Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

骨董市と古美術品交換会

2022年11月20日 19時35分55秒 | 骨董市など

 今日は、私にとって、月に1回の骨董市と古美術品交換会の日でした。

 朝、目が覚めてみますと、お天気のほうは、曇りがちでしたが、雨は降っていませんでした。

 また、天気予報によりますと、午前中は、なんとか降らないですみそうでしたので、朝、先ずは、骨董市会場に向かって元気に出発です(^_^)

 世の中には、骨董を好きな人は結構いるものですね。駐車場もほぼ満車でした。

 しかし、展示内容はそれほど変わり映えせず、私の欲しいような古伊万里はありませんでした(><)

 それで、骨董市会場は早々に引き揚げ、次なる、古美術品交換会会場へと向かいました。

 しかし、そこも、何時もより出席者も少なく、低調でした(~_~;)

 結局は、そこでも、私の欲しい古伊万里の登場はなく、何も買わずに終わってしまいました(~_~;)

 ということで、今日は収穫無しで終わりました。

 次回、来月に期待ですね(^-^*)


鉢物の移動

2022年11月17日 15時59分18秒 | その他の日記

 今日は、恒例の鉢物の移動を行いました。

 昨夕の天気予報では、今日の朝は冷え込み、霜が降りるかもしれないということでしたので、慌てて、実施したわけです(~_~;)

 幸い、我が家周辺では、今朝は霜が降りませんでしたので、危うくセーフでした(^-^*)

 ところで、鉢物の移動といいますのは、毎年、庭に置いてある鉢物のうちの寒さに弱い鉢物を、晩秋には2階の温かい部屋に避難させ、その翌春にはまた2階の部屋から庭に戻してやる作業のことです。

 今春の4月16日に2階の部屋から庭に戻した鉢物は大小合わせて36鉢でしたが、その内の1鉢は枯れていましたので、35鉢を庭に戻したことになります。

 今日、2階に運び上げた鉢物は、大小合わせて35鉢でしたので、今春から今までの間に、寒さに弱い鉢物は1鉢も増えなかったことになります。

 高齢となり、庭から2階に運び上げたり、2階から庭に運び降ろしたりする作業がだんだんと厳しく感じるようになってきましたので、寒さに弱い鉢物が増えないことは大歓迎です(^-^*)

 でも、枯らすのも可哀想ですから、枯れないように水を遣り、大切にはしているんです。

 まっ、元気でいるうちは、鉢物の移動作業は続けていこうと思っています。

 今年もなんとか、無事、作業が済んだというところですね。ヤレヤレというところです、、、。


祥瑞平鉢

2022年11月15日 12時50分17秒 | その他の古陶磁

 今回は、「祥瑞平鉢」の紹介です。

 これは、昭和58(1983)年に、今から39年前に、地元の地方都市のデパートの催事場で開かれていた骨董市で買ったものです。

 疵のある残念物ではありますが、造形的に、縁を真っ直ぐに立ち上げた部分と波形に立ち上げた部分に分けて作られ、しかも、波形に立ち上げた部分は大きな波形の部分と小さな波形の部分に分けて作られているなど、かなり凝った作りになっています。そのため、口縁は、平たくなった部分があったり、大きなウエーブの部分があったり、はたまたギザギザした部分があったりと変化に富んでいます。

 また、呉須の色も鮮やかで、いかにも「祥瑞」を感じさせてくれます(^-^*)

 

 

祥瑞平鉢

 

表面(「舟人物」が下の面)

 

 

表面(「舟人物」が下の面)の下半分

 

 

表面(「舟人物」が下の面)の下半分の左半分

 

 

表面(「舟人物」が下の面)の下半分の右半分

 

 

表面(「桃の木と葡萄の木」が下の面)

 

 

表面(「桃の木と葡萄の木」が下の面)の下半分

 

 

表面(「桃の木と葡萄の木」が下の面)の下半分の左半分

 

 

表面(「桃の木と葡萄の木」が下の面)の下半分の右半分

 

