バカボンのパパはマルセル・ムルージなのか

2002年03月30日 | 歌っているのは?
 数週間前のことになるが,マルセル・ムルージ Marcel Mouloudjiが1950年~60年代にかけて録音した古い歌の数々を集めたCDを購入した。3枚組で全70曲が入った結構なボリュームのBOX SETである。個人的にはムルージの歌には少なからず「当たり外れ」があると思っており,さらに加えて,そのCDに対しては何の事前情報も予備知識も持ち合わせてはいなかったのであるが,それらを承知でエイヤッ!とばかり,決して安からぬ買い物をしてしまった。軽率といえば軽率な判断,無謀といえば無謀な行為である。けれどもそれは,少々卑俗な例えで申せば,暗く長い山道を辛い思いを抱きつつヒタヒタと歩いている私の眼前に突然現れた“光明”のようなものであり,これを逃してなるものかという強い思いが,私をしてそのような衝動に駆り立てたに相違ない(いやいや,そんなにオオゲサなもんではありませんが)。

 そしてそれから後,だいたいは夜遅く就寝前の一刻などに,まるで戸棚の奥に隠しておいた美味しい御菓子でもこっそりと摘むようにして,少しずつ少しずつ気の向くままに聴いている。時がゆっくりと流れ,やがて見知らぬ世界にタイムスリップするような感じで,ふいに日常が反転する。モノクロームの感性に押し流されるがままに,思考は停止し,神経は弛緩する。あぁ,いい気持ちだな~。

 CD3枚目のいちばん最後は,バルバラが作りそして自ら創唱した有名な歌《いつ帰ってくるの?》で締めくくられていた。もう20年以上も昔のことになるが,バルバラの個性的でエキセントリックな語り歌の数々に聴き入っていた頃,多くの佳曲のなかでもとりわけ印象深い,心に沁みる歌としてその曲は耳に残っていた。

 けれど初めて聞くムルージの歌は,バルバラの歌い方とは全然おもむきが異なっていた。もともとこれは「女歌」なのだろうけれど,それをムルージはスローテンポのスウィング・ジャズ風の軽いアレンジで,自らの感情を抑えて淡々と,しかしどこか切ない気持ちを漂わせながら歌う。


  春はもう ずっと前に過ぎ去ってしまった
  パリは今 秋の終わりで とても美しい
  枯葉がカサカサ音をたて 薪木が燃えている
  突然 私は元気を失い
  夢想し 身震いし 船のように揺れ 眩暈を感じ
  繰り言のように
  行き 戻り 曲がり 回り あてもなく彷徨する
  消えることのないあなたの面影に 小声で話しかける
  そして私は病に沈み あなたは私を苦しめつづける

  ねぇ いつ帰ってくるの?
  話して 知っていることだけでいいから
  過ぎていった日々は もう取り返しがつかないわ
  失われた時間は 決して取り戻せないわ



 目を閉じてじっと耳を澄ませていると,実に美しいイメージが広がってゆく。季節の移ろいと,街のざわめき。過ぎてゆく日々。そして去っていった人の面影と悔恨の情。それらがシンクロして,より一層悲しみを増幅させる。歌っているのは恐らく30代後半のムルージではなかろうかと思う。いったいどんな気持ちで,誰を演じているのだろうか? 唐突ながら,天才バカボンのパパ Papa de Vagabondなんぞを思い出してしまう。


  サンジュウナナサイの春だから
  元祖天才バカボンのパパだから
  冷たい目で見ないで~



 いずれにしても,今から40年も昔の出来事である。歴史に埋もれていった数知れぬ名もない物語のヒトコマである。過去を解読しそれを現実へと手繰り寄せんとする努力なぞ一切放棄して,全てをあるがままに受け入れること。ヴァガボンドの流儀で生きること。そんなムルージの心意気が何とはなしに感じられてくる。時代は変わり,人は変わる。そして今また,新たな戦争が世界のどこかで繰り返されようとしている。不幸はいつだって幸福に優先する。

 ところでバカボンのパパは今,何才なんだろうかネ?
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