今回は、「銹釉染付 窓抜鷺文 大皿」の紹介です。
なお、この「銹釉染付 窓抜鷺文 大皿」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところです。
しかし、この大皿につきましては、その後、「どうも、これは、偽物を掴ませられたのではないだろうか。騙されたな。恥ずかしいな」との思いが強くなり、「恥を晒すことになるから、これは、もう、二度と紹介しないことにしよう」と思っていたところです。
ところが、先日、故玩館館主の遅生さんとのブログでのやりとりの中でこの大皿のことが話題となり、遅生さんから是非紹介してほしいという要望が出され、了解してしまったところです。
そんな経緯から、次に、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で紹介しましたこの「銹釉染付 窓抜鷺文 大皿」につきましての紹介文を再度掲載し、この大皿についての紹介とさせてはいただきますが、この大皿は、いわゆる「贋物」であることをご了知いただきたく存じます。
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里ギャラリー225 伊万里銹釉染付窓抜鷺文大皿 (平成29年2月1日登載)
表面
裏面
側面
「図鑑 伊万里のすべて」(光芸出版 昭和50年5月20日初版第1刷発行」)
の著者野村泰三氏鑑定の箱書
この大皿には、「図鑑 伊万里のすべて」(光芸出版 昭和50年5月20日初版第1刷発行」)の著者野村泰三氏鑑定の箱書が付いている。
この箱書が本物かどうかは知らないが、参考にはなる。
この箱書に依ると、この大皿は「吸坂焼」となっている。
「吸坂焼」については諸説があり、加賀藩第二代藩主前田利常が瀬戸その他から陶工を招き、吸坂村(現加賀市吸坂町)において茶器類を焼かせたのが始まりであるという説があった。
そして、その廃窯年代にも諸説があり、元禄初年の古九谷の廃絶以前あるいは同時に絶えたという説があった。
この箱書も、そうした説を根拠にしたようで、生産地を「吸坂」とし、製作年代を「貞享~元禄」としている。
以前は、この手の物は、「吸坂焼」とか「古九谷吸坂手」と言われていたものである。
ところが、その後、この手の物の陶片が有田の古窯跡から出土することから、伊万里に移籍されるようになった。
それで、今では、この手の物は伊万里銹釉に分類されるようになり、また、製作年代も「貞享~元禄」よりも古く位置付けられるようになっった。
この大皿の造形をみても、1/3高台に近く、初期伊万里に近い作りであることが分かる。
江戸時代前期 口径:28.9cm 高さ:6.1cm 高台径:10.8cm
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追 記 (H31.2.1)
この記事をアップした後、この大皿は、現代作の物に特殊な塗料のようなものを塗って古色を出し、古い本物のように工作したのではないかという思いが強くなってきました。
ここに、その旨を追記したいと思います。
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*古伊万里バカ日誌153 古伊万里との対話(吸坂手の大皿)(平成29年2月1日登載)(平成29年1月筆)
登場人物
主 人 (田舎の平凡なご隠居さん)
吸 坂 (伊万里銹釉染付窓抜鷺文大皿)
・・・・・プロローグ・・・・・
主人は、前回同様、まだ買ってきたばかりで押入れにも入れずに身近に置いてある大皿と対話を始めた。
主人: これまでは、原則として、我が家にやってきた順番に登場してもらって対話をしてきたんだが、今回も、特別に、我が家にやってきたばかりのお前と対話をすることにした。
吸坂: どうして、諸先輩を飛び越して登場させるんですか?
主人: 先月登場させた柿右衛門人形(注:このブログでは、昨日登場させた「色絵 男子立像」)も我が家にやってきたばかりで登場させたわけだが、柿右衛門人形もお前も、入手の際及び入手してから後の経緯について、ちょっと劇的な出来事があったので、その興奮が冷めないうちに、生々しいうちに対話をしておこうと思ったからだよ。
吸坂: まずは、入手に際しては、どんな劇的な出来事があったんですか。
主人: うん。まっ。劇的と言っちゃ大袈裟だが、私にとってはちょっとした出来事ではあったね。
お前のことは、或る古美術品交換会(以下「交換会」という。)で買ったんだ。先月登場させた(注:このブログでは、昨日登場させた)柿右衛門人形を買ったのも、この交換会だったので、続いての掘り出しを狙って、柳の下の二匹目のどじょうを狙って、当日は意気込んで向かって行った。武者ぶるいをしながら向かって行った(笑)。
当日の競りも終わりの頃になって、案の定というか遂にというか、お前が盆の上に載せられて回ってきた。その交換会では、事前に、競りにかける物を木製の四角い浅いトレイ(それを「盆」と称している)に載せて回覧させるんだ。
皆さん、お前に注目したね。「おっ! いい物だ」ってね。しかも、お前には、「野村泰三」氏鑑定の箱書まで付いていたからね。
表面
裏面
側面
「野村泰三」氏鑑定の箱書
吸坂: 「野村泰三」氏とは何者ですか?
