或るブログ友が、最近のブログに、広隆寺に行ってきた旨の記事を載せていました。
その記事を読んで、「私も広隆寺に行ってみたいな~、羨ましいな~。というのも、私は、「広隆寺」と刻銘された銅製の水瓶を持っているので、広隆寺には憧れを抱いているからなんです」とのコメントを寄せました。
そうしましたら、そのブログ友は、是非その水瓶を見たいとのリコメをしてきました。それで、それに応えるべく、次のような記事をしたためたしだいです。
その水瓶は、今から35年前の昭和59年に、地方のデパートの「東寺骨董市」で買ったものです。
その頃は、骨董ブームでもあったんでしょうかね、年に1回くらい、地方のデパートの特設会場で、骨董市が行われていたんです。その時は、京都の東寺の境内で行われている骨董市に出店している業者さんの何十軒かが、この地方のデパートの特設会場にやってきて「東寺骨董市」というものを再現したんでしょう。
今では、そのような催しを企画しても、お客が集まらず、採算が合わないのか、行われることはなくなりましたが、、、。
ところで、私は、本や図録で見ていて、いつしか、観音菩薩が持っている水瓶(すいびょう)に憧れるようになりました。特に、その形に憧れるようになっていました。それで、何時の日にか、そのような水瓶を是非手に入れたいものだと思っていたんです。
そうしたなか、この「東寺骨董市」とやらで、この銅製の水瓶に出会ったんです。
高さ:21.4cm 最大胴径:8.9cm 底径:5.5cm (製作年代:不明)
底面から見たところ
欲を言えば、腰の辺りがもっと膨らんだ瓜型のものが欲しかったんですが、欲を言えばきりがありません。それで妥協することにしました。
それに、これで妥協するには、もう一つの理由がありました。それは、この水瓶の肩に近い胴の部分に「廣隆寺」と刻銘されていたからです。
それを売っていた業者さんは、「ほれ、ここに「廣隆寺」と書いてあるでしょう」と言うんです。よ~く見れば、確かに「廣隆寺」と書いてあるではありませんか。「廣隆寺」といえば、国宝彫刻の部第一号の弥勒菩薩半跏思惟像を所蔵しているところですよね!
さらに、業者さんは、「この水瓶は、広隆寺さんの什器だったものですよ」と追い打ちをかけてきました。
私としては、京都の東寺の骨董市に出ている業者さんが言うんだから、そうに違いないだろうと思い、喜び勇んで、この水瓶で妥協することにしたわけです。駄目押しですね。
「廣隆寺」の刻銘
この銅製の水瓶、本当に「廣隆寺」の什器だったのかどうかは分かりません。「廣隆寺」が檀家などに配った物の一つかもしれません。でも、「廣隆寺」とは何らかの関係があるのかな~とは思っています。そう思っていれば、ロマンがありますものね、、、(^-^;
その後、本物の「東寺骨董市」には、平成15年の12月21日の「終い弘法」の日に訪れたことがありますが、いまだに、広隆寺には行ったことがありません(-_-;)
なるほど、「檀家さんに配るものであれば、「○○回忌法要」などの刻が入ったりします」か。
そうであれば、お寺さんが日常的に使われていたものになりますよね。
そう考えれば、何年かは広隆寺の半跏思惟像の近くには居たわけですよね(^^;
そのように想像しますと、嬉しくなります(^-^;
檀家さんに配るものであれば、「○○回忌法要」などの刻が入ったりしますので、そういうものではないかもしれません。でも、これはずいぶん使われているので味がいい感じで出ていますよね~。たぶん、大切に使われていたんじゃないでしょうか。沢山触って手の脂を吸い込んで、もっともっと良くしてあげてください(*^_^*)
こちらでもよろしくお願いいたします。
水瓶へのお褒めのコメント、ありがとうございます(^-^;
私も金属のことは全く分かりません(><)
それに、金属の物を特に好きでもないものですから、調べる意欲も出てきません(><)
ただ、これは、形の良さと「広隆寺」銘があることにロマンを感じ、気に入ってます(^-^;
大きさもあり、花映りも良いでしょう。
金属器は良く分かりませんが、銘があるのは
ロマンです。
それで、「広隆寺」は、昔は「廣隆寺」と書かれたのかな~と思っています(^^;
これを買った時点で、既に「広隆寺」の名前は知っていましたし、「広隆寺」といえば、国宝第1号の弥勒菩薩半跏思惟像を所蔵しているお寺であることも知っていましたので、「広隆寺」の什器を手に入れたのか!と嬉しくなりました。
