バルバラもよし,ムスタキもよし

2005年04月15日 | 歌っているのは?
 春である。ものみな新しく生まれ変わろうとする春。あれはいつの時代だったか,ずっとずっと以前に諏訪野チビ猫が「何とすごい,何とすごい季節でしょう!」と感嘆していたことがありましたっけ。その春である。陽が照って鳥が啼き,あちこちの楢の林も田や畑もオボロに煙っていると思われる昼下がりに,ちょいと翻って我が身近なる淡水域あたりを見回せば,去年にもなお増してブラックバスの仔らがあちらこちらにワラワラワラと無数に生まれいずる,そんな生の営みに満ち溢れた,まことにオメデタイ春である。けれども一方で,いつもの年とは違った気持ちで今年の春を迎える人々も世間には少なからず存在するわけであり,中原中也の伝ではないが,「マタ来ン春ト人ハイウ シカシ私ハ辛イノダ 春ガキタッテ何ニナロ....」

 なお私自身について申せば,辛くないといえばウソになるが,さりとてゼンゼン嬉しくないわけでもない。


  光満つ 春三月
  仰ぎ見る我が学舎 赤き塔
  ここにきて学び嗣ぐ 若き命
  ああ 甘藍の香りを永遠に
  青春は 我が青春は 始まりぬ



 ふと,こんな歌が浮かんだりして,いやマイッタナ,と思わず頭をポリポリ掻いてしまう。遥かな昔に通った高等学校の校歌の第一節だ。うろ覚えなので多少違っているかも知れない。作詞は山本太郎(若手タレントに非ずして,忘れられた歴程派詩人)。思えば高度経済成長期まっただなかの,ガサツなまでに活気に満ちた工業都市川崎の中心部において鬱屈としたハイティーン時代を過ごし,煤煙と喧騒とが混濁するなかで三度の春を迎えたのであった(なかには心ならずも四度の春を迎えた輩もおりました)。少し年長の先輩にはルンプロ歌人・小嵐九八郎がいた。ヘソマガリ哲学者・中島義道がいた。ワイルドワンズのドラマー・植田芳暁なんかもいた。ともに「赤き塔」を日々身近に眺めて過ごした最後の世代に属する。旧体制下における原住民,古代世界を生きた人種であったといってもいい。その雰囲気の一端を示せば,例えば春の黄昏どき,夕陽が校舎の正面・中央に聳える尖塔を赤銅色に滲ませながら徐々に染めあげてゆく頃,その内寓にありて朽ち果てんばかりに古びた薄暗い廊下をゆっくりと歩めば,重く軋んだ木目の音は静謐の空間にジワリ響き渡り,大仰な造りの階段を昇る途中の踊り場には灰黒色の工場風景が描かれたキュビズム風絵画がひっそりと飾られ,さらに耳を澄ませば,中庭方面からかすかに聞こえる混声コーラスの憂いにみちた旋律が暮れゆく窓の木枠に静かに共鳴し,それらもろもろのアトモスフェア(環境空気)は,とりわけ戦前から戦中にかけての暗い時代,そして戦後の混乱期を通じて蓄積され続けてきた,まるで歴史の“業”のようなものが漂っているかのごとくに思われ,我が未熟なる心象はそれら宿痾をモロに受信して不整に明滅し,脆弱なる自己存在はたちまち希薄となり,魂魄半ば異次元へと飲み込まれてゆき.... 何をゴチャゴチャぬかしておるのか,いや,オーゲサな話ではなく,ともかくそういったなかで日々を過ごしたのでありました。遥か歳月を隔てた今となっても,それらの経験はちょっぴり甘美でやるせない,かつすこぶる息苦しい記憶として,時と所をわきまえず無作為に我が脳裏に蘇ったりする。三年という年月のなかで,私は一体何を刷り込まれちまったのだろうか。

