我が家に、古伊万里の「染付蛇の目傘文楕円形皿」と「染付蛇の目傘文盃」があります。
「染付蛇の目傘文楕円形皿」は、昭和59年に東京で買ったものです。
表面 (長径:15.9cm 高さ:2.7cm)
裏面 (高台径:6.5cm)
この皿は、我が家では、通常は、額に入れ、壁にかけて飾っています。
もっとも、買ってきた時点で既に額に入っていたものですから、そのまま飾っているにすぎませんが、、、。
我が家での通常の状態
ところで、この皿の類品は、栗田美術館にもあり、以前は、本館の入口を入って直ぐの、大きな展示室への入り口のところに、やはり、額に入れて飾ってありました。
故栗田館長さんがその皿を好きだったものですから、別格扱いだったんです。
下の写真は、栗田美術館所蔵の皿です。「伊万里・鍋島」(財団法人栗田美術館が1985年に作成した図録)から転載しました。
伊万里染付傘形皿 h2.7cm d16.5cm 宝永、正徳(1704ー15年)
栗田美術館の物が、傘の柄の根元部分が白抜きになっているだけで、我が家の物とほとんど同じです。
ただ、栗田美術館では、この皿の製作年代を宝永、正徳(1704ー15年)としていますが、私は、宝永、正徳(1704ー15年)はないんじゃないかな~、もっと若いんじゃないかな~、江戸後期じゃないかな~とは思ってはいましたが、ほとんど同じであることは否定できません。
私は、この皿を、苦労して、やっとの思いで入手したこともあり、有頂天になり、入手した当座は、周りのコレクターに、「この皿は、栗田美術館の看板古伊万里の一つと同じなんだよ!」と吹聴し、自慢してみせびらかしたものです(^^;
お陰で、私は、周りのコレクターから、「栗田美術館の看板古伊万里の一つと同じ物を持っている者」として、一目置かれるようになりました。
その後、十数年が経った平成10年のこと、今度は、やはり、東京で、「染付蛇の目傘文盃」を買いました。
立てたところ( 口径:4.6cm 高さ:4.5cm)
伏せたところ
この盃を入手した当座は、皿と対になったものですから喜びもひとしおで、「陶説」(日本陶磁協会の月刊機関誌)に投稿したり、ホームページで紹介したりしたものです(^-^;
しかしね~、栄枯盛衰というものは、こんな古伊万里の世界にもやってくるんですね~(-_-;)
平成8年に栗田館長さんが亡くなり、この皿の最大の庇護者がいなくなりました。そうしましたら、この皿の製作年代は江戸後期に引き下げられ(詳細年、元号は忘れました)、それまで置かれていた場所も、栗田美術館での特等席の本館の入口を入って直ぐの、大きな展示室への入り口のところから外され、一般の展示ケースの隅のほうに押しやられてしまいました。
それまで置かれていた場所には、故栗田館長さんの大きな全身像の写真が飾られています。やはり、ここは、栗田美術館での特等席だったんですね。
現在は、この皿は額から外され、その後、どこから見つけてきたのか、我が家にあるような「染付蛇の目傘文盃」とともに、下の写真のような状態で、一般の展示ケースの隅のほうに展示してあります。
栗田美術館での実際の盃の展示は、立ててあるのか伏せてあるのか、忘れました。
おまけ(皿と盃を伏せたところ)
やはり、この皿は、一般的なガラスの入った展示ケースの中ではなく、別途、額に入れて壁面に飾るべきですね。そのほうが、この皿の格が上がるように思います。
皿と盃を組み合わせて展示すべきではないように思います。それでは、美術品ではなく、食器に成り下がりますから。
この皿も、落ちるに落ちたものです。庇護者がいなくなると、そんな運命をたどるんですね。何やら、人間世界を連想させますね。
もっとも、この皿、本来、美術品としての実力がなかったんでしょう。 この皿を愛した人間に振り回されたということでしょうか、、、、、。
製作年代:皿、盃とも江戸時代後期
このデザインはとても斬新だと思います。
しかも数がまた少ないですので
貴重な品ですね。
同じのを持っています!!
ドクターさんは、古伊万里の分類法で
「~様式」と区分けされておられますが、私は古い区分のままで、これは「平戸」と思っています。
裏の唐草の描き方が独特ですよね。
私が買った頃は、この皿の全盛時代だったかもしれません。
私が買った少し後、東京の平和島の全国古民具・骨董まつり会場で2~3点売られているのを見たことがあります。
とっても高かったです。
でも、その後、パタリと途絶えましたね。
世の中に存在する絶対量が少なかったのかもしれません。
額に入れて壁面に飾るですか!?格は上がりと思いますが地震対策も‼
井沢八郎/男傘~♪歌える人少なくなり貴重です??
ネットで掘り出したんでしたよね(^-^;
この皿、落ちぶれたとはいえ、斬新なデザインですし、数も少ないですから、いまだに、優品には違いないですよね。
栗田美術館でも、今でも、ちゃんと展示はしてありますから、、、。
ただ、かつての特別扱いではないということですが、、、。
なるほど。裏の唐草文の描き方が有田産のものとは違いますか。
言われてみれば、確かに、ちょっよ、違いますね。
ご教示ありがとうございます(^-^;
ありがとうございます(^-^;
確かに、額に入れて飾るには、危険も伴いますね。
今回も、額から出そうとしましたら、額の裏の紐を吊り下げておく金具が錆て腐食していて、少し動かしただけで崩れてしまいましたので、補修しました。
時々、点検しなければならないようですね。
井沢八郎の男傘という歌があるんですか。
老人会のカラオケでも聞きませんね。貴重ですね。
今度、誰かに歌ってもらおうと思います(^-^;
世の中の流行など、気にすることはありませんよ。
いつの世でもいいものはいい、悪いものはわるい。
不易流行です。
栗田館長と同じ目をもっていただけでも、凄い。
もし、盃の見込みに、唐草紋、描いておいてくれたなら、東博行きでしょう。
時代的にはDr.Kさんの見立てのほうが正しかったのですから流石ですね。全体的に伊万里の価格は低調ですが、図柄によっては業者さんの思い入れがあるモノは価値を維持している感じがします。
このお皿、周りの者は、「宝永、正徳(1704ー15年)はないんじゃないかな~。江戸後期だろう」と思っていたようですが、恐ろしくて、誰もそのことを言い出せなかったようです。
その反動もあってか、栗田館長さんが亡くなってから、だんだんと冷遇され、何時の間にか、製作年代は引き下げられ、展示場所も一般の古伊万里と一緒にされるようになったようです。
でも、やはり、古美術品は、時代がものをいいますものね。江戸中期と江戸後期では差が出ますよね。
盃のほうも、皿と同時に、かつてのHPで紹介していますが、傘の陰に隠れてしまったのかもしれませんね(笑)。
この私の所蔵している皿を、かつて、栗田美術館に持参して、故栗田館長さんに見せたことがあるんです。
かつては、栗田館長さんは、よく館内を歩いていて、いつでも話しかけて、いろいろと聞くことも出来たんです。
そうしましたら、「当館の物よりは時代が若いですね」と言われました。
だいたいにおいて、コレクターという者は、自分のところの物が一番で、他は駄目と思っていますものね。
その時、私は、まだ古伊万里駆け出しですし、先方は古伊万里の大先輩ですから、黙って引き下がりました。