Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

道の駅

2023年07月09日 15時26分32秒 | 小旅行・美術館訪問

 今朝は、町内の公園の草刈り・除草作業をしました。

 一昨日も家庭菜園の除草作業をしたばかりですので、連日のように雑草と格闘していることになります(~_~;)

 連日のように雑草取りばかりをしていて嫌になったわけではないのですが、今日は、ちょっと気晴らしに、近くの「道の駅」に行ってきました。

 

 

 

 建物の入口付近のガラス戸に、次のような広告が貼ってありました。

 

 

 珍しいものですから、ちょっと覗いてみることに、、、。

 

「猿回し」光景(その1)

 

「猿回し」光景(その2)

 

 

 今日は、急に暑くなりました(><)

 急に、あまりにも暑くなったものですから、熱中症にならないように、長居は避けることとし、道の駅の直売所で少々の買い物を済ませ、早々に自宅に戻りました。


家庭菜園作業

2023年07月07日 20時05分57秒 | 家庭菜園

 今日は、家庭菜園に行き、作業をしてきました。

 前回は7月1日に行ってきましたので、それから6日が経過してしまったわけです(~_~;)

 今日、家庭菜園に行こうと思った動機の一つは、キュウリの収穫です。

 キュウリは、3日程経ったら大きくなりますので、3日に1回くらいは収穫に行かなければならないところですが、3日に1回は、なかなか行けません(><)

 案の定、10本ほど収穫出来ましたが、そのうちの3本ほどは、かなり大きく育ってしまっていました(~_~;)

 また、今日、家庭菜園に行こうと思った動機のもう一つは、インゲン豆の苗の植え付けです。

 これまで、インゲン豆については、畑に直播きしていましたが、今年は、初めての試みで、苗を育て、それを植え付けることにしたわけです。

 もっとも、インゲン豆につきましては、今現在、既に、収穫出来るように育っているものがあり、今日も収穫してきていますので、二番手の準備となるわけですね。

 今頃のインゲン豆は、発芽が早く、生長も早いのですね(≧◇≦) ポットに蒔いたわけですが、直ぐに発芽し、ひょろひょろと大きく育ってきたのです!

 これじゃ、早く、畑に移植してやらなければならないな~と思ったわけで、ちょうど、明日から雨になるとの予報なものですから、「今日しかない!」ということで、インゲン豆の苗の植え付けに行ってきたわけです。

 でもね~、どうなんでしょうかね。ひょろひょろとした苗で、無事、うまく生長してくれるのでしょうかね~~~?

 以上の作業が終わった後、インゲン豆を収穫し、ミニトマトやズッキーニなども少量ながら収穫し、それからは、雑草も大きくなってきていましたので、雑草取りを行いました。

 すっかり雑草を取りましたので、畑はスッキリしました(^-^*) でも、また、直ぐ、雑草に覆われるんですよね、、、(~_~;) これからは、雑草との戦いです! 


四つ葉のクローバー

2023年07月06日 17時41分25秒 | その他の日記

 今日の散歩の途中、四つ葉のクローバーを摘んできました(^_^)

 四つ葉のクローバーは、幸運をもたらすということですので、何か良いことが訪れてくれるのでしょうか(^-^*)

 今月の16日(日)に骨董市がありますから、その時に、何か良い古伊万里との出会いがあるといいな~と思いました(^-^*)

 


塞王の楯

2023年07月02日 15時03分23秒 | 読書

 「塞王の楯」(今村翔吾著 集英社 2021年10月30日第1刷発行)を読みました。

 

 

 内容は、「穴太衆(あのうしゅう)」に関するものでした。

 「穴太衆」とは、この本に依りますと、

 

「その名の通り近江国穴太に代々根を張り、ある特技をもって天下に名を轟かせていた。それこそが、

 ──石垣造り。

 であった。世の中には他にも石垣造りを生業とする者たちがいるにはいるが、いずれも細々とやっているのみ。この技術においては穴太衆が突出しており、他の追随を許さないからである。

 穴太衆には二十を超える「組」があり、それぞれが屋号を持って独立して動いている。銘々が諸大名や寺院から石垣造りの依頼を受け、その地に赴いて石垣を造る。軽微な修復など一月足らずで終わるものから、巨城の大石垣など数か年掛かる仕事もあった。 (P.24) 」

 

ということです。そして、この本は、穴太衆のうちの「飛田屋」という「組」の頭(かしら)を主人公とした話であることが分かりました。

 それで、読み始めたばかりの頃は、「何だ、石垣造りの職人の話か! 戦国時代の武将に関する歴史小説かなと思って借りてきたわけだけれど、それじゃつまらなそうだから、もう、読むのを止めようかな」と思いました(~_~;)