そうであれば、この水瓶は、国宝第1号の弥勒菩薩半跏思惟像の側近くに置かれていたのかもしれないと思い、ますます嬉しくなったものです。
しかし、数年が経ち、冷静になってきてから、でも、一般的には、広隆寺の什器が市場に出回るはずがないので、これは、誰かだ広隆寺から盗み出したものなのだろうかなと考えるようになりました。
しかし、それも非現実的な話だろうから、そうであれば、この水瓶は、たいした物ではなく、広隆寺の什器だったにしても、それは、消耗品的な存在の物だったので、古くなったから新しい物と交換されたのであって、廃棄された物なのではないかと考えるようになったんです。
その廃棄されたはずの物が、なんらかの事情で市場に出てきたのではないかと、、、。
或いは、広隆寺が、檀家に配ったものの一つなのではないかと、、、。
そうは言っても、刻銘が鋭いですよね。私も、そのことからだけでも、広隆寺に何らかの関係があるのかな~と思い、ロマンを感じ、気に入っています。
今では、妻も気に入っているようで、たまに、これに花を活けて楽しんでいるようです。
嬉しいコメントをありがとうございました(^-^;
このお寺は、京都でいちばん古いクラスの
伝統のあるお寺ですね。
刻印も鋭い、お寺に関係ないはずが無いです。
金属の事はわかりませんが随分と古そうですね。
これが、nazonazo3さんのブログで話題にしました水瓶です。
私のコレクションの対象外でもありますし、公表(?)をためらいましたが、折角の機会でもありますし、この水瓶としても、何人かの方に見てもらうと喜ぶのかなと思い直し、アップしてみました。
この水瓶を通して、広隆寺とは御縁があるわけですので、是非、広隆寺には訪れてみたいと思っております(^-^;
これがその銅瓶ですね!? 底面を見ると、結構、年代がありそうな銅瓶です。
字体も機械でのカットではなさそうですし、面白いアイテムかと思います。
折角の御縁がある訳ですから、是非、ご来京下さい。
製作年代は幕末・明治で30,500円の落札でしたね。
年代も値段も中途半端ですね。
年代と値段の中途半端さからだけでも、「これは駄目だ」と思われてしまいますね。
墨ハジキの技法を使えば、無数の傘の骨を描くことは簡単に出来るようですが、これは絵付けが下手ですね。
それに、裏面を見れば、特に高台を見れば、明治よりも新しく見えます。
いくら傘形皿が没落しても、ここまでは落ちないでしょう。
私所蔵の傘形皿や栗田美術館所蔵の傘形皿を擁護するわけではありませんが、このオークションに出ていた皿が駄目なもののようですね。
貴重な情報をありがとうございました(^-^;
でも、特に水瓶を集めているわけでもありませんので、この物で満足しています。
これはこれなりで形が綺麗ですよね(^-^;
私も、時代もなにもさっぱり分かりませんが、広隆寺という文字が入っていることだけで、なんかロマンを感じ、気に入っているんです(^-^;
です。
時代ははっきりとはわかりませんが広隆寺の文字入りで何らかの関係がありそうですね。
私はネットオークションをしていないので、分かりませんでした。
昨夜終了とのことですが、これからでも、その結果などについてみることが出来るんでしょうか?
見ることが出来るとすれば、その方法を教えていただければ嬉しいです(^-^;
ところで、その皿は、幾らで落札され、製作年代を何時頃にしていたのでしょうか? 覚えていましたら、教えていただければ嬉しです(^-^;
特に、銅のものは分かりません(><)
私のコレクションの対象外でもありますので、望んでいた形のものが手に入っただけで満足し、それ以後、調べもしませんので(調べる気も起きませんが)、わかりません(笑)。
ただ、興味があるので見せて欲しいと言われましたのでアップしてみました。
でも、遅生さんから、いくらかでも、期待が持てるコメントをいただき嬉しいです(^-^;
広隆寺の水瓶・・・・うーん、最も難しいジャンルですね。
昔、古いのは山銅だから、叩くと音が違う、とかいろいろ聞かされましたが・・・・・結局、私にはUnknown。
でも、この水瓶、雰囲気ありますね。それに、広隆寺の字体からしても期待できるものではないでしょうか。