平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

反日の滋賀 多景島と赤鬼とペンタゴン

2015-10-12 22:41:08 | 古代史と聖書
 日本有数の反日左翼の巣窟があるのが滋賀県。地元企業の東レは反日+親中韓で有名で、掲示板では唐レと揶揄されています。国の利益を代表する炭素繊維事業を韓国に提供したのも東レ。また、陰湿ないじめ殺人事件でも有名になりました。では、なぜ滋賀県が反日左翼の巣窟となったのか?

 少し前に、アメリカ国防総省=ペンタゴンの鬼について書いたことがあります→東北から来る鬼。ナチスのオカルト政権で女霊媒師として暗躍した2人が、アメリカのペンタゴンの地下で生き延び、アメリカをナチのように動かしている。詳しくは飛鳥昭雄氏の本を読んでください。

 それで、2人の女霊媒師は皮膚の色が赤と緑だそうで、飛鳥氏は赤鬼と青鬼と表現しています。ところが、これが笑って済ませられるような存在ではない。なぜなら、二組分のミカエル華の板がハンズから届いた時に、片方のバッフルが赤く、片方の天板が緑になっていたからです。これは、ペンタゴンの赤鬼と青鬼に対抗するには、ミカエルも赤と青(緑)で臨まねばならないという神のお告げ。

 ということで、松戸の読者に赤顔のミカエル華を作らせました↓ (;^ω^)。これは荒川区の読者の所で鬼門を守ります。


赤鬼に対抗する赤い顔のミカエル華(音道幅が87mmだから)
ユニットも絶版のFE-87と凝っています (^m^)


 僕は緑のほうの担当ですが、緑色は天板と裏板の接する部分のごく一部で、写真を撮るのを忘れて側板を貼ったので表からは見えません。ユニット穴からファイバースコープを差し込めば見ることが出来ます。ようやく片方が完成 (;・∀・)

 このように、ペンタゴンの赤と青の鬼は人ごとではなくなりました。それで気が付いたのですが、琵琶湖の多景島(たけしま)の五角柱はナチスと連動していたのです。

 多景島五角柱は1924年9月に起工。翌1925年に完成しています。この間、ナチスではヒトラーが1923年11月11日に逮捕されて投獄。1924年12月に釈放されています。しかも、ナチスを生み出したのは、京都にあった緑龍会の八咫烏。八咫烏は天皇の祭祀集団ですが、多景島は国(天皇)の所有であり、五角柱には明治天皇の五箇条の御誓文が刻まれているのです。リンク先の説明には「柱の下部には菊花紋章がはめ込まれており、礎には大正天皇の皇后の鏡が納められている」とありますが、完成後1年で大正天皇の崩御という悲劇。

 ヒトラーをオカルトで導いた、地政学者カール・エルンスト・ハウスホーファーは、日本の緑龍会の会員となり、帰国後の1921年にヒトラーに会っています。監獄のヒトラーにも面会しています。ナチスのオカルトの拠点となったヴェヴェスブルク城はコンパスの形をしていますが、この城の南には五芒星を二つ繋いだダブルペンタグラムがあります。だから、多景島の五角柱建設の裏に、緑龍会やハウスホーファーがいた可能性があるのです。

 多景島の五角柱建設は、面倒なことに前にあった石塔を分解して他所に移し、その跡地に建てられました→pdf資料。石塔の下からは経文が出てきたそうで、歴史的な建造物を移すという暴挙から始まっていたのです。それだけ、ここはハウスホーファーの地政学で重要だったのだと思います。日本の臍らしいですから。

 また、多景島の見塔寺は彦根藩主の井伊家が資金を出したもので、今なら売国と罵られる日米修好通商条約を締結した井伊直弼(なおすけ)は13代目。井伊直弼が桜田門外の変で殺された時には、日靖上人(にっせいしょうにん)が刻んだ題目岩の文字が血の色に染まったとか。この島は彦根城の裏鬼門だそうですが、井伊直弼は維新志士たちから赤鬼と呼ばれたそうです ((((;゜Д゜))))ガクガクブルブル

 ヴェヴェスブルク城の地下では、女霊媒の赤鬼と青鬼がサタンを呼び出していた。ナチスドイツ崩壊後は、ヒトラーを始めとする多くがアメリカに移住し、赤鬼と青鬼もペンタゴンの地下に移された。飛鳥氏が戦中に死んだと言う赤龍会の八咫烏は、早めにアメリカに渡って、ナチス幹部受け入れの工作をしていたのだと思います。だから、戦中に建てられたペンタゴンは、多景島の五角柱と共通点があるのです。

 例えば、多景島の五角柱は真北を向いていないで、時計回りに50度回転しています。東西軸からは40度です。40は聖書にたびたび登場する数字で、40年の荒野の放浪は有名です。そして、ペンタゴンは時計回りに27度の回転。東西軸からは63度ですが、この63を40倍すると2520という七倍罰の年数になるのです。


大正15年(1926)4月、五箇条の御誓文を刻んだ
多景島の五角柱の東西軸に対する角度
戦争に反対する大正天皇を呪詛したものだとしたら恐ろしい



着工 1941年9月11日
竣工 1943年1月15日
ペンタゴンの東西軸に対する角度
どちらも中央が緑色


 多景島の五角柱とペンタゴンの、東西軸に対する角度を掛け合わせると七倍罰の2520年が出てくる。これはもう偶然とはいえません。ちなみに、コンパス(または時計の針)に見えるヴェヴェスブルク城を中心として、多景島の五角柱とペンタゴンを結ぶと、下の画像のような関係となります。多景島の五角柱には聖数7の二乗の49度。ペンタゴンには五芒星の5の二乗の25度。気持ち悪いですね。悪魔に睨まれているのだから滋賀が反日になるわけです。


ヴェヴェスブルク城と多景島の五角柱とペンタゴンの関係

 なお、日立リヴァーレは7番のパオリーニ選手が合流したので、HA-7700の修理も頑張らないと (;・∀・)

    エフライム工房 平御幸
コメント (19)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする