Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

伊万里 染付初期印判手井筒に桐紋碗

2020年07月11日 14時34分02秒 | 古伊万里

 今回は、「伊万里 染付初期印判手井筒に桐紋碗」の紹介です。

 この「碗」は、前回紹介した「伊万里 染付草花文油壷」を買ってから1年半ほど経ってから購入したもので、私の古伊万里コレクションの第2号となるものです。

 前回の「伊万里 染付草花文油壷」の紹介のところでも書きましたように、私は、その油壷を手に入れた時点から古伊万里収集一直線になったわけではないんです。その後も、相変わらず、現代作家物とか、国内外の古い陶磁器を集めていたわけですが、そのうち、その油壷の素晴らしさに魅せられたんでしょう、なんとなく、「古伊万里」の魅力にとりつかれるようになってきたわけです(-_-;)

 それで、古伊万里について勉強するようになり、その結果、当時、「初期伊万里」というものに人気があることが分かってきました。

 ところで、「初期伊万里」というものは、何時頃作られたものを言うのかにつきましては諸説があるようですが、「世界をときめかした伊万里焼」(角川書店 平成12年初版発行)の著者の矢部良明氏は、その本の中で「…筆者は開窯した1620年代から、ヨーロッパ向けの輸出物焼造が本格化する万治2年(1659)までの、およそ40年間の伊万里焼を初期伊万里と呼ぶこととしている。(P.30)」としています。

 この説によりますと、前回紹介した油壷は、ギリギリ初期伊万里に入るか、それよりもちょっと後に作られたものということになりますね。

 そのようなことで、今度は、だんだんと、人気のある典型的な初期伊万里が欲しいなぁ~と思うようになってきたわけです。

 しっか~しです。典型的な初期伊万里をいざ買おうと思っても、やはり、人気があるだけあって、とても高額なんですよね(><) とても、無疵のものなど買えません(><) それに、良く分かりもしないでいきなり高額のものに手を出しては大怪我を負いかねません(-_-;)

 それで、教材費というか、授業料というか、それらがそれほどかからないようにするため、疵物を買って勉強することにしたわけです。

 そんな時に出会ったのがこの「碗」でした。

 以上、私の古伊万里収集回顧録のような様相を呈してきてしまい、前置きが長くなりましたが、次に、いよいよ、この「碗」の紹介です(^^; 

 

 

 教材費を安くあげようと思って買ったものですから、ご覧のとおり、酷い疵です(><) しかも、その疵の補修も下手で、どう見ても素人が直したものとしか思えません(><)

 

井筒に桐紋の面

 

 

桐紋の面

 

 

井筒に桐紋と桐紋の面

このように、この碗には、井筒に桐紋と桐紋が3個ずつ、交互に描かれています。

 

 

見込み面

 

 

底面

 

 

高台面 (銘:渦福)

 

 

 なお、この「碗」につきましては、今は止めてしまった拙ホームページの「古伊万里への誘い」でも既に紹介していますので、次に、それを紹介いたします。

 

 


 

<「古伊万里への誘い」の「古伊万里ギャラリー53 初期伊万里様式コンニャク印判桐紋碗」>・・・平成14年12月筆 

  

 これまたヒドイ傷だ! それに、補修もヒドクテ見苦しい!!

 それでも最近では、キレイニ直してあれば結構なお値段を頂戴される。

 買った当時は、勿論、初期伊万里の代表選手みたいなものだったから、初期伊万里のサンプルのつもりで買ったのである。サンプルを毎日眺め、さわり、体で覚えるようにしようとの魂胆からだ。

 無傷の物をサンプルにするには教材代がかかりすぎる。そこで、教材代を安く上げようとして、見苦しいほどの傷のものを購入するに至ったわけである。

 ところがどうだ。最近の研究では、このようなコンニャク印判のものは、いわゆる初期伊万里が作られた年代には作られていないというのだ。

 初期伊万里が17世紀前半に作られたのに対し、コンニャク印判は18世紀前半に作られたというのである。そこには約100年の違いがある。

 でも、じっと見ていると、両者には共通したムードが感じられるであろう。だから両者は初期伊万里「様式」として同一に扱われるのである。

 それにしても、毎日眺め、さわり、体で覚えたことは何だったのだろう。誤った鑑定方法を体で覚えてしまったのではないだろうか。そのような不安を感ずる今日この頃ではある。

 

 


 

 上の「古伊万里への誘い」での紹介文にありますように、この「碗」は、典型的な初期伊万里ではなかったんですよね(-_-;)

 ところが、私は、それを、ず~と、本物の典型的な初期伊万里と信じ、毎日眺め、さわり、体で覚えて勉強してきたんです(-_-;)

 「三つ子の魂百までも」と言われます。古伊万里の勉強を始めた当初に、これを典型的な初期伊万里と信じて勉強してきてしまいましたので、本当の初期伊万里というものが分からなくなってしまったんです。それで、いまだに、この手の伊万里の時代鑑定は苦手です(><)

 

 

製作年代: 江戸時代中期

サ イ ズ : 口径;9.8cm  高さ;5.5cm  高台径;4.0cm

 

 


 

<追記>(令和2年7月11日)

 この碗につきましては、伊万里焼ではなく波佐見焼ではないかとの疑問の声も聞こえてきたところです。

 しかし、肥前陶磁器に明るく、よく現地の事情にも通じておられる森川天さんから、「波佐見では印判を使用していない。使ったとしても五弁花程度だった」とのコメントをいただきました。

