Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

伊万里 染付山水文灰吹き(灰落し)

2020年07月24日 12時41分24秒 | 古伊万里

 今回は、「伊万里 染付山水文灰吹き(灰落し)」の紹介です。

 これは、昭和53年に、馴染の骨董店の主人から、タダで頂いたものです。

 その時、主人は、これは「茶巾筒」ですと言って贈呈してくれました。

 それで、私も、お茶などしませんから、「茶巾筒」など見たこともありませんので、これまでず~と、これを「茶巾筒」と信じ、一度たりとも疑ったことなどありませんでした(-_-;)

 ところが、この度、ブログで紹介する段になり、「あれっ、これは本当に茶巾筒なのかな~」と初めて疑問が生じました。ブログで紹介するとなると、あまり、無責任なことも書けませんものね、、、。

 でも、直ちに、「これは茶巾筒ではなく、煙草盆で使う灰吹き(灰落し)であろう」という結論に達しました。

 この器を貰ったのが昭和53年。あれから42年。私も、だいぶ古伊万里に明るくなったものだな~と感無量です(^-^; (←自己満足)

 自己陶酔はこれくらいにして、次に、その「灰吹き(灰落し)」を紹介いたします。

 

正面

 

 

正面の反対面

 

 

底面

 

 

 ところで、私が、何故、この器を、茶巾筒ではなく、煙草盆で使う灰吹き(灰落し)であろうという結論に達したかと言いますと、それは、次のようなことからです。

 「茶巾筒」ともなりますと、お茶席に入るわけですから、このように武骨なものではなく、もっとスマートなはずですよね。

 それで、ネットでちょっと調べてみましたら、茶巾筒は、案の定、もっと垢抜けてスマートなものでした(下の写真参照)。

 

茶巾筒(ネットから画像を拝借)

 

 それに、茶巾筒は、茶巾を入れるための筒ですし、その筒には蓋をしないでしょうから、筒の口にも釉薬が塗られ、口は綺麗に仕上げられているはずですよね。

 ところが、この器の場合は、口縁の釉薬が拭い去られて焼かれているんです。これは、蓋をすることを前提とした作りなわけですね(下の写真参照)。

 そんなところから、私は、この器は、茶巾筒ではなく、煙草盆で使う灰吹き(灰落し)であろうと思ったわけです。

 もっとも、茶巾筒にも、蓋付の茶巾筒というものもあるようですから、蓋を伴う器なのか、蓋を伴わない器なのかだけで、その判断は出来ないようですけれど、、、。

 

口縁の釉薬が綺麗に拭われて焼かれています。

これは、普通、蓋を伴うことを予定しています。

 

 

 なお、灰吹き(灰落し)は、一般には、下の写真から分かりますように、煙草盆の中に火入れと共に収められて使われます。

 

既に閉鎖している拙ホームページの「古伊万里への誘い」の

「古伊万里ギャラリー250 伊万里色絵火入れと灰吹き(灰落し)」から転載

左:火入れ    右:灰吹き(灰落し)

 

 

 以上の例からも分かりますように、この器は、先日紹介しました「伊万里 染付牡丹文火入れ」とセットで、煙草盆の中に収められて使われるに相応しいものであると思います(^-^;

 

先日紹介した「伊万里 染付牡丹文火入れ」とツーショットで!

お似合いですよね(^-^;

 

 

製作年代: 江戸時代後期

サ イ ズ : 口径;5.2cm 高さ;6.8cm

 

 


 

追 記:令和4年4月13日

 この記事を読まれた方から、令和4年4月13日付けで、

「 本体と蓋が接する部分に釉薬が無いのは理解できますし、灰吹きの場合は煙管の金具が当たるので強度的には釉薬をのせた方が良いようには思います。しかし、タバコ盆の灰吹きが竹製なのは、煙管を傷つけないようにする意味からも、柔らかい青竹が主に使われるものと考えています。また、磁器に金属が当たるのは少し乱暴です。本体と蓋とが接する面に釉薬が無いのは刻み煙草を保存するにも湿気を通さずに有利だと思います。それらの事から、これは煙草入れではないでしょうか。」

という趣旨のコメントが寄せられました。

 このコメントは、至極、もっともなご意見ですね(^_^)

 骨董界の人間は、お茶などやってない者が多いものですから、お茶道具のことなど知らないので、一般的には、このような器を「灰吹き(灰落し)」と言っているわけですけれど、本来の用途は「タバコ入れ」なのかもしれません(~_~;)

 もう少し、この器の本来の用途について解明する必要があるように思いました。

 貴重なコメントをありがとうございました(^-^*)

 


 

