平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

柿本人麻呂の正体

2010-01-04 06:24:38 | 古代史と聖書
 前回に柿が出てきたので、古代史第五部のテーマである人麻呂論を紹介したいと思います。

 日本が生んだ最大の歌人として、柿本人麻呂は歌聖と呼ばれています。クラシック音楽ならモーツァルトでしょうか。しかし、人麻呂は謎が多く、本当の人物像は分かっていません。でも、古代イスラエルのカッバーラという手法では、彼の正体は割と簡単に見えてくるのです。例えば、カッバーラでは、人と書いたら猿で、猿と書いたら人なのです。

 人麻呂の別名は、小倉百人一首の猿丸太夫(さるまるだゆう)ですが、一般には日本書紀の柿本猿、続日本紀の柿本朝臣佐留も同一人物と思われています。しかし、ここでは後者の柿本猿は除外して考えます。何故かというと、猿は隠語だからです。

 僕の古代史では、モーセ以来の伝統で、猿は祭司の隠語でしたね。出エジプトの40年前ですが、レビ族のモーセが「申年」にエジプトを「去る」ことになり、モーセがエジプトに帰還してファラオに「申した」ので、「申」が「サル」と読まれます。「申す」というのは「モーセのように話す」という意味の動詞なのです。人麻呂と猿丸太夫同一人物説が後世にささやかれたように、「人と猿」が謎解きのキーワードであると、人麻呂の正体は教えてくれているのです。

 「神」という字は、「申(さる)を示す」だけでは意味が通りません。しかし、「申」がモーセに属す字だと理解すれば、モーセの口を借りて天意を発した存在が「神」だと分かります。このカッバーラが一人歩きするとインドや東南アジアの猿信仰に至り、ちゃんとカッバーラだと分かっていれば、鳥獣戯画の猿法師となるのです。猿法師は祭司ですから理にかなっていますね。同じように、万葉集や日本書紀でも猿は祭司なのです。

 さて、人麻呂は祭司であったとして、なぜに正体を隠されなければならなかったのか?それは、人麻呂が原始キリスト教の祭司であり、唐の則天武后の景教(ネストリウス派キリスト教)弾圧を回避するために、表向きは唐の意向の仏教に転向したからとなります。この時、人麻呂が仕えた高市皇子も仮の死で文武として生まれ変わり、これ以降、日本の原始キリスト教は仏教を隠れ蓑とするようになります。

 ここまで書けば、人麻呂の正体は高市皇子の時代に出現した藤原不比等だと分かると思います。日本書紀編纂に深く関わり、漢文の素養もあった不比等ですが、生まれは祭司の中臣家です。不比等は、妻の賀茂氏などからカッバーラを授かり、高市の時代には祭司として歌を詠み、高市が自らを葬り文武として復活すると、『記紀』の編纂で天皇を中心とした国体の基礎を築き、原始キリスト教を仏教と神道で覆い隠してしまいます。これで、日本は唐の干渉を避けられたのです。このように、人麻呂と不比等の官位や活動時期が同じなのは偶然ではなく、万葉集に不比等の歌が極めて少ないのも当然なのです。

 藤原不比等は、祭司出身だったからカッバーラに通じ、日本書紀と万葉集で人と猿を使い分けて、巧みに日本を隠し、日本を景教弾圧の嵐から守った偉人です。「柿」という字は「市の木」で、高市皇子に仕えた事を暗示すると共に、「ノ」を補って読むと「イノチノキ=生命の樹」となります。干し柿は吊し柿で、「吊る木(市)=剣」です。「市」はアンク十字架で、これも命の象徴。

 不比等は「ヒトにあらず=人ではない」という意味ですから、自分が猿、すなわち祭司であると最初から告白していたのです。官僚叩きの左翼脳には絶対に理解できないカッバーラですが、頭の柔らかな読者の諸君は、干し柿を食べて人麻呂の歌に隠された原始キリスト者の苦悩を噛みしめてはいかがでしょうか。「もののふの八十(やそ)宇治川の網代木(あじろぎ)に」の八十は、十字架の神(ヤハウェ=八)という意味で、これがキリシタンの時代に耶蘇教と呼ばれた理由です。網は当然イエスの弟子の象徴で、「いさよう波の行方知らずも」と悲嘆にくれた思いを、僕が晴れさせる事になるのでしょうか。

      エフライム工房 平御幸
コメント (2)
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