Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

伊万里 染付草花文油壷

2020年07月08日 12時09分27秒 | 古伊万里

 今回紹介するものは、私の古伊万里コレクション第1号となるもので、私にとっては記念すべきものです。

 これは、昭和49年に買ったものですから、今から46年も前のことになります。思えば、私の古伊万里コレクションも随分と長いこと続いているな~と感無量になります(^-^;

 もっとも、私は、陶磁器のコレクションに関しては、古伊万里のコレクションから始めたわけではありません。

 この油壷を買うに至った2年ほど前から陶磁器に興味を抱くようになり、最初は、旅行先や出張先で、気に入った現代物の陶磁器を買うようになったのが始まりです。

 その後、我が家の近くの窯元に赴いては陶器を買い求めたり、だんだんと国内物だけではなく海外の物にも興味を抱き、遂には、国内外を問わず古い陶磁器にも興味を抱くようになりました。

 そうしたなか、出会ったのがこの油壷です。

 これは、骨董屋から買ったものですが、当時、1,000円でした(^-^;

 ただ、見ての通り、口造りの五分の一ほどが欠け(その後、白セメントを使って自分で補修)、腰部には、ぐるりと太いニューが走っています(><)

 で、その時、思ったものです。陶磁器は、疵など気にしなければ、良い物が安く買えるんだな~と(^-^;

 でも、この油壷を手に入れた時点から古伊万里収集一直線になったわけではありません(笑)。

 その後も、相変わらず、現代作家物とか、国内外の古い陶磁器を集めていました。しかし、そのうち、なんとなく、陶磁器の収集は古伊万里一本に絞られてきたようです。それは、多分、この油壷に影響を受けていたのかもしれません(^-^;

 この油壷の素晴らしさに魅せられたんですね。

 それは、既に止めてしまった拙ホームページの「古伊万里への誘い」の自己紹介文に、次のように書いていたことからも分かります(^-^;

 

 

<「古伊万里への誘い」の自己紹介文> 

    古伊万里医院院長のDr.Kと申します。 

 古伊万里の魅力の虜となってはや四十余年(現時点からですと46年)、古伊万里とは何の由縁もない、この地球上の片隅の片田舎に住んでおります。

 この片田舎から、遠く、古伊万里の地に憧れ、また、自分のコレクションに魂を乗り移らせては、望郷の念に胸を焦がすというような日々を送り、その思いを、時折、このホームページ等から発信しております。

 下の写真は、昭和49年に購入したもので、私の古伊万里コレクション第1号の油壺です。その姿・形のよさ、口作りから首・肩・胴・腰にいたる均整のとれた、流れるような曲線の美しさ、無造作に描かれた、安定感と安心感を与える手馴れた文様の素晴らしさ・・・・・数え上げたらきりがありません。口作りの傷など補って余りあります。どうぞ、ゆっくりと鑑賞してやってください。

 

 

 というようなことで、私とこの油壷との出会いは、オーバーな表現をしますと、運命的な出会いだったのかもしれません。

 なお、その後、私は、油壷に関しては、これ以上のものに出会っておりません。コレクションは、多少の疵などにこだわってはいけないな~と思っております。ですから、私のコレクションには疵物が多いのです(-_-;)

 

 

正面

 

 

正面

底部の疵が見えるように底を浮かして撮影

 

 

正面から右に約45度回転させた面

 

 

正面から右に約90度回転させた面

腰部の疵が見えるように底を浮かして撮影

 

 

正面の反対面

 

 

正面の反対面

腰部の疵が見えるように底を浮かして撮影

 

 

底面

 

 なお、この油壷は、口造りの五分の一ほどが欠け、腰部には大きなニューがありました。また、壺の中には大きな油の塊が入っていて、振るとカタカタと音がしました。でも、水は漏りませんでした。

 妻も、この油壷は気に入ったようで、長年、一輪挿しとして愛用していましたが、或る時、ニューからパカリと割れ、中から油の塊が出現しました。

 でも、その後も、ニュー部分を接着剤で貼り付け、水が漏らないように補修してあげましたので、いまでも一輪挿しとして活躍してくれております(^-^;

 

 

製作年代: 江戸時代前期

サ イ ズ : 口径;3.3cm 高さ;9.7cm 胴径;10.3cm 高台径;6.5cm


入院

2020年07月04日 19時31分49秒 | 病院

 先日の6月29日から今日(7月4日)までの6日間、またまた入院してきました(-_-;)