 有り体に言って,その三年間にはいい思い出なんて全くない。大部分の教師や生徒が共に「明るい未来」を強く信じて疑わないというエリート意識を背景とした確固たる教育理念&学業信奉,というか一種ハヤリヤマイ的な唯物史観に依存していたがゆえに尚更のこと,二度,三度と春を重ねるごとに,まるで博物館の陳列ケースに閉じ込められた保存状態の悪いアンモナイト標本のように私自身の居心地の悪さは増すばかりであった。そして自らの手に負えない重く息苦しい呪縛から逃げ出すように,オンボロ通学自転車にまたがり工場地帯の喧騒の中を毎日意味もなく徘徊していた。此処じゃない何処かへ。此処じゃない何処かへ。多分,その頃好きだった荒木一郎Ichiro Arakiのセンチメンタル・ソングなどを走りながら口ずさんでいたように思う。


  風は冷たく吹き 耳を切る冬よ
  太陽が眼を焼き ぼくらの胸を焦がす
  ああ夏よ そして秋になると
  ふと 君は 淋しがったりする
  でも歩き続けよう
  きっと来る春は来る きっと来る,と


 いかにも青臭く,甘チャン気分丸出しのところが汗顔の至りであるが(浜田光男か,ったく!),当時はそれなりに真剣だったのだと思いたい。今になって振り返れば「春は鉄までが匂った」などという,いささか大時代的な散文コピーの方がイメージ的には合致するのかも知れない。階級という概念を改めて持ち出すまでもなく,とにかく身も心も貧しかったのだ。

 なおそれから程なくして旧校舎は取り壊されて鉄筋コンクリート造りの今風の,けれどもごく凡庸で画一的で味気のない近代的校舎に建て替えられた。その数年後にはダンディー・島田雅彦などが新校舎に在籍したと聞いているが,そのあたりになると旧制中学と新制高校ほどのギャップを感じてしまう。要するに対岸の連中,彼岸の人々と見なしてしまう。左様,やはりあの三年間で何かを刷り込まれたに違いない。

 そして現在。性懲りもなく幾十度目かの春を迎える老いたる私は,日中ヒマさえあれば自転車に乗って近所一帯を徘徊している。もちろん,冬場だってほぼ毎日自転車に乗ってはいたのだが,春の暖かな陽光のなかではライディングの気分がまったく違う。その昔,ウィンター・ゴー・ホーム!とジルベール・ベコーが歌い,オー・プランタン!とジャック・ブレルが歌い,五月のパリが好き!とシャルル・アズナブールが歌い,そよ風のセレナーデをアラン・シャンフォーが歌い,春風の誘惑をキョンキョンが歌い,桜舞い散るナンタラカンタラ,花よりほかに知る人もなし。此処じゃない何処かへ,此処じゃない何処かへ。もう何が何だか判然としなくなるほどにイメージは混濁するのであって,まったくもって相も変わらず雀百まで,一体全体何から逃がれようとしているのかネ。

 メンドーな小理屈はさておき。背負う荷物はDeuterのバイクザック(Futura22AC),足元はTimberlandのライトブーツ(#25077)で履き固め,自転車のハンドルバーにはGARMINのGPSmap60CSをセッティングした。よーし,オトウサンは何処にだって行けちゃうぞー。と意気込みだけは勇ましいものの,実際に遠方までツーリングに出掛けることはほとんどなく,もっぱら盆地内の数㎞四方エリアを,グルグル・スイスイ・ビュンビュン・フラフラと所構わず節操もなく動き回っている(ハイ,根性なしです)。複雑な迷路を解き明かすための試行錯誤を日々重ねている,とでも苦しい言い訳をしておこうか。それでも時間にすれば,途中に寄り道などを挟みながら長いときには3~4時間も自転車に乗っていることがある。そんな時,ライディングの友として何を口ずさんでいるかって? そうさな。最近では例えばバルバラBarbaraであったり,あるいはムスタキMoustakiであったりする。荒木一郎は,淋しいことだが,もう久しく唄うことがない。

 実はつい先日のこと。自転車徘徊の途中で,いつもの寄り道スポットのひとつであるショッピングセンター・ジャスコ(当地における消費の殿堂)に立ち寄って一休みした際,店内の専門店街にあるミュージック・ショップを一寸覗き,そこで中古品の棚にバルバラのCDが680円で売られているのを見付けたのだ。しかも私はそのCD屋さんの会員カードを持っていたので,さらに200円引きで480円になった。いや全く,ヒドイ話である。マーケットの秩序,消費のヒエラルキーが崩壊しつつある時代といえばそれまでだが。いずれにしてもビンボー人には有り難い。2000年に出たベスト盤で,全19曲が入っており,32ページのリブレ付き(barbara/Philips 542921-2)。バルバラの音楽ソースに関しては,既に13枚組のCD全集を持っており,その他にもレクリューズのライブだとか,ボビノのライブだとか,パンタンのライブだとか,オランピアのライブだとか,LP,CD,DVD取り混ぜゴチャゴチャ山ほど手元にあるのだが,ついつい屋上屋を重ねてしまう。後でネット検索してみると,Amazon.frで21.62ユーロ,FNACで23.17ユーロだったので,うん,一応は良い買い物だった,などと自らを慰めたりする。

 ところで,このベスト盤はなかなかよい。誰が選曲したのだろうか。良く知られた歌が中心であるが,適度に新旧の曲を織り交ぜ,緩急自在な曲調の配列,めくるめく感性の昇華と沈澱,加えてセンスあるブックレットの編集・装丁とあいまって,バルバラのエキセントリックな個性が鮮やかに浮かび上がるように仕組まれている。冒頭の曲が《我が麗しの恋物語Ma plus belle histoire d’amour》なのは,ま,オヤクソクだろう。スタジオ録音なのでさほど破綻なく丁寧に唄っており,少々物足りない気もする。それが2曲目の《あなたToi》では一転,明るく軽やかな恋の高揚が跳ねるように転がるように歌われ,そして3曲目の《ザンザンLe zinzin》のノンシャランスなウキウキ気分へと続いてゆく。


  死ぬまで君を愛してる! なんて
  そんなに気安く言うもんじゃないわ
  人生は長いのよ アナタ


 三拍子のJAVA風リズムが大変心地よい。こういうコロコロした歌い振りもまたバルバラの真骨頂なのだろう。

 5曲目の《不眠症Les insomnies》で辛い時代の荒れた声で振り絞るような苦しみが歌われると,その後はブルーな歌が続く。《子供の頃Mon enfance》で懐旧の情をシミジミと感じ,《生きる詩Vivant poeme》で陰鬱さが一層募り,《ウィーンVienne》で幸せだった過去の思い出に浸り,《ナントNantes》では救いようのない沈痛へと向かい.... それが10曲目になるとやや転調し,《真っ直ぐな道La ligne droite》という詩を媒介としたジョルジュ・ムスタキとのコラボレーション。お互いの際立った個性を示しつつ同趣異曲が歌われる。


  その真っ直ぐな道の向こうで ぼくは君を待つことはない
  この先もまだ迷路のなかを歩まねばならぬ
  幾日も幾日も辛い時間を過ごさねばならぬ
  それでも決して 二人の意志が萎えてゆくことはない


 この場合,ワタクシ的にはムスタキの小差勝ち,と思えるのだが(何のこっちゃら),さて世間はどう評価しているのだろう。本歌取りもなかなかに難しいものだ。こんなところで改めてムスタキの才能のキラメキを見直すことにもなる。ムスタキが好き,メシタキが好き(おっと,昔懐かしいダジャレが思わず飛び出しちまった)。 そんな鼻歌を次々と唄いながら,昼日向,気ままに呑気に自転車を走らせている次第であります。ムスタキもよし,バルバラもよし。アラン・シャンフォーだって,それもまたよし。いささか面はゆい気もするが,やはり一寸嬉しい春なのかも知れない。尖塔の古い記憶を思い浮かべつつ,相も変わらず狭い世界で右往左往しながら迷路をさまよう(渡辺真知子か,ワタシは)。いつまでたっても「幼い猿」であることの悲しみを苦い思いで噛みしめる。それもまた春ならではの習い事か。

 そんなわけで,気の利いた起承転結なぞユメユメ期待しないで下さい。サルですから。
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