「黄金(きん)の日本史」(加藤 廣著 新潮社 2012年5月20日発行)を読みました。
この本の「はじめに」には、次のようなことが書いてありました。
「日本史が苦手」という人たちが多いと耳にした。
「こんな面白いものは世の中に滅多にあるものじゃない」
と信じている時代小説家としては、聞き捨てならない話だった。
「一度ボクらの使う教科書を読んでみてください。うんざりしますから」
若い人にそう言われ、早速、何冊かを手にしてみた。
それは、老生が大学受験の時に学んだ教科書や参考書の三倍から五倍もあろうかと思われる、雑知識がすし詰めになった本であった。
そこには、歴史を生きた人間の、呼吸も、息づかいも全く感じられなかった。
これはもう、「歴史とはなにか?」という出発点の間違いである。文部科学省は、歴史を、ただの「暗記の学問」とでも勘違いしているのではないか?
歴史は英語でヒストリー、フランス語でイストワールという。
英語の「ヒストリー」の冒頭の「HI」は、呼びかけの、ハイ、ヘイと同じで、コーリング・アテンション(注目を呼びかける)の意味である(『コンサイス・オックスフォード・デクショナリー』)。その接頭語の後は、まぎれもないストーリー(物語)そのものである。
つまり、併せると「注目に値する物語」となる。
フランス語のイストワールは、もっとふるっている。
「①歴史」という訳語の次に、「②身の上話」「③作り話」という訳まである(『スタンダード仏和辞典』)から、思わず噴き出してしまう。
さすが、鈴木信太郎、渡辺一夫といった、かつての洒脱な仏文学者たちの編集である。断然ユーモアがある。
どちらにしても「おぼえる学問」ではないのである。
といったわけで、お節介な老作家は、
「では、面白い歴史の本を書いてみよう」
と、思い立った次第である。それには───
「なにか一つの柱を立てて、それにまつわる話にしよう。そうすると話の筋が一本通り、物語がよく判かるのでは───」
それが「キン」である。
この本の中では、俗に言う「おカネ」の「金」と区別するため、鉱物としての金を「キン」と片仮名書きにする積もりである。
では、なぜキンが話の筋になるのか?
それは「財の代表」であり、その集まるところが「権力と栄華の象徴」だからである。
その結果が「注目すべき物語」になるのだ。
また、表紙の裏面には、この本の宣伝文句として、次のように書かれていました。
歴史の主人公は黄金である。これを手中にするための覇権争いこそが日本史なのだ───金という覗き窓から定点観測すると、歴史教科書の生ぬるい嘘が見えてくる。ジパング伝説がどんな災厄を招いたのか、秀衡や秀吉の金はどこへ消えたのか、なぜ現代日本の金保有量は唖然とするほど低いのか───。歴史時代小説界のエースであり金融エキスパートでもある著者が、為政者への批判を込めて綴った比類なき日本通史。
以上のように、この本は、「はじめに」や表紙の裏面に書かれた宣伝文句にありますように、「金(きん)」を柱にした日本史の通史になっています。
ただ、普通の日本通史ではなく、エッセイ集といった形でもあり、内容的には経済史という面も有しています。
著者の、長年にわたって蓄積された豊富な歴史知識に裏打ちされて書かれた内容の本で、気軽に読める内容でもあります。
大変に面白い本です。是非、お読みすることをお薦めします。
追記: 先日(11月15日)、「家康に訊け」を紹介した際、ブログ友の遅生さんから、
この本には、「家康の本拠地だった三河地方は、武田の甲州金山や織田の美濃金山のような、米麦以外の鉱物資源に恵まれていない」とありますが、美濃には金鉱山はおろか銅、鉄鉱山もなく、鉱物資源貧乏です。腐るほどあるのは石灰石。太古は海の底だったんです。
織田の財布は、尾張熱田湊の交易です。美濃を必死に攻略したのは、戦略上の最重要地だったからにすぎません。美濃は今も昔も貧乏国です。
というような趣旨のコメントが寄せられました。
それについては私も同感でしたので、本当に美濃に金山があったのだろうかと、その点に注意して読み進めました。
それについて、この本では、次のように書かれていました。
「 最後の要因は、やはりキンである。信長はキンの産出国・美濃の斎藤道三の娘を妻に貰い、その妻の実家を奪って自分のものとした。これで懐にグ~ンと余裕ができた。
そこに技術革新が加わった。信長の時代には、
キン粉の採取から
キン鉱石銀鉱石の発見へ
という新たな動きがあった。キン鉱石を採石し選別して、「灰吹法」という最新技術を用いて精錬する、その形が確立していった時期である。金山銀山もどんどん増えていった。
一時、信長が天下を握りかけたのもそのお陰である。
(P.101) 」
この本に依りますと、美濃に金山はあったことになりますね。
でも、それは、とっくの昔に枯渇してしまい、今では話題にも上らないということなんでしょうか、、、?
