Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

金襴手 桜幔幕文 中皿

2021年12月01日 15時43分41秒 | 古伊万里

 今回は、「金襴手 桜幔幕文 中皿」の紹介です。

 なお、この「金襴手 桜幔幕文 中皿」につきましても、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところです。

 そこで、その際の紹介文を、次に、再度掲載することをもちまして、この「金襴手 桜幔幕文 中皿」の紹介に代えさせていただきます。

 

 

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        <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー215  伊万里金襴手桜幔幕文中皿       (平成28年4月1日登載)

 

表面

 

  

裏面

 

 

 実に華やかである。

 満開の桜のもと、幔幕を張り巡らし、花見でもしているのだろうか。

 画面には大きな芭蕉まで描き込まれている。
 芭蕉の葉が大きく広がるのは夏頃からだから、桜と一緒にはならないはずだが、伊万里は、そんなことには頓着しないようである。
 画面に迫力と力強さを付与するために、また、画面の左右のバランスをとるために描き込んだのであろう。

 この皿は、かつて、遠くヨーロッパに輸出されたものであろうか。
 ヨーロッパの方たちは、この皿を見て、遠く離れた、まだ見ぬ東洋に憧れ、思いを馳せたことであろう。

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代中期

サ  イズ : 口径;21.3cm   底径;10.8cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌144  古伊万里との対話(桜幔幕文の中皿)(平成28年4月1日登載)(平成28年3月筆) 

 

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なご隠居さん)
  花 見 (伊万里金襴手桜幔幕文中皿)

 

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 春爛漫の候である。主人は、もう、何十回となく春爛漫の候は体験しているわけではあるが、何度体験しても嬉しいようである。
 春爛漫といえば、やはり、桜であろう。主人は、その乏しい数のコレクションの中から桜を描いた古伊万里を捜しだし、対話を始めた。

 


 

主人: 桜も咲き、春爛漫だね。お前を眺めながら、また、お前と対話をしながら、チビリチビリとやりながら、一人花見と洒落込もうと思う(*^_^*)

花見: そうですか。でも、私には大きく芭蕉が描かれていますよね。芭蕉の新しい葉は、初めは堅く巻いたままで、やがてそれが解け、青々とした大きな葉に広がるのは夏の頃ですよね。今頃では、まだ、葉は大きく広がっていませんよ。
 私に描かれた芭蕉は、葉が大きく広がっていますから、季節的には夏から秋ですね。

主人: 細かいことを言うとそのようなことも言えるけどね。まぁまぁ、細かなことは抜きにして、大雑把にマクロ的に見れば、大きく桜と幔幕が描かれているから、花見の図と言えると思う(~_~;)
 だいたいにおいて伊万里は季節音痴で、「花」と「実」を同時に組み合わせて描くというようなことを平気でやるからね。この場合も、大きな葉の芭蕉を添えて、画面に迫力と力強さを与えようとしたんだろう。全体的に見れば、お前の主題は花見の図だろうね。

花見: そうですか。それを聞いて安心しました。私を眺めながら、チビリチビリとやり、花見を楽しんでください。

主人: 私は、お前を2年程前に骨董市で買ったんだが、既に15~16年前に或る古美術店で見ているんだよ。

花見: 以前古美術店に展示されていたものが骨董市に登場するというのは都落ちですね。格下げになったわけですね(涙)

主人: そういうことだね。そんなことはめったにないんじゃないかな。
 少なくとも私にとっては初めての体験だったね。逆に、骨董市で売られていたものが古美術店に登場するという例はよくあるけどね。

花見: そもそも私の実力はそんな程度だったんでしょうか。

主人: いや、そんなことはないと思うよ。私が15~16年前に或る古美術店でお前を見かけた時に買わなかったのは、お前が高かったからだよ。 「ちょっと高いな~。どうしようかな~」と考えているうちにそのお店は閉店になってしまったんだ。そんなことで、その後お前を見る機会は失われてしまったんだが、ず~っと、お前のことは頭の片隅に残っていたね。
 ところが、13~14年後になってヒョッコリと現れた。しかも、骨董市で! 安く! それで、即、買ったわけさ。