追記(その2):令和4年5月19日

 上の追記の中に書きましたように、この器への貴重なコメントを寄せてくれた方がいました。

 その方は、その後もこの器に関心があったようで、今回(令和4年5月16日付けで)、再度、この器へのコメントを寄せてくださいました。その方の、新たなコメントの趣旨は次のようなものでした。

 

「和ロウソクの芯を切ったものを入れる器があるようですね。それは「芯切入れ」といい伊万里などの陶器製(金属製もあります)では、高台部分が糸きりのままのようです。現在では長くなったロウソクの芯を切ること自体経験しないことですが、和ロウソクが主流だった頃はよく見られた器だったとのことです。そして、この器と見た目が似ていました。この前「莨入れ」ではないだろうかとのコメントをしたばかりですが、その後、この器は、恥ずかしながら「芯切入れ」ではないだろうかと思うようになったしだいです。」

 

 私は、その後も、この器について何の勉強もせずに過ごしていました(><)

 この器の高台部分は糸切りではなく、ベタ底ではありますが、同じようなものですね。

 私も、恥ずかしながら、不勉強で、そう言われればそうかな、と思うしだいです(~_~;)

 この器に関心をもっていただき、再度のコメントまで寄せてくださいましたことに感謝しております。ありがとうございました(^-^*)


伊万里 染錦玉取獅子文中鉢

2020年07月23日 13時54分31秒 | 古伊万里

 今回は、「伊万里 染錦玉取獅子文中鉢」の紹介です。

 ここのところ古伊万里の紹介が多くなりました。それは、最近、歴史小説をあまり読まなくなりましたので、その時間を、ブログの更新にあてているからです(^^;

 ところで、この中鉢は、昭和53年に骨董店から買ったものですが、当時は、相変わらず、疵物を買って勉強していたことが分かります(^^;

 この中鉢には、胴に10cmほどのニューがあるんです(-_-;)

 それはともかく、その中鉢というものは、次のようなものです。

 

内側面

 

 

見込みの玉取獅子文の部分

 

 

見込み周辺の花文の部分(花文は全部で2個所)

 

 

見込み周辺の山水文の部分(山水文は全部で2個所)

 

 

側面の花文の部分(花文は全部で2個所)

 

 

側面の山水文の部分(山水文は全部で2個所)

 

 

底面

 

 

 ご覧のように、この中鉢は、なかなか時代もあり、華やかさの中にも落ち着きがあり、見所もありで、どうしてどうして、「幕末物」として十把一絡げには出来ない風格を備えています。「元禄・享保」に近いものでしょう。

 当時は、大きな疵が無かったなら、きっと、買う気になれないほど高かったものと思われます。当時、最小の経費で最大の効果をあげようと、少ない経費の中で、必死になって古伊万里を勉強していたことが忍ばれます。私にとっては、懐かしい思い出の中鉢ではあります(^^;

 なお、この中鉢につきましては、今では止めてしまっている拙ホームページの「古伊万里への誘い」でも既に紹介しており、その中で、次のように書いています。

 

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<古伊万里ギャラリー60「古伊万里様式染錦玉取獅子文中鉢」> 平成15年4月1日登載

 

 相当に使用されたらしく、擦り傷多く、金彩もほとんど剥れている。あげくの果てに、ブチ割れである。よくもまあ捨てられもせずに留まったものよと、その運の強さに感心する。

 私のような物好きがいなかったら、とっくにあの世行きだ(もっとも、器物の世界のあの世行きというのはどんな状態なのだろうか? 破片だって考古資料としては現役だから、器物の世界にはあの世というのはないのかもしれない?)。

 それはともかく、この鉢にはなんとなく落ち着きがある。渋いのである。国内向けに作られたのであろうか。大・中・小の三点セットの中の真ん中のものであろう。

 そう思うと、この鉢は、かつて、いったい誰にどのように使われていたのだろうかとの想像をたくましくする。以前、大名や豪商等の食卓を飾っていたのかな~~などと思うと、感無量だ!

