Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

骨董市と古美術品交換会

2020年07月19日 10時45分16秒 | 骨董市など

 今日は、私にとって、月に一度の「骨董市と古美術品交換会」の日でした。

 お天気も、やっと長雨が止み、曇りとなりましたので、いそいそと出発です。

 といっても、今日は、「古美術品交換会」のほうには行かないことに決意しましたので、何時もよりは遅めの出発です。

 ここのところ、コロナ感染者が増加しています。「古美術品交換会」は室内で行われますので、どうしても「三密」になってしまうんですよね。それに、「古美術品交換会」のメンバーの中には東京の方もいますので、東京の方と接するのは危険です。また、高齢者が感染しますと重症化し易いようです。それで、高齢者でもある私は、「君子危うきに近寄らず」で、「古美術品交換会」のほうは欠席することにしたわけです。

 そんなことで、のんびりと出発したわけですが、お天気もそれほど良くなかったせいもありますが、コロナの影響もあるんでしょう、何時もよりは人出が少なく、駐車場も近くの駐車場がまだ少し空いていました(^-^;

 そんな状況ですから、出店業者数も何時もよりも少な目でしたが、まぁまぁというところだったでしょうか。もっとも、私の目的としている古伊万里の展示が少ないのは何時ものことですから、それほど期待外れではありません。

 今日は、次の会場である「古美術品交換会」の会場に行く必要がありませんので、のんびりと散策です(^-^;

 そうしましたら、3点ほど、気になる古伊万里が目に留まりました(^-^;

 3点とも、17世紀後半の「伊万里 染付小皿」です。

 3点まとめて全部買ってしまおうかなとも思いましたが、「衝動買いをすることはないよ。また来月もあるよ、、、」との私の陰の声が聞こえてきましたので、1点だけで止めることにしました(笑)。

 買ったのは、「伊万里 染付 貝藻に文字丸文小皿」です。

 これについては、近いうちに、カテゴリーの「古伊万里」のところで紹介いたします。


伊万里 染付亀甲文蓋物

2020年07月17日 14時04分14秒 | 古伊万里

 今回は、「伊万里 染付亀甲文蓋物」を紹介します。

 前回紹介した「伊万里 染付ぶどう文油壷」は、古銭や切手を扱っているお店から買ってきたものですが、この蓋物は、それとは違い、ちゃんとした(?)骨董屋から買ってきたものです(笑)。

 これまた、御覧のように、蓋に大きな疵がありましたので、安く購入することが出来ました(^-^;

 

 

蓋をしたところ

 

 

蓋を外したところ(蓋が表面)

 

 

蓋を外したところ(蓋が裏面)

 

 

本体のみ

(本体には疵はない)

 

 

本体の見込み面

 

 

蓋の表面

(かなりの疵が見られる)

 

 

蓋の裏面

(かなりの疵が見られる)

 

 

本体の底面

 

 

 購入当初は、蓋に傷があるために値段も安かったせいもあって、そんなに良い物とは感じていなかったんですが、だんだんと良く感じるようになってきました。その後、この手をあまり見かけませんし、染付の色といい、全体のバランスといい、蓋の形といい、実に良いなぁ~と思うようになってきたもので、益々愛着を増してきたものです(^-^;

 今では、かつて飼っていたチャチャ(ペットのフェレットの名前)の仏前で、線香立てとして活躍してくれています。

 

在りし日のチャチャ

 

 

製作年代: 江戸時代中期

サ イ ズ : 口径;7.7cm 胴径;9.8cm 底径;6.8cm 高さ(蓋共);9.3cm


伊万里 染付ぶどう文油壷

2020年07月15日 15時56分13秒 | 古伊万里

 今回は「伊万里 染付ぶどう文油壷」の紹介です。

 この油壷は、私の古伊万里コレクション第3号となるものです。

 前回紹介した「伊万里 染付初期印判手井筒に桐紋碗」を買ってから2カ月ほど経ってからのことでした。道路を歩いていましたら、古銭や切手を商っている小さなお店のショウウインドーにこの油壷が置かれていることを発見したんです。

 この頃になりますと、私も、現代作家物とか、国内外の古い陶磁器にはさほど興味がなくなり、古伊万里に強い関心を示すようになってきていて、その辺を歩いていても、ついつい、古伊万里を見かけると、近寄って手に取って見たくなるようになっていました。

 そこで、「まぁ、古銭や切手を扱っているお店に飾ってある古伊万里なんだから、売り物ではないんだろうな~。でも、手に取って見せてくれるなら見せてもらおうか」と思って、思い切ってそのお店に入りました。