花見: どうしてそんなことになったんでしょうね。

主人: どうしてなのかね~。普通のケースじゃないものね。

 ここで、いろいろと、その原因を考えてみようか・・・・・。

 まず、第一に考えられるのは、或るコレクターの死だね。それは、以前お前を展示していた古美術店が或るコレクターに売り、そのコレクターが死んだため、遺族によって骨董屋に売られ、それが回り回って骨董市で売られるようになったというケースだね。コレクターが死ぬと、その遺族の悲しみなどそっちのけで、コレクターの死を嗅ぎ付けた骨董屋連中が、どっと禿鷹のように押し寄せ、骨董などに興味のない遺族から安く買いたたいてくるという話しはよく聞くからね。私が死んだ場合もそんなことになるのかな~と思うと、ちょっぴり寂しいよ。 

花見: そんなことがあるんですか。

主人: そうらしいね。それは、よく聞く話だよ。

 次に、第二に考えられることは、盗難に遭ったことだね。以前にお前を展示していた古美術店が盗難に遭ったとか、或いは、その古美術店からお前を買ったコレクターの家に賊が押し入り、お前を盗んでいき、公の市場を転々とし、最後に骨董市で売られることになったというケースだね。

花見: そんなケースは多いんですか?

主人: さあね。私には分からないな。ただ、国宝とか重文というような有名な物ならば、公の市場に登場したとたんに露顕してしまうだろうけれど、それほどでもない物は、公の市場を転々としても、盗品だということはなかなか露顕しないのではないだろうか・・・・・。

 次に、第三に考えられるのは、以前お前を展示していた古美術店からお前を買ったコレクターがお前に嫌気がさし、安く手離したというケースだね。
 これは意外とよくあるケースだよ。コレクターというのは、新しく手に入れた物を仲間に見せたがるものなんだ。それで、お前を手に入れたコレクターが仲間に自慢げに見せたが評価がよくない。 「あいつは目が見えないから、良い評価をしないんだろう」と思って別の仲間に見せたがまた同じ。そんなことを何回か繰り返しているうちに、だんだんとお前に嫌気がさし、遂にタタキ売ったというわけだね。 

花見: 見せられた仲間の方は、正しく評価できないんでしょうか。

主人: テレビの「開運なんでも鑑定団」などを見ててもわかるとおり、世の中には骨董などに明るい人は少ないからね。本を読んだり、美術館に行ったり、たまには、ちゃんとした古美術店からしっかりしたものを買ってきて勉強したりと、自分自身で骨董がわかるように努力しなければならないんじゃないかな。他人の評価に左右されるようじゃ駄目なんじゃないかな。

花見: そうですよね。そうすれば、もっと骨董が楽しくなるでしょうよね。

主人: 次に、第四に考えられるケースは、コレクターが金に困って売ったということだね。骨董は、結構、筋の良い物なら、売って金に換えられるんだよ。ガラクタでは駄目だけどね。ただ、値段は、その時々の需要と供給で決まるから、必ずしも買った値段以上で売れるとは限らないけどね。
 お前がこのケースに当てはまるとすれば、古伊万里も15~16年前は、まだ結構高かったが、最近ではめっきり安くなってしまっているので、お前を売ったコレクターはだいぶ損をしたということになるね。

 更に、考えられる第五のケースとしては、コレクターがその収集の対象を古伊万里から他の分野に切り替える際にお前を下取りに出したか、もっと良い古伊万里と交換するためにお前を下取りに出したという場合だね。

花見: いろんなケースが考えられるんですね。私は、このうちのどのケースにあてはまるのでしょうか。

主人: お前が最近になって骨董市に登場した原因については、以上の五つのケース以外にも考えられるので断定は出来ないが、五つのケースのうちで最も可能性の高いのは、最後の第五のケースかな・・・・・。

 

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