マウンテン・エキップメント社製(made in England)の「スノーライン」なるダウン・ジャケットを,現在私は所有している。一応,エヴェレスト遠征隊御用達とかいう大層なシロモノで,クリス・ボニントンが南西壁登攀の時に着用したとのお墨付きである。その左胸にはユニオン・ジャックを模したエンブレムが誇らしげに縫い付けられている。購入したのは今から20年以上も昔の1970年代後半,会社勤めを始めて1~2年過ぎた頃の初冬であったと記憶している。当時の私は日用の衣料として,いわゆるクライミング・ギアをとりわけ好んでいた。ダウン・ジャケットも大分前から欲しくて欲しくて,何種類ものカタログを飽かずに眺めたり登山用品店にしばしば出掛けていろいろと物色したりして,ウーンどれがいいかなぁ,などとあれこれ検討していたのであるが,あるとき何の拍子か,恐らくは瞬発的発作的に身の程をわきまえず自らの安月給をも省みず無謀にも浅薄にもエイヤッ!と上記ブランドのダウン・ジャケットを買ってしまった。確か6~7万円位だったかな(何と月収の3分の2デハナイカ!)。
ただし,別にそれを着て厳冬期の八ヶ岳や北アルプスなどに出掛けたわけではない。あるいはいつか将来ヒマラヤやヨーロッパ・アルプスにでも遠征してやろうと目論んでいたわけでもない。せいぜい冬場の丹沢にときどき通った程度である。
当時の自分は,昨今の若者社会において隆盛を極めている,というか,もう10年以上も前から既に若年層のファッション・スタイルにおける定番・主流となって久しい「アウトドア・ファッション」信奉小僧のハシリであったかも知れない。いやむしろ,クライミング・ツールとヘヴィーデューティ・カジュアルの狭間にあって自らの適正な位置付けを確保できずに右往左往していた未熟者,とでもいった方が当たっているかな。「ビーパル」は未だ創刊されておらず,せいぜい「モンベル」が設立されて間もない頃,そんな時代のタアイノナイお話である。
しかしながら現実問題として,そのダウン・ジャケットは普段の街着とするにはあまりにもヘビー・デューティー仕様すぎた。で,結局どうしたかというと,冬場にボロ・アパートの一室で机に向かうとき,暖房器具などは点けずにダウン・ジャケットをヌクヌクと着込んで暖をとる,といった風に極めて不本意ながらある意味では極めて実用的に使用された(下半身はシュラフでスッポリと包んだりして)。植村直己的生活あるいは松下竜一センセ的生活といえば一寸聞こえはいいが,実際のところは単に目先の欲望に拘泥するあまりモノに対する真っ当な価値判断を見誤ったバカモノがそこに居たにすぎない(そうでしょ?ウサギ・オバサン!)
先日,久しぶりにそのダウン・ジャケットを衣装戸棚の奥底から引っ張り出し,鏡の前で着用してみて改めて驚いた。20年以上が経過しているというのに未だ全然「クタって」おらず,ふっくらシャキッとしたダウン特有の保温効果は十分に機能し,かつ,表地・裏地や袖回りやファスナー類も概ねしっかりしており,現在でも厳冬期用防寒衣料として立派に通用するように思われた。さすが本物の最高級グース・ダウンである。まさに,羽毛は生きている,って次第。
ところで,これを最後に日常的に着たのはいつのことだったろうか? 恐らく横浜・関内に住んでいた頃で,ということはもう10年以上もずっとタンスの奥に封印され続けていたわけだ。そして今回,束の間限りの「陰干し」をされた挙げ句に再び長い眠りにつくであろうことを思うと,少々淋しく,何ともモッタイナイ気分になってくる。このジャケットを一生懸命作ったお百姓さん,ではなかった「お針子さん」に対して,大変申し訳ない気持ちで一杯になる(ジャケットの裏タグには,お針子さんの手書きサインが記されている)。そして我知らず,ポール・ルカ Paul Loukaの悔恨の歌などを思い浮かべたりする心境になる。
私は多くの時間を失くしてしまった
ろくろく考えもせず いつも秒刻みでアクセクして
けれど結局 自分の時間を上手く使えなかった
私は素敵な隣人達を失くしてしまった
間抜けなことに 気まぐれな過失のために
彼らは皆 輝ける太陽のもとへと旅立ってしまった
私は良い習慣を失くしてしまった
ときおり“孤独”に逢いに出かけ 彼女の御機嫌をとる習慣を
世間はもう 私に夢を見させてはくれないのだ!
