」の部分が偶然
人の顔のように見えたので
その部分だけクローズアップし
人の顔に見立てて
チョロチョロと髪の生え際も加えて
こんな作品にしてみた。
ちょっとおちゃめな書初めになったでしょ。
義母さんは今年は2枚くらい貼りたいと言っていた。
さて、どれとどれを部屋に貼ってくれるかは
義母さんにお任せしよう。
そうして義母さんちで書初め披露をしたあとは
今年一年の義母さんがかつて生業としていた
占いの御託宣をいただく。
それによりますと・・・
doironは今年はとにかく「動く」年なんだそうです。
仕事かな?
遊びかな?
家庭かな?
占いではそこまでは読めないようですが
まあ、元気で過ごせるということで
「動く」ことを喜びとしておきましょう。
箱根駅伝が終わると一気に正月の波が
ひいていきますねえ。
特に今年は、あんな山登り選手が
登場するなんて
思ってもいなかったなあ。
駅伝は勢いとばかりに
往路に強い選手を集めている強豪校と違い
青学は復路に選手を残している感じだったので
山下りの6区が済んだ時点で
総合優勝は決まったようなもんだった。
初優勝おめでとう。青山学院大学
なので早いうちにもう
駅伝から気持ちが離れてしまったのと
元旦からこっち走る姿ばかりこたつで見ていたので
身体を無性に動かしたくなって
午前中にぶらっと歩きに出た。
昨年の正月にも行った
葛葉稲荷を目指してテクテクと歩いた。
コースはこれ。
おみくじも買って、全所要時間
一時間半のお手軽コースだった。
う~ん、ほとんど汗もかかないなあ
と物足りなさを感じつつ帰宅。
午後からは、書初めをした。
義母さんが自分の居間に貼る作品を
心待ちにしてるんだよね。
昨年はこれをあげました。
さあて、今年は何を書こうか・・・
と、折に触れ考えていた。
でもその話はまた明日にでも書くとして
今日は運動の話だ。
5キロ弱を歩いても
やはり物足りなさをぬぐえないので
書初めを終えてから
走りに出ることにした。
今年の初ランである。
コースは昔、よく走ってた頃によく行った
臨海~緑道コース。
かつては元旦にこれを走って
ひとりで初日の出を見に行ったこともあったなあ。
とにかくよく行ったコースだ。
家から走って約1.5キロで
臨海道路沿いの歩道に出る。
それを約1キロ南に進むと・・・
ここが小松緑道の入口。
ここをメインの練習場所にしていた期間を考えると
1000回以上は十分行ってるやろなあ。
そこからかつてのフェリー乗り場まで
約1キロを走り引き返してきた。
ドンツキまで行きたかったのだが
まあまあ、そう焦らずに徐々に
距離を伸ばしていこう。
食事も走りも腹八分ということで。
最近は日暮れも早いしね。
そうして、市内をちょっと遠回りをして
家に帰るまで約10キロを走った。
昨年はよく歩いたけど
一日の移動距離にすれば
10キロ以下という時も多かった。
そう考えたら10キロも歩けば
数えきれないほどのことに
心を奪われるのに
走ったらあっという間の距離なんやね。
今年ものんびり歩いたり
トコトコ走ったり
マイペースで過ごそうと
ゆるく心に誓った1月3日の
ウォーク&ランでした。
石材店の先を左に折れて山道に入っていき、
またすぐに右折れし、
集落や畑のあるのどか道を進む。
まずは14番「盛寿山常楽寺」の登場だ。
このあたりは、前に置かれてある
賽銭箱代わりの竹筒に
マジックで番号が書かれてあるのでわかりやすくていい。
ここまでもすべての霊場で
祈りを捧げてきたが、
ここは何番?という思いにとらわれがちであった。
しかしこれで安心してお祈りができるというものだ。
ひとつずつ写真を撮るとともに、
掌を合わせて丁寧に願い事を唱え続けた。
願いは秘密だけど、
八十八回も唱えると
本当に叶うような気がしてくるものだ。
ここは19番「橋池山立江寺」。
東大阪や西高野街道には、
この立江寺が勧請した「立江地蔵尊」
のあったことを思い出した。
少しでも関わりがあったところに出会うのは、
なんとなく楽しいものだ。
そしてここが24番「室戸山最御崎寺」
室戸岬の先端にあるお寺で、
訪ねてみるのを楽しみにしているお寺のひとつだ。
ここで徳島から高知の霊場に入ることになる。
こんな石碑が立っていた。
かすれた文字を解読してみると
「是ヨリ土佐」のようなことが書かれてある。
ここ28番の「法界山大日寺」あたりは、
仏が甲山を背にするように置かれている。
大神神社の御神体が三輪山であるように、
まるでこのあたりは甲山に抱かれて
見守られているようだ。
また時にはこういう岩で組まれた祠の中に
納まっている石仏もある。
これは38番「蹉陀山金剛福寺」
四国では前のお寺(37番)から
このお寺までの距離が、
約100キロと最も長いのだが、
ここでは20mほど歩けばたどり着く。
そして40番「平城山観自在寺」からは愛媛県だ。
そしてこの44番「菅生山大宝寺」でようやく半分。
ここで時間を見れば、
まだ巡り始めて1時間と経っていない。
ありがたいやら物足りないやら少し複雑だ。
この先で道は車道をまたぎ、
フェンスの間を抜けて行くように続いたりする。
道の左側には麓に神呪寺を抱える甲山がきれいに見え、
こちらにも思わず掌を合わしてしまう。
60番「石鉄山横峰寺」
ここは場所が圧巻で、
広い空と甲山を背にして堂々と座しておられた。
ここからは日当たりのよい場所が続く。
