古代史は順調に新発見の連続ですが、アンチが増えた事だしそろそろ無料公開を止める時期に来ているかも知れません。世界で最も神聖な奥義を公開しているので、僕には神に対する責任があるのです。明日いきなり閲覧できなくなっていても悪しからずお願いします。
僕が古代史で書いている事は大部分がオリジナルであり、そうでない部分はことわっています。これほど膨大なオリジナルは、神の霊によってもたらされる奇跡なのです。その有り難みが分からない愚か者は金も払わないのに噛み付いてきます。こういう者を地獄に堕ちた者というのです。「聖なるものを犬や豚にやると噛み付いてくる」と言うイエスの教えは正しかったのです。
さて、古代史の方で新発見があったのでオリジナル主張のために発表します。非公開にした時に、僕の説だという事が分からなくなると困るからです。今書いているのは『万葉集』編ですが、和歌というものの性格を決定付けるのは三十一文字と首という数え方です。特に、どうして首と数えるのかの説明に出会った事はありません。
この基本にして最も難解なテーマですが、やはりカッバーラによって隠されてきた知恵なのです。その知恵とは、イエスの罪状書きの板です。ヘブライ語、ラテン語、ギリシャ語、という三カ国語で「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と書かれた板ですが、飛鳥氏によると八咫烏は罪状書きの板を首と言うそうです。ラテン語ではIESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM、略してINRIと書かれますが、数えれば分かるように26文字です。実は、このラテン語版にキリストの名前Crist(異体~通常はChrist)を追加すると31文字になるのです。
レクイエムなどでは、しばしばクリステ・エレイソンと歌われるパートがあります。「キリストよ哀れみたまえ」という意味ですが、「主よ…」と呼びかけるキリエ=Kyrieの方でも31文字になります。英語で検索すると結構異体字のCristが氾濫しているのです。これは、ラテン語にもhを抜かした表記方法があったのではないかと思われるのです。
さて、罪状板に書かれた文字が和歌の三十一文字の原型であるとする根拠ですが、実は和歌の数え方にあります。和歌は何故か首で数えるのですが、この不思議な数え方の論理的な説明は、首と呼ばれた罪状書きにあるとする他はないのです。だからこそ、『万葉集』には罪人として処刑された皇子達の歌が集められているのです。
三十一文字は五七五七七と数えられますが、これも次のようになります。

このように聖数7が777と並ぶ十字架が構成されるのです。さて、ラテン語のキリエは、実は首相などが公式会見する場での台(桐紋)でお馴染みです。というのも、桐は元々はパウロの名前が桐なのです。ここから菊の紋のイエスに従う者という意味で桐の紋は使われるのです。しかし、桐の絵でキリエとは八咫烏には脱帽です。僕たちは知らずに「主よ」と叫んでいたんですね。
エフライム工房 平御幸
僕が古代史で書いている事は大部分がオリジナルであり、そうでない部分はことわっています。これほど膨大なオリジナルは、神の霊によってもたらされる奇跡なのです。その有り難みが分からない愚か者は金も払わないのに噛み付いてきます。こういう者を地獄に堕ちた者というのです。「聖なるものを犬や豚にやると噛み付いてくる」と言うイエスの教えは正しかったのです。
さて、古代史の方で新発見があったのでオリジナル主張のために発表します。非公開にした時に、僕の説だという事が分からなくなると困るからです。今書いているのは『万葉集』編ですが、和歌というものの性格を決定付けるのは三十一文字と首という数え方です。特に、どうして首と数えるのかの説明に出会った事はありません。
この基本にして最も難解なテーマですが、やはりカッバーラによって隠されてきた知恵なのです。その知恵とは、イエスの罪状書きの板です。ヘブライ語、ラテン語、ギリシャ語、という三カ国語で「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と書かれた板ですが、飛鳥氏によると八咫烏は罪状書きの板を首と言うそうです。ラテン語ではIESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM、略してINRIと書かれますが、数えれば分かるように26文字です。実は、このラテン語版にキリストの名前Crist(異体~通常はChrist)を追加すると31文字になるのです。
レクイエムなどでは、しばしばクリステ・エレイソンと歌われるパートがあります。「キリストよ哀れみたまえ」という意味ですが、「主よ…」と呼びかけるキリエ=Kyrieの方でも31文字になります。英語で検索すると結構異体字のCristが氾濫しているのです。これは、ラテン語にもhを抜かした表記方法があったのではないかと思われるのです。
さて、罪状板に書かれた文字が和歌の三十一文字の原型であるとする根拠ですが、実は和歌の数え方にあります。和歌は何故か首で数えるのですが、この不思議な数え方の論理的な説明は、首と呼ばれた罪状書きにあるとする他はないのです。だからこそ、『万葉集』には罪人として処刑された皇子達の歌が集められているのです。
三十一文字は五七五七七と数えられますが、これも次のようになります。

このように聖数7が777と並ぶ十字架が構成されるのです。さて、ラテン語のキリエは、実は首相などが公式会見する場での台(桐紋)でお馴染みです。というのも、桐は元々はパウロの名前が桐なのです。ここから菊の紋のイエスに従う者という意味で桐の紋は使われるのです。しかし、桐の絵でキリエとは八咫烏には脱帽です。僕たちは知らずに「主よ」と叫んでいたんですね。
エフライム工房 平御幸