モーツァルトのピアノ協奏曲は、第18番変ロ長調K.456を境に大変貌を遂げています。この1784年に作曲された一連の作品の中で、次の19番ヘ長調K.459(第2戴冠式)から深みが増しているのです。そして、翌年に傑作の第20番ニ短調K.466が誕生します。このように、第18番変ロ長調K.456はモーツァルトを変えた礎とも言える作品なのですが、出来は彼の生涯では平凡なものに過ぎません。しかし、彼の父レオポルドは涙を流して称えたそうです。ということは、現在では平凡と感じる作品でさえ、当時は傑作の部類に入っていたのです。この壁を乗り越えたモーツァルトには何が起こっていたのでしょうか?
実は、第18番は、盲目の女性ピアニスト、マリア・テレジア・フォン・バラディスに捧げられた作品のようですが、出会いは前年の1783年です。一年後に彼女の演奏旅行のために作り上げたものらしいのですが、特に際だった音楽性も感じられない、どちらかというと退屈な部類の出来映えです。モーツァルトは果たして満足したのでしょうか。
モーツァルトのそれまでの傑作は、ハフナー、ポストホルン、グラン・パルティータなどのセレナーデやディヴェルティメント、あるいはハフナー交響曲やピアノソナタなど、どれをとってもピュアなものです。僕も大学一年の冬に、ラジオから流れてくる交響曲第35番ハフナーの第2楽章に涙して、自分の壁を乗り越えた経験があります。これが、一念発起してオーディオを揃えようと思った動機ですが。
しかし、この境以降、モーツァルトの作品は凄まじい進化を遂げています。たとえるなら人間の領域を離れて神の領域にあるのです。慈愛、悲しみ、怒り、希望、などというものが、単純に美しさを求めたものではない精神性を獲得して、崇高という領域に昇華されているのです。以前の美しさに感動した涙が、神の余りの尊さに涙するくらいの変化があるのです。特に最晩年のクラリネット協奏曲イ長調K.622の第2楽章は、僕が建設する教会のテーマ曲に選ぶほどの傑作です。僕はこの曲を思い出すたびに、自分に十字架を負わせるイエスに感謝できるのです。イエスがモーツァルトを通してプレゼントしてくれた最大の祝福。それがクラリネット協奏曲イ長調K.622・第2楽章なのです。
モーツァルトが盲目の女性ピアニストに出会い、彼の中で葛藤や変化があったとしても、それをより高みに昇華できる資質は大天才のものです。バッハに比して足りないと思われていた深みに到達しているのです。まるで、イエスが御父と同格となったように…。十字架上のイエス・キリストを刻んだ磔刑像をcrucifixと言いますが、これが「苦しい」の語源なのです。茨の冠が草冠、それに十字架と口で「苦」の字が出来上がります。苦しい時は、十字架上のイエス思い出しましょう。そこに光があるはずです。
参考 クラシック音楽とアンドレア・ロストファンのページ
エフライム工房 平御幸
実は、第18番は、盲目の女性ピアニスト、マリア・テレジア・フォン・バラディスに捧げられた作品のようですが、出会いは前年の1783年です。一年後に彼女の演奏旅行のために作り上げたものらしいのですが、特に際だった音楽性も感じられない、どちらかというと退屈な部類の出来映えです。モーツァルトは果たして満足したのでしょうか。
モーツァルトのそれまでの傑作は、ハフナー、ポストホルン、グラン・パルティータなどのセレナーデやディヴェルティメント、あるいはハフナー交響曲やピアノソナタなど、どれをとってもピュアなものです。僕も大学一年の冬に、ラジオから流れてくる交響曲第35番ハフナーの第2楽章に涙して、自分の壁を乗り越えた経験があります。これが、一念発起してオーディオを揃えようと思った動機ですが。
しかし、この境以降、モーツァルトの作品は凄まじい進化を遂げています。たとえるなら人間の領域を離れて神の領域にあるのです。慈愛、悲しみ、怒り、希望、などというものが、単純に美しさを求めたものではない精神性を獲得して、崇高という領域に昇華されているのです。以前の美しさに感動した涙が、神の余りの尊さに涙するくらいの変化があるのです。特に最晩年のクラリネット協奏曲イ長調K.622の第2楽章は、僕が建設する教会のテーマ曲に選ぶほどの傑作です。僕はこの曲を思い出すたびに、自分に十字架を負わせるイエスに感謝できるのです。イエスがモーツァルトを通してプレゼントしてくれた最大の祝福。それがクラリネット協奏曲イ長調K.622・第2楽章なのです。
モーツァルトが盲目の女性ピアニストに出会い、彼の中で葛藤や変化があったとしても、それをより高みに昇華できる資質は大天才のものです。バッハに比して足りないと思われていた深みに到達しているのです。まるで、イエスが御父と同格となったように…。十字架上のイエス・キリストを刻んだ磔刑像をcrucifixと言いますが、これが「苦しい」の語源なのです。茨の冠が草冠、それに十字架と口で「苦」の字が出来上がります。苦しい時は、十字架上のイエス思い出しましょう。そこに光があるはずです。
参考 クラシック音楽とアンドレア・ロストファンのページ
エフライム工房 平御幸