Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

染付 つる草文 香炉

2021年06月09日 16時00分55秒 | 古伊万里

 今回は、「染付 つる草文 香炉」の紹介です。

 

正面(仮定)

 

 

正面の反対面

 

 

見込み面

 

 

底面

 

<サ イ ズ : 口径;10.0cm  高さ;4.6cm  底径;5.7cm>

 

 

 これは、平成9年に(今から24年前に)買ったものです。

 買って以来、私は、これを、ず~っと、初期伊万里と思っていました。

 それで、以前、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中では、この「染付 つる草文 香炉」のことを、次のように紹介しています。

 

 

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            <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー146  初期伊万里様式染付つる草文香炉 (平成22年4月1日登載)

 

 私の想像では、この器物は、お墓の線香立てとして作られたのではないかと思っている。

 と言っても、江戸時代の初期の頃に作られた物なので、外見上は汚らしく、いかにも下手で、みすぼらしいものに見えるけれども、一応、磁器なわけだから、当時としては高級品だったわけで、一般庶民用のお墓の線香立てであったものではないであろう。ここは、この器物の風貌からして、高級武士のお墓の線香立てであったと考えたい。そのほうがロマンを感じるから・・・・・。

 当初は、高級武士のお墓に置かれたので、一般人はみだりにそのお墓に立ち入ったりは出来なかったであろうから、盗難にも遭わずに年月が経過したのであろう。

 その後、磁器は、外見上も奇麗で立派なものが大量に作られるようになったわけで、このようにみすぼらしい線香立ては、誰も相手にしなくなったであろうから、盗難からもまぬかれるようになったのではないかと思われる。

 そして、いずれの時にか、この高級武士の子孫の方は、新しくて奇麗な線香立てをお墓に備え、このみすぼらしい線香立てをお墓の隅の方に打ち捨てたのではないかと思うのである。

 いつしか、またまた時移り、現代に至り、初期伊万里が、「初期、しょき、ショキ、syoki・・・・・」ともてはやされ、人々は初期伊万里を血眼で探しまわり、遂に、お墓の隅に打ち捨てられていたこの線香立てを見つけ出し、今度は、香炉用にと市場に登場させたのではないかと思っている。

 以上、この器物の生まれてからこれまでの物語を、私の独断と偏見で綴ってみた(~_~;)

 

江戸時代初期    口径:10.0cm  高さ:4.6cm  高台径:5.7cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌78 古伊万里との対話(野香炉)(平成22年3月筆)(平成22年4月1日登載) 

登場人物
  主  人 (田舎の平凡なサラリーマン)
  野武士 (初期伊万里様式染付つる草文香炉) 

 

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 主人は、例によって、主人の家にやって来た順番に従い、順々と押入れ内を物色していたが、外見上、いかにも汚らしい器物を発見し、それを引っ張り出してきて対話をはじめた。

 


 

主人: いや~、お前は何時見ても汚らしいな~(>_<)

野武士: さよう。しかし、外見上は汚らしく見えても、その内面には強く美しいものを宿しておる。それが拙者の持ち味でもあるが、それを一般の人は理解できないようである。極めて残念なことだ。

主人: そうかもしれないな。お前は、一見、「野武士」の風貌だ。そこには「いぶし銀」のようなシブイ美しさがあるね。でも、なかなかそれを理解してもらえないだろうね。

野武士: 外見だけから判断され、「汚い!」としか評価されないのは残念である。

主人: まあまあ、そう嘆きなさるな。「捨てる神あれば拾う神あり」と言うではないか。また、「タデ食う虫も好き好き」とも言う。
 お前を、単に外面からだけで評価するか、内面も含めて評価するかは、個人の好みの問題だな。大袈裟に言えば芸術上の価値観上の問題だ。

野武士: さようか。それを聞いて少しは安堵いたした。

主人: いや、「少し」どころか、大いに安堵してくれ。現にお前は高く評価され、骨董市場に登場した。それも、結構なお値段でだ。それなりの価値がなければ、打ち捨てられ、この世から抹殺されていたことだろう。私も、お前を購入したんだから、お前のよさを認めた一人だ。

野武士: それはかたじけない。
 ところで、拙者はどのような用途のために作られたのであろうか?

主人: そうね。ぱっと見たところ、まず第一に頭に浮かんだのは、お墓の線香立てとして作られたのだろうということだね。まっ、仏壇の線香立てという線も考えられないこともないが、お前の風貌からしては、お前は、野にあってこそ似つかわしい。だから、私としては、お墓の線香立てとして作られたんだと思いたいね。

野武士: お墓の線香立てでござるか・・・・・。それでは、ちと、物足りない気もするが・・・・・。

主人: そうは言ってもね、お前は江戸時代の初期の頃に作られたんだよ。お前は磁器だろう。当時は、一般の者は磁器なんか使えなかったんだ。お前のような磁器をお墓の線香立てに使用できるという方は相当な方だったはずだ。相当に身分の高い方とか富豪の方とかのお墓の線香立てだったはずだから十分に自慢してもいいと思うよ。

野武士: さようでござるか。それなら、今後は、プライドを持って生きていく所存でござる。

主人: それがよい。そうするがよい。
 お前は、よく見ると、粗野ではあるが、野趣豊かだ。つる草文ものびのびと描かれているが、簡略化されていて、ちょっと物足りなく、一抹の寂りょう感さえ漂わせている。野にあって、貴人の墓の線香立てにするにはピッタリだ。きっと、その貴人は、高級武士だったのだろう。野武士が高級武士のお陰で士分に取り立てられ、線香立てとして立派にお勤めを果たしているという図式かな。

野武士: さようか。しかと心得、しっかりとお勤めを果たすことといたそう。
 ところで、ご主人は、拙者のどういうところに魅力を感じたのでござるか?

