9日の誕生会、出席された読者や、出席できないでメッセージを届けてくれた読者の皆さん、本当にありがとうございました。スペイン料理は美味しく、とても楽しくて有意義な時間でした。プレゼントもありがとうございます。でも、始まる前にハプニング。予定時間の6時に遡ること1時間50分前の出来事です。
本厚木駅に着いて、時間の余裕を見ながら女神の顔を伺いに行きました。ちょうど出来立てのヨモギアンパンを店頭の棚に移している最中です。トレイを持って「1個ください」と声をかけたら、振り向くなりヨモギアンパンをトングで掴んでポイと乗せてくれました。それが勢い余って半回転。ひっくり返ってしまいました。不吉な予感。
そして、ホームに向かったら信号機の故障で下りは遅れているとか。上りなので大丈夫と思ったのが運の尽きで、有楽町に着いたら6時をとうに過ぎています。しかも、読者の一人が、カルガモの親子のように幹事に案内されながら途中で迷子。メールが来たので駅で待つように返事を出しましたが、僕が到着したのは一番最後でした。女神の祟りを皆に享受してもらった形です。女神最優先で考えなくてはダメなのですね。反省 orz。
二次会は7人に減ったのですが、それでも席が空いているお店がありません。それで幹事が日頃通りがかって見知っているお店に行ってみたら、何と大きなテーブルがまるごと空いています。しかも、お店の名前にMiyukiの文字が…。これは神様の導きですね。
さて、今回の問題は、ピエタのジークレーを持っている人にはやさしい問題だとヒントを出しました。ここでピコーンとこない人は額縁を買っていない人なのです。そう、額縁はフレームですから、フレームの中で人が喋ったりするテレビが「額の刻印」の正解です。箱型のブラウン管ではなくて、平面的なフラットパネルのイメージです。
『ヨハネの黙示録』13-15を読んで、漠然とテレビを指していると感じる人は多いと思います。しかし、その根拠となる理由が薄弱で、力強くテレビだとは言えない空気が生まれるのです。でも、額がフレームならば、偶像がモノを言うテレビだと分かりますね。箱型のブラウン管ではなくて、平面的なフラットパネルの時代になってからサムスンが台頭し、またテレビは内容が異常になりました。
また、右の手の刻印も、刻印は掌ではなく手の甲に押されるものだから、「手の甲=押す」と連想されます。押すといえば日本人の好きな判子(ハンコ=印鑑)ですから、これは契約のことだと分かります。要するに、テレビで偶像(タレント)を見て、物を買う時に契約書を書かされて、という行為そのものが刻印なのです。印を押す。文字通りなのです。
競輪やオートレースなどのギャンブル場、フィギュアスケート観戦、あるいは野外での公演などで、用事で外に出る場合に紫外線に反応して光る判子を押して貰う場合があります。再入場の時に、係員に紫外線を当てて確認してもらうのです。この紫外線に反応するハンコ(ブラックライトスタンプ)が右手の甲に押されるのです。だから、右の手の刻印とは、掌ではなく甲になるわけです。掌だと物を掴むときに消えてしまいますから。
刻印をバーコードやICチップと解釈した人は、人権のうるさい今の世を理解していません。全世界レベルで強制収容所は無理なのですから。また、主に背くことの象徴という解釈は、もったいぶった言い回しで正答から逃げている解釈です。自分を偉く見せたい教会のリーダーに多い、もったいぶって中身の無い答えです。
テレビは偶像であって拝んではならない。契約する時は、テレビや新聞や雑誌の言いなりにならないで契約内容を吟味せよ。そのような戒めが必要になるのが末日なのです。テレビを見る時は、このアイドルや女子アナは整形しているかどうか?このタレントは日本人か在日か?ニュースや報道は偏向していないか?この商品紹介はステマではないか?
