運命のルーレットまわして。。。 ZARD ふたたび

2012年10月07日 | 歌っているのは?

 まだ夜明け前の午前5時頃,お隣の庭樹あたりでモズが喧しく鳴いていた。キチキチキチキチ,キチキチキチキチ。。。 少しして,キィーッ,キィーッ,キィーッ。。。 今年の「初聞き」だ。秋になって山から下りてきたということか。あぁ,もう秋か。それにしても何故に永遠の太陽を。。。 ではないか,それにしても何故にそんなにヤカマシイのか! あたりはまだ暗いというのに,君ら方の体内時計はもう腹ペコ状態の朝飯前なのかい?

 鳥の鳴き声に文句をいってもはじまらない。こうして夏が過ぎて秋になり,季節はアタリマエに巡り巡ってゆくのであるが,その一方で,いまだに我がデスクワークのマイブームとしてZARDを聞き続けているといった日常が存在している次第でアリマス。何故だかこれがどうも厭きないんだな。何なのだろうね,このダメオヤジ振り,もとい,タオヤメ振りは。これが年をとるということなのだろうか。一日一生,みたいな?

 もっとも,ニコニコ動画やYouTubeなどによる音楽聴取は どうしても曲目・曲順が固定されてしまうものだから,最近では少々マンネリ化してきた感も否めない。それで先日,TSUTAYAに出向いて ZARDのめぼしいCDをレンタルしてきた。とりあえず《Golden Best ~15th Anniversary~》《Soffio di vento ~Best of IZUMI SAKAI Selection~》の3枚である。これをデスクトップPCのiTunesに入れて机上作業の際に流すように按配した(著作権法が改正されても これは違法じゃないでしょ?)

 その聞き方は決まっていて,シャッフル設定にしたうえで 最初の曲を必ず 《運命のルーレット廻して》 にする。2曲目以後に何が流れるかは その時々のオタノシミ。まぁ誰もがやっていることかも知れないが,これがなかなか新鮮な快感を呼び起こす。安価で安直な安楽。まことにアリガタイ世の中になったものだ。

 ZARDの音源に関しては,坂井泉水の没後におこなわれた追悼コンサートのDVDも何枚か出ているようだが,それらはTSUTAYAでのレンタルはやっていないし,また,ブックオフやアマゾン・マケプレなどを見てもかなり高価な値付けがされているみたいなので,貧乏老人としては今のところ手を出せずにいる。けれどもされども,leurs chansons courent encore dans les rues... 音楽という知的財産はしょせん天下の回りモノ,いずれは季節のように巡り巡って当方の手元に届くことがあるかも知れない。残り少ない人生ながら,その日を楽しみにしていよう。

 ところで,ZARDの楽曲作りについて少し前にどこかで読んだのだが,それによると,まず最初に作曲家(織田哲郎とか栗林誠一郎とか)によって曲が作られ,そのメロディーに載せて坂井泉水が詩を書き,最後にバンド・サウンドの編曲で飾られ仕上げられる,といったスタイルのようだ。そのようなコラボレーションの絶妙感が,末端泡沫ニワカ・ファンである私ごときに対しても実に気持ちよく伝わってくるわけで,ある意味,これはとても幸せなコラボだと思う。とりわけ,泉水さんの青空のように澄んだ歌声は,四季折々の季節の断面を鮮やかに切り取ったかのような眩しさ,しなやかさを感じさせる。それは春の穏やかなフンワリした青空であったり,夏真っ盛りのジリジリするような暑い青空であったり,秋の天高くスッキリと晴れ渡った青空であったり,冬の冷たくツーンとする透明な青空であったり,その描かれるさまざまなシーンに心地よく響きわたっている。青空,それは青春の移ろいを反映したものではないだろうか。そして,彼女の紡ぎ織りなす純で直向きなポエジーに,世代の違いを超えてウンウンウンと素直に納得したり,ふいにドキッと胸を突かれたりするのだ。その声はひとつの天恵であり,その歌は時代の啓示である,などといったら言い過ぎになるだろうか。

 例えば 《In My Arms Tonight》 という初期の楽曲がある。そこで歌われる ぎこちなくも懐かしい思いを感じさせる抒情,みずみずしい感性のトキメキ,無垢なジュンジョー(またかい!)には,何度でも何度でも聞き惚れて厭きることがない。


   声を聞かせて 熱く見つめて
   あの頃のように
   季節も町も 流れてゆく

   夢を見させて 時間を止めて
   ねぇ 少年のように
   甘えてほしい
   Let me hold you in my arms tonight!


 これこそまさに純な女性ならではの,遠く平安の時代から連綿と続く「タオヤメ振り」だろう。しかもそこには,本居宣長流に言うところの「ヤマトゴコロ」も同時に感じる。希望と不安に揺れ動きながらも,芯の通った強い心のありようさえ認められるのだ。いや何もここで彼女を巫女や女神に祭り上げる気は更々ないけれども,まだ若くして病に倒れてしまったこと,それが悔やまれる。できることなら彼女には,齢50才にもなってアイドル時代のヒット曲 《涙のシャンソン日記 Attends ou Va t'en》 をちょっと照れくさそうに,けれど素直に嬉しそうに歌っていたフランス・ギャルFrance Gallのような,そんな穏やかな時代をも生きて欲しかった。神様は まことに酷いことをなさる!

 何だか書いてることがメチャクチャではありますけれども,んなわけで,もうしばらくは仕事場にZARDが流れているような気がするなぁ(何せ メソメソ・ジーサンですから!)
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