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製作年代: 江戸時代中期

サ イ ズ : 口径;15.2cm 高さ;6.5cm 高台径;7.8cm


伊万里 染付牡丹文火入れ

2020年07月22日 13時21分17秒 | 古伊万里

 今回は、「伊万里 染付牡丹文火入れ」の紹介です。

 この火入れは、昭和53年に、古伊万里コレクションのための教材用として、4,500円で手に入れたものです。

 前に、このブログで紹介しましたように、私が古伊万里第1号の「伊万里 染付草花文油壷」を手に入れたのが昭和49年ですから、それからまだ4年ほどしか経過していませんでした。

 従いまして、私は、その頃は、まだ、よく、古伊万里のことが分からず、勉強中というところだったわけですね。

 今ですと、若い古伊万里コレクターの方が、初期伊万里の陶片を購入して、初期伊万里の勉強をしているのと同じようなものですね。

 ところで、この火入れを購入した頃は、元禄・享保くらいまでの物を「古伊万里」と言い、その後の物は、十把ひとからげで「幕末物」とされ、ほとんど相手にされないような状況でした。

 でも、古伊万里をよく分からないなりにも、「元禄・享保」に近い物と「明治」に近い物との間には、かなりの相違があるように感じました。それを十把ひとからげで「幕末物」とひとくくりにしてしまうのも乱暴な話ですよね(-_-;)

 それで、少し勉強する必要があるなと思ったわけです。そこで、勉強に取り掛かったわけですが、「元禄・享保」に近い物は、やはり、高額になるんですよね。それならばということで、今度は逆に、「明治」に近い物を購入して勉強しようと思ったわけです。それよりも古そうなものほど「元禄・享保」に近い物になるわけですものね。単純で安易な方法です(笑)。

 そんな折に出会ったのがこの火入れなんです。

 この火入れには口縁付近に大きな疵がありますし、いかにも幕末物という風格(?)なので、幕末物の陶片の値段でもいいくらいですから、4,500円は高いように感じますよね。

 ただ、この火入れには、高台内に「安政年製」の銘が入っているんです。教材用としてはピッタリですよね。そんなことで、陶片の値段にはならなかったわけです。

 またまた、前置きが長くなりましたが、次に、この火入れの写真を紹介します。

 

 

正面

 

 

 

正面から左に90度回転させた面

 

 

正面から右に90度回転させた面

口縁から胴にかけて大きな疵が見られます。

 

 

見込み面

 

 

底面

 

 

高台内 「安政年製」銘

この火入れの最大の取り柄です(笑)。

 

製作年代: 江戸時代後期(安政年間)

サ イ ズ : 口径;10.7cm 高さ;9.5cm

 

 

 なお、この火入れにつきましては、今では止めてしまいました拙ホームページの「古伊万里への誘い」でも取り上げていますので、参考までに、それも、次に紹介いたします。

 

 


 

     「古伊万里への誘い」

 

<古伊万里ギャラリー77 「古伊万里様式染付牡丹文火入れ」>(平成16年6月1日登載)

  

 いかにも幕末伊万里という風体である。

 しかも、高台内に「安政年製」と書いてあり、戸籍謄本が添付されているようなものだ。

 そういう意味では、「幕末伊万里とはこういうものをいうんだ! これで勉強しろ!」とでも言ってるみたいである。

 その時代の生き証人というところだろう。

 もっとも、骨董の場合、年号をそのまま信ずることは危険である。

 安政時代に、安政より前の、たとえば元禄の年号を入れることは可能であるから、「元禄年製」と書いてあるからといって、本気で元禄時代に作られたのだろうなどと思ったら誤りである。

 その物の作られた時代とその物に書かれた年号とが一致するかどうかを判定出来なければならないのである。

 そういうところが骨董である。この火入れのような、その物の作られた時代とその物に書かれた年号とが一致するような物で勉強していって覚えていくほかないのである。その点では、この火入れは教材でもある。

 江戸時代後期    口径:10.7cm  高さ:9.5cm

 

 

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<古伊万里バカ日誌19 「古伊万里との対話(火入れ)」>平成16年5月筆 

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
  伊 助 (古伊万里様式染付牡丹文火入れ) 

  伊助 口径:10.7cm,高さ:9.5cm (高台内)
 

・・・・・プロローグ・・・・・

 どうやら最近主人のところの所蔵品が底をついてきたようである。もともとたいした量を所蔵していないのだから、当たり前といえば当たり前だが・・・・・。
 今までのように3~4点ずつ登場させるというようなことを続けていては、まもなく行き詰ることは火を見るより明らかであった。
 そこで主人は、出し惜しみすることを思いついた。1点程を押入から引っ張り出してきて対話をすることにしたのである。

 

主人: 今回からは少数に出てもらうことにした。1対1でゆっくり四方山話が出来るというものだ。ありがたいだろう。

伊助: はい、それは大変にありがたいことです。じっと押入の中で待っていた甲斐があったというものです。(「所蔵品が底をついてきたので出し惜しみをはじめたにすぎないのに、よく言うよ!」と独白。)

主人: それにしても暫くぶりだな。お前が我が家に来たのが昭和53年だから、もう26年になるよ。来てから少しの間は飾り棚の上などにいたが、まもなく押入れ入りをしたので、ほぼ四半世紀ぶりというところだ。