 でも、せっかっく借りてきたのだからと、少し我慢しながら読み進めていましたら、だんだんと面白くなってきました(^_^)

 といいますのは、穴太衆は、依頼を受ければ、陸奥から薩摩まで出かけて行くのですね。しかも城の石垣造りや修復の依頼に関連するわけですから、全国の大名との関わりが出てくるわけで、この本の随所に有名な大名の名前も登場してくるわけです。また、城の石垣造りや平時の修復だけではなく、時には、籠城中に攻撃を受けて石垣が破損した場合には攻撃をうけているさ中にもかかわらず破損した箇所を修復しながら石垣を守るという作業も行ったようです。

 そんなわけで、この本は、主人公は石垣造りの職人ではありますが、全体的には、石垣造りの職人の目を通しての戦国武将の話でもあったわけです。

 この本の中に登場してきた戦国武将の中での中心人物は、「蛍大名」と揶揄された京極高次でした。

 京極高次は、戦国武将としての資質に欠け、自分の妹の「竜子」が秀吉の側室になったことや、自分の妻が信長の妹のお市の方の三人の娘のうちの一人の「初」(秀頼の母・茶々の妹)であったことから、自身にはなんの戦功も無いのに大名となり、しかも、どんどんと所領も増やしていったことから「蛍大名」と揶揄されてきたわけですね。

 その京極高次が、この本の中での戦国武将の中心人物として書かれていました。ただ、「蛍大名」としてではなく、確かに戦国武将としての資質には欠けますが、部下に慕われ、領民に慕われる、人物的には人間味溢れる優れた人間であったように書かれていました。

 この本のハイライトは、関ヶ原の戦いの際の大津城攻防戦でした。

 関ヶ原の戦いの際、大津城の城主は京極高次でした。京極高次は、関ヶ原の戦いの際、当初は西軍に付きましたが、間もなく、石田三成が関ヶ原の戦いでの決戦場を大津の地にしていることを知り、大津の地が蹂躙されれば大津の地の領民が困るので、大津の地が決戦場とならないようにするため、大津城に立て籠もり、東軍に寝返ります。

 そこで、大津城の近くにいた西軍側の毛利元康、小早川秀包、筑紫広門、そして西国無双と言われた立花宗茂が率いる総数四万の精強な兵が大津城に襲いかかります。

 京極高次率いる大津城側は、たった三千の兵で守るわけですから、兵力差は圧倒的で、風前の灯火、誰が考えても間もなく落城と思っていました。

 ところが、城側の結束は固く、特に、穴太衆が、攻撃されて壊れた石垣を、その都度修復したりして防戦しますので、なかなか落城しません。

 しかし、ギリギリまで頑張りましたが、もう、これ以上は持ちこたえられないというところで、遂に、京極高次は、切腹を覚悟で開城します。

 ところが、攻城の将、全員の総意で、「京極高次の戦いぶり、敵ながらあっぱれ」ということで、一命を許され、代わりに大津の地から離れることを命じられます。そして、京極高次は高野山へと向かいます。

 もっとも、その結果、大津城の攻防戦に手間取った西軍側の総数四万の精強な兵と諸将は、結局は、関ヶ原の戦いの決戦には間に合わなくなってしまいました。

 そのことに関して、関ヶ原の戦いの後、家康は、「──大津宰相が足止めしてくれねば、西国無双が加わっていたことになり、儂も危うかったかもしれぬ。(P.545)」と、この足止めを激しく称賛したということです。

 京極高次は、この功績を認められ、若狭一国八万五千石に加増転封され、大津の地を去ります。明くる年には近江国高島郡のうち七千石がさらに加増され、合わせて九万二千石を食むまでになりました。


夏野菜の収穫

2023年07月01日 17時28分07秒 | 家庭菜園

 先日の26日、家庭菜園に赴き、夏野菜の苗への追肥や雑草取りなどをしてきました。また、ナスやキュウリも生りだしましたので、少々ですが、それらを収穫してきました。

 それから5日が経過しましたので、今日も家庭菜園に赴き、特に作業はなかったのですが、その後に育ってきた夏野菜を収穫してきました。

 収穫してきましたのは、インゲン豆、ナス、キュウリ、ミニトマト、ズッキーニです。でも、まだまだ少量です。

 本格的に生りだしますと、特にキュウリの生長は早いですから、3日に1回程度は収穫に行かなければならないようです。