そのような意識で見る人は大丈夫なのです。馬鹿高い広告費が商品代に上乗せされて、その広告費を消費者が間接的に払うシステム。フジテレビデモや花王デモをきっかけとして、この悪魔の洗脳が解け始めているのです。テレビは視聴率が下がり続け、新聞や雑誌は売れず、神の門を叩く代わりにパソコンのキーボードを叩いて、掲示板でorzと書いて懺悔する人が増えています。そのような人は、二度と洗脳されることはありません。
悪魔の契約書にサインをしたら、最後には自分の命で支払わなくてはならなくなります。テレビを見て魂が抜かれないように、特に子供と年寄りには注意が必要です。
エフライム工房 平御幸
本厚木駅に着いて、時間の余裕を見ながら女神の顔を伺いに行きました。ちょうど出来立てのヨモギアンパンを店頭の棚に移している最中です。トレイを持って「1個ください」と声をかけたら、振り向くなりヨモギアンパンをトングで掴んでポイと乗せてくれました。それが勢い余って半回転。ひっくり返ってしまいました。不吉な予感。
そして、ホームに向かったら信号機の故障で下りは遅れているとか。上りなので大丈夫と思ったのが運の尽きで、有楽町に着いたら6時をとうに過ぎています。しかも、読者の一人が、カルガモの親子のように幹事に案内されながら途中で迷子。メールが来たので駅で待つように返事を出しましたが、僕が到着したのは一番最後でした。女神の祟りを皆に享受してもらった形です。女神最優先で考えなくてはダメなのですね。反省 orz。
二次会は7人に減ったのですが、それでも席が空いているお店がありません。それで幹事が日頃通りがかって見知っているお店に行ってみたら、何と大きなテーブルがまるごと空いています。しかも、お店の名前にMiyukiの文字が…。これは神様の導きですね。
さて、今回の問題は、ピエタのジークレーを持っている人にはやさしい問題だとヒントを出しました。ここでピコーンとこない人は額縁を買っていない人なのです。そう、額縁はフレームですから、フレームの中で人が喋ったりするテレビが「額の刻印」の正解です。箱型のブラウン管ではなくて、平面的なフラットパネルのイメージです。
『ヨハネの黙示録』13-15を読んで、漠然とテレビを指していると感じる人は多いと思います。しかし、その根拠となる理由が薄弱で、力強くテレビだとは言えない空気が生まれるのです。でも、額がフレームならば、偶像がモノを言うテレビだと分かりますね。箱型のブラウン管ではなくて、平面的なフラットパネルの時代になってからサムスンが台頭し、またテレビは内容が異常になりました。
また、右の手の刻印も、刻印は掌ではなく手の甲に押されるものだから、「手の甲=押す」と連想されます。押すといえば日本人の好きな判子(ハンコ=印鑑)ですから、これは契約のことだと分かります。要するに、テレビで偶像(タレント)を見て、物を買う時に契約書を書かされて、という行為そのものが刻印なのです。印を押す。文字通りなのです。
競輪やオートレースなどのギャンブル場、フィギュアスケート観戦、あるいは野外での公演などで、用事で外に出る場合に紫外線に反応して光る判子を押して貰う場合があります。再入場の時に、係員に紫外線を当てて確認してもらうのです。この紫外線に反応するハンコ(ブラックライトスタンプ)が右手の甲に押されるのです。だから、右の手の刻印とは、掌ではなく甲になるわけです。掌だと物を掴むときに消えてしまいますから。
刻印をバーコードやICチップと解釈した人は、人権のうるさい今の世を理解していません。全世界レベルで強制収容所は無理なのですから。また、主に背くことの象徴という解釈は、もったいぶった言い回しで正答から逃げている解釈です。自分を偉く見せたい教会のリーダーに多い、もったいぶって中身の無い答えです。
テレビは偶像であって拝んではならない。契約する時は、テレビや新聞や雑誌の言いなりにならないで契約内容を吟味せよ。そのような戒めが必要になるのが末日なのです。テレビを見る時は、このアイドルや女子アナは整形しているかどうか?このタレントは日本人か在日か?ニュースや報道は偏向していないか?この商品紹介はステマではないか?
そのような意識で見る人は大丈夫なのです。馬鹿高い広告費が商品代に上乗せされて、その広告費を消費者が間接的に払うシステム。フジテレビデモや花王デモをきっかけとして、この悪魔の洗脳が解け始めているのです。テレビは視聴率が下がり続け、新聞や雑誌は売れず、神の門を叩く代わりにパソコンのキーボードを叩いて、掲示板でorzと書いて懺悔する人が増えています。そのような人は、二度と洗脳されることはありません。
悪魔の契約書にサインをしたら、最後には自分の命で支払わなくてはならなくなります。テレビを見て魂が抜かれないように、特に子供と年寄りには注意が必要です。
エフライム工房 平御幸