謎の酔っぱらいオジサンが登場した今年の御田植祭。そもそも、最初の早苗取りから変だったのです (ー_ー;)
七つの節が見える小竹四本と注連縄で囲まれた早苗。この周りを若い男女が三周半して儀式の開始。しかし、今年は早乙女と手を繋いで巡る男に若いのがイネ━━━━(゚д゚;)━━━━!!
まあ、稲ですから、いねーで問題ないのですが、昨年のビデオを見たら、若いのがちゃんといた。やはり、酔っぱらいオジサンが独白してたように、今年から色々とやり方が変わったのです。ちなみに、このような独白役を狂言の間(あい)や語間(かたりあい)と言います。ウリたち専用に派遣された進行係ですね (;^ω^)
それで、若いのがいなかった理由を考えたら、それは女神に対するウリのせいだと分かります。ウリの年齢に合わせてオジサン路線が用意されたのです。おそらく、昨年に儀式の謎を解いたことや、女神との関係に対して祝福の意図があったのだろうと推察されます。
ちなみに、稲が否定の否(いな)なのは、稲は食べられないからです。収穫して脱穀して米にしないと食べられない。米になることで、旧約聖書のヤハウェと新約聖書のイエスが同一という意味の、十字架に2つの八という構図が完成します。
同じように、注連縄(しめなわ)は撚(よ)るので、肯定の然(しか)りにつながります (^=^;
酔っぱらいオジサンがヤタガラスの使いなら、今回参加した八人は鏡の関係で数が合います。1人だけ車で来ることになったのも、ゴンバウチワを引き倒した縄=イエスを縛った縄を載せて帰れるからという神の深慮 (゜_゜)
このようにして、十字架の口(イエスの言葉)という意味の田を前にして、八咫烏と八人が鏡の関係。見事に米ができたのです。目の前の田は日の字の形でしたが。これが、日の字を持つ読者の一人が、烏オジサンにビシバシ叩かれた理由です。太陽神イエスが叩かれたことの再現 ( ̄д ̄)エー
ゴンバウチワに結び付けられたイエスを縛った縄は、細い縄を3本編んだ三つ編み構造。これは、天の三神が一致の精神で一つ神に見える事を表しているのです。だから、「持ってけ」としつこく絡んできた烏オジサンも、最後に縄を3つに分けて切ったところで引っ込んだ。三つ編みが謎掛けだったというか、泥をかぶる縄は、罪を背負うイエスそのものと理解しているか試したのでしょう。
兜デザインで分かるようにステッドラーの中でも高品質がマルス
軍神マルスだから戦争のフラグ
いつも持ち歩いているステッドラーの筆箱にステンレス製のカッター
筆箱はステッドラーの鉛筆を買った時にサービスだよねとか無理難題言って略奪した (^m^;)
泥田で男衆が頭から飛び込んで泥をかぶる様式は、このオジサンが考えたそうで、今年は禁止になったと残念そうに言ってました。カッバーラで仕掛けた儀式の本質が僕によって解き明かされ、イエスの磔刑の紀元33年に重なる、33年間という烏オジサンの祭りの頭としての役割も終えることになったのかもしれません。
権八団扇(ゴンバウチワ)はヤハウェ=イエスなので八が入る
太一とは太陽神=唯一絶対神という意味
描かれる舟は棺桶で死と復活を暗示する
消防団員が縄を引っ張ったり切ったりする
33年を昨年から逆算すると、始まりは干支の始まりと同じ甲子(きのえね)の1984年です。この始まりから昨年の終わりまで33年間は本当に大変だったことと思います。目の前の田で収穫された稲から作られたかは知りませんが、大切な縄を頂戴できて感謝の言葉しかありません m(_ _)m
烏オジサンは頭だけ写っている
なお、聖徳太子の豊聡耳(とよとみみ)や大和三山の耳成山の耳。ミミとは2つの間≒両端を意味するのです。耳で33を表し、かつ、イエスの磔刑の癸巳(みずのとみ)の西暦33年と、イエス再臨の乙巳(きのとみ)の2037年の間を表す。この2つの巳年が巳巳=ミミで、僕と佐藤あり紗さんの巳年の因縁なのです。僕が縄の片端を切ったのは、それは末日の終わりを担当したからです(もう片方を最初に切ったカメラマンが始まり担当)。画像ほかはあとで追加します (^_^;)
田を均(なら)すのはイエスの平等の精神を表す
撮影していた読者によると、烏オジサンは昨年まで役人の頭というポジションだったそうで。「遠慮はソンする」、「奥さんに縛られる」などの名言で、ウリが女神に頭の上がらないことを知っていたかのよう orz
読者撮影の、竹取神事後に柄振(えぶり)が均しているシーン
左端がゴンバウチワの左右に繋がれた縄
蛇神=イエスを表し、泥をかぶることで罪を負うことになる
七つの節が見える小竹四本と注連縄で囲まれた早苗。この周りを若い男女が三周半して儀式の開始。しかし、今年は早乙女と手を繋いで巡る男に若いのがイネ━━━━(゚д゚;)━━━━!!