 そして、ダメ元で聞いてみたんです。「これは売り物ではないですよね」と、、、。

 そうしましたら、意外や意外。「専門外のものですけれど、たまたま手に入ったんです。欲しいなら売りますよ!」との返答です。しかも、私が想像したよりも安い値段を提示してきたんです。

 私は、まだ古伊万里を集め始めたばかりですから、古伊万里の相場など良くは分からなかったんですが、当時の自分の感覚からすれば、相場よりは安く感じましたので、買うことに決定しました。

 その時、この油壷が、本当の古伊万里に属するものなのかどうかまでは分かりませんでしたが、器面いっぱいに、威勢よく、ぶどうだけが描かれているところが気に入り、仮に古伊万里ではないにしても、飾ったり、一輪挿しにして十分に楽しめるのだから、騙されたとしてもそれほどの被害はないと思ったからでもありました。

 それが、次の写真の「伊万里 染付ぶどう文油壷」です。

 

 

正面

 

 

正面から右に90度回転させた面

 

 

正面から左に90度回転させた面

 

 

正面の反対面

 

 

上からみた面

 

 

側面

 

 

底面

 

製作年代: 江戸時代前期

サ イ ズ : 口径;2.1cm 胴径;10.3cm 高台径;5.0cm 高さ;10.0cm 

 

<製作窯についての疑問>

 なお、この油壷の製作窯ですが、有田の窯ではないような気もします。有田の周辺の窯で作られたものなのかもしれません。また、それが、何という窯なのかも知りません(-_-;)

 

 


 

追記>(令和2年7月17日)

 不あがりさんから、この油壷は、平佐焼ではないかとのコメントをいただきました。

 ネットで調べてみたところ、この油壷のように、器面いっぱいにぶどう文を描いている平佐焼の油壷を発見したというのです。

 さっそく、私も調べてみましたら、この油壷に非常によく似た平佐焼の油壷をネットで発見しました。

 平佐焼は薩摩焼の一系統で、1776年に有田の陶工を招いて開窯したと言われているものなので、伊万里焼に大変に似たものを作っています。

 それで、私も、この油壺は平佐焼ではないかな~と思うようになってきました。

 そうであれば、この油壷の名称は「平佐焼 染付ぶどう文油壷」となりますし、製作年代も江戸時代中期~後期となります。


季節外れのタイヤ交換(笑)

2020年07月12日 17時33分12秒 | その他の日記

 今日は、タイヤ交換をしました。

 今頃タイヤ交換! 何で? と思うでしょうね(-_-;)

 でも、別に、深い意味はありません。普通にタイヤ交換でした(^-^;

 ただ単に、交換が遅れに遅れて、今日に至ったに過ぎません(><)

 自力でのタイヤ交換をやる気満々で、昨年12月上旬には、油圧ジャッキと電動レンチを買い込みました。そして、それらの道具を使用して、12月14日には、スタットレスタイヤに履き替えたところです(^O^)

 ところが、その後、胃の手術となり、春に退院というような予想外の事態を迎えてしまったわけです。

 3月中旬に退院でしたから、ちょうどタイヤ交換の時期に退院してきたわけですね。

 でも、退院したばかりの時点では、タイヤ交換をする体力も無くなってしまっていましたし、タイヤ交換をする気力も湧いてきませんでした(-_-;)

 それで、ついつい、延び延びとなってしまっていたんです。

 ところが、ここのところ雨続きでしたけれど、今日は、暫くぶりに、朝から曇りで、午後には晴れてきましたので、梅雨の合間を狙って、思い切ってタイヤ交換に踏み切ったというわけです(^-^;

 油圧ジャッキと電動レンチの使用も2回目となり、慣れてきましたので、タイヤ交換も、随分と楽に、早く出来るようになりました(^-^;


伊万里 染付初期印判手井筒に桐紋碗

2020年07月11日 14時34分02秒 | 古伊万里

 今回は、「伊万里 染付初期印判手井筒に桐紋碗」の紹介です。

 この「碗」は、前回紹介した「伊万里 染付草花文油壷」を買ってから1年半ほど経ってから購入したもので、私の古伊万里コレクションの第2号となるものです。

 前回の「伊万里 染付草花文油壷」の紹介のところでも書きましたように、私は、その油壷を手に入れた時点から古伊万里収集一直線になったわけではないんです。その後も、相変わらず、現代作家物とか、国内外の古い陶磁器を集めていたわけですが、そのうち、その油壷の素晴らしさに魅せられたんでしょう、なんとなく、「古伊万里」の魅力にとりつかれるようになってきたわけです(-_-;)