 したがいまして、これは、やはり、波佐見焼ではなく、伊万里焼ということになるようです。


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12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Dr.Kさんへ (遅生)
2020-07-11 14:57:17
私も初期伊万里だと思いました。
そして、高台内の印は馬の目かなー、こりゃ珍品だ、初期伊万里と馬の目皿をむすぶ大発見か!と色めき立ちました(^^; 
ただ、渦福と言われればそうかとも。それに渦の向きが外から内。渦福だともう少し時代下がりですね。こういう事って、私の場合、しょっちゅうです。なんせ、自分の骨董だけには妙にポジティブにある遅生ですから(^^;

でも、やはりI002には、ワンランク上の風格がありますね。
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Unknown (tkgmzt2902)
2020-07-11 15:17:37
滲んだような柔らかい模様ですね。
コンニャク印判、面白い語句を調べてみましたが、完全には理解
できませんでした。

パット見て好きかそうでないか、古陶磁器は奥が深すぎて見えません。
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遅生さんへ (Dr.K)
2020-07-11 15:32:24
これ、初期伊万里と思いますよね。
印判がなければ、初期伊万里間違いなしと思ってしまいます(><)

なるほど、言われてみれば、「高台内の印は馬の目」に見えますね。

この渦福銘も、随分とぞんざいですよね(-_-;)
そんなことから、時代はもっと下がって、大量生産の江戸後期の波佐見焼かなとも思うんですが、波佐見焼で渦福銘を使っていたかどうか、勉強していないので分かりません(-_-;)
それで、一応、江戸中期としました(-_-;)
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tkgmzt2902さん (Dr.K)
2020-07-11 15:51:17
早々のコメント、ありがとうございます(^-^;

「コンニャク印判」なんて、聞き慣れませんよね。
古陶磁器の世界では良く使われるんです。
一種の専門用語ですね。
本当にコンニャクを印判にしたかどうかは分からないようです。
まっ、手描きでなく、ゴム印みたいなものに釉薬を付け、ペタペタ押して作った量産品ということを表現したんですね。

これ、汚らしいですよね(><)
私も、こんなものは好きではありません(><)
私も、見た目に綺麗なものが好きですから(^-^;
ただ、勉強の教材としては安上がりですから買ったものです。
でも、教材とするには、もっと疵が酷くても、また、もっと高額になっても、ちゃんとした店から購入すべきだったなと反省しています(-_-;)
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波佐見と思います。 (不あがり)
2020-07-11 16:12:45
Dr.K様へ
これ!魅力のある茶碗です。私は波佐見と思います。土の色味も独特です。肌も灰色っぽく感じます。伍須の色も独特です。高台内の文字も独特です。おそらく波佐見で時代は1700年を切るのではと考えます。ただ、私のいう事です。あてにはなりません。でも時代はともかく魅力のある茶碗です。欲しいくらいです。有難うございます。
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不あがりさんへ (Dr.K)
2020-07-11 18:31:32
流石に波佐見に造詣の深い不あがりさんですね(^-^;

元禄も終わりの頃になりますと、有田も波佐見も海外輸出が不振になり、国内向けに、安価なものを作るようになりましたものね。
それで、私は、製作年代を、欲目で、目いっぱい古く見て(笑)、元禄末~享保にかけた頃に作られたものなのかなと推測し、江戸中期としました(-_-;)
次に、今度は、それでは、製作窯は、波佐見なのか有田(伊万里)なのかとなりますが、土味や肌色からみて、波佐見のように思われますよね。
そこでヒントになるのは、高台内の銘にあるのかなと思ったわけです。
私は、波佐見のことは良く分からないんし、資料も持ち合わせていないんです。
ただ、渦福銘は、柿右衛門系の窯で使われていたらしいものですから、そのことから、有田(伊万里)ということにしてみたわけです(^^;
不あがりさんの思われています通り、やはり、波佐見かもしれません。
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こんばんは (つや姫日記)
2020-07-11 18:45:17
口を挟むつもりはありません(笑)
分からないのですから。

ただ 皆様が私の故郷近くの地名で
盛り上がっておられるのが嬉しく楽しいです。

ホッコリとして優しい感じの腕ですね。♪
波佐見でしょうか伊万里でしょうか。
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つや姫日記さんへ (Dr.K)
2020-07-11 19:16:48
古い磁器の話になりますと、必ず、有田、波佐見、三川内が登場しますし、つや姫日記さんの故郷の平戸も登場します(^-^;
是非、故郷の近くの話が出てきますので、お仲間に入ってください(^-^;
多分、懐かしい話も登場してきますよ(^-^;

この「碗」を、INSでも紹介したんですが、先ほど、古い唐津焼などの肥前陶磁器に造詣の深い方からコメントをいただきました。
波佐見では印判は使用しなかったとのことです。使用したとしても、五つの花びらを表わす五弁花という簡単なものを、見込み部分に1個押す程度だということです。
ですから、これは伊万里のようですね。
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Dr.kさんへ (酒田の人)
2020-07-11 23:49:04
いや~、こんにゃく印判の茶碗は珍しいですよね!
これが猪口だったらエラいお値段になるところかと思います。
一見初期伊万里に見えながら、実は江戸中期という悩ましい品ですが、ワタシが伊万里に興味を持ち始めた時代には
それなりに研究が進み、こういった品が中期の品であると書籍に掲載されておりました。
とはいえこの品、こんにゃく印判がなかったら「初期伊万里」としか言いようがありませんよね
伊万里でも難しい一群であるのは確かです。(かくいうワタシも判りませんが)
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酒田の人さんへ (Dr.K)
2020-07-12 09:02:53
昔は、初期伊万里というのは、割と分かり易く、簡単だと思われていたんですがね(-_-;)
だんだんと研究が進んできて、難しくなってきました。
それに、それまでは初期伊万里とされてきた物に似ている波佐見焼まで加わってきて、ますます分からなくなってきました(-_-;)
今でも、田舎では、この手の物は初期伊万里で通ていますね(笑)。
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