 

側面(その1)(口縁が平らな部分)

 

 

側面(その2)(口縁が大きなウエーブの部分)

 

 

側面(その3)(口縁がギザギザした部分)

 

 

裏面

 

 

裏面の拡大

 

 

生 産 地 : 中国・景徳鎮

製作年代: 中国・明末~清初

サ イ ズ : 口径19.9cm  高さ3.7cm  底径13.6cm

 

 

 なお、この「祥瑞平鉢」につきましては、今では止めてしまった、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中の「古伊万里周辺ギャラリー」というところで既に紹介したところです。

 しかし、今ではその紹介記事を読むことは出来ませんので、次に、それを改めて紹介したいと思います。読んでいただければ幸いです。

 

 

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<古伊万里への誘い>

 

古伊万里周辺ギャラリー7 祥瑞平鉢の思い出  (平成19年5月筆)

 この祥瑞平鉢との付き合いは長い。昭和58年の2月、我が家の近くの地方都市のさるデパートの「大骨董市」という所で見つけたものであり、かれこれ24年が経過している(:この文章を書いたのは平成19年であり、令和4年現在から数えると39年が経過していることになる)。 

 昭和58年というと、「自己紹介」の所に記してあるように、私が古伊万里コレクション第1号の油壷を購入したのが昭和49年だから、それから約10年が経過しているわけで、私のコレクションの対象もほぼ古伊万里一辺倒に定まってきていた頃である。

 また、自分なりの古伊万里についての勉強が進んだこともあり、古伊万里(正確には「初期伊万里」と言うべきであろうか。)のモデルとなった「古染付」や「祥瑞」にも興味を抱くようになっていて、それらをも、ぽつりぽつりとコレクションの対象としていた時期でもあった。

 そうは言っても、「古染付」の方は、まあまあ数が多く、けっこう市場に出回っていたので、名品とはいかないまでも、そこそこの物は購入することが出来たけれど、「祥瑞」の方はそうはいかなかった。特に田舎にあってはほとんど目にする機会もなく、本や図録を見ては、ただただ溜め息まじりの日々を送らざるをえなかったのである。もっとも、「祥瑞」は、どういうわけか、現在の方が人気が無く、以前よりも多く市場にも出回っていて、かつ価格も安いようである。

 そういうことで、「祥瑞モドキ」は2~3点買っていて、「祥瑞」というものは、まぁまぁこんなものなのかな~とは思うようにはなってきてはいたが、本物の「祥瑞」、これぞ「祥瑞」というものには出会えずにきていた。どんなものが本当の「祥瑞」なのかわからないできていたのである。

 そうした中、偶然に出会ったのがこの祥瑞平鉢である。一見しただけで、チラリと見ただけで、これぞ「本物」と感じたものだった。もっとも、日頃から、本で勉強したり、美術館で眺めたり、偽物(?)を買ったりして努力していると、自然と「本物」に巡り会うことが出来るようになるのかもしれない。ただ、ご覧のように、口縁に大きな傷があり、金直しの補修を施してあるキズモノではったが・・・・・。

 こうして書いてくると、この平鉢についての思い出は、平鉢入手にかかわることのみのように思われてしまうが、この平鉢についての本当の思い出は、これから述べるところにある。

 この平鉢を入手してから5年程が経ってからのこと。「伊万里の変遷」(小木一良著 創樹社美術出版)という本が昭和63年の6月に発刊されたが、その76ページに、この平鉢と非常に良く似た染付の中皿と小皿の古伊万里が登場していることを知ってビックリしたことを思い出すのである。それ等のお皿の高台内にはそれぞれ「宝永年製泉利」と染付で書かれているので、伊万里は、初期伊万里の時代のみならず、宝永の頃になっても「祥瑞」をモデルにしていたことがわかったのであった。また、同時に、宝永時代に作られた古伊万里のお手本となった中国の本物が我が手元にあると思うと、なんとなく嬉しくなってきて、満足感に浸っていたことを思い出す。