主人: お前のその武骨なところかな。いかにも粗野で武骨な感じだが、そこには野趣に富んだ自由な力強さがある。なにものにもとらわれない自由な力強さがある。それが高級武士によって士分に取り立てられ、かしこまってお勤めを果たしていると想像すると、「プッ!」と吹き出してしまうね(爆)。

野武士: ご主人は、私のような、粗野で武骨で野趣に富んだような初期の物がお好みなのかな?

主人: そうでもないかな~。きっちりとした、いかにも工芸品というような感じの鍋島も好きだし、芸術性豊かな古九谷様式のようなものも好きだ。柿右衛門様式のものも好きだし、時にはキンキラキンの金襴手のものにも魅かれるときがある。
 まっ、伊万里なら何でも好きということになりそうだけれど、全体的には、ちょっと地味目のものが好きというところかね~。

 

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 しかし、その後、有田に隣接した大村藩の波佐見で、江戸中期以降、大衆向けの陶磁器が大量に生産されて普及し、それらが、古伊万里の中にかなり混入していることを知るようになりました。

 そうであれば、この「染付 つる草文 香炉」は、有田で江戸初期に生産されたとみるよりは、江戸中期以降に波佐見で生産されたとみるのが自然なようです。

 この「染付 つる草文 香炉」が、江戸中期以降に波佐見で作られたものと考えますと、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で紹介しましたような物語は、単なる私の妄想となり、夢がなくなりますが、それが現実なのかもしれません(~_~;) コレクターというものは、ロマンチストであり、ドンキホーテなのかもしれません(~_~;)

 従いまして、この「染付 つる草文 香炉」は、夢がありませんが、

生 産  地: 肥前・波佐見 肥前・平戸

製作年代: 江戸時代後期 江戸時代前期 江戸時代中期

サ イ ズ : 口径;10.0cm  高さ;4.6cm  底径;5.7cm

とみるのが無難なようです。(追記で記しましたように、「生産地」、「製作年代」を変更いたしました。)

 

 

 


追 記 (令和3年6月10日)

 これをインスタグラムで紹介しましたところ、大村藩の波佐見焼ではないだろうかとか、平戸藩の木原のものではないだろうかとか、同じく平戸藩の中野系のものではないだろうかなどの、いろいろなコメントが寄せられました。

 その内のechizenyaheitaさんの次のようなコメントに説得力を感じました。

 

「 これ、写真をじっくり見ると、半陶半磁のいわゆる陶胎染付だと思います。ということは、完全に磁器化している波佐見焼の可能性はほぼ有り得ません。
 初期伊万里からは少し下がりますが、寛文期あたりの平戸系の中野の陶胎染付だと思います。見た目以上に(笑)上手の香炉だと私は見ますね。」

 

 以上のことから、この「染付 つる草文 香炉」の生産地を「肥前・平戸」と、製作年代を「江戸時代前期」に変更いたします。

 

 

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追 記(その2) (令和3年6月11日)

 その後、インスタグラムで、morikawatennさんから、次のような趣旨のコメントが寄せられました。

 

「これは平戸の木原東窯の染付香炉です。木原の製品の大半は半陶半磁のいわゆる陶胎染付です。中野と似ていますが、ちょと違うようです。」

 

 morikawatennさんは、現地に詳しい方ですから、このコメントのほうがより真実に近いものと思われます。

 そうしますと、木原東窯の開窯時期は、元禄9年頃とみられていますので、この「染付 つる草文 香炉」の製作年代は、江戸時代中期とみるのが無難なようです。

 従いまして、この「染付 つる草文 香炉」の製作年代を、「江戸時代前期」から「江戸時代中期」に再度変更いたします。 


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Dr.kさんへ (遅生)
2021-06-09 16:48:17
うーん、難しいですね。
しかし、いくら波佐見でも、ここまで武骨でゴツゴツした品を作るでしょうか。

骨董から夢とロマンを取ったら、ガラクタ以下ですから、ここは一つ少しへりくだって、中級武士用の初期線香立てでいかがでしょうか(^.^)
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遅生さんへ (Dr.K)
2021-06-09 21:34:36
ホント、「骨董から夢とロマンを取ったら、ガラクタ以下」ですよね。
なるほど、「中級武士用の初期線香立て」というのはロマンがありますね(^-^*)

骨董の対象物も、研究が進むに従い、ガラクタ以下に転落していってしまい、つまらなくなりますね(~_~;)
肥前では、有田以外でもいろいろと窯場があったようで、これだって、波佐見以外に、平戸系の木原という可能性もありますね。
出自を明らかにして、せめて、野武士ではなく中級武士くらいには出世させてやりたいと思います(^-^*)
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こんにちは (つや姫日記)
2021-06-10 08:06:52
線香立てですか。
しかも墓用のですか。

豪快な趣のある器だとおもいました。
このような線香立て
素敵ですね。
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つや姫日記さんへ (Dr.K)
2021-06-10 09:41:23
ははは、墓用の線香立てとしたのは、私の独断と偏見からです(~_~;)
考えてみたら、お墓の線香立てとした場合、雨に濡れたりするでしょうから、そうしたら、中の灰はどうなってしまうのかな~、使えなくなってしまうのではないかな~などと思ってしまいます(><)

やはり、普通に、香炉として生まれてきたのかもしれません(^_^)
でも、この野武士のような野性的な風貌ですものね、綺麗なお屋敷の中で使用するには似つかわしくないと思ってしまうんですよね、、、(~_~;)

しかし、これに立派な火屋を設えてやれば、全体としては立派な香炉に変身するのかもしれませんね(^-^*)
つや姫さんもそう思われたわけですね。
センスがありますね(^_^)
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