 病名は、急性腎盂・腎炎です。

 私は、ここ何年間か、前立腺肥大の治療のため、通院しているんです。

 定期的にいろいろと検査もするんですが、最近の採血検査の結果、血尿(といっても、顕微鏡に現われる程度の量ですけれど)の量が少し多くなってきたこともあり、膀胱鏡検査もすることになりました。

 膀胱鏡検査の際、医師は、「膀胱に特に問題はないようですが、念のため、ちょっと粘膜組織を採取し、それを検査に回してみましょう」ということで、採取した粘膜組織を検査に回したんです。

 そうしましたら、「いくらか、膀胱ガンの疑いがみられるが、まだはっきりしない。経過観察をする必要がある」旨の結果が出てしまいました(><)

 それで、医師は、「現段階で、ガンになているかどうかをはっきりさせるには、更に詳しい検査が必要です。ただ、その検査は、もっと大掛かりな検査になり、麻酔をかけてするので入院も必要です。しかも、その検査の結果、なんでもなかったということにもなりかねません。それに、当病院には、そのような機械もありませんし入院設備もありません。もし、希望するのであれば、別な病院を紹介します」と言ってきました(もっとも、詳しく言えば、その病院そのものには、入院設備はあるんですが、泌尿器科担当のその医師は非常勤の医師で、週に1日しか出勤していないので対応出来ないんです)。

 それで、私としても、早く白黒をつけたいですから、他の病院への紹介状を書いてもらい、他の病院へと赴いたわけです。

 それで、さっそく、紹介された病院に行ったわけですが、その病院としても、紹介してきた病院の紹介状に添付されている情報を鵜呑みにし、ただちにその大掛かりな検査に着手するわけではないんですね。

 紹介された病院の医師は、「紹介された趣旨は分かりました。ただ、当方としても直接の情報も得たいので、血液検査、膀胱鏡検査、CT検査を改めて実施します。そのうえで、その大掛かりな検査が必要なのかどうかを検討してみたい」と言ってきました。そして、直ちに、血液検査と膀胱鏡検査を実施したわけです。それは、6月22日のことでした。CT検査は、その3日後の6月25日に再度病院に赴いて実施しています。

 それで、その大掛かりな検査の必要性の有無の判断結果は7月13日に伝えますので、その日にまた来てください、ということになっていたんです。

 ところが、6月28日(日)の朝、急に熱っぽさを感じ、体温計で計ってみましたら37.4度ありました。その後も体温はどんどん上がり、39度近くになってしまいました(><)

 翌6月29日(月)になても熱は下がりませんので、これは、もしかして、コロナに罹ったかなと、非常に心配しました。

 でも、風邪症状がなく、ただ熱だけが出ていますので、あるいは、これは、膀胱鏡検査の際、膀胱に細菌が入りこみ、急性腎盂・腎炎なったのはないかと疑いました。

 そこで、朝、紹介された病院と連絡をとり、その病院に赴きました。朝9時半のことです。おそらく即入院になるだろうと予測し、入院の準備を調えて、、、。

 ところが、今は、大きな病院ほど、コロナ対策のチェックが厳しいんですね。病院の入口で体温測定を行い、熱がある者は入れないんですね。

 熱のある者は、別な入口に案内され、「発熱外来」なるところに連れて行かれるんです。そこで、問診やら、血液検査やらをやらされ、やっと泌尿器科にたどり着いたのは12時近くでした(><)

 案の定、即入院と決まり、病棟に連れて行かれました。入院の手続きをしたり、病院内のレストランで遅めの昼食を摂ったりして、やっと、病室のベットに横たわることが出来たのは13時半頃でしたでしょうか。

 そこから直ちに点滴に入りましたが、結局、その日は、体温は下がらず、最高39.3度までなりました(><)

 でも、翌6月30日(火)には37度台に下がり、7月1日(水)には平熱となりましたので、その日の翌日から(7月2日から)は点滴は無しになりました。

 結局、点滴は6月29日~7月1日までの3日間で終わり、その後は錠剤で様子をみましたけれど、発熱しないので、今日、退院となったわけです。

 よく考えてみますと、今回の騒ぎは何だったの? の思いです!

 本来の目的は違ってたんですよね!

 本番は、泌尿器科での大掛かりな検査の必要性の有無の判断の結果待ちだったんですよね。その前に、予想外の大きな出来事が生じてしまったわけです。それだけに、7月13日が一層待ち遠しいような、待ち遠しくないような、、、。