 

(「伊万里の変遷」より転載)

 

 その後、この祥瑞平鉢は、まだ私の娘が幼い頃、娘によって誤って更に傷付けられてしまった(金直しの補修のある反対側の口縁部分)こともあり、満身創痍で見るに耐えない状態となったので、押入れ入りとなったところである。

 ところが、最近、「伊万里に魅せられて」(鹿野則彦・小木一良著 毎日新聞社 平成19年2月刊)という本を読んでいたら、その75ページに、またまたこの平鉢に似ている染付中皿が登場していることを知り、再度ビックリしたところである。それで、急きょ、押入れ入りさせた祥瑞平鉢を引っ張り出し、娘に傷付けられた部分に応急処置を施し、ここに登場させることにしたしだいである。

 なお、この「伊万里に魅せられて」の75ページは次のとおりである。

 

(「伊万里に魅せられて」より転載)

 

 

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【祥瑞平鉢の解説】

 この平鉢(古い箱に入っていて、その箱の表に「祥瑞平鉢」と書かれているので、「平鉢」と言うことにしたものである。)の口縁には鉄釉が施され、いわば口紅になっている。祥瑞にはよく見られる手ではある。

 また、縁は、真っすぐに立ち上がっている部分と波形になっている部分とを有している。しかも、波形になっている部分は、大きな波形の部分と小さな波形の部分とに分かれている。なかなかに念の入った、手間のかかる器形になっているわけであるが、これもよく祥瑞に見られる器形である。

 上記の二冊の本に載っているお皿は、このような器形の特長を有しているので、よほど忠実に祥瑞を写しているのであろう。伊万里が、いかに祥瑞にあこがれていたかがよくわかるというものである。

 上記二冊の本に載っているお皿が、その元となった祥瑞の文様全体をそっくり写したのかどうかは知らないが、この平鉢の文様と上記二冊の本に載っているお皿の文様とでは、舟に乗った人物を描いた下半分の部分が非常に似通っている。

 また、上記二冊の本に載っているお皿の文様は、一服の絵のように描かれているのに対し、この平鉢の文様は、上下に区分して全く別なものが描かれている。反対側からも鑑賞できるようになっているわけだ。お茶席で、反対側の方にも十分に鑑賞していただこうとの配慮から作られたのだろうか。そうだとすると、すごく相手に配慮した、気配りの利いた、心憎い、優れた平鉢である。

 舟に乗った人物を描いた部分の反対側には、大きな桃の木に桃を求めた二羽の鳥が止まっているところと葡萄の木と葡萄を狙って集まる栗鼠が三匹描かれている。

 今、良~く見てみると、三匹の栗鼠の仕草は、現在飼っているフェレットのチャチャに良~く似ていることを発見した。可愛い可愛い大好きなチャチャに似ている動物が、しかも三匹も描かれていることを知り、この平鉢を改めて好きになった。

舟人物が下 桃の木と葡萄の木が下 
 
裏面
 

中国・明時代末~清初    口径:19.9cm  高台径:13.6cm


古染付 黒人図小皿(一対)

2022年11月13日 18時26分49秒 | その他の古陶磁

 今回は、「古染付 黒人図小皿(一対)」の紹介です。

 

    表面      

           左:小皿(A)           右:小皿(B)

 

 

裏面

            左:小皿(A)          右:小皿(B)

 

 

小皿(A)の表面

口縁には虫喰いが少しみられます。

 

 

小皿(A)の裏面

 

 

小皿(B)の表面

口縁には多くの虫喰いがみられます。

 

 

小皿(B)の裏面

 

 

 この小皿(A)につきましては、昭和57(1982)年に、今から40年前に、京都の新門前町通りの古美術店で購入したものです。

 また、小皿(B)につきましては、その2年後の昭和59(1984)年に、今から38年前に、地元の地方都市のデパートで行われた骨董市で購入したものです。

 当時、この「古染付 黒人図小皿」というものは、よく骨董関係の書籍や骨董雑誌に登場していて、人気の高かったものです。

 私としても、是非、1点は欲しいな~と思っていたわけですけれど、たまたま、2点来てくれました(^-^*)