伊助: 殿堂入りでもしたのでしたら名誉あることなのですが、押入れ入りではね・・・・・。
 それにしても、もう、押入れ入りしてから25年にもなるんですか。このぶんですと、百年なんかあっという間ですね。いったん押入れ入りしたり、お蔵入りしたりすると、「骨董品」に変身することなんかわけないですね。
 そうはいいましても、25年に1回しか日の目を見ませんから、百年たっても4回しか日の目を見ないことになります。それは淋しいことです・・・・・。

主人: 悪かった。そう言うな。
 でもな、その間に世の中変わった。今ではインターネットとかいう時代になったんだ。いったんこうして登場すると、一年中、日の目を見ているんだよ。世界中の人々に四六時中見られているんだ。衆人監視というやつだな。もっとも、誰も見に来てくれなければ野晒しということにもなるがな。

伊助: また年数の話に戻りますが、私は安政時代(1854~59)に生まれていますから、約150歳になります。そのうちの6分の1をここで過ごさせてもらいました。思えば、暗い辛い日々でございました。でも、今の話を聞いて、これからは、明るい楽しい日々を過ごせるんだなーと思うと嬉しくなりました。

主人: そうそう、お前は安政生まれだったな。
 お前を買った当時、私は、まだ古伊万里のコレクションをはじめてから日が浅かった。いうなれば初心者というところだった。古伊万里初心者としては、どうしても幕末物に目が行く。幕末物は値段が手頃だからね。それに、仮に偽物を掴んでも、傷口が浅くて済む。高価な元禄古伊万里なんかには、容易に近付けなかった。骨董には偽物がつきものだからね。今はやりの言葉で言うと「自己責任」の世界だよ。だまされないためには、少しずつ勉強し、だんだんステップを上げていくほかはないね。
 そうした時にお前に出会ったんだ。一目見て、「あっ、幕末の伊万里だ!」と思ったね。そして裏を見たら、高台内に「安政年製」と書いてあるじゃないの。嬉しかったね。
 「私も、ちゃんと、幕末伊万里の判定をすることが出来るようになったんだ!」
と思うとね。
 もっとも、幕末伊万里の偽物なんぞ作っても採算が合わないから、幕末伊万里などには偽物は少ないだろうが、それにしても、現代の伊万里なのか幕末の伊万里なのかを判定出来るようになるかならないかは、古伊万里コレクターにとっては大きな意味を持つと思うんだよね。

伊助: 私は、古伊万里初級クラス卒業のための試験問題だったわけですか?

主人: そうだ。合格祝いの記念として大切にしてきたんだ。

伊助: でも、あまりにも大切にされすぎました。押入れの奥の奥へと・・・・・。

主人: 悪かった。またそれを言う・・・・・。

伊助: それはそうとして、私は何の目的で作られたのでしょうか?

主人: 「火入れ」だろう。昔は煙草盆の中に「火入れ」と「灰吹き(灰落とし)」が入っていた。今のようにライターなどというものはなかったから、「火入れ」の中に炭火を入れておいて、いつでも煙草に火を付けられるようにしておいたわけだな。

伊助: なるほどそうですか。
 ちなみに、価値としてはどうなんですか?

主人: お前には悪いが、はっきり言って、それ程の価値はないよ。幕末は幕末の価値しかないし、火入れは火入れとしての価値しかない。
 でも、「安政年製」と書いてあるところは希少価値だろう。

 こんなところで今日は終わりにしよう。


伊万里 染付貝藻に文字丸文小皿

2020年07月21日 14時29分05秒 | 古伊万里

 今回は、「伊万里 染付貝藻に文字丸文小皿」の紹介です。

 

表面

 

 この小皿は、一昨日(令和2年7月19日)、骨董市で買ってきました。

 見込みいっぱいに、貝と海藻を描き、その周りには、ぐるりと、丸文を巡らせています。

 その丸文部分をよく見ると、それぞれの丸文には何やら文字が書かれ、その文字は墨ハジキの技法で白抜きにされています(下の画像参照)。

 

 

丸文部分の拡大画像

 

 以上のことから、この小皿の名称を、「伊万里 染付貝藻に文字丸文小皿」としてみました。

 ところで、この小皿は、焼成中に見込みの真ん中の部分がちょっと盛り上がってしまったようで、貝が描かれた所にちょっと窯疵が出来てしまっています。

 

 

見込みの真ん中の貝の部分に出来た窯疵

 

 

斜め上から見たところ

真ん中辺りが少し盛り上がっています。

 

 

側面

この面からも、真ん中辺りが少し盛り上がっていることが分かります。

 