主人: 一般的には知られていないが、古伊万里の世界では有名な方なんだよ。「図鑑 伊万里のすべて」(光芸出版 昭和50年5月20日初版第1刷発行」)という本を出しているんだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/7e/6b3ce97a491b0f0ff11f21d7ca427ea7.jpg)
私も、この本を買ってきて随分と勉強したもんだよ。私の持っている本は、「昭和55年10月20日初版第四刷」というものだから、私が実際にこの本で勉強したのは、それ以降ということになるね。
吸坂: そんな有名な方の箱書まで付いていたのでは、皆さん、「物」も本物と信じるんでしょうね。
主人: いや、いや、そんな箱書を信じるのは初心者であって、この交換会に来ているようなベテランは信じないね。むしろ、そんな箱なんかないほうがいいと思っている人が多いよ。
吸坂: どうしてですか?
主人: まず第一に、野村泰三氏が鑑定を誤ったということが考えられるからね。第二には、全くの別人が野村泰三氏の名前を使って箱書をしたということが考えられるだろう。第三には、箱書は野村泰三氏の正しい箱書かもしれないが、中身の大皿は偽物にすり替えられているということが考えられるからだ。
そんなことで、ベテランは、箱書などは信用せず、「物」そのもので判断するわけだ。まっ、参考にはするがね。
吸坂: わかりました。
主人: それで、いよいよお前が競られることになった。私も、私の手の届くものであるのなら是非手に入れたいと思い、気構えた。気合十分でね。
幸い、発句(競りのスタートの値段)が安かったので、「これなら私の手に届きそうだ!」と思い、真っ先に槍を入れた。しかし、皆さんも狙っていたようで、次々と槍が入り、激しい競りとなってきた。
しかし、その動きも、一定の額に達したとたん、ピタリと止まってしまった。その時の相場に達したというのだろうか・・・・・。そこで、すかさず私がそれに上積みした槍を入れ、私の落札と決まった。
そんなことで、目出度く私が競り落としたわけで、周りの方達からも、「良い物を買いましたね」、「今日一番の買い物でしたね」等と称賛され、鼻高々となり、有頂天となった。天国にでも昇った気持ちだった(^-^;
ところが、喜びもそこまでだった(><) 喜び勇んで家に帰り、お前を雑巾でゴシゴシ擦って(こすって)いたら愕然としたね(><) 天国から地獄へ突き落される思いだった(><)
私は、古伊万里を買ってくると、まず水洗いをし、メラミンスポンジで洗ったり、ちょっと汚れの酷い所は、強くしぼった雑巾でゴシゴシ擦ってその汚れを落としたりしているんだ。そして、もっと汚れの酷い物は漂白剤に漬けることにしているんだ。
何時ものように、まず水洗いをし、メラミンスポンジを使って更に汚れを落とし、高台付近の汚れがちょっと酷いので、その辺を強くしぼった雑巾でゴシゴシ擦っていたら、ナント、雑巾に赤茶色い色が付着してきたんだ(><) 色落ちするんだよ(><) 本焼きした釉薬の銹釉が布で擦った程度で色落ちすることはあり得ないじゃないの(><) 私は、「やられた!! 偽物を掴まされた!!」と思い、それまでの喜びも何処へやら、地獄へ突き落された気分になった(><)
で、お前のことにはもうかかわらないことにしよう、永久にお蔵入りにしてしまおうと思ったんだが、ちょっぴり未練もあったので、その辺の事情をブログに書いたら、二人の方から次のようなコメントが寄せられた。嬉しかったね(^-^;
Aさんからのコメント
本物の場合でも、更に良くみせようとして細工を施す場合があります。
唐津焼に漆を載せ、より古く見せている物に出会ったことがあります。化けの皮を剥い だら、より良いものが出現しました。
Bさんからのコメント
磁器の場合は、古色を付けたところで価値が増すわけでもありませんのに、ベテランの業者さんほど、靴墨なんかで高台あたりに色付けしたがるようですね。なんとも悪しき風習といいましょうか・・・・・。
今回もそのようなケースではないでしょうか? 単純に「よく汚れている」ということも考えられますね。