これを要するに,表層的には一見同類に括られる恐れは多分にあるものの,しょせん私ごときはスタティックな物心崇拝者に過ぎないのであって,ウサギ・オバサンのようなアグレッシヴな物欲主義者とはまさに対極に位置する者なのであります。
という次第で,これを本日の結論として今後もバカな与太話は続く(ような気がする)。
ただし,別にそれを着て厳冬期の八ヶ岳や北アルプスなどに出掛けたわけではない。あるいはいつか将来ヒマラヤやヨーロッパ・アルプスにでも遠征してやろうと目論んでいたわけでもない。せいぜい冬場の丹沢にときどき通った程度である。
当時の自分は,昨今の若者社会において隆盛を極めている,というか,もう10年以上も前から既に若年層のファッション・スタイルにおける定番・主流となって久しい「アウトドア・ファッション」信奉小僧のハシリであったかも知れない。いやむしろ,クライミング・ツールとヘヴィーデューティ・カジュアルの狭間にあって自らの適正な位置付けを確保できずに右往左往していた未熟者,とでもいった方が当たっているかな。「ビーパル」は未だ創刊されておらず,せいぜい「モンベル」が設立されて間もない頃,そんな時代のタアイノナイお話である。
しかしながら現実問題として,そのダウン・ジャケットは普段の街着とするにはあまりにもヘビー・デューティー仕様すぎた。で,結局どうしたかというと,冬場にボロ・アパートの一室で机に向かうとき,暖房器具などは点けずにダウン・ジャケットをヌクヌクと着込んで暖をとる,といった風に極めて不本意ながらある意味では極めて実用的に使用された(下半身はシュラフでスッポリと包んだりして)。植村直己的生活あるいは松下竜一センセ的生活といえば一寸聞こえはいいが,実際のところは単に目先の欲望に拘泥するあまりモノに対する真っ当な価値判断を見誤ったバカモノがそこに居たにすぎない(そうでしょ?ウサギ・オバサン!)
先日,久しぶりにそのダウン・ジャケットを衣装戸棚の奥底から引っ張り出し,鏡の前で着用してみて改めて驚いた。20年以上が経過しているというのに未だ全然「クタって」おらず,ふっくらシャキッとしたダウン特有の保温効果は十分に機能し,かつ,表地・裏地や袖回りやファスナー類も概ねしっかりしており,現在でも厳冬期用防寒衣料として立派に通用するように思われた。さすが本物の最高級グース・ダウンである。まさに,羽毛は生きている,って次第。
ところで,これを最後に日常的に着たのはいつのことだったろうか? 恐らく横浜・関内に住んでいた頃で,ということはもう10年以上もずっとタンスの奥に封印され続けていたわけだ。そして今回,束の間限りの「陰干し」をされた挙げ句に再び長い眠りにつくであろうことを思うと,少々淋しく,何ともモッタイナイ気分になってくる。このジャケットを一生懸命作ったお百姓さん,ではなかった「お針子さん」に対して,大変申し訳ない気持ちで一杯になる(ジャケットの裏タグには,お針子さんの手書きサインが記されている)。そして我知らず,ポール・ルカ Paul Loukaの悔恨の歌などを思い浮かべたりする心境になる。
私は多くの時間を失くしてしまった
ろくろく考えもせず いつも秒刻みでアクセクして
けれど結局 自分の時間を上手く使えなかった
私は素敵な隣人達を失くしてしまった
間抜けなことに 気まぐれな過失のために
彼らは皆 輝ける太陽のもとへと旅立ってしまった
私は良い習慣を失くしてしまった
ときおり“孤独”に逢いに出かけ 彼女の御機嫌をとる習慣を
世間はもう 私に夢を見させてはくれないのだ!
これを要するに,表層的には一見同類に括られる恐れは多分にあるものの,しょせん私ごときはスタティックな物心崇拝者に過ぎないのであって,ウサギ・オバサンのようなアグレッシヴな物欲主義者とはまさに対極に位置する者なのであります。
という次第で,これを本日の結論として今後もバカな与太話は続く(ような気がする)。