 それで、古伊万里について勉強するようになり、その結果、当時、「初期伊万里」というものに人気があることが分かってきました。

 ところで、「初期伊万里」というものは、何時頃作られたものを言うのかにつきましては諸説があるようですが、「世界をときめかした伊万里焼」(角川書店 平成12年初版発行)の著者の矢部良明氏は、その本の中で「…筆者は開窯した1620年代から、ヨーロッパ向けの輸出物焼造が本格化する万治2年(1659)までの、およそ40年間の伊万里焼を初期伊万里と呼ぶこととしている。(P.30)」としています。

 この説によりますと、前回紹介した油壷は、ギリギリ初期伊万里に入るか、それよりもちょっと後に作られたものということになりますね。

 そのようなことで、今度は、だんだんと、人気のある典型的な初期伊万里が欲しいなぁ~と思うようになってきたわけです。

 しっか~しです。典型的な初期伊万里をいざ買おうと思っても、やはり、人気があるだけあって、とても高額なんですよね(><) とても、無疵のものなど買えません(><) それに、良く分かりもしないでいきなり高額のものに手を出しては大怪我を負いかねません(-_-;)

 それで、教材費というか、授業料というか、それらがそれほどかからないようにするため、疵物を買って勉強することにしたわけです。

 そんな時に出会ったのがこの「碗」でした。

 以上、私の古伊万里収集回顧録のような様相を呈してきてしまい、前置きが長くなりましたが、次に、いよいよ、この「碗」の紹介です(^^; 

 

 

 教材費を安くあげようと思って買ったものですから、ご覧のとおり、酷い疵です(><) しかも、その疵の補修も下手で、どう見ても素人が直したものとしか思えません(><)

 

井筒に桐紋の面

 

 

桐紋の面

 

 

井筒に桐紋と桐紋の面

このように、この碗には、井筒に桐紋と桐紋が3個ずつ、交互に描かれています。

 

 

見込み面

 

 

底面

 

 

高台面 (銘:渦福)

 

 

 なお、この「碗」につきましては、今は止めてしまった拙ホームページの「古伊万里への誘い」でも既に紹介していますので、次に、それを紹介いたします。

 

 


 

<「古伊万里への誘い」の「古伊万里ギャラリー53 初期伊万里様式コンニャク印判桐紋碗」>・・・平成14年12月筆 

  

 これまたヒドイ傷だ! それに、補修もヒドクテ見苦しい!!

 それでも最近では、キレイニ直してあれば結構なお値段を頂戴される。

 買った当時は、勿論、初期伊万里の代表選手みたいなものだったから、初期伊万里のサンプルのつもりで買ったのである。サンプルを毎日眺め、さわり、体で覚えるようにしようとの魂胆からだ。

 無傷の物をサンプルにするには教材代がかかりすぎる。そこで、教材代を安く上げようとして、見苦しいほどの傷のものを購入するに至ったわけである。

 ところがどうだ。最近の研究では、このようなコンニャク印判のものは、いわゆる初期伊万里が作られた年代には作られていないというのだ。

 初期伊万里が17世紀前半に作られたのに対し、コンニャク印判は18世紀前半に作られたというのである。そこには約100年の違いがある。

 でも、じっと見ていると、両者には共通したムードが感じられるであろう。だから両者は初期伊万里「様式」として同一に扱われるのである。

 それにしても、毎日眺め、さわり、体で覚えたことは何だったのだろう。誤った鑑定方法を体で覚えてしまったのではないだろうか。そのような不安を感ずる今日この頃ではある。

 

 


 

 上の「古伊万里への誘い」での紹介文にありますように、この「碗」は、典型的な初期伊万里ではなかったんですよね(-_-;)

 ところが、私は、それを、ず~と、本物の典型的な初期伊万里と信じ、毎日眺め、さわり、体で覚えて勉強してきたんです(-_-;)

 「三つ子の魂百までも」と言われます。古伊万里の勉強を始めた当初に、これを典型的な初期伊万里と信じて勉強してきてしまいましたので、本当の初期伊万里というものが分からなくなってしまったんです。それで、いまだに、この手の伊万里の時代鑑定は苦手です(><)

 

 

製作年代: 江戸時代中期

サ イ ズ : 口径;9.8cm  高さ;5.5cm  高台径;4.0cm

 

 


 

<追記>(令和2年7月11日)

 この碗につきましては、伊万里焼ではなく波佐見焼ではないかとの疑問の声も聞こえてきたところです。

 しかし、肥前陶磁器に明るく、よく現地の事情にも通じておられる森川天さんから、「波佐見では印判を使用していない。使ったとしても五弁花程度だった」とのコメントをいただきました。

 したがいまして、これは、やはり、波佐見焼ではなく、伊万里焼ということになるようです。