まあ、稲ですから、いねーで問題ないのですが、昨年のビデオを見たら、若いのがちゃんといた。やはり、酔っぱらいオジサンが独白してたように、今年から色々とやり方が変わったのです。ちなみに、このような独白役を狂言の間(あい)や語間(かたりあい)と言います。ウリたち専用に派遣された進行係ですね (;^ω^)
それで、若いのがいなかった理由を考えたら、それは女神に対するウリのせいだと分かります。ウリの年齢に合わせてオジサン路線が用意されたのです。おそらく、昨年に儀式の謎を解いたことや、女神との関係に対して祝福の意図があったのだろうと推察されます。
ちなみに、稲が否定の否(いな)なのは、稲は食べられないからです。収穫して脱穀して米にしないと食べられない。米になることで、旧約聖書のヤハウェと新約聖書のイエスが同一という意味の、十字架に2つの八という構図が完成します。
同じように、注連縄(しめなわ)は撚(よ)るので、肯定の然(しか)りにつながります (^=^;
酔っぱらいオジサンがヤタガラスの使いなら、今回参加した八人は鏡の関係で数が合います。1人だけ車で来ることになったのも、ゴンバウチワを引き倒した縄=イエスを縛った縄を載せて帰れるからという神の深慮 (゜_゜)
このようにして、十字架の口(イエスの言葉)という意味の田を前にして、八咫烏と八人が鏡の関係。見事に米ができたのです。目の前の田は日の字の形でしたが。これが、日の字を持つ読者の一人が、烏オジサンにビシバシ叩かれた理由です。太陽神イエスが叩かれたことの再現 ( ̄д ̄)エー
ゴンバウチワに結び付けられたイエスを縛った縄は、細い縄を3本編んだ三つ編み構造。これは、天の三神が一致の精神で一つ神に見える事を表しているのです。だから、「持ってけ」としつこく絡んできた烏オジサンも、最後に縄を3つに分けて切ったところで引っ込んだ。三つ編みが謎掛けだったというか、泥をかぶる縄は、罪を背負うイエスそのものと理解しているか試したのでしょう。
兜デザインで分かるようにステッドラーの中でも高品質がマルス
軍神マルスだから戦争のフラグ
いつも持ち歩いているステッドラーの筆箱にステンレス製のカッター
筆箱はステッドラーの鉛筆を買った時にサービスだよねとか無理難題言って略奪した (^m^;)
泥田で男衆が頭から飛び込んで泥をかぶる様式は、このオジサンが考えたそうで、今年は禁止になったと残念そうに言ってました。カッバーラで仕掛けた儀式の本質が僕によって解き明かされ、イエスの磔刑の紀元33年に重なる、33年間という烏オジサンの祭りの頭としての役割も終えることになったのかもしれません。
権八団扇(ゴンバウチワ)はヤハウェ=イエスなので八が入る
太一とは太陽神=唯一絶対神という意味
描かれる舟は棺桶で死と復活を暗示する
消防団員が縄を引っ張ったり切ったりする
33年を昨年から逆算すると、始まりは干支の始まりと同じ甲子(きのえね)の1984年です。この始まりから昨年の終わりまで33年間は本当に大変だったことと思います。目の前の田で収穫された稲から作られたかは知りませんが、大切な縄を頂戴できて感謝の言葉しかありません m(_ _)m
烏オジサンは頭だけ写っている
なお、聖徳太子の豊聡耳(とよとみみ)や大和三山の耳成山の耳。ミミとは2つの間≒両端を意味するのです。耳で33を表し、かつ、イエスの磔刑の癸巳(みずのとみ)の西暦33年と、イエス再臨の乙巳(きのとみ)の2037年の間を表す。この2つの巳年が巳巳=ミミで、僕と佐藤あり紗さんの巳年の因縁なのです。僕が縄の片端を切ったのは、それは末日の終わりを担当したからです(もう片方を最初に切ったカメラマンが始まり担当)。画像ほかはあとで追加します (^_^;)
田を均(なら)すのはイエスの平等の精神を表す
撮影していた読者によると、烏オジサンは昨年まで役人の頭というポジションだったそうで。「遠慮はソンする」、「奥さんに縛られる」などの名言で、ウリが女神に頭の上がらないことを知っていたかのよう orz
読者撮影の、竹取神事後に柄振(えぶり)が均しているシーン
左端がゴンバウチワの左右に繋がれた縄
蛇神=イエスを表し、泥をかぶることで罪を負うことになる