これらのありがたいコメントに接し、私は、お前を単純に偽物と決め付け、お蔵入りさせることを思い留まった。私は、これまでに、本物をより良くするための細工が加えられたというケースに遭遇したことがなかったからだ。
ただ、お前の場合も、より良くするために細工が加えられているのかもしれないが、どんな細工が加えられているのか、その細工の方法が解明されなければ偽物ということにせざるをえまい。それで、とにかく化けの皮を剥ぐ必要があると考え、さっそくその作業にとりかかった。
まずは、いつも行っている漂白剤漬けだ。しかし、二日間ほど漬けておいたが、ほとんど影響がない。やむなく、また、雑巾擦りに切り替え、ゴシゴシ作業を継続した。ところが、この作業はなかなか終らない。色落ちは高台付近だけではなく、裏面全体はおろか表面全体にも及んでいたからだ。
3~4時間擦っていて、だいぶ色落ちもしなくなったが、疲れてきてしまった。というのは、その擦り作業は、力を入れて強く擦らないとならないからなんだ。それで考えたね。他に何か効率的な良い方法はないかと・・・・・。
それで、以前、酷い汚れは、熱湯でグツグツ煮ると落ちるということを何かで読んだような気がしたので、さっそく、石油ストーブの上に大鍋を乗せ、大鍋の中に入れて4~5時間グツグツと煮込んでみた。しかし、この方法でも、何の変化もなかった(><)
次いで、もしも、漆が塗られているのだとすれば、その漆を落とす方法はどうすればよいのかについてネットで調べてみたら、シンナーで落ちるらしいということが分かったので、シンナーを買いに走った。しかし、これまた、この方法でも何の変化もなかった(><)
結局は、原始的な方法であるが、雑巾擦り以外に方法がないことを知り、その作業を更に3~4時間継続させ、ほぼ色落ちしないところまで漕ぎ着けた。
吸坂: それは大変でしたね。で、どんな細工がしてあったんですか?
主人: それがね。結局は良くわからなかったんだ。何を塗りつけたのか・・・・・。ただ、非常に上手な細工であったことは確かだね。何のためにこの細工をしたのかを知っていたなら、そのままにしておきたかったよ。
吸坂: 何のためにそんな巧妙な細工をしたんでしょうね。
主人: これもはっきりとは分からないが、ほぼ色落ちしない状態となった段階で、私なりに判断して出した結論は、経年劣化で、特に、高台内及び高台付近のテリがなくなり、カセた感じになってしまっていたので、テリを生じさせるために細工を施したんではないかということだね。カセた状態は、高台内及び高台付近が一番ひどかったので、その辺を特に厚く塗り、ついでに、裏・表全体の銹釉部分にも薄く塗ったようだね。
吸坂: どうしてそんなことをしたんでしょうかね。
主人: カセた状態を補修し、より良い状態に見せようと、より完璧に近い状態に見せようとしてやったんではないかと思っているよ。私は、そんなことをする必要はないと思うんだがね。
吸坂: 分かりました。それでは、私は、偽物ではないということですね。
主人: 今のところ、そう思っている。この件に関し、ブログでコメントを寄せてくださったお二人には大変に感謝しているよ。
吸坂: ところで、私の名前は「吸坂」となっていますが、どうしてですか?
主人: それはね、お前のような手は、以前は古九谷吸坂手とか吸坂焼と呼んでいたんだ。ところが、有田の山小屋窯などから陶片が出土するので、伊万里に移籍されたんだ。伊万里に移籍されるようになって久しいが、今でも古いコレクターは古九谷吸坂手とか吸坂焼と呼んでいるので、そのような経緯を考慮して「吸坂」としたんだよ。
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追 記 (H31.2.1)
この記事をアップした後、この大皿は、現代作の物に特殊な塗料のようなものを塗って古色を出し、古い本物のように工作したのではないかという思いが強くなってきました。
ここに、その旨を追記したいと思います。
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