 なお、伊万里では、焼成する時に、ヘタリを防止するために高台内に針支えをするわけですが、この小皿の場合は、その針支えの数が1本しかなかったため、その数が不足したのか、針支えを施した周辺がヘタッてしまい、見込み中央付近が盛り上がってしまったようです。

 

 

裏面

針支えは1本(目跡1個所)

(高台内の銘は不明)

 

 そうそう、ここで、このヘタリとその結果による盛り上がりによって生じた窯疵をどう評価するかの問題が生じますね。

 純粋に鑑賞陶磁器の観点からみれば、疵は疵ですから、それは欠点となり、評価は下がります。

 しかし、骨董の観点からみたらどうでしょう。このヘタリとその結果によって生じた盛り上がり、や、それによって生じた窯疵は、むしろ、見所となり、評価が高くなるのではないでしょうか。

 私は、純粋に鑑賞陶磁器の観点から古伊万里のコレクションを始めたものではないんです。骨董収集の観点から古伊万里のコレクションを始めたんです。それで、どうしても、このような、ちょっと歪んだもの、ちょっと窯疵のあるもののほうにむしろ惹かれてしまうんです(^^;

 

製作年代: 江戸時代前期(1660~1680年代)

サ イ ズ : 口径;14.5cm  高台径;10.1cm


伊万里 染付網目文玉壺春形徳利

2020年07月19日 18時58分38秒 | 古伊万里

 今回は、「伊万里 染付網目文玉壺春形徳利」の紹介です。

 

       

左:徳利A(高さ:14.6cm)   右:徳利B(高さ:15.7cm)

 

 

 徳利Aは、昭和52年7月に購入したもので、当時から、初期伊万里の典型的な徳利として有名なものでした。今でも、市場に出回っており、今なお人気が衰えておりません。

 古伊万里のコレクションを始めたからには、是非、1点は欲しいと思っていたんですが、なにせ、人気があるものですから高額で手に入りません(><)

 何とか、やっとこ手に入れたんですが、例によって大疵です(><)

 これは、私の古伊万里コレクション第5号となりますが、大疵物とはいえ、これを手に入れたことによって、やっと古伊万里コレクターの仲間入りが出来たような気になりました(^-^; その意味では、私にとっては、意義深い古伊万里です。

 

 

 徳利A

 

徳利Aの底面

 

 

 しかし、大疵とはいえ、よく図録に出てくる典型的な初期伊万里ですし、そのとろりとした肌、可憐な姿・形には、おもわず口づけし、ほおずりし、たなごころにそっと包み込みたくなるような愛らしい徳利です。網目文は、観賞用のきっちりとした網目文でもなく、そうかといって粗雑でもなく、あくまでも、いわば中庸を得た描き方です。したがって、使用していて肩もこらず、かといって粗略にも扱えない、、。なるほど、中庸とはこんなことをいうのだろうかということを身をもって教えてくれる一品です。

 そんなところから、私は、この徳利を大変気に入り、どうしてもこれに酒を入れ、毎日のように実用に供したくなりました。しかし、口造りは3分の1ほどが欠け、高台部も同じくらい欠けていましたし、元は、そこに金直しがしてありました。それには、金直しが大きすぎて、目立ち過ぎ、どうも具合が悪いんです。そこで、金直しをはずし、自分で補修することにしたわけです。さっそく白色セメントと水彩絵の具セット、それに陶磁器接着剤を買ってきて、一応の補修を終了させました。しばらくの間は、自分で補修をしたことに対する愛着も手伝って、毎日のようにこの徳利を使って酒をのんでいました。

 ところがです、その後、「古伊万里再発見」(双樹社美術出版 野田敏雄著)という本を読んでいましたら、これらの徳利は、琉球の王族、富裕者達の墓の明器であったということが書いてあるではないですか(><) ゲゲーの思いです(><) その後、実用に供しなくなったことは言うまでもありません(-_-;)

 しかし、夜の一杯に使用していたこと自体は青天の霹靂の思いではありますが、その美しさそのものは、今もなお不変です(^-^;             

 

 なお、この徳利Aを手に入れてから、2カ月ほどして、徳利Bを手に入れました。

 徳利Bのほうにも、口造りの六分の一ほどに金直しがしてありましたが、それもはずし、自分で補修をし直しました。

 

 

徳利B

 

 

徳利Bの底面

 

 

製作年代: 江戸時代初期

サ イ ズ : 徳利A……口径;3.7cm 胴径;6.8cm 高台径;4.4cm 高さ;14.6cm

      徳利B……口径;3.8cm 胴径;6.9cm 高台径;4.4cm 高さ;15.7cm