私の住んでいる所でも、少し山奥にでも行きますと、「昔の金採掘跡」というような場所がありますね。そのような所は、とっくの昔に採りつくされ、今では、せいぜい、小さな立て看板がある程度で、かつては金が出たことの名残を示している程度ですものね。
でも、案外、鋭い視点かもしてません。
諸説あってはっきりしない、道三、義龍の争いの理由も金鉱なら非常にわかりやすいです。
それにしては、黄金の話はさっぱりでてきません。
岐阜市は、大河ドラマにあやかって、金華山岐阜城跡や信長屋敷跡の発掘に力をいれています。ひょっとしたら何か出てくるかもしれません。
出てくると言えば、昔、骨董屋に頼まれて、金華山登山道で見つけたという岐阜城の黄金瓦を分析したことがあります。結果は、真っ黄色の偽物(真鍮)でした(笑)
ここ常陸の国でも、昔から金は産出したようで、金砂神社とか金砂郷村など、金にまつわる地名なども残っています。
でも、今では、掘り尽くされ、真鍮も出てきませんね(笑)。
この本の中で、著者は、秀吉の金ぴかぴかを卑下するのは間違いだと言ってました。
利休には侘び寂びがあるなどとし、美意識が高いと褒めているが、当時は、LEDどころか裸電球もなかったので、夜は真っ暗闇なわけで、その中での黄金の放つ微かな輝きこそ幽玄だったから、秀吉のほうが遥かに美意識だ高かったと言ってました。
確かに、真っ暗闇の中では、枯れた物などからは何も見えませんものね。
歴史は読むのもイヤでした。特に日本史が。。。(笑)
漢字や年号覚えに終始していたからですね。
年齢が行くとともに歴史が面白くなってきています。歴史上の人物を自分たちの祖先として感じることができるようになったからですね。
一つのキーワードで歴史を読んで行くのも面白そうですね。
金」は最適ワードでしょうね。
ホント、「漢字や年号覚えに終始し」なければならなかったからですね(-_-;)
無味乾燥でしたものね。
でも、テストなんかに関係なくなると面白くなってきますね。
最近では、もっぱら歴史物を読んでいます。
特に、日本の戦国時代のものが好きで読んでいます(^-^;
人間、誰しも、金には魅力を感じますものね。
金を一つのキーワードとしたこの本、なかなか面白かったです(^-^;
また、よくぞ、金をキーワードとして日本史をまとめあげたものだな~と感心しています。
padaの住んでる町ではかって~50年ほど前には金が採れたんですよ(笑)
もっとも取れたのは銅鉱石で~内部には金が含まれていたと言う事なんです。
昔の日本は銅鉱石から金を取り出す方法が
わからず粗銅を安く売ったそうですね。
勿体ない事をしました。
そうですか、銅鉱石から金を取り出す方法がわからずに粗銅を安く売ってしまったんですか。
随分と損をしましたね。
この本に依りますと、江戸時代頃には、メキシコから銀が沢山採れるようになり、金と銀との交換比率が大きく変わっていたんだそうです。ところが、それを知らない江戸幕府は、それまでの交換比率で通商をしましたので、大損をしていたそうです。
やはり、技術と情報は重要なんですね。
この本、面白そうですね。この方に異論を挟む訳では無いですが。確かに金は必要です。ただ、信長はこの頃になると。先ず鉄、そして火薬を手に入れようとしております。秀吉も家康も最終的に火薬でした。伊達政宗は同じく火薬を手に入れようとして。支倉常長を欧州に送りましたが失敗しております。これが手に入っていれば。歴史は変わっていたと思います。政宗は鉄は既に手に入れておりましたが。鉄砲だけではただの筒となります。まあその前に金があれば買えるという話となりますが。信長がキリシタンに近づいたのも火薬のためです。まあこれが歴史のあやですよね。有難うございます。
不あがりさんが書かれいる通りでしょうね。
著者も、金がすべてとは見ていないようですが、金(きん)を中心にして、日本の通史としているところは奇抜ですし、面白いな~と感じました。
また、内容がエッセイ風になっているところも面白いんです。
もっとも、この点については、紹介もしないで申し訳ありませんが、、、(-_-;)