御嶽山の年内の捜索が中止となった
9月に噴火してから一月近くになるのだろうか、
未だ7名が不明で56人の死亡が確認されているとのこと。
この火山噴火被害は誰のせいにもできないし、もちろん止めることもできなかっただろう。
正に不可抗力というか、どうにもならないというか、改めて
火山という自然の力を見せつけられた災害だった。
このような災害で捜索に携わる、消防、警察、自衛隊等の人達は
毎日どんな気持ちで山にいるのだろうかと思ってしまう。
災害発生から数日経ったときに、生存の可能性が少なくなったとき
生存者を捜索するということではなく、遺体の捜索になると思うのではないだろうか?
遺族の気持ちも、諦め切れないながら、そんな変化が出てくるのではないだろうか?
それでも黙々と山頂を目指す捜索隊の姿は、ただ単に仕事をしているようには
見えないことがあり、テレビでの自衛隊の指揮官の「申し訳ない」という言葉に
人間の尊厳のような、強い使命感に共感する想いを感じました。
人類は自然と共生するために治山、治水などに努力して
いろんな防除策を組み立てるが完璧はないと、また思い知らされました。
何でもない海や山に遊ぶとき、忘れてはならないものを持ち続けたいと強く思います。
9月に噴火してから一月近くになるのだろうか、
未だ7名が不明で56人の死亡が確認されているとのこと。
この火山噴火被害は誰のせいにもできないし、もちろん止めることもできなかっただろう。
正に不可抗力というか、どうにもならないというか、改めて
火山という自然の力を見せつけられた災害だった。
このような災害で捜索に携わる、消防、警察、自衛隊等の人達は
毎日どんな気持ちで山にいるのだろうかと思ってしまう。
災害発生から数日経ったときに、生存の可能性が少なくなったとき
生存者を捜索するということではなく、遺体の捜索になると思うのではないだろうか?
遺族の気持ちも、諦め切れないながら、そんな変化が出てくるのではないだろうか?
それでも黙々と山頂を目指す捜索隊の姿は、ただ単に仕事をしているようには
見えないことがあり、テレビでの自衛隊の指揮官の「申し訳ない」という言葉に
人間の尊厳のような、強い使命感に共感する想いを感じました。
人類は自然と共生するために治山、治水などに努力して
いろんな防除策を組み立てるが完璧はないと、また思い知らされました。
何でもない海や山に遊ぶとき、忘れてはならないものを持ち続けたいと強く思います。