 

生 産 地 : 中国・景徳鎮の民窯

製作年代: 中国・明末~清初

サ イ ズ : 小皿(A)・・口径12.5cm  高さ2.5cm  底径7.3cm

        小皿(B)・・口径12.7cm  高さ2.8cm  底径7.0cm


古染付 山水文 ひょうたん形墨置

2022年11月12日 13時48分45秒 | その他の古陶磁

 今回は、「古染付 山水文 ひょうたん形墨置」の紹介です。

 これは、昭和57(1982)年に、今から40年前に、地元の地方都市のデパート内の「骨董市」で買ったものです。

 今では、「骨董市」というと、神社の境内とか、普通の大きなビル内で行われていますが、当時は、よく、デパート内の催事場で行われていました。

 それはともかく、これを見たとき、小さく、可愛らしく、洒落た作りなのですが、では、いったい、これは、何時、何処で作られた物なのだろうかとの疑問がいっぱいでした(~_~;)

 

疑問点の第1は、まず、裏面に針支えが見られることでした。

 

裏面

 

 

 普通、中国の磁土は耐火度が高いので、窯の中での焼成中にヘタったりしませんので、ヘタリ防止のために針支えをしたりしませんから、これは、中国物ではないのかもしれないと思ったところです。針支えの跡の目跡があるということは、伊万里なのではないかと思ったわけですね。

 また、よく見ますと、目跡が外側にだけ付いていて、肝心の真ん中辺りには付いていないことに気付きました。ヘタリ防止のための針支えなら、真ん中辺りにこそしなければならないわけですから、、。

 そうであれば、これは、伊万里でよく行われるヘタリ防止のための針支えではないということになりますね。

 ということで、この針支えは、ヘタリ防止のためにしたのではなく、他の目的のために行ったものであろうと思ったわけです。写真から分かりますように、裏面まで釉薬が掛けられていますし、裏面も綺麗に釉薬の掛かったままの状態で焼成するために、床面から少し浮かそうとして針支えをしたのではないかと思ったわけです。

 このことから、針支えがあっても、中国物の可能性が高いと判断したわけです。

 

 疑問点の第2は、では、これは、何時頃作られたものだろうかということです。焼き物の場合は、素地が見えないと時代判定が難しいんですよね。このように、表面にも裏面にも釉薬が掛けられていて素地が見えませんと、とっかかりがないんです(~_~;)

 

表面

 

 ところが、よく見ますと、この物の周辺の一部に傷の様なものがみえたんです。それは、上の写真の左側の中央部とその上方部分に存在します。その部分を拡大した写真は次のとおりです。

 

傷(?)部分の拡大

 

 この傷のような部分の拡大写真を良くみますと、何かに当たって付いたような当り傷のようなものではないことに気付きますよね。まさに、虫が喰ったような形ですよね。

 つまり、これは、良く言われます「虫喰い」というものですね。

 「虫喰い」があるということは、これは、中国・景徳鎮の民窯で明末~清初に作られた「古染付」であろうと判断したわけです。

 

 疑問点の第3は、これは一体、どのような用途のために作られたものなのだろうかということでした。

 それについては、裏面に「玩玉」との銘款がありますことから、これは、文人の書斎用品として作られたものであろうと考えたわけです。また、大きさからいって、墨置ではないだろうかと思ったわけです。

 

 以上のことから、私は、当時、これは「古染付 」の「山水文 ひょうたん形墨置」であろうと判断し購入に及んだものですが、皆さんはどのようにお考えですか、、、?

 

生 産 地 : 中国・景徳鎮の民窯

製作年代: 中国・明末~清初

サ イ ズ : 縦(最大)8.1cm  横(最大)5.7cm  厚さ(突起部を除く)0.5cm