野ざらしの仏には少し辛いロケーションではあるが、
かえって清々しい。
ふたたびフェンスの間をすり抜けて進んでいき、
やがて香川県へとさしかかる。
69番「七宝山観音寺」の辺りで、
景色を眺めながら、食糧補給をした。
これ。
開山当時はこんなおにぎりなど
超贅沢だったんだろうな。
さあ食事後は、あと20足らずともう少し。
74番「医王山甲山寺」
このあたりでは、足が不自由そうな老夫婦を追い越した。
足を引きずりながらでも
四国霊場を巡れるという点で、
ここは本当にありがたい所だ。
ま、そういう趣旨で開かれたのだから、
当然といえば当然だけど・・。
この霊場を巡っている間、
間断なくお寺の鐘を打つ音が聞こえていた。
その正体は、第88番「医王山大窪寺」が置かれている、
「神呪寺」の鐘の音であった。
それが、もう間近に聴こえてくる。
道の突き当たりにある
87番「補陀落山長尾寺」
で祈りを捧げて、さあ、最後の霊場に向かおう。
神呪寺は「神の寺」として
1200年前に淳和天皇が建立した寺
といわれている。
甲山の山麓にあって、
眺めの素晴らしいところにある。
その本殿の一角に、88番が祀られている。
ここで、祈りを捧げてついに「結願」である。
全行程2時間弱の手ごろな巡礼であった。
でも確かに88回の祈願を済ませたと思うと
なんか力をもらったような気がする。
少し暖かくなったら、
首Dさんも一緒に歩けたらいいな
と心から思っている。
そのあと、標高309mの甲山“登山”もして、
とっても清々しい気持ちで帰宅したdoironなのでした。
今年の一番の計画として、
エイ仲間の首Dさんの提案で、
四国八十八箇所めぐりをしようと思っている。
すべての治療が終わり、
仕事も引退となるため
首Dさんも心に期するものがあるのでしょう。
といっても全行程1200kmを歩いて回るのは、
彼とdoironの今の状況から見て過酷すぎるので、
まず車と自転車での巡礼をしようと思っている。
漕げるところは漕ぎ、歩けるところは歩き、
そして長い又は過酷な登りの移動には
車を利用するというものだ。
綿密な計画が必要となるだろうから、
ぼちぼち関連本を読み始め、
計画に取りかかっているところなのである。
事前準備期間はまだ十分ある。
その間に各霊場で唱える般若心経も覚えたい。
この歳になって、
あらたに無理やり詰め込むのはきついが、
まあボケ防止にもなろう。
熊野古道歩きで訪れた御坊の祓戸観音の山に
四国の各霊場から持ち帰った石で
八十八仏を祀った霊場があることを知ったのは
そんなことを考え始めた矢先だった。
残念ながらその時は熊野詣の最中だったし、
ほとんど下調べもしていなかったので
その巡礼をあきらめることにしたのだが、
今も思いをそこに残している。
で、ある時テレビを見ていたら、
西宮にある甲山山麓にも
八十八箇所の仏が祀られていることを知った。
ほんの少しの区域の中に八十八箇所があり、
順番に回れるコースもあるとのことなので、
年末のバタバタの合間を縫って
寒さに負けず行ってみることにした。
甲山には、ずいぶん昔に
何度か行ったことがあるのだが、
印象に残っているのは
山麓の公園でお弁当を食べてる時に、
まるで野良犬のようにイノシシが
園内を歩き回っていたことくらいで、
あまり鮮明な記憶がない。
神戸界隈の最近覚えた土地勘と
あやふやな記憶をたどって、
駐車場に到着したのは午前10時。
さてここから八十八ヶ所めぐり開始だ。
この日に先だって、
八十八箇所の案内地図が
ネットに載っていたのでコピーをしておいた。
これ。
ついでに、四国八十八ヶ所霊場のリストも作って、
セットで歩行時の参考にすることにした。
一番「竺和山霊山寺」の石仏は
駐車場のすぐ横にある。
ここ。
ここには、甲山四国八十八ヶ所の説明札も立てられている。
それによると、
ここが開かれたのは江戸時代の西暦1800年頃だそうだ。
思っていたより歴史は古い。
開所した当初は日々おびただしい数の
参拝者で賑わったそうである。
先ずは、一番霊場にお参りをし、
さて次はと見ると、
道路を隔てた向こう側にもう2番霊場が見えている。
「日照山極楽寺」である。
こんな風にたいていの霊場には、
御本尊と太子像が祀られているようである。
それにしても、近い。
そこから見渡しても、
次も次も見えている。
これは意外に時間がかからなさそうだなと、
思いつつ進んでいった。
え~、写真は全ての霊場で撮影したのですが、
全部アップすると石仏だらけになってしまうので、
ところどころを紹介していくようにしよう。
車道脇にある霊場で掌をあわせつつ、
500mほど進むと、
神呪寺の仁王門近くに到達する。
ここまでには番外の仏もあるので、
地図とにらめっこし、
注意深く観察しつつ進んでいかないと
そこが一体何番なのかわからなくなってしまうので
注意が必要だ。
台座にこんな風に刻まれていたり、
こんな石標が建っていたりすると
わかりやすいのだが、
そうでないところは、
置かれてあるものに書かれてある数字が
目印になったりする。
中には前後の関係から、
推察しないといけない場所もある。
だから何気にバシャバシャ写真撮影するだけでは、
後でさっぱりわからなくなってしまうから、
そこはしっかり頭を働かせて
脳みそメモリーに刻んでおかねばならない。
続く