今回は、「伊万里 染付初期印判手井筒に桐紋碗」の紹介です。
この「碗」は、前回紹介した「伊万里 染付草花文油壷」を買ってから1年半ほど経ってから購入したもので、私の古伊万里コレクションの第2号となるものです。
前回の「伊万里 染付草花文油壷」の紹介のところでも書きましたように、私は、その油壷を手に入れた時点から古伊万里収集一直線になったわけではないんです。その後も、相変わらず、現代作家物とか、国内外の古い陶磁器を集めていたわけですが、そのうち、その油壷の素晴らしさに魅せられたんでしょう、なんとなく、「古伊万里」の魅力にとりつかれるようになってきたわけです(-_-;)
それで、古伊万里について勉強するようになり、その結果、当時、「初期伊万里」というものに人気があることが分かってきました。
ところで、「初期伊万里」というものは、何時頃作られたものを言うのかにつきましては諸説があるようですが、「世界をときめかした伊万里焼」(角川書店 平成12年初版発行)の著者の矢部良明氏は、その本の中で「…筆者は開窯した1620年代から、ヨーロッパ向けの輸出物焼造が本格化する万治2年(1659)までの、およそ40年間の伊万里焼を初期伊万里と呼ぶこととしている。(P.30)」としています。
この説によりますと、前回紹介した油壷は、ギリギリ初期伊万里に入るか、それよりもちょっと後に作られたものということになりますね。
そのようなことで、今度は、だんだんと、人気のある典型的な初期伊万里が欲しいなぁ~と思うようになってきたわけです。
しっか~しです。典型的な初期伊万里をいざ買おうと思っても、やはり、人気があるだけあって、とても高額なんですよね(><) とても、無疵のものなど買えません(><) それに、良く分かりもしないでいきなり高額のものに手を出しては大怪我を負いかねません(-_-;)
それで、教材費というか、授業料というか、それらがそれほどかからないようにするため、疵物を買って勉強することにしたわけです。
そんな時に出会ったのがこの「碗」でした。
以上、私の古伊万里収集回顧録のような様相を呈してきてしまい、前置きが長くなりましたが、次に、いよいよ、この「碗」の紹介です(^^;
教材費を安くあげようと思って買ったものですから、ご覧のとおり、酷い疵です(><) しかも、その疵の補修も下手で、どう見ても素人が直したものとしか思えません(><)
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井筒に桐紋の面
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桐紋の面
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井筒に桐紋と桐紋の面
このように、この碗には、井筒に桐紋と桐紋が3個ずつ、交互に描かれています。
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見込み面
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底面
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高台面 (銘:渦福)
なお、この「碗」につきましては、今は止めてしまった拙ホームページの「古伊万里への誘い」でも既に紹介していますので、次に、それを紹介いたします。
<「古伊万里への誘い」の「古伊万里ギャラリー53 初期伊万里様式コンニャク印判桐紋碗」>・・・平成14年12月筆
これまたヒドイ傷だ! それに、補修もヒドクテ見苦しい!!
それでも最近では、キレイニ直してあれば結構なお値段を頂戴される。
買った当時は、勿論、初期伊万里の代表選手みたいなものだったから、初期伊万里のサンプルのつもりで買ったのである。サンプルを毎日眺め、さわり、体で覚えるようにしようとの魂胆からだ。
無傷の物をサンプルにするには教材代がかかりすぎる。そこで、教材代を安く上げようとして、見苦しいほどの傷のものを購入するに至ったわけである。
ところがどうだ。最近の研究では、このようなコンニャク印判のものは、いわゆる初期伊万里が作られた年代には作られていないというのだ。
初期伊万里が17世紀前半に作られたのに対し、コンニャク印判は18世紀前半に作られたというのである。そこには約100年の違いがある。
でも、じっと見ていると、両者には共通したムードが感じられるであろう。だから両者は初期伊万里「様式」として同一に扱われるのである。
それにしても、毎日眺め、さわり、体で覚えたことは何だったのだろう。誤った鑑定方法を体で覚えてしまったのではないだろうか。そのような不安を感ずる今日この頃ではある。
上の「古伊万里への誘い」での紹介文にありますように、この「碗」は、典型的な初期伊万里ではなかったんですよね(-_-;)
ところが、私は、それを、ず~と、本物の典型的な初期伊万里と信じ、毎日眺め、さわり、体で覚えて勉強してきたんです(-_-;)
「三つ子の魂百までも」と言われます。古伊万里の勉強を始めた当初に、これを典型的な初期伊万里と信じて勉強してきてしまいましたので、本当の初期伊万里というものが分からなくなってしまったんです。それで、いまだに、この手の伊万里の時代鑑定は苦手です(><)
製作年代: 江戸時代中期
サ イ ズ : 口径;9.8cm 高さ;5.5cm 高台径;4.0cm
<追記>(令和2年7月11日)
この碗につきましては、伊万里焼ではなく波佐見焼ではないかとの疑問の声も聞こえてきたところです。
しかし、肥前陶磁器に明るく、よく現地の事情にも通じておられる森川天さんから、「波佐見では印判を使用していない。使ったとしても五弁花程度だった」とのコメントをいただきました。
したがいまして、これは、やはり、波佐見焼ではなく、伊万里焼ということになるようです。