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ジョルジュ・ブラッサンスの《雑草》について,あるいは土地に刻まれた歴史

1999年06月18日 | 歌っているのは?
 差別についての感想を少々。具体的にいうと被差別及びその部落住民についての感想ですけど。

 私共がこの町に引っ越してきてはや5年以上が経過したが,当地にも被差別というものが存在することを知らされたのは比較的最近になってからのことだ(毎度毎度,己の見識の乏しさを恥じねばならない)。

 最初の情報源はタカシやアキラのオトモダチの母親たちであった。被差別,いわゆる地区と称されるに住まう子供らは本来の学区とは別の小学校に通学することになっているという決まり(行政当局と当事者との内約?)があるらしい,といったことについての話題が,ある時期,母親たちの間で熱心に交わされたという。間接的に伝聞した限りでは,話の内容はかなり生々しい。皆それぞれに眉をひそめて語ることといえば,学校内における地区の子供らの特異な振る舞い,その結果生じる地区外の子供たちとの軋轢,それに対する先生や父母らの及び腰の対応ぶり,などなど。あるいは日常生活においても,その一種独特の雰囲気があるとされる地区の近くを通り過ぎたり,場合によっては地区内に足を踏み入れたりする際に,えもいわれぬ違和感,躊躇,不安,ないし恐怖心が湧いてくること。また一方,全く知らずにその地区に隣接する場所に引っ越してきた人なども一部におるわけで,それらの人々に対する同情や,自分がそうでなくてよかったとの安堵感ないし多少の後ろめたい感情,などなど。要するにアンビバレンスってやつでしょうかね。具体的にどこどこがかつての被差別なのか,少なくとも当地に古くから住んでいる原住民には当然周知の了解事項であるようだが,我が家なども含め他地域から転入してくる新住民にはそんなことわかりゃしない(不動産屋があらかじめ客に対してそのことを教えるわけがなかろうし)。まあ,単なる“瓢箪から駒”に過ぎない問題ともいえるが,無知が大きければ大きいほど不幸の発生する余地もまた大きい。

 ところで,そもそも被差別とは一体何か。私のデスクトップPCにインストールされている広辞苑第5版では,「被差別」を次のように説明する。


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◆身分的・社会的に強い差別待遇を受けてきた人々が集団的に住む地域。江戸時代に形成され、その住民は1871年(明治4)法制上は身分を解放されたが、社会的差別は現在なお完全には根絶されていない。
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 同じくウチのPCに入れてあるマイクロソフト・エンカルタ99は,「解放運動」を次のように記す。


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◆近世封建制度下の・などの被差別民は、1871年(明治4)に解放令がだされたにもかかわらず、現実にはとよばれるなど、多くの社会差別の中で生きてきた。就職・教育・結婚などへの社会的不平等・差別に対し、被差別出身者が自主的な解放をもとめる全国組織として、1922年(大正11)全国が創立された。は中心的に運動を指導し、日本での人権運動に大きな影響をあたえた。第2次世界大戦後、55年(昭和30)解放同盟として再編成され、解放国策樹立要求運動を展開。同和教育・同和対策事業などが全国規模で実現された。近年は解放基本法の制定をもとめている。
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 なるほど,パソコンってものは当面必要な情報を即座に引き出すことができるという点では非常に便利な道具である。けれどしかし,上記のような簡略な解説だけでは対象事項に関する真の理解にはほど遠いことこれまた明らかである。印度における不可触のように,あるいは大英帝国における特権貴族階級に対する下層労働者階級のように,わが国においても社会的差別がかつて存在し,それは現在も根強く残存している。うんうん,多分間違いのない確たる事実でありましょう。けどそれで何が了解できたというのか? そのような辞書的・事典的記載から“現実社会”の生の声を読み取ることは,凡庸な我ないし我々にはすこぶる困難な作業であると思われる。さらに言えば,歴史的事実の記録として正確を期するために客観的かつ統一的な文脈でコンパクトに記述されることによって,それはあたかも歴史年表の一項目のごとくに揺るぎなく定着し,その結果,現実に未だ引きずっているさまざまな問題を,意図的にではないにしても,当座は“お役御免”として覆い隠してしまう恐れすらある。予断はしばしば洞察を妨害するわけで。

 むしろ私たちは,本件に関して,百科事典やら新聞雑誌やらTVの温泉キャスターやらのエラソウナ情報に盲目的に引きずられることなく,自らの日々の暮らしのなかで,隣近所や身近な人々との日常的な付き合いのなかで,文化の型,といってオオゲサであれば,生活上の規範,価値観を改めて見つめ直し,考え直すべきではないか。

 先日,遅ればせながら市立図書館に所蔵されている被差別関係資料の主だったものを借用して目を通したのだが,なかで,当事者たる被差別部落住民の側から発せられた以下のような言葉に,相も変わらぬ生々しい実態が垣間見えたような気がした。


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◆(前略) 今でも,小田急電車が,私たちの地区を見下ろして通過する時,あるいは,平塚街道上の車が,私たちの地区を避けるようにして走りぬける時,その車の中で,公然と賎称語が口にされ,手ぶり,身ぶりによる隠微な差別が行われたりすることは,決してまれではありません。(後略)
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 少々被害妄想過剰気味とも受け取られかねない言い回しであるが,いずれにしても,「彼ら」に上記のような感想を抱かせる環境が現に存在しており,それに対して同じ地域に住まっている「我ら」が弱腰になり声を顰めるといった図式がこの地では未だに成立している。そのような社会構造の是非を再点検すること,そして,この決して良好とは申せぬ現況の関係改善のために,日常生活のなかでワタシやアナタが出来ることは何かを模索すること,あたりまえの話かも知れないが,やはりそんなところから始めるしかないのではなかろうか(意識改革,といい切ってはミもフタもないが)。

 最近,巷では「カルト」がしばしば問題になっている。身近なところで言うとオウム・エホバ・ヤマギシの「3大カルト」の動向があちこちで脚光を浴びているみたいですけどネ。彼らは,言ってみれば自ら望んで,自らの領域内に被差別的な世界を形成している。そしてそれは“選民意識”とでも言うべき思想に強く裏づけられている。いわば未来に託す思想,正の思想である。例えば,TVなどで連日報道される各地における強行なオウム排除は,一般庶民らにとってはほとんど悪を懲らしめる天誅(!)のごときに映じるだろうが,実際のところそのような示威行動は彼らの拠って立つ思想基盤を一層強固にすることには役立っても,彼らを決して萎縮させ貶めるものではない。

 これに対して,カルトとはまず無縁の本件における被差別,本邦固有の歴史的遺産たる被差別,それは“意識”とでも言うべき思想というか体質に強く裏づけられている。いわば過去に後ろ髪を引かれる思想,負の思想である。そして,一般庶民らにとっては,出来れば忘れてしまいたい存在,目をつむり耳をふさぎたい存在のようである。

 けれどしかし。そもそも,異化を望む者を無理やり同化させようとしてはイケナイ,逆に同化を望む者を無理やり異化するのはなおイケナイ。毎度毎度の引用になるが,ジョルジュ・ブラッサンス Georges Brassens《雑草》という題の歌でこんな風に唄っている。
 

  “栄光の日”がやってきた
  他の多くの連中は死んじまったのに
  俺一人は栄誉の戦場で死ななかったんで
  非国民扱いされちまう
 
  まっとうな人々よ 俺は雑草なんだ
  誰も雑草なんかには手をつけない
  束にされて刈られることもない
  死神は他の連中をなぎ倒すけど
  俺んとこだけは来やしない
  背徳だって? しょせん そんなものさ!
 
  俺は自問する 神様よ,何故なんだ?
  この俺がほんの少しだけ生きること
  それがどうしてあなたの邪魔になるんだ?

 
 なお,私自身のことを申せば,当地における被差別の存在を最初に知らされた時,何やら妙に納得してしまったことを白状しなければならない。それは,以前から当該集落の孤立的・閉鎖的な立地形態や周囲の地形環境と妙に調和しない不自然さなどを傍目ながらいくぶん奇異に感じていたため,話を聞いて改めて「ヤッパリネー」とか感じ入ってしまったような次第だ(お恥かしい)。いわゆる高度経済成長期以降に広まったヒナ段造成方式の大規模宅地開発とは明らかに異なり,丘陵部の急傾斜地の一角に無理やりにギュッと詰め込まれた集落の趣があった。長崎や尾道などの坂の多い町とも,あるいは香港の九竜やリオデジャネイロのファベーラのような自然発生的に形成された町とも違う。誤解を恐れずに言えば,九州は下筌ダムの「蜂ノ巣城」のような,何か意図的なものすら感じたわけでありまして。

 後日,川村善ニ郎という歴史学者が,ある討論のなかで次のように述べていることを知った。


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◆この地区の始まりの場合も,もしかしたら神奈川県のこの地域を通っている街道を監視する,或いはこの街の治安維持にあたる,警備にあたる,――私は江戸時代の居住地というのは「警察署」だと思っておりますから――「警察署」として,封建支配者によってこの土地に住まわされたのかもしれません。それは調べてみないとわかりませんけれども。
 そうでないと,失礼な言い方をすれば,この急な坂を登っていくようなところで,この土地が良い,立地条件が良いからみんなで住もう,住みましょうと,居住するようになったとはちょっと思えないんですね。やはり封建支配者によって,ここに住まわされたんではないかと思うんですね。
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 なるほど読みの深い方もおるものだ,と感心した。要は,書物や記録から得た知識だけにとどまらず,対象物に対して五感をフルに働かせ想像力をたくましくすることにより“土地に刻まれた歴史”を読み取ること,歴史地理的な視点を養うことが必要だというわけだ。まだまだ修行が足りん(誰がじゃ?)。

 以上,何だか大上段に構えすぎたミットモナイ書き様になってしまったようなので,ここらで止めましょう。要するに“基本的人権”とか“生きる権利”とかについて少々言及したかっただけなんですけどね(アナタも雑草,ワタシも雑草)。
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