お正月の鏡餅のルーツは、『レビ記』24章5~6にあるように、イスラエル12部族になぞらえて、6枚ずつ二組のパンを重ねて奉納したのが始まりです。参考「エジプト・イスラエル旅行記-8月21日その2」より12枚のパン
"あなたは麦粉を取り、それで十二個の菓子を焼かねばならない。菓子一個に麦粉十分の二エパを用いなければならない。そしてそれを主の前の純金の机の上に、ひと重ね六個ずつ、二重ねにして置かなければならない"
パンから餅への変化は、新約のイエスが「米」で表わされる事に対応したもので、 神道が原始キリスト教の奥義を伝える必然でもあります。また、出エジプト後の荒野の放浪の時、天から降ったマナ(マンナ)の調理法の一つに餅があったのです。菊花賞は天皇家とイスラエルの関係の暗号となる事が多いのですが、昔にミナガワマンナという馬が、シンザンとの親子制覇をしましたね。
現在は餅の重ねは三段(左右で六個)が普通で、家庭用は二段です。このせいか、イスラエル12部族のうち、日本で確認されているのは、南ユダ王国のユダとベニヤミン、北イスラエル王国のエフライム、マナセ、ダン、シメオン、の6部族だけです。祭司のレビを加えませんから、餅の数に一致します。ということは、一重ねを六段にすると、イスラエル12部族の全てが判明する事になります。
儀式というのは、象徴によって神聖を表わす行為なので、必ずそこには理由があります。例えば、鏡餅の上に飾る橙(だいだい)は、「木登る」で生命の樹を登る事を表わしますから、ヤコブの梯子(はしご)の象徴です。これは、原始キリスト教寺院・法隆寺と橘の関係で分かるように、イエス、あるいはイエスのユダ族が橘で象徴される事から、もともとは柑橘系でも橘がふさわしいのだと思います。三種の神器の中では、マナの壷に似ているので、玉となります。
読者の方から、僕のお飾りには剣に対応する干し柿がないとメールがありました。僕は熱田神宮の礼状で草薙の剣を暗示したつもりでしたが、少々難解でしたかね。正月二日に鶴と亀さんから餅と一緒に干し柿も届いたので、神様が書くように仕向けていると理解し、説明の前に供えました。なお、干し柿の「干」が飛鳥説のイエスの十字架で、「柿」が生命の樹なのは古代史の最新(第五部9章)で説明している通りです。
最後に鏡餅ですが、鏡とは「心を映す」という意味で、神様が定めた『十戒』の暗喩なのです。戒律に照らし合わせると、自分の行いが正しいかどうか分かるのと同じ理屈です。『十戒』を刻んだ石板は二枚で、これが合わせ鏡として二枚の鏡で象徴されます。天理教では、鏡二枚で後頭部を映し見る動作があります。これが合わせ鏡なのです。
鏡を磨くということは、『十戒』などの聖書の言葉を守り、心と霊を磨くという事に他なりません。僕のブログを訪れても、僕の古代史を読もうとしない怠惰な読者は、聖書を読まない怠惰な読者と同じで、鏡を磨かない故に、呪われているも同然なのです。神を求めない罪というのは大罪なのです。
なお、浴室の鏡が古くなって、水を掛けても湯気の曇りが取れない場合、水研ぎヤスリ(青い紙ヤスリ)の1000番から4000番(超細かい)で、水を付けながら磨くと曇りは取れます。一枚だけなら2000番が使いよいです。青いのはサファイア(酸化アルミ=コランダム、赤はルビー)の粉でしょうか。この紙ヤスリはアクリルでも使えますが、液晶画面には禁物です。眼鏡もコーティングが剥がれてしまいます。
エフライム工房 平御幸
"あなたは麦粉を取り、それで十二個の菓子を焼かねばならない。菓子一個に麦粉十分の二エパを用いなければならない。そしてそれを主の前の純金の机の上に、ひと重ね六個ずつ、二重ねにして置かなければならない"
パンから餅への変化は、新約のイエスが「米」で表わされる事に対応したもので、 神道が原始キリスト教の奥義を伝える必然でもあります。また、出エジプト後の荒野の放浪の時、天から降ったマナ(マンナ)の調理法の一つに餅があったのです。菊花賞は天皇家とイスラエルの関係の暗号となる事が多いのですが、昔にミナガワマンナという馬が、シンザンとの親子制覇をしましたね。
現在は餅の重ねは三段(左右で六個)が普通で、家庭用は二段です。このせいか、イスラエル12部族のうち、日本で確認されているのは、南ユダ王国のユダとベニヤミン、北イスラエル王国のエフライム、マナセ、ダン、シメオン、の6部族だけです。祭司のレビを加えませんから、餅の数に一致します。ということは、一重ねを六段にすると、イスラエル12部族の全てが判明する事になります。
儀式というのは、象徴によって神聖を表わす行為なので、必ずそこには理由があります。例えば、鏡餅の上に飾る橙(だいだい)は、「木登る」で生命の樹を登る事を表わしますから、ヤコブの梯子(はしご)の象徴です。これは、原始キリスト教寺院・法隆寺と橘の関係で分かるように、イエス、あるいはイエスのユダ族が橘で象徴される事から、もともとは柑橘系でも橘がふさわしいのだと思います。三種の神器の中では、マナの壷に似ているので、玉となります。
読者の方から、僕のお飾りには剣に対応する干し柿がないとメールがありました。僕は熱田神宮の礼状で草薙の剣を暗示したつもりでしたが、少々難解でしたかね。正月二日に鶴と亀さんから餅と一緒に干し柿も届いたので、神様が書くように仕向けていると理解し、説明の前に供えました。なお、干し柿の「干」が飛鳥説のイエスの十字架で、「柿」が生命の樹なのは古代史の最新(第五部9章)で説明している通りです。
最後に鏡餅ですが、鏡とは「心を映す」という意味で、神様が定めた『十戒』の暗喩なのです。戒律に照らし合わせると、自分の行いが正しいかどうか分かるのと同じ理屈です。『十戒』を刻んだ石板は二枚で、これが合わせ鏡として二枚の鏡で象徴されます。天理教では、鏡二枚で後頭部を映し見る動作があります。これが合わせ鏡なのです。
鏡を磨くということは、『十戒』などの聖書の言葉を守り、心と霊を磨くという事に他なりません。僕のブログを訪れても、僕の古代史を読もうとしない怠惰な読者は、聖書を読まない怠惰な読者と同じで、鏡を磨かない故に、呪われているも同然なのです。神を求めない罪というのは大罪なのです。
なお、浴室の鏡が古くなって、水を掛けても湯気の曇りが取れない場合、水研ぎヤスリ(青い紙ヤスリ)の1000番から4000番(超細かい)で、水を付けながら磨くと曇りは取れます。一枚だけなら2000番が使いよいです。青いのはサファイア(酸化アルミ=コランダム、赤はルビー)の粉でしょうか。この紙ヤスリはアクリルでも使えますが、液晶画面には禁物です。眼鏡もコーティングが剥がれてしまいます。